ミステリー作家・藤岡真のみのほど知らずの、なんでも評論

机上の彷徨

このページでは、ミステリ作家の視点から、書籍、映画、ゲームなど色々な「表現」について評論したいと思います。

          ネット、mixiの人脈(2009/01/04)



           ネット恢恢疎にして漏らさず

 一昨年の鮎川哲也賞受賞パーティで、柴田よしきさんに進められてはじめたmixiだが、いや思いもよらぬ皆様と知り合えあて、本当に良いものを紹介されたと感謝しとります。

 あの盗作野郎の件だって、サイトを持っていたおかげで、漫棚通信さん、知泉さん、伊藤剛さんと知り合えたわけだし、mixiのおかげで町山智浩さんとも連絡がとれるようになった。
 しかし、なにより面白いのは、裏亭なる人物のマイミクの方が、何人もmixiでメッセージを下さったことだ。なんだか分からんがチクりますといった低レベルのものから、前々からおかしいと思っていたが、確信になったといったものまで。また、かなり親しい方(著名な方である)から、これまで親しく付き合ってきたのでいきなり切り捨てるわけにはいかないが、一度きっちり話し合う必要があるだろうという真摯な意見表明があり、こちらも面白半分に対応するわけにはいかない。
 それでも、未だに忠犬ミク公みたいな奴もいて、巡回してあしあとを残していく。中に「と学会」のけっこう名の売れた方がいたので「巡回ですか」とメッセージを入れたら、「唐沢さんも藤岡さんも好きな作家です。好きな作家同士がいがみあっているのは悲しい」という馬鹿の極みのような言葉が返ってきた。「万引常習者」と「それをとっ捕まえる人間」。いがみあってるんじゃないよ。万引常習者に肩入れするなら、ファンなどと呼ばれたかねえや。

 裏亭さん。マイミクの中の心ある方は、今年からどんどん抜けていくと思いますよ。今の時点で、十四人の名を挙げられます。


           本年の所感(2009/01/02)



 では、箇条書きに。

1、長編小説、出版社に渡している分以外、いくつかあるので、これをちゃんとした作品に仕上げましょう。

2、ホラー小説を書いています。それがどんな形で世に出るかはお楽しみ。

3、3年のブランクの後に空手道場に復帰しましたが、そんな甘いもんじゃない。本年は年初から鍛えなおす所存。

4、著作権をきっちり管理する部署を、社内で立ち上げ、会社の壁を越えて(電通、ADK)情報を交換するようにしたかったけど、さすがに時間がかかります。組織の立ち上がりは4月以降(これは決まり)、会社の壁を越えては、さてどうなるかしら。しかし、これが実現すれば

*パクリ表現(アイデア、コピー、音楽)の事前チェック。
*リスキーな人材のチェック(タレント、文化人、やばい奴はNG)。

得意先に対しても、説得力のある組織だと思うのですが。まあ、1年くらいはかかるかも知れませんが、そうなるといかがわしい人材は総て駆逐されます。そして、広告代理店が協働でNGにしたような人間は、メディアから、総スカンをくらうでしょうね。
いや、手続きは面倒くさいけどさ。

5、VOWにも引き続き投稿いたします。


            グルメ刑事(2009/01/01)

 


        これぞ正月、極めつけの一冊

 さて、楽しい、楽しいお正月の始まりです。
 リオデジャネイロではカーニバルのために1年を生きているとか。小生は正月のために1年を生きております。

 さて、となれば朝から酒である。

 
 司牡丹


 本年は、ご先祖(深尾和泉守重良)に因み、“深尾家の酒”司牡丹船中八策と参るとしよう。
 あまりものなどを肴に、早朝から下らん正月番組を見ながら呑むのが、正月の醍醐味。

 しかし、昨今のTV番組は1年中正月番組のようで、どうもエントロピーが増大しておるようだ。

 さて、ほろ酔い気分でTVを横目で見つつ、書を閲す。

 そう、今年は、これで参るぞ。正月のほろ酔い気分で読むのに最適の大傑作、嵯峨島昭の『グルメ刑事』であります。

                 
 グルメ刑事


 嵯峨島昭は東京大学国文の大学院在学中に『鯨神』で芥川賞を受賞した、大変な作家なのである。本作はミステリー。しかも、正月が舞台で北大路魯山人が活躍する“現代”の物語。これを読めば巷の“バカミス”なんかふっとんじまう。グルメを皮肉り(巷の名店がほぼ実名で登場し、滅茶苦茶に貶される)、マスコミを皮肉り、もう下らなくて下らなくて、悶絶するくらい可笑しくて、しかも、著者の知識と薀蓄は半端ではなく、しかも、芥川賞作家の名文で読めるのだ。目茶苦茶な話が。

 正月はこれだよ。

 なんで、こんな本が出てきたかと申しますと、年末の大掃除のとき、額装していた畑農照雄の版画「仮面道化」を見た豚児が、「この作者はどんな人なの?」と訊いたので、書庫整理中たまたま畑農さんが装丁した本書が目の前にあり、画家で版画家で、数々の装丁をされた方であり、以前ご自宅にお伺いして、猫と遊んだ話をしてやったのです。で、内容をパラパラ見たら、おおこれこそ正月に相応しい本。

 さて、呑んで読んで、酔ったら寝て、起きて食ってTVを見て、また読んで呑んで、贅沢に時間を過ごしますか。

 『グルメ刑事』 嵯峨島昭 カッパノベルス 1977


            TENGU(2008/12/28)


               衝撃のラスト

            tengu

 ああ、こんなお話だったのか。いや、王道と言ったらこれほど王道を行く物語はないだろう。王道の集大成と言ってもよい。
 陰湿で閉鎖的な集落で、突然殺人事件が発生する。被害者は、いずれもその肉体が粉砕されるほど残忍な殺され方をしている。犯人と思しき存在は、人間でもなければ獣でもない、“天狗”と呼ばれる謎の生き物らしいのだが。主人公が想いを寄せる薄幸の美女、密かに跳梁するアメリカ人たち、そして、地元の警察は彼らの言いなりになって証拠を隠滅する。
 DNA鑑定でもその正体が分からない“天狗”は、どうやらベトナム戦争と関係があるらしい。事件当時駆け出しの新聞記者だった主人公は、二六年ぶりに、事件の真相をつきとめんと行動を開始する。
 なんか、何度も読んだことがあるようなストーリーだな。どうせ“天狗”の正体は、アメリカ軍が開発した超人兵器かなんかなんだろう。主人公は、命を狙われ、アメリカの秘密組織と戦いながら、後一歩という所で真相にはたどり着けずに……。なんてストーリーを漠然と頭に浮べながら読んでいて驚いた。
 いや、お膳立ては予想通りなんだが、そこから派生するストーリーは全然別のものだった。主人公はタフなアウトドア派だが、拳銃をぶっ放すわけでもなければ、命を狙われるわけでもない。淡々と事実を追いかけながら、事件のルポを書き続け、それはAPを介してアメリカでも紹介される。そうして、かつての事件関係者から連絡を受けてアメリカに渡ることになる。

 バイオレンス巨編といったらその通り。残酷であり、淫靡であり、出会いもあれば別れもある。しかし、このラストの衝撃はちょっと一言では言い表せない。こんな結末を誰が予想しただろうか。ドンデン返しというのとも違う。一読をお薦めする。こんな発想はわたしにはなかった。

 『TENGU』 柴田哲孝 祥伝社文庫 2008


           失われた27年(2008/12/26)



  
          ただひたすらのアナーキー

            アレン

 唐沢俊一がなにを根拠に本書を、「好きな作家の27年ぶりの作品集」と呼ぶのか不明だった。というのは本書のあとがきで翻訳の井上一馬も、amazonの「内容(「BOOK」データベースより)」も、ウディ・アレンが25年ぶりに贈る待望の短編集としているからだ。27というのは、唐沢なりにアレンの作品の出版年から算出した数字なのかしら、とも考えたが、唐沢の資質からしてそんなことをする(出来る)はずがない。

 昨日、2ちゃんねるに、24日のエントリに対してこんなことが書き込まれた。

 325 :無名草子さん:2008/12/25(木) 23:10:47
>藤岡真様
SEXのすべての日本公開はアニーホールより後だと記憶しています。


 おっとと思い調べてみたら、ご指摘通り、『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう 』の日本公開は1981年だった。そこでピンときた。
 唐沢はこの映画が、アレンの初のヒット作(興行収益800万ドル)ということは知っていた、あるいはネットで知ったのだろう。それが1981年(27年前)の公開なら、それ以降、アレンの人気は一般的なものになってしまったはず。つまり、25年前ではなく、27年前に、自分は既にアレンに惚れ込んでいたことにしなければ、先見の明があったことにはならない。そう思い、27年という数字をでっち上げたんだろう。しかし、本のデータにも訳者の後書きにも、はっきりと「25年ぶり」と書かれているのに、朝日新聞の編集はあっさりと騙されたのだろうか。不思議だなあ。


         ラジオライフ 2009年2月号(2008/12/25)



             不可解な参考資料

            ラジオ1月

 『唐沢俊一の古今東西トンデモ事件簿』のお題バージョン第二弾、「盗聴大作戦」の巻きであります。唐沢は同連載の『作家と食人』の回で、パクリを指摘されるや、またもや引用元を明らかにしなかったことに関して以下のような言い訳をしました。

 もちろん、紹介サイトとはいえ、参考にした際にはその旨の表記が必用ではないか、というご意見もおありと思いますが、参考サイトに複数のものがある場合、雑誌掲載などに際しては読者の煩雑やスペースの問題を考え、それらを省略する場合もあります。

 ところが、今回の連載では2冊の参考資料を挙げているのですよ。人は学習して進歩するのだなあとも思ったのですが、それがちょっと変なのですね。
 今回は『盗聴大作戦』と題し、ジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官が、自己の地位と利権を保持するために、ケネディ兄弟を盗聴していたことに関する様々な事件を列挙して、前回前々回みたいに、関係ない小説の粗筋を延々と披露するような酷いものではありません。で、そこで、参考文献として挙げられているのは―

*『大統領たちが恐れた男/フーヴァーの秘密の生涯』アンソニー・サマーズ 新潮文庫
*『ピーター・ローフォード・ケネディ兄弟とモンローの秘密を握っていた男』ジャイムズ(ママ)・スパダ 読売新聞
 
 の2冊なんです。ジャイムズはジェイムズの誤植でしょう。で、どんな内容が参照されたのかというと、前者は

 ケネディとフーヴァーは2人共、部屋にモンローのポスターを張っていたらしい

 であり、後者は

 最初にモンローと関係を持っていたのはローフォード自身だったようだ

 ということのようです。では全編に書かれている、フーヴァーとケネディ兄弟の確執に関するネタはどこから持ってきたのでしょうか。「あちこちの文献や新聞記事、さらにはネットなどで渉猟し、それを紹介した上で、自分なりの論を展開したものです」ってことなのでしょうか。いや、今回の唐沢の文章にはかなり独自の見解が盛り込まれているので、その根拠を是非示してもらいたいのですがねえ。

 それは彼自身(註;フーヴァー)が女に興味のない同性愛者である、ということである。フーヴァーは女装が趣味で、有名人たちが通う女装クラブの常連だった。

 男性関係もフーヴァーは長年、1人の交際相手に限定して浮気はしなかった


 フーヴァーが同性愛者だったということは、ずっと言われ続けていますが、確たるな証拠はないはずです。女に興味のない同性愛者である、ということであると言い切るなら、是非その根拠を示して頂きたい。

 そして1962年、マリリン・モンロー謎の自殺

 モンローの死因も、自殺、他殺、事故と色々言われていますが、答は出ていないはず。自殺と断言できるような資料をお持ちなら、それを公開して頂きたいものです。

 とここまで書いてきましたが、実はラストに物凄いことが書かれているのです。

 フーヴァーは1972年の死まで、放逐されることもなくFBI長官の座に座り続けた。彼の死と共に、スネに傷を持つ政治家たちが、彼の家やオフィスを徹底調査させた。だが、彼が行った膨大な盗聴の記録は、どこに消えたかその影も形もなく、現在までその所在は明らかにされていない。

 おいおいおいおい
 じゃあ、散々書き散らしてきた、アンジー・ディキンソンとケネディの大統領専用機内での情事の盗聴とか、モンローと共産主義者のピロー・トークの盗聴とか、ロバート・ケネディとモンローの情事の盗聴、そして、そこで核兵器が話題にされたこと等等等は、一体どうして分かったのでしょうか。記録は消えてしまって、影も形もないんですからね。まさか、唐沢がテレパシーかなんかで知り得たとでもいうのかしら。

 小ネタもいい湯加減で(笑

 AFP(フランス通信社)のニュースによると、2008年4月、かのマリリンモンローのプライベートなセックスの場面(オーラル)を撮影した約15分の秘密フィルムが売りに出され、アメリカのある実業家に150万ドル(1億5,000万円)で売却されたそうである。さすがはアメリカのセックス・シンボル、モンローである。
 …だが、このフィルムが騒がれたのは、それがマリリン・モンローのハメ撮り写真だからではない。


 ハメ撮り写真だからではないって、なこと当たり前じゃん。わざわざ自分でオーラルと書いておいて、なんでハメ撮りなの? ハメ撮りって意味も分かっていないようですが、ハメてる男が撮影することなんですよ。
 しかも15分の秘密フィルムってことは、ムービーってことです。写真じゃないよ。

 エロネタも、相変わらず全く駄目ですね。

 もう一つ、ちょっと興味深い小ネタ

 そして変化を実際にもたらす、と国民に納得させるためには、就任後、国家の革新を拒んでいる古い機構を解体、改善するということを実行に移さねばならない。ケネディは、その古い機構の代表を、31年間の長きに渡ってJ・エドガー・フーヴァーが長官の座についている、FBIとして見ていた。

 はい? その古い機構の代表を、31年間の長きに渡ってJ・エドガー・フーヴァーが長官の座についている、FBIとして見ていた。これは日本語ですかい。普通ならこう書くはず。

 ケネディは、31年間の長きに渡ってJ・エドガー・フーヴァーが長官の座についているFBIを、その古い機構の代表として見ていた。

 なんで、こんな変てこりんな文章になったのでしょう。オリジナルのまともな文章をコピペして、自分の書いた文章のように見せかける改竄作業のときに、劣化コピーになってしまうのも、唐沢のパクリの特徴なんですが、これもその一例なんでしょうか。


 映画人として日本でもようやく認められかけていたウディ・アレン(2008/12/24)




            『ユリイカ』1981年9月号

            ユリイカ

 以下の文章に誤りがありましたので訂正いたします。『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』の日本公開年は1981年でした(つまり27年前です)。 ご指摘くださった2ちゃねらーの方に感謝いたします。

 朝日新聞の編集者は、なんで唐沢の嘘が見破れないんだろうか。27年ぶりに自分が惚れ込んだ作家の新作が発表されたときに、「初恋の人との再会は楽しみだが、長年抱いていた面影が現実に直面して、失望するのではないかという不安にもかられてしまう」ような馬鹿はいないと、敢えて断言しよう。朝日新聞の担当者の方、女性の容姿じゃないんだよ。待ちに待った作家の新作、「失望するのではないか」なんて上から目線で考えるかどうか、インテリのあなたはどう思う? そんなことありえないでしょう? と言ってもそれは考え方の問題だ。では、事実関係で考えよう。「唐沢がウディ・アレンに惚れ込んでその小説を読んでいたときは、アレンは“映画人として日本でもようやく認められかけていた”存在だったのか」否かを。

 唐沢がしつこく言う、27年前は、1981年。その時点で、

1、『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう 』は日本でもヒットしていた(1972年 → 1981年)。
2、『アニー・ホール』(1977)が、アカデミー監督賞、最優秀作品賞受賞し、『インテリア』(1978)『マンハッタン』(1979)が次々とヒットした。
3、雑誌、ユリイカ1981年9月号で「ウディ・アレン」特集が組まれた。
 このときの執筆者。
 淀川長治、常盤新平、清水哲男、野田秀樹、川本三郎、河原晶子、大西赤人、青山南、金関寿夫、池澤夏樹、松岡和子、伊藤俊治、マイケル・デンプシー、ジャック・クロール。


 そうそうたる面々だということがお分かりいただけよう。つまり、1981年の時点でウディ・アレンは
「小説家として日本でもようやく認められかけていた存在」だったかも知れないけれど、「映画人として日本でもようやく認められかけていた存在」なんかじゃ、全然なかったのだ。いや、映画人としては超メジャーな存在だった
 
 知りもしない作家のことを、とりあえず自分は先物買いしていたと偉そうに書き、いやそいつが27年後にどうなったか心配だと、紙屑みたいな小説しか書けない能無しが上から目線で批評してみせる。

 朝日新聞は、過去にも偽造その他で数々の汚点を残しているが、これはそれに比肩しうる酷い惨状だ。


       現実を虚構で語る唐沢俊一(2008/12/22)



            糞

 唐沢の馬鹿振りが一気に注目されたのは、中国のチベット侵略について世論が盛り上がったときに、例によってひねくれた反対意見を開陳して、注目を浴びんとしたときだった。結果的に注目を浴びることには成功したが、無知蒙昧な馬鹿という評価を得てしまったことは、本人には予想外のことだろうが、様ぁ見ろといったところか。
 皆様ご存知とは思うが、この件である。

 ダライ・ラマの宗教独裁時代がどれほどのものかは、チベット行って、あの貧乏な国でポタラ宮をはじめとする宗教施設の壮大なことを見れば一目瞭然だと思うね。さらに昔だと、久生十蘭の『新西遊記』って小説に、門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした者たちの拷問・処刑法が微に入り細を穿って書いてあるから読んでみるといい。このオレがこれまで読んだり聞いたりした中で一番の残酷さだと言えば度合いがわかるだろうと思うが(笑)。

 おなじみの『社会派くんがゆく!』からの引用だが、観光旅行で見かけた風景から、「ダライ・ラマ」の宗教独裁を語り、久生十蘭の小説から過去の(なんで昔の話をするのかね)チベット宗教者の残虐行為を語り、なおかつその根拠が「このオレがこれまで読んだり聞いたりした中で一番の残酷さ」だというのだから、馬鹿に磨きがかかっているとしか言いようがない。

 この「現実を語るのに虚構を持ち出す」という愚かな行為は、わたしに寄せられた盗作に対する自己弁護メールの中にも見られる。

 ミステリ作家であるという藤岡さまにこんなことを言うのは釈迦に説法でもありましょうが、あえて私が漫棚通信サイトの文章を自分の文章として盗んで引用したと断定するのなら、その犯行動機があまりに弱くありませんか(あの漫画作品は国会図書館などでいくらでも手に取ることが可能な本で、稀書というものでもありません)。これではミステリのプロットとして提出してもボツ必至だと思いますが、如何?

 なんで実際の犯罪の動機を、ミステリのプロットに照らし合わせて考えるのかね。ボツにならずに採用になるプロットが現実的なものだと考えているなら、作家としての資質は皆無だと言っていいだろう(って、とっくにそう思っているけどね)。唐沢が「国会図書館にいく手間も省いて盗作した」ことは明白で、そんなチンケな犯罪は小説のネタには、そもそもなり得ない。

 で。
 唐沢の悪行本『新・UFO入門』を読み直していたら、その冒頭(7頁)にこんな文章があった。

 現実と自我との桎梏で破滅していく人間は、ヘッセの『車輪の下』に描かれている如く、歴史上枚挙にいとまがない。

 ええと、なんで『車輪の下』が出てくるのかな。「歴史上枚挙にいとまがない」のなら、歴史的な事件を挙げてもらいたいのだが。『車輪の下』はフィクションだし、失意の工員が入水自殺する話で(身も蓋もない言い方だが)、「歴史上云々」の例にすらなっていない。

 同書の52頁にはこんなことが書かれている。

 考えてみれば殺人事件でも窃盗事件でも、その容疑者には徹底した取調べが行われ、その証言に矛盾がないかどうかを調査してみて、容疑者が果たして犯人かどうかを判断する。
 その事件の証言者の言に事実と相反するものがひとつでもあれば、彼の発言は疑わしいとされ、証拠として取り上げられない。シドニー・ルメットの名作映画『十二人の怒れる男』で、殺人事件の現場を見たという証人の、眼鏡常用者であったのにもかかわらず、ベッドから飛び起きて裸眼のまま、18メートルも先の殺人を目撃したという証言は、証言としてあまりに弱いと判断され、被告の殺人罪は立証できない、無罪だ、と陪審員たちが結論する場面を覚えている方も多いだろう。


 いきなり映画のネタばらしするのも酷いが、厳密に言えば唐沢が書いている粗筋もちょっと違っている。「目撃者の証言」をもとに有罪を主張していたのは3人だけだし、そして、眼鏡云々の事実が提示されても、1人は有罪の主張を変えなかった。だから「無罪だ、と陪審員たちが結論する」というのは嘘である。
 しかし、それよりなにより、「証言の矛盾」について論じるのに「映画の例」を挙げるのだろうか。実録犯罪研究の第一人者のはずなのにさ。


          「パクリ・盗作」スキャンダル事件史(2008/12/18)



             ただ検索エンジンのために

            パクリ

 ついに唐沢の悪行が、一般出版物に曝されることになった。

 検証blogにその内容はこと細かくアップされている。野次馬気分でこのサイトや検証サイトを覗いていた皆様には、ぜひ実書に当たって、唐沢の悪辣ぶりを知っていただきたい。まあ、酷いもんですよ。そして、こうした検証書が出版されるのと同時に、「トンデモない一行知識」では、潮 健児氏の著作『星を食った男』の著作権を、文庫化のどさくさに唐沢が盗んだという、窃盗の事実を見事に検証している。冒頭に書いたように、具体的な内容には触れず、後出しだけど、検索エンジンに引っかかることを考えてアップさせていただきました。上記サイトでは、知的財産権窃盗犯の唐沢に対する糾弾が徹底的になされているので、ぜひご一読下さい。

『パクリ・盗作』スキャンダル事件史』 別冊宝島編集部 編 宝島文庫 2008


            今宵も酒場部(2008/12/18)



            
            大人の部活もいいもんだ

           酒場部

 居酒屋のガイドブック? またですかい。巷にはその手の本が溢れ、もはや飽和状態だ。誰だって知っている有名店を並べながら、肝心の名店からは断わられて歯抜けになっているような本なんか、例えその名店が載っていたところで有難くもなんともない。東海林さだおだって、今頃、『メロンのまるかじり』で「まるます家」を紹介してるし、もはや、都内の居酒屋の名店は、『東京居酒屋名店三昧』で総て網羅されちまったのではないかいな。そう思って本書を開けばこはいかに。

 ここで紹介される呑屋、釜石、小倉、福岡、出雲、名古屋と関東圏以外の店も七軒あるが、残り三十九軒で知っているのは「鈴傳」「埼玉屋」「斎藤酒場」「ホッピー仙人」「ニューカヤバ」「たぬきや」「かねます」の七軒のみ。「たぬきや」なんか教えたくない店の五指に入るが、これらの店は皆名店だから、未知の残り三十二軒もそうに違いなく、期待感ふくらむこと限りなし。
 というわけで、紹介されている一軒に、早速いって参りました。
 大久保「瀧元」。

 瀧元

 間違いではありませんよ。「ヤエガキ酒蔵」と書かれているが、隅っこに縦書きで「瀧元」と書かれているのだ。控え目なのであります。

 五時半に入店。先客はサラリーマン風(おれもそうなんだが、全然“風”ではない、服装がね)の二人連れ。カウンターが四席空いていたが、そのうちの三つと奥の座敷は総て予約済みだとか。当然ながら空いているカウンター席に座り、ビールを注文する。
 さて……
 店内の様子を本書はこう描写している。

 黒い木札に白い文字の品書きが古典的で僕好み。

 いや確かに黒い木札は並んでいるけどさ、白い文字って、もうほとんでかすれてしまって、黒い文字になりかかっている。なにを頼もうかなと辺りを見回すと、品書きはこれしかないようだ。ビールが出る。突き出しは帆立の貝柱。貝殻に乗った大き目の貝柱で、酒蒸しにされて柚子が添えられている。随分立派な突き出しであるな。これでビールが呑めてしまい(大瓶)、さてはと品書きに目を凝らすのだが、やはりさっぱり読めない。隣に座った禿頭のおっさん(と言ってもおれと同世代なんだろう)は、九州からの旅行者とやら。これが、やたらに魚に詳しい。で、このおっさんが、なんか干魚で美味いのはないかい、と注文したら、親父は、今朝北海道から届いた○○(聞こえなかった)の一夜干しはいかがでしょう、卵が入っていて美味いですよ、と答えた。店員がおもてから魚を持ってきたが、見慣れぬ魚。無論柳葉魚ではない。八角でもないし、カマスでもない。巨大な焼台でじゅうじゅう焼かれる様はまことに美味そう。本書によれば、ここは魚河岸料理が売りで、毎日築地から仕入れる他にも、札幌二条市場から空輸させているらしい。そういうオススメを黒板かなんかに書き出してくれればいいのになあと、つくづく思った。「たら豆腐」がオススメと本書にあったので酒に切り替える。これは大当たり、たらの旨味が豆腐にしみて素敵に美味しい。温燗が進んじまう。そうこうしているうちに、カウンターの予約客も来て、奥の座敷も満杯になった。「たら豆腐」けっこう量があったので、ここでお開き。ビール1本、酒3号、たら豆腐で勘定は2,900でした。

 表に出て気付いた、この店は、ここの向かいだったんだ。

 くろがね

『くろがね』。
 ガイドブックには絶対に載らない店。でも、安くて美味くて感じのいいお店です。

 
『今宵も酒場部』 牧野伊三夫、鴨井 岳 集英社 2008


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