韓国の中産層に金融危機の直撃弾
中産層の崩壊
またも涙を流す「IMF創業世代」
中産層の比率は96年の68%から07年には58%へ
今年上半期の食堂の休・廃業件数は創業数の3倍以上
「月給取りから自営業へ」中産層の循環構造が作動せず
- 京畿銀行の元行員でいわゆる「IMF創業世代」のイ・ソンテクさん(仮名)は、もうじき廃業する自分の不動産仲介事務所(京畿道富川)で取材に応じた。事務所の内外には「金持ちになろう!」という看板を掲げたが、実際はイさんが自分自身に向けた誓いの言葉だった。/写真=キム・ヨングク記者
大韓民国の「腰」が砕けつつある。金融危機は、それでなくとも苦しんでいる中産層の息の根を止めつつある。今年上半期の食堂の休・廃業(18万件)は、創業(5万件)の3倍を超え、「月給取りから自営業へ」という中産層の循環構造が作動しなくなった。就職先の減少で、中産層になる機会も失われつつある。大韓民国の中産層はどこに行くのか。
イ・ソンテクさん(50)=仮名=は、いわゆる「IMF創業世代」だ。京畿銀行に勤めていた10年前、アジア通貨危機によりやむなく自営業者に転身した。その当時、イさんのように職場を追われたサラリーマン29万人が創業戦線に飛び込んだ。イさんは今年初めに開業した不動産仲介事務所を年末には整理する。妻とは離婚し、高校3年の子供は母親についていった。「生活費も出せないのに、どうして連絡できるだろう…」
◆「今はできることもない」
10年前、イさんは京畿銀行顧客部の課長を務め、年棒は4000万ウォン(現在のレートで約264万円、以下同)あった。京畿銀行を退職したのは、1998年のアジア通貨危機の時。退職金3000万ウォン(約198万円)は、銀行への借金4000万ウォンを返済するのに使った。
「仁川で読書室(私設図書館)を開いた。最初の2年はサラリーマン並みに稼ぎ、2年は現状維持、2年は金を無駄にした」。結局、2004年に廃業。生活苦から家の中でもめごとが絶えず、妻はうつ病と診断された。その翌年、妻とは別居した。
歯を食いしばった。鉄くず集めに短期の仕事、借金の取り立てなど、金を稼ぐためなら何でもやった。昼間に借金の取り立てをやったかと思えば、夜には一人で公認仲介士の勉強に励んだ。一日の睡眠は3‐4時間。努力のかいあってイさんは2006年末、資格証を手にした。唯一の希望だった。昨年はよその不動産仲介事務所で働いた。そして今年初め、京畿道富川に自分の事務所を開いた。昨年貯めた1000万ウォン(約66万円)で事務所の保証金をまかなった。しかし1年も持ちこたえられず、手を上げることになった。「昨年までなら何とか取引のあった不動産が、今年になって完全にストップした。保証金も無駄になり、半分になった。今はもう、なすすべがない」
京畿銀行解職者協議会のパク・テサム会長によると、イさんと同様に京畿銀行を追われ事業を始めた人は、大部分が失敗したという。まさに限界まで追い詰められている「IMF創業世代」を、金融危機が「確認射殺」している状況だ。
◆「息の根が止まる」
昨年、自営業者一人当たりの年平均所得は1370万ウォン(約90万円)だった。サラリーマンの平均給与2570万ウォン(約169万円)の約半分(53%)に過ぎない(表参照)。生活費として使ってしまえば、再投資する資金はなく、危機ともなればすぐさま倒れるよりほかにない構造だ。
10年前、チェ某さん(51)は電子機器の部品を作る中小企業の部長だった。1998年、会社は不渡りを出したが、チェさんは友人と共同で水原に豚焼肉の専門店を開いた。営業をしていた経歴を生かし、インターネット同好会を取り込んでクーポンを発行、わずか3カ月で選り抜きの食堂に作り上げた。転身も早かった。2006年末、近くに似たような店が増えてくると、権利金2000万ウォン(約132万円)を受け取り店を畳んだ後、近所に鶏カルビの店を開いた。借金をして、京畿道竜仁にマンションも買った。皆が「成功した」とうらやましがった。
問題は今年初めに始まった。1週間もの間、客が一人も来ないこともあった。店舗の賃貸料を2カ月払えず、1カ月100万ウォン(約6万6000円)余りのマンションの融資利子までのしかかってきた。「金が出て行く穴がいきなり広がったようだった」。手に入れたマンションは売らずに元手とし、ファンドに預けていた5000万ウォン(約330万円)もほとんど使い果たした。
チェさんは銀行の利子だけでも工面しようと、店を妻に任せ、先月から慶州に出稼ぎに行った。親戚が経営している家具工場で働くためだ。「(親戚の社長も)月給を払うのが大変かもしれないと止めるのを、わたしが振り切って出てきた。それでも、当面は大変だ。家内に合わせる顔がない」
◆「事業はやればやるほど損をする」
東南銀行を追われたパク某さん(44)は、2001年に信用不良者になった。パクさんは「ガソリンスタンドを借りて営業していたが、当時現場に油を配給していた建設会社が倒産し、油代を踏み倒された。借金は4億ウォン(約2640万円)にもなった」と語った。
それでも、あきらめなかった。パクさんは全国を回り、立地のよいガソリンスタンドを借りては商売を続けた。4年かけて借金を完済した。しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。景気不振と原油高で、パクさんは今年3月、ガソリンスタンドを完全に畳んだ。
パクさんは「信用不良者にまで落ちたけれども復活した、ということだけでも感謝している」と語った。パクさんは最近、精肉店からビアホールまで、少ない資本で経営できる事業を10種類ほど検討したが、結局、保険の営業をすることにした。取材陣に対しパクさんは、身をもって得た結論として次のように語った。「事業は、やればやるほど損をする」
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