あくはと君の論理
『いくつかの証言によれば、便衣兵とみなされた者は、手にタコがあるのを銃を持った証拠、額が陽に焼けていないのを軍帽をかぶっていた証拠とされ、連行されたという。つまり罪のない一般市民が多数処刑されたのは確実である・・・・・・。』 by あくはと |
以上が山本さんの記述です。 「手にタコ」があるのを銃を持った証拠とこじつけたように読めますが、実際には、銃を扱う訓練を長期間行うと「銃ダコ」ができるので、それを調べられた結果、潜伏していた兵士が難民からより分けられたというのが正確です。史料を確認してみましょう。
あくはと理論の崩壊
『南京の真実』P358-359 ジョン・ラーベ著 講談社文庫 (ドイツ帰国後の公演原稿・ヒットラー宛の上申書)
けれどもいまでは、ああするより仕方がなかったのだと思っています。なぜなら、安全区との境であるあの場で市街戦になったら、中国兵はこぞって安全区に逃げこんだにちがいないからです。そうなれば安全区はもはや非武装ではなくなり、日本軍から猛烈に攻撃されたことでしょう。さらに、当然のことながら、完全に武装解除されていれば、捕虜になることはあっても、それ以上の危険はないだろうという期待もありました。
しかしながら、またしても私は思い違いをしていたのです! この部隊の兵士全員、それからさらに、この日武器を捨てて安全区に逃げ込んだ数千人の兵たちも、日本軍によって難民のなかからよりわけられたのです。みな、手を出すようにいわれました。銃の台尻を握ったことのある人なら、たこができることをご存知でしょう。
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見てお分かりのように、銃ダコにより中国兵が選別されたとラーベは記しているわけです。言い換えると日本軍により難民と中国兵は正確に区別されたとラーベは記しているのです。これを踏まえて次の記述をみてみましょう。
一般人が混ざっていたのか?
『南京の真実』P358-359 ジョン・ラーベ著 講談社文庫 (ドイツ帰国後の公演原稿・ヒットラー宛の上申書)
そのほか、背嚢を背負った跡が背中に残っていないか、行進による靴擦れができていないか、兵士独特の形に髪が刈られていないかなども調べられました。そういうしるしがあった者は、元兵士の疑いをかけられ、縛られ、ひっぱられ処刑されたのです。こうして何千人もの人が、機関銃あるいは手溜弾で殺されました。そこここでぞっとするような光景がくりひろげられました。そのうえ、全く罪のない民間人まで同時に射殺されたのです。日本軍には、元兵士の数が少なさすぎるように思われたからです。
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おかしいですね。日本軍には中国兵を選別する能力があったのに、罪のない民間人まで連行したそうです。ラーベは民間人が連行されるのを指を加えて見ていたのでしょうか?。普通見ていたら止めますよね?。ということで12月16日の日記を見て見ましょう。
市民連行の記述なし
『南京の真実』P136 ジョン・ラーベ著 講談社文庫
十二月十六日 (略) たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出されたという。銃殺されるのだ。そのうち五十人は安全区の警察官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されるという。
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結論からいうと、安全区から摘発された中に「一般市民」が多数含まれていたというラーべの記述にはなんの根拠もありません。第一ラーベは市民連行を目撃しておらず、そういう事があったとも記録していないのです。ラーベは2月末に南京を立ちドイツに帰国しました。帰国後に公演を行うにあたって「市民連行、市民処刑」を付け足したという構図が浮かび上がってきます。
ラーベは約400人の中国軍を武装解除して安全区内に収容しました。その他にも数千人の中国兵が安全区に潜伏したことをラーベは知っていたようです。非武装であり中国軍に利用されないという前提で安全区を設定したわけですから、民間人に偽装した中国兵を収容することは(武装の有無に関わらず)重大な過ちでした。国際法における中立法規でも、中立国は交戦国による侵入を実力をもって阻止する義務がかせられています。中国兵の安全区侵入を阻止する義務があった警官が、それを黙認したとなれば中国軍に対する利益供与になります。日本軍から見ると利敵行為ですから、戦時犯罪として処刑されても文句は言えないことになります。
いずれにしても、連行されたのは兵士と警官であると記しており、民間人が連行されたとは書かれていません。
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