「南京軍事法廷の記録」
南京大虐殺
30万人の証明
日本政府が国際公約
(サンフランシスコ講和条約)
に違反している理由
ホームページ:
http://nanjingforever.web.infoseek.co.jp/nankinsaiban.html
南京大虐殺についての日本政府の見解(2008年11月28日現在)
(1)日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。
(2)しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
(3)日本は、過去の一時期、植民地支配と侵略により、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ、戦争を二度と繰り返さず、平和国家としての道を歩んでいく決意です。
南京軍事法廷の判決
(1947年3月10日)
1947年3月10日、南京軍事法廷は次のように判決した。「・・・南京落城後、各攻撃部隊は南京市内の各区に分散し、大規模な虐殺を展開し、日本軍に捕えられた中国の兵士、民間人のうち、中華門、花神廟、石観音、小心橋、掃箒巷、正覚寺、方家山、宝塔橋、下関、草鞋峡などで集団殺戮に遭い死体を焼き払われたものは合計19万人に達する。中華門、下満碼頭、東岳廟、堆草巷、斬龍橋等で個別に虐殺され、死体を慈善団体によって埋葬されたものは合計15万人以上に達する。その犠牲者総数は合計30余万人である」
東京裁判の判決
(1948年11月4日)
「日本軍の占領中最初の六週間の間に南京市内とその近郊で虐殺された民間人と捕虜の総数は20万人を超える。ただし、この数字には、日本軍によって焼かれた死体、揚子江へ投棄されたりその他の方法で処理された死体は含まれていない」
ソ連に抑留され撫順の戦犯管理所に拘留された日本軍第二停泊場司令部部員太田寿夫の証言:
「第二停泊場司令部は10万の死体を処理(揚子江に投棄)しました。その中で2,100人はまだ生きていました。南京駐在の他の部隊も5万の死体を処理しました。このうち3万人が中国兵、残りの大部分は老若男女の中国民衆で、子供も含まれていました」
サンフランシスコ講和条約
(1951年9月8日)
第十一条【戦争犯罪】
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷(南京軍事法廷はその一つ)の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。(By Article 11 of the San Francisco Peace Treaty, Japan accepted the
judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and
outside Japan and agreed to carry out the
sentences imposed thereby upon Japanese nationals imprisoned in Japan.)
裁判関係参照
http://nanjingforever.web.infoseek.co.jp/sinso.html
<解説>
南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯
一九四五年八月、日本が敗戦すると、中国国民政府軍司令部第二庁は直ちに日本の主要戦犯の立件に入った。また、同年十一月には、政府内に「戦争犯罪処理委員会」が設置され、主要戦犯の中国における戦争犯罪の裏付け調査が始まった。特に南京では同年十一月七日に中央政府の指示で首都地方法院検察庁が「南京敵人罪行調査委員会」を成立させ、翌年四十六年には南京市臨時参議会は日本軍による南京大虐殺の罪行調査に協力する為に「南京大屠殺案敵人罪行調査委員会」を設置し、各区で調査を進めた(中国抗日戦争史学会等編「南京大屠殺」北京出版社、一九九七年、他)。
全国的には、南京以外にも、北平(現在の北京)、瀋陽、広州、済南、上海、漢口、太源、徐州、台北など一〇箇所に中国国民政府によるBC級戦争犯罪人を審理する軍事法廷が開かれた。南京(国民政府国防部戦犯裁判)軍事法廷は、一九四六年二月一五日に設けられ、裁判長石美瑜のもとに三十以上の案件が審理された。南京大虐殺に関連して起訴された日本の元将兵には、谷寿夫、田中軍吉、野田毅、向井敏明等がいる。中でも、平和に対する罪(破壊和平罪)と人道に対する罪(違反人道罪)等で起訴された元中支那方面軍第十軍第六師団の師団長、谷寿夫(当時中将)の審理だけでも法廷に提起された個別虐殺事件は八百五十件以上あり、集団虐殺事件は二十八件を越えた。もちろん、その後、さらに確認された集団虐殺件数はこの数だけにとどまらない。十月二十八日、軍事法廷は布告を出し、各界の民衆、とりわけ中華門一帯の被害を受けた民衆や家族に呼びかけ谷寿夫の部隊の罪行を知っているものは法廷に届けるように伝えた。同時に中華門外の雨花路第十一区公所内に臨時法廷を設け、被害者やその家族及び目撃者の訴えの聴取をおこなった。多くの人が駆け参じ谷寿夫の部隊の罪行を告発した。
十二月二十一日、第三回目の調査・訊問では、法廷に400人余の告発証言と証拠が提出された。また法廷は、慈善団体の死体埋葬記録に基づき、埋葬に従事した者や被害者、検定人、検察官などとともに中華門付近の合葬地点から数千体の遺骨を発掘し現場検証をおこなった。十二月三十一日、検察は谷寿夫を平和に対する罪と人道に対する罪で正式に起訴した。審理に入るや、谷寿夫は、南京大虐殺そのものは否定せず、その「申弁書(弁明書)」では、「被告ノ関知スル所ニテハ、南京大虐殺ハ、中島部隊ノ属セルル南京攻略軍ノ主力方面ノ出来事ニシテ・・」と他部隊にその責任を転嫁した(加々美光行・姫田光義訳・解説「南京市文史資料研究会編:証言南京大虐殺」青木書店、一九八四年、註釈一二八頁)。谷寿夫は南京大虐殺と自分の部隊は関係がなかったと陳述したのである。法廷はこのため、四七年二月六日から八日にかけて南京の励志社(中山東路)で公開審理をおこなった。法廷内は千名を越える傍聴者でいっぱいで、法廷外にも拡声器を設置して多くの南京市民がこの審理を見守った。この時は、八十余名の証人が出廷して谷寿夫の部隊の罪行を告発した。これらの証人の中には、金陵大学のスミス教授やベイツ教授、さらに紅卍字会副会長の許伝音氏らもいた。
四七年三月十日、南京軍事法廷は次のように判決した。「・・南京落城後、各攻撃部隊は南京市内の各区に分散し、大規模な虐殺を展開し、日本軍に捕らえられた中国の兵士、民間人のうち、中華門、花神廟、石観音、小心橋、掃箒巷、正覚寺、方家山、宝塔橋、下関、草鞋峡等で集団殺戮に遭い死体を焼き払われた者は合計一九万人に達する。中華門、下満碼頭、東岳廟、堆草巷、斬龍橋等で個別に虐殺され、死体を慈善団体によって埋葬された者は合計十五万人以上に達する。その犠牲者総数は合計三十余万人である」、「・・被告及び攻略に参加した各将領たちは、我が首都を陥した後、共同して兵士らを暴虐するがままにまかせ、殺されたものは数十万人に達したが、さらに腹を割いたり、生首をつるしたり、輪姦、焼き殺しなどの残虐な行為をおこない、手に何ももたない民衆や無辜の婦女子にやったことは、凶悪非道この上もないものである。これは人類文明の重大な汚点であるばかりか、その性根の険悪なこと、手段の悪辣さ、残した害悪のひどさからいっても全く情状酌量の余地のないものである。当然、極刑に処して後世の戒めとすべきである」と結論づけ、ハーグ陸戦法規や戦時俘虜待遇公約、戦犯裁判条例の各条項に抵触するとして、死刑判決を下した。主文は次のように書かれている。「谷寿夫は、作戦期間中共同して、麾下の兵士が俘虜や非戦闘員を虐殺し、強姦し、略奪し、財産を破壊することを好き放題にさせた。よって死刑に処す」(中国戦犯裁判軍事法廷「戦犯谷寿夫判決書正本」)。こうして、谷寿夫は四月二十六日、刑場に護送され銃殺刑に処せられた。この日、南京では何万という群衆が道路や刑場につめかけ谷寿夫の末路を見守った。
法廷を通して明らかにされた南京大虐殺の真相は、当時中国国内で広く伝えられ、民族の蒙った犠牲のあまりの大きさに中国民衆はあらためて無念の涙をのんだ。こうして、南京大虐殺は、中国人の民族としての永遠に忘れがたい生きた記憶の一部となったのである。
(文責:林伯耀)
発行「日中平和未来への架け橋」の会
期日 2008年12月7日(日)
14:00〜16:30
会場 福岡県教育会館(地下鉄「箱崎宮前」駅下車すぐ)
主催 九州・沖縄平和教育研究所
(代表 中村元気)
南京大虐殺60ヵ年全国連絡会
(代表 松岡環)
後援 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館
(館長 朱成山)
福岡県教職員組合・日中友好協会正統本部・福岡県日中友好協会・戦争への道を許さない福岡県フォーラム・「日中平和未来への懸け橋」の会
南京大虐殺60ヵ年全国連絡会[全国同時南京大虐殺証言集会]各地
12月4日(木)南京より来日 関西空港に出迎え(大阪泊)
12月5日(金)打ち合わせ準備、大阪大学での証言集会 (大阪泊)
●大阪大学南京証言集会、大阪大学豊中学舎通信教育塔 16:20〜
12月6日(土)大阪 南京大虐殺60ヵ年大阪実行委員会(大阪泊)
●性暴力を生き抜いて、エル大阪南館ホール、18:30〜
12月7日(日)福岡 福岡集会(福岡泊)
●上映会「(南京)」&南京大虐殺の証言を聞く会、14:00、福岡県教育会館
12月8日(月)広島集会世界人権宣言広島県実行委員会 (岡山泊)
12月9日(火)岡山 岡山集会(岡山泊)
●71年間消えることのない記憶、岡山国際交流センター 18:00〜
12月10日(水)神戸 神戸−南京をむすぶ会(神戸泊)
●南京大虐殺・幸存者の証言を聞く会in神戸、神戸学生青年センターホール、18:30〜
12月11日(木)金沢 金沢証言集会実行委員会(金沢泊)
●南京大虐殺幸存者証言集会、石川県生涯学習センター、18:30〜
12月12日(金)金沢(休み、観光)(金沢泊)
12月13日(土)名古屋 ノーモア南京名古屋の会(名古屋泊)
● 「南京1937名古屋証言集会」、椙山女学園中学校・高等学校、13:30〜
12月14日(日)東京 ノーモア南京東京の会(東京泊)
●2008年南京大虐殺71年東京証言集会、総評会館(御茶ノ水)、13:30〜