8月某日
今日は亡くなったはずの家定さんがスタジオに現れました。徳川家の危機に悩み落ち込む天璋院が仏間で一人打ちひしがれていると、家定が現れます。
「自分の思うように進みなさい。いつでも見守っているよ。」
包み込むような笑顔で天璋院を励まします。すごーく良いシーンです。
でも、収録はなかなかヘビーでした。
オバケというこの世のものでないものを表現するのは大変なんだな。。“天璋院ゴシに家定がかつて座っていた空席”という画から天璋院の背中をワイプすると逆ゴシの席に家定が座っている、というカットを撮影しました。実際に居るバージョンと空席バージョンを撮り、背中をワイプするところで繋げると、そうなります。合成や特殊機材を使わずに、ある意味肉弾戦での撮影ですな。他にも、Fogフィルターを入れたり、人物が半透明になるようにカラ画を撮ったり。それからオバケには色々と制約があるのには驚きました。
影は見えないほうがいい。
足も見えないほうがいい。
そりゃそのほうがいい。
よりオバケっぽく見える!・・・のか?
・・・実際、オバケって見たことないしなぁ。。
とにかく、完成が楽しみです。
8月26日(火)〜30日(土)
「篤姫」の収録も終盤戦に入り、いよいよ無血開城収録が迫って来た。もう今週で大奥のセットは建ちません。すなわち今週で大奥の芝居は全て撮り切りになります。我々も愛着があるこのセット、感慨に浸っている暇はなく収録は進行します。
本日の目玉は、再び天璋院をお助けしようと「幾島」こと松坂慶子さんが登場するシーン。久々の幾島さんは、大奥を去ってからの月日を感じさせる若干、老けの入ったメイク。
しかし、相変わらずの明るさとパワーで「幾島にございます!!・・・」スタジオ中に声が響き渡っていた。
凛とした芝居に、在りし日の篤姫との日々が思い出され、感慨深いものがあります。どんなシーンになるのかはお楽しみに。
故郷の薩摩軍が官軍となり江戸に侵攻、危機迫る大奥、事あるごとに決意を述べる「天璋院」・・・
今日は、その中でも最も重く切ない・・「城を去る・・二度と戻らぬ」と言うシーンがメイン。大奥大集合ともいえるこのシーン、総勢約33名の女優陣がスタジオに入っての撮影。
この人数はかつて、「篤姫」が初めて大奥に入興した時と同等。メイク、衣装の作り・バラシも多く、いかに段取り・効率よく撮れるかが、本日の肝。それが撮影部はもとより、スタッフ全員に重くのしかかる‥
収録中も急きょ、撮り順を変更しながら臨機応変に収録を進めて行く。しかしさすがに33人という人数には勝てず、予定時間をオーバー、あえなく討ち死に…。
ワンカットを撮るのにも、あっちのお中臈(ちゅうろう)を動かし、こっちの侍女を動かしと整列させるのもひと苦労。家茂の逝去後不安な情勢とともに活気が失われていく大奥を、33人の華やかさで大奥の終焉(しゅうえん)を描ききる事が出来た。
大奥大集合は「48回」(11月30日放送予定)・・お楽しみに。
今日は天璋院がお駕籠(かご)に乗り大奥を去るシーンを中心に収録。
あの日、慶喜を将軍にする使命をもって大奥に入った篤姫。そうさせた斉彬が逝き、愛した家定も亡くなり、、、まさかこんなかたちで大奥を去ることになるなんて、誰が予想できたでしょうか。
・・・いや、、、誰もが知っていたんですけれども。。歴史ですからね。。
しかし改めて思うと、なんてドラマチックな歴史なんでしょう。
天璋院が去った後、誰もいなくなった大奥に薩摩軍の兵達が入ってきます。 そして目にしたのは、たくさんの生け花に飾られた世にも美しい大奥の姿でした。もちろん、天璋院のアイディアで行われたものです。
それは誇りを見せつける為でもあり、長年暮らした大奥への感謝の気持ちで手向けられたものでもあると思います。天璋院らしく、美しく、誇らしく、どこか柔らかい。すごく素敵な計らいです。
さて、その薩摩軍が目にした生け花をどう撮るか!上段には、二つの生け花が姫と殿のごとく並べて飾られてあります。下段にも二つ。見た目的にFixで撮るか。でも、圧倒的な美しさを印象付けたい。現場では最善で最高のカットにする為に考えが巡らせられました。そして、4つの生け花から上段の二つにむけトラックイン、に決定。なるほど〜。
こういう、映像が直接的に意味をもつカットって、、難しいというか面白いというか・・・。どうとでも撮れる。だからこそ、個性。実力。経験。それから、、、好み? とにかく、美しい大奥はこうして幕を閉じたんですね。
大奥の一角にある「対面所」での収録。無血開城に関わる「勝海舟」こと北大路さんが久しぶりに登場!!天璋院とのやり取りを数シーンまとめ撮り。やはり大御所・・居るだけでスタジオの空気は一層引き締まる。大奥では数少ない男性とのシーン。緊張感のある良い空気の中での撮影であった。
本日で大奥のメインセットは撮影終了。豪華、絢爛、煌びやか、荘厳と云った形容詞も陳腐に感じられるほど、今回の大奥のセットはそこでのあおいちゃんとの芝居と相まって我々スタッフの心に残るものでした。
最後に篤姫と家定の最初のふれあいの場でもある赤い橋を中心に記念写真でも・・・との声もあったが、終了時刻が遅かったこともありみんな撤収作業に。隣の105stでは次の大河ドラマ「天地人」の収録が始まっている。一年前を思い出しながら「あと一ヶ月で終わってしまうのか・・」などの声も聞こえ、スタッフ皆の「篤い?」思いが感じられた。
後ろを振り返らない「篤姫チーム」・・・終盤戦にむけ益々ヒートアップ!!!
8月21日(木)、29日(金)
今日はFD尾崎さんの『今日もかわいい天璋院さん、お願いしまーす』という呼び込みから始まりました。思わず振り返って首を傾げるあおいちゃん。。。なんだそりゃ。そのリアクションに私も納得です。尾崎FDはめげずに続けて『今日も美しい滝山さん、お願いします』と。鼻で笑うだけの稲森さん。。うぅ。現場にはいたたまれない空気が流れていました。しかし、当の尾崎さんは満足気でした。
今日収録した天璋院の部屋でのシーンでは、唐橋さんの場を和ますキャラクターが全開でした。喜怒哀楽が激しく、ぷくっと脹れてみたかと思うと、ころっと満面の笑顔を見せたり。つい先々週、天璋院付きにと紹介されるシーンを撮ったときには、こんな人物だとは知りませんでした。
物語の終盤、重々しい大奥の空気をパッと明るくする唐橋。そんな唐橋を見ると、天璋院の「そなたたちこそが、私の家族であるからじゃ」という言葉が、より理解出来る気がします。ドラマ上は、意味のある会話や事件のある場面しかないけれど、一緒に暮らしてきた中には、どうでもいい会話で笑ったり、噂話をしたり、そんな生活があったんだなっていうイメージが持てました。
唐橋さん、素敵です。
今日は天璋院が大奥を去るシーンを中心に収録しました。
あの日、慶喜を将軍にする使命をもって大奥に入った篤姫。そうさせた斉彬が逝き、愛した家定も亡くなり、、、まさかこんなかたちで大奥を去ることになるなんて、誰が予想できたでしょうか。・・・いや、、、誰もが知っていたんですけれども。。歴史ですからね。。 しかし改めて思うと、なんてドラマチックな歴史なんでしょう。大河ドラマですからね。。
天璋院が去った後、誰もいなくなった大奥に薩摩軍の兵達が入ってきます。そして目にしたのは、たくさんの生け花に飾られた世にも美しい大奥の姿でした。もちろん、天璋院のアイディアで行われたものです。
それは誇りを見せつける為でもあり、長年暮らした大奥への感謝の気持ちで手向けられたものでもあると思います。天璋院らしく、美しく、誇らしく、どこか柔らかい。すごく素敵な計らいです。
さて、その薩摩軍が目にした生け花をどう撮るか!上段には、二つの生け花が姫と殿のごとく並べて飾られてあります。下段にも二つ。見ため的にFixで撮るか。でも、圧倒的な美しさを印象付けたい。現場では最善で最高のカットにする為に考えが巡らせられました。そして、4つの生け花から上段の二つにトラックイン、に決定。なるほど〜。
こういう、映像が直接的に意味をもつカットって、、難しいというか面白いというか・・・。どうとでも撮れる。だからこそ、個性。実力。それから、、、好み?
とにかく、美しい大奥はこうして幕を閉じたんですね。
8月5日(火)〜8日(金)
私の担当としては久しぶりの大奥セット収録です。久しぶりだな〜と思ったのはつかの間で、即、ずっとこのセットでやっていたような感覚に戻るものです。・・・今まで、どれだけの時間をこの空間で過ごしてきたか。。体に染み込んだ大奥の匂いは、そう簡単には消えないようです。
仏間でのシーンで、天璋院が家茂の死を知り、今にも倒れそうになりながら和宮に伝えに来るシーンがありました。天璋院のただならぬ様子でそのことを察し、二人で泣き崩れます。
いや〜しかし、こんなにも登場人物が亡くなるドラマは他 にない! 世界中に星の数ほどあるドラマのなかで、大河ドラマは登場人物の亡くなる人数はNo.1かもしれません。
「篤姫」では、調所の死に始まり、菊本、父・忠剛、阿部、斉彬、家定、そして家茂。(今のところ)篤姫が親しくした主要な人物だけでもこんなに。。。その度に涙を流し、ダメージを受ける篤姫。その人物の死に対する悲しみの度合いは?種類は?それを演じ分けるのは、、、ものすごく大変なんじゃないかな。そして演出するのも、もちろんカメラマンも。
大河ドラマにおいて、度々ある死の悲しみのシーンをどう表現するかは、キーポイントなんですね。
今日の収録はただひたすら天璋院の部屋です。メインは、静寛院(和宮)が京都に帰らないと言い、本心を語り合い、二人の心がようやく寄り添えたシーンでした。
約70カットあり、こりゃ長丁場か・・・と思ってたけれど、そのほとんどを大胆に切り返して撮ることでパシっと収録することが出来ました。このシーンの後半、当初の予定では天璋院が静寛院に近づくことになっていました。
しかし、リハーサルで、近づく動きは無くてもいいんじゃないかという意見がでました。台詞やお芝居で、二人の心が近づいたことは十分に伝わるのでは、というのです。私もそう思いました。今まで、まだ和宮が心を開いていない場面では、天璋院が近づいていくことがありました。だから逆に、ここでは動かない方がいいんじゃないかな、と。
でも、、、このシーンは43回のラストシーンであることや尺が長いことを考えると、画的に近づいた方がいい、という監督の言っていたことも理解できます。そこに矛盾というか、ギャップというか、、そういうことに初めて気づきました。
お芝居や役者さんの気持ちを感じることはすごく大切なこと。でも、大河ドラマはテレビで見るもの、伝えるもの。映像と気持ちとでは、表現の仕方に違いがあることも、もしかしたらあるのかもしれないなーと思いました。
今日も一日天璋院の部屋での収録です。4日間もこの部屋で収録をしていると、撮り覚えのあるアングルが増えていきます。今度は背景をこうしてみようか・・・少し高めにしてみようか・・・という試行錯誤も、4日目になるとさすがに尽きてきます。
そこのポジションで決めて撮った、ということはやっぱりそこがベストポジションだったりするわけで、、。でも逆に、ベストポジションが分かっているからこそ、余裕をもってさぐってみることも出来たのか。同じセットで撮り続けるのも悪くない、、、と思うことにしておきます。。
家茂の死に打ちのめされ、精神的に衰弱している天璋院に侍女の常盤が声をかけます。『松平周防守さまがお呼びでございます』と。 そして天璋院は、『ただ悲しんでいるわけにもいかぬのだな』と言います。この台詞(せりふ)、これまでにも何度かありました。たしか、老中・阿部が亡くなった時も、斉彬が亡くなったときも。
篤姫の生き方を象徴する台詞として『女の道は一本道』という印象的なものがあります。この親密な人の死を受けた後の、涙を流しながら言う天璋院の台詞も、かなり象徴していると思います。
ただ悲しんでいたい時もある! そう思う私は、一本道を右往左往しながら一歩進んで二歩下がるような人生を歩んで行くのだと思います。