家に初めてカラーテレビが来た日のことを、今も覚えている。届けた電器屋さんまで誇らしげに梱包(こんぽう)を解き、受像すると声が上がった。天板には飾り布が掛けられ、正月には鏡餅を供えた。1967年、車(カー)、クーラー、カラーテレビがあこがれの「3C時代」だった。
テレビ放送には三つの転換点がある、と言われる。一つ目は放送開始、二つ目がカラー化、そして三つ目が現在進むデジタル化だ。ただ、前の2回と今回には大きな違いがある。選択肢の有無と、歓迎の度合いだ。
テレビ放送が始まってもラジオを聴くことはでき、カラー放送になっても白黒テレビで受像できた。収入や好みで選べたから批判は少なく、買える身の丈になることを素直に喜べた。が、今回は11年7月24日でアナログ放送は終わり、対応するテレビやチューナーなどを用意しなければテレビは見られなくなる。国策による強制だ。後は「見ない」という選択肢しかない。
私たちマスコミにも責任はあるが、後期高齢者医療制度と同じく、停波が決まった01年当時はその重みをあまり論議しなかった。残り3年を切った08年9月時点で対応テレビの世帯普及率は5割弱。政府は約100万の生活保護世帯にはチューナーを無償配布する方針だが、なお数百万世帯が残る恐れがある。多くは高齢者らの生活弱者だ。
労働者派遣が原則自由化された99年の法改正が今、大量の失業者を出しているように、同じく経済原理で進められた地デジ化は多くの「テレビ棄民」を生みかねない。それでも、停波は動かせないのか--。正月のこたつでテレビを楽しむ、老いた母の背を見ながら思う。
毎日新聞 2009年1月4日 0時03分