日比谷公園から厚労省の講堂に移動し、布団を並べて休む元派遣労働者たち=2日午後10時52分、東京・霞が関、細川卓撮影
厚労省前で、5日以降の寝場所の確保を要請する「年越し派遣村」実行委員会のメンバーら=3日午後、東京・霞が関、遠藤真梨撮影
「派遣切り」などで仕事と住居を失った人に寝場所と食事を提供する東京・日比谷公園の「年越し派遣村」をめぐり、労働組合や市民団体でつくる実行委員会は3日夜、厚生労働省に、同省が緊急開放した講堂の使用期限となる5日朝以降の寝場所や食事の確保などを要請した。
厚労省が2日に開放した講堂で一夜を明かしたのは約250人。元派遣社員の男性(39)は「足をのばせて寝られてよかった」と、ほっとした表情を見せた。だが、先月半ばで派遣契約を打ち切られ、所持金は1千円程度。「5日以降のことは考えていない。頭が真っ白の状態で、今は不安しかない」と話した。
厚労省の講堂は2日夜時点でほぼ満員。3日にはさらに80人以上の人たちが入村し、公園内のテントにも続々と人が入っている。4日も村民が増えれば、収容しきれなくなるおそれがある。
また、講堂は5日朝までしか使えず、その後の寝場所は決まっていない。実行委の関根秀一郎・派遣ユニオン書記長は「村民の間では5日以降どうなっちゃうのかという不安が広がっている」と話す。
5日以降については、東京都中央区が廃校となった小学校2カ所で計160人を1週間程度受け入れる意向だが、それだけでは収容しきれない可能性が高い。都は国からの要請を受けて、別の施設の提供も検討しており、厚労省も財政的に支援する考えだ。
派遣村実行委によると、31日の開村から3日夜までの入村者は400人を超えた。2日時点で千代田区などにFAXで生活保護を申請した人は112人で、5日に一斉に同区の福祉事務所を訪れて手続きをする予定。