永田寿康さん(衆議院議員)旧大蔵省から衆議院議員に転身された理系出身東大生近年減少しつつある東大出身の議員の中で、積極的な活動で有名なのが民主党に在籍されている永田寿康議員である。今回はその永田議員から工学部物理工学科から衆議院議員となったそのご経歴から将来のこと、そして政治家希望の東大生へのメッセージなどを伺うことができた。◆ 物理工学科から大蔵官僚、そして政治家へ実は「ドラえもん」なんですよね。あれを読んで、本当にサイエンスこそが人類を救うって思っていたわけです。確かに現代の日本が行き詰まってると言うけれども、例えば環境問題とか、医療の問題とか、技術で解決できる問題ってまだたくさんあるんですよね。そう考えると、サイエンスこそが人類を救うんだってのは、そんなにおかしなことじゃないって今でも思いますけどね。 ────どのような学生時代でしたか? テニスサークルに入ってましたが、テニスをやっていたというよりは、テニスサークルをやっていたと言う感じですね。ちゃらちゃらと、女の子とも遊んでましたねぇ。まあ、普通の子供でしたよ。その、車と女の子とお酒に興味があるっていう。 ────その後、大学院には行かずに公務員試験を受けるという決断をなされたそうですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。 スペシャリストでいるのはまずいだろって気がしたんですよね。物理ばっかり知っていても、物理だけで世の中がうまく行くということはないし。サイエンスの闇の部分のこともちゃんと理解した上で、サイエンスを上手に使っていく人がすごいのであって、サイエンスそのものがすごいわけではないということに気が付いて、それでスペシャリストから、ジェネラリストになろうと。そこで、ジェネラリストになるにはどうしたらいいのかなってことを考えたのだけど、やっぱりね、それには役人に勝るものはないんですよね。正直ね、それは今でもそう思いますよ。そう意味で役人になるという道を選んでよかったって思いますね。 ────政治家への道を進むために、その役人(大蔵官僚)をおやめになられたわけですが、それはどうしてですか? 役所ってのは、結局役所のために仕事してるのであって何も国民のために仕事してるわけじゃないですから、せっかくジェネラリストになったのはいいけど、自分の能力はここでは空回りしてしまうことになるだろうな、うまいこと世の中の役になることにはならないだろうなっていうそういう思いが強かったんですね。まぁ政治もそんなに世の中の役に立ってるか分からないけど、まだ政治家のほうが、世の中の役に立つかなって思ったんですね。 ◆ 失敗した人が責任をとるということが当たり前の国にしたい失敗した人は責任をとるような「当たり前」の国にしたいですね。「当たり前」って言葉を軽々しく使うべきではないけれども、今の日本というのは、責任をとらないような国になってしまったんですよね。銀行がバブルの頃にむちゃくちゃなことをやって不良債権の山を積み上げたけども、元役員が自分の持ってるお金を出してそれを埋め合わせたという話は一度も聞いたことがないですよね。生命保険会社も昔は5%なんて馬鹿みたいな金利をつけていて、昔は生命保険を販売しておきながら、営業の努力もせず、コスト削減もせず、ただ5%というおいしい看板だけぶら下げておいて安易に保険を売っておきながら、いまさらその約束は果たせませんといって、約束金利を下げようとしてますよね。でも、下げたところで役員が責任とるのかっていうと、取らないんですよ。 そして役人は、むちゃくちゃ身勝手な組織拡大を目指した法案を作り、国民全体のためではなく自分たちのためにその政策を作りつづけてきました。その結果として、日本はこんなにぼろぼろになってしまった。でも、誰一人として責任をとろうとしない。BSEの問題で農水省の事務次官はクビにはなったけれど、退職金は減らされてない。審陽の問題で大使館、阿南中国大使は更迭されてもいないですよね。おそらく退職金もとるでしょう。さらに言えば国の借金を700兆円まで積み上げた自民党、これは未だに政治の座に居座り続けて、お天道様の下を大手を振って歩いているわけですよ。こんなことが許されるんだったら、何でもありってことになってしまうわけですよ。 僕とか民主党が目指してる社会ってのは、失敗した人が責任を取るっていう社会なんですよ。まあ、失敗した人が責任を取った結果、その責任をとった人が路頭に迷ってホントに生活できないようにもなってしまってはかわいそうだから、もしそうなったら社会みんなで暖かい手を差し伸べて、助けてあげると。生活ができるようにはしてあげると。だけども、その後に今度は、その後に、失敗の教訓を社会に生かしてもらうように、再チャレンジの機会を与えるのも、これもまた、社会の責任だと思うんですよ。失敗した人が責任をとらないって言う社会と、失敗した人が、一回責任をとるんだけれども、再チャレンジできる社会ってのは、これは、本質的に異なる。似て非なるものだね。だから、やっぱり、僕は、いったん責任をとると、成功したら、成功した人なりに、経済的社会的、ありとあらゆる面で一つの報いを得ると。 たとえば、その、青色発光ダイオードを発明した中村修二という博士は、日本の企業で働いていたけど、見切りをつけてアメリカに行ってしまったわけですよ。そうじゃなくて、世界中の優秀な人が日本こそ働き場があるという社会にしたいのに、今、逆の事が起こってるわけです。僕は、日本の社会を根底から作り直すとしたら、そこの部分だと思いますね。他人の成功をうらやんだりひがんだりしない。で、その、他人の失敗を許すようなこともしない。そういう社会にしたいですね。 ◆ 東大生へのメッセージ────東大とはどういう大学だと思われますか?東大ってのは実はすごく変わった学校なんですよ。学部の構成というものを見てみると、例えば僕が在学していた、理科I類というのは理学部と工学部に一番入るわけですよね。理IIは薬学部が中心で、理IIIは医学部でしょ。文Iは法学ですよね。文IIが経済、文IIIは文学部。実はこういう分け方をすると、理Iから理III、文I、文IIまでは金儲けをするための学問なんですよ。それで、入ってくる学生の人数を調べてみると、今の区切り方でいったら、4分の3は金儲けをするための学問を勉強してるわけですね。こういう構成になってる学校ってのはものすごく珍しい。職業訓練学校みたいな形になってるんですよ。 ────なるほど、確かにそうですね。 これは極めてへんてこりんな構成になってるということをわかって欲しい。金儲けを別として、学問を探求するという気持ちになってる人は、実は学生の中で4分の1もいないということになっちゃうんですよ。だから、そういう環境に自分を置いているということは、学問を純粋に探求していくことの価値を過小評価しまうことになりかねない。それは最高学府としてあるべき姿ではないから、ぜひ学問を純粋に探求することの価値と言うものを、自分の目で見て考えて、考え直してくださいということがありますね。 ────では、学生時代にだけできること、学生時代にこれだけはやっといた方がいいこと、それはありますでしょうか? 自分の興味ある分野、自分が仕事としてやっていきたい分野っていうのは大体おぼろげながらあるもんですよ。まあ、医者になりたいとか、弁護士になりたいとか、官僚になりたいとかいろいろなことがあるでしょ?で、どうせね、そういう職業に就いたら、その職業についてのことは毎日、否が応でもやんなきゃいけないんだから、逆にそれ以外のことをやっておくこと。自分が興味のないと思えることでも、興味がないからやらないってすぐ決めちゃうんじゃなくて、とりあえず、かじってみるって事が大事ですよね。どうせ仕事に必要なことは、否応なしに勉強せざるを得ないんだから。それはねえ、仕事を始めてしまったらできないんですよ。政治家になっちゃたら、政治以外のことを勉強するのはやっぱ難しいですね。 ────なるほど、ありがとうございました。最後に余談でございますが、昔ドラえもんがお好きだったというお話ですが、ドラえもんのどの道具が一番お好きですか? 一番印象に残ってるのは「声カタマリン」っていう、大声を出すと声が固まるやつです。何故あれが印象に残ってるかっていいますと、ドラえもんの数ある道具というのは殆どどれ一つをとっても、実在すれば世界が征服できるものなんですよ。ところが、声カタマリンだけは無理なんですよね。あれほど、無駄で、不思議な道具というのはねぇ・・。タイムマシンだろうが、どこでもドアだろうが、ほとんど世界を征服できる道具ばかりなのに、あれほど無駄なものがねえ、あるってことはすごいことだと。 |