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2009年01月03日

派遣村

テーマ:社会(国内)
派遣村のニュースを見て、中学生のボランティアが家族との年越しを楽しめる時間にも関わらず「直接、人の役に立つことを何かしたいと思った」と語っているのを見て、この取組に対しては感動したが・・・・、これでは興醒めも甚だしい。

 湯浅村長は「あす以降は宿泊希望者はもっと増え、限界に来る。政府は開村から3日目にようやく講堂を開放した」と対応の遅れを批判。一方で「皆さんの声が国に届いた。歓迎したい」と話した。
 しかし、講堂の使用期間は、同省が業務を開始する5日月曜日の午前9時がタイムリミットに。
 厚労省2階にある講堂に入った男性(53)は「先月6日に派遣の契約を切られた。派遣村に着いた時の所持金はたった3円だった」。約3週間、公園で過ごしてきたという男性は「月曜以降は、生活保護を申請し、日雇いの仕事を探すが、一体どうなるか…」と不安を述べた。
 また、元不動産業の男性(59)は「最初から開放すればいいのに。行き当たりばったりだ」とした上で「昨夜は派遣村のテントで寝たが、土を通して寒さが身に染みた。講堂は暖房が利いていて暖かい」とやや満足そうな笑みを浮かべた。(1月2日20時48分配信 時事通信 )

 ボランティアで、自らの手で何とかしようと自発的に取り組んだんではないのか・・・。力量の限界を超えたカバーに対して「対応の批判」とか、「最初から開放すればいい」っていうのは何事だ。後者は利用者の言葉なので置かれた状況から来る素直な感情として理解できるが、主宰者が前者のような発言をするのは間違っているだろう。(何やっても批判される典型だ・・・。)

 例えば、人から100万借りておいて、返せなくなって、ゴチャゴチャ争った後に苦境に鑑みて80万に負けておくよと言われたときに、「負けるのが遅い」とか、「最初から負けろよ」とか言わんだろ、普通。対応にかかった費用は湯浅某が立替でもするのか。


 ただ、一方で、苦境に立たされている人がいるのは事実だ。「ここで得た恩を返せるように今年頑張りたい」というようなことをおっしゃっていた方もニュースで見た。講堂は一例だが、これから頑張ろうという人のために一時的に宿泊する場所を貸し出すような努力について国も積極的に検討すべきだろうとは思う。

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