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2007/08/13

ギャラリー巡りを薦めるアートソムリエは昔は銭湯めぐりが趣味だった

 自宅の修復工事のため、2,3日風呂に入れないので、先日は久しぶりに銭湯に寄って帰ろうと思った。銭湯と言えば、昔は銭湯巡りでも多少知られていたが、最近はまったく行っていない。銭湯は妻との共通の趣味で、昔は土曜日は画廊まわりの日、そして日曜日は妻と銭湯&美術館まわりの日だった。

 かつては銭湯がかなりあり、各地の美術館へ行ったついでに銭湯の煙突を見つけて立ち寄ったりした。銭湯と言えば近所の常連が来るもので、冬場に子供と3人で見知らぬ銭湯へ行った時など、冬の外出用の衣服が脱衣ボックス1つでは入らず大変だったのだが、銭湯の人からは夜逃げの家族のように怪訝そうに見られていたことを思いだす。
 ところで「銭湯マップ」によると 中央区には現在12の銭湯(銀座湯 、金春湯、入船湯、湊湯、寿湯、木村湯、世界湯、日の出湯、旭湯、東湯、月島温泉、勝どき湯)がある。
銀座には京橋寄りの「銀座湯」と新橋よりの「金春湯」の2軒が残っていますが、今日は「銀座湯」に行きました。
※詳細は「東京都内銭湯マップ」参照してください。http://www.1010.or.jp/search/index.html

 本来なら、銭湯の中は人がいて撮影できないのですが、時間帯のせいかお客は2人しかおらず、しかもお風呂場の洗い場に座っていたので、脱衣場と風呂場の写真を撮りました。 よく見えないかも知れませんが風呂場の絵は和光の時計台のタイル絵です。風呂桶はケロリン(注)の広告はありませんでしたが、黄色のプラスチック製のものでした。そして座る小椅子は緑色のゴムのように見えるもので、いずれも銭湯の定番品でした。 

  (注)ケロリン桶の由来
銭湯で子供が蹴飛ばしても、腰掛けにされても
ビクともしないケロリン桶は、驚異的な強さから、別名「永久桶」とも呼ばれています。
風呂桶とケロリン、両者の関係はイメージとしてはキッチリ結ばれています。
さてこの風呂桶の由来とは...。
東京オリンピックの前年(昭和38年)に、内外薬品に睦和商事の営業スタッフ(現社長)から「湯桶にケロリンの広告を出しませんか?」と持ち掛けられたのがキッカケ。

衛生上の問題から、銭湯の湯桶が木から合成樹脂に切り替えられる時期「風呂桶を使った広告は多くの人が目にするはず」ということで話がまとまり、東京温泉(東京駅八重洲口)に置いたのが最初です。
これが好評で、ケロリンの桶は全国の銭湯、温泉、ゴルフ場などの浴室へと波及していったのです。以来、延べ200万個も納入。現在も年4、5万個のペースで納入が続けられています。

●ケロリン桶には関東サイズと関西サイズがあります。
A型(関東):重さ360g、直径225mm、高さ115mm
B型(関西):重さ260g、直径210mm、高さ100mm





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