いやあ、大幅に遅れてしまいました。 ニュース1月号、まだ来ないよ、と催促の電話をいただきました。 すみません。 モンゴルから帰ってはきたものの、その後の遊び日程がつまっておりまして、時間不足だったもんですから。
今年、新年は、年相応にもちょっとゆっくりめに、と念頭に決意はしたものの、だめですね、これじゃあ。家にじっとしている暇がない、気がつくと。
物価が急騰、とあちこちで騒いでいるようですが、幸いなことに、年金暮らし年金頼りのわりには、まだまだ深刻な状況に至っておりません。もともと車など無縁でして、自分の足で歩くだけなので、ガソリン高もそう気にならない。
2月は、遠出はあまり出来ない月です。モンゴル行きでオーバー出費だったので。 でも、カネかけずに出来る道楽に専念します。
新年は熊野古道で旅はじめ
1月1日(火)曇り 時々雪
昨日(昨年になる)新幹線で新大阪、特急で和歌山県は田辺まで乗り継いで、駅近くのビジネスホテル泊(素泊まり4,500円)。いつものように、銭湯へ。初詣の準備も整った闘鶏神社にお参りして、ここからすぐの「みの湯」へ。ちょいと早すぎで、4時からとあり、しかたなく南方熊楠会館へ行ってみたが、こちらも年末で閉館中。しかたなく、銭湯に戻る。風が冷たい。「風呂かい」、と声をかけてくれたのは、二軒隣のおじさん。お寿司屋さんだ。店を覗いていたら、さんま寿司あります、と書いてあったので、「さんま寿司、いくら?」ときいてみた。一本350円、さっそく注文したら、風呂の後で、取りにきな、という。銭湯は、いつの間にか開いていて、客が入っていく。和歌山料金300円、東京は430円、格差? 脱衣場で脱ぎながら、「今日は寒いのう」、「今年いちばんの寒さだのう」、と喋っている。本当に今日は寒い。湯煙りの風呂場には、いる、いる、数えると17人。若いのも4人。湯船が二つ、カラン14.ペンキ絵は、楊貴妃が出てきそうな中国風の大きな湖。ケロリン桶は黄色でなく白で、文字は赤。この銭湯も田辺に泊まるたびにきている。番台の女将さんに、「お客、多いね、繁盛してるようで」、というと、今日は大晦日だからね、いつもこれくらい来てくれるとありがたいんだけどね、とのこと。夕飯は、さんま寿司と、いつものようにIさんの手づくりご馳走を囲んで忘年会。(ここまでは、昨年、31日の話)
6時半、まだ薄暗く、寒い中、出発。しばらく市内を往く。さすがに車は少ない、元旦だもんね。民家の間の旧道を抜け、小高いところ(昔の峠)に出た時、「初日の出だ!」。2008年の初日の出は、山の間から出てきた。海へはまだまだ遠い。朝来(アッソ)から富田坂(トンダ)へ。初日の出が見えたのに、その後、どんどん曇ってきて、温度も下がってきて、日置川(ヒキ)の旧渡し場についた頃には、雪が降っていた。何年か前の正月の大辺路(オオヘジ)では、ここを渡渉したのだ。膝上までの深さだった。「あの日も寒かったね」、「冷たかった」、といっしょに渡ったIさんと話した。今は、予約すると船(500円)で渡してくれると、書いてあった。ここから、4キロほど歩いて、宿泊の民宿に到着。雪は本格的に降っていた。夕食の鍋料理、あったかくて、涙が出るほどうまかった。正月なにに泊めてくれたのも、ありがたかった。
1月2日(水)小雨 曇り
ありがたいことに、朝食もありつけた。その上、残ったごはんは、おにぎりにして持って行ってください、と梅干まで出してくれた。この先、コンビニもない山道なのだ。7時半出発。日置川の橋をわたり、安宅坂(アタギ)越えが本日のルートだ。一般的には、昨日の渡し場の向こう側から山を越えていくのだが、こっちは、どちらかというと、玄人ルート。なぜかというと、藪漕ぎ山道だから。その悪路を、なんどか通ったことがある。身長よりも高く伸びたしだや草の中を、両手でかきわけながら進む。先頭を任されたUさんがからだごと、しだの上にごろんと転んで、道をつくる、この動作を繰り返しながら、前進するのだ。やっているご本人は大変、でも後ろから見ていると、結構、おもしろい、不思議な動作だ。ようやく下界が見え、海も見えてきた。周参見駅(スサミ)で、トイレに行き、ちょっと早いけれど、おむすびを食べた。国道に出て、セメント工場の裏から馬転坂に入り、下って再び国道に。次はいよいよ長井坂。登ってしまうと、後は、海の景色を眺めながらのうれしい山道だ。途中、よそ見をしていて、木の根っこにひっかかり転倒するも、右手でからだを支えたので、大事にいたらなかった。(右親指の付け根の捻挫だった)。海岸には、釣り人が初釣りをしている。国道沿いの無人駅見老津(ミロウズ)の手前で山を降りる。この駅から、熊野灘に沈む夕日を眺めたこともあった。今日は、夕日にはまだ早い。大辺道の旧道を探しながら、海岸の石ころだらけの道、漁村の家々の間などを、出たり入ったりしながら、今晩の宿に着いたのが、5時すぎだった。国道沿いの海水浴客や、釣り人の宿らしいその名もロッジ。露天風呂があるというので、行ってみたら、ほんものの露天風呂だった。板で囲んだだけで、天井には空がまっすぐあり、湯煙はでているものの、首までどっぷりつかるも、肌が外気に触れると、ぶるっと寒い。この夜も野菜と魚、蟹の鍋だった。 テレビで、正月の北アルプスで雪崩があり、登山者が亡くなったといっていた。昔、昔、新年を北アルプスで過ごしたことがあった。数年間、毎年、雪の中だった。遭難しなくてよかった、なんてひとりごと。
1月3日(木)晴れ
最後の日に、ようやく晴れた。宿から1時間ほど歩いて、JR和深駅。ここから新大阪まで特急で(座れた)、新幹線(超満員)で東京まで。途中、関が原、伊吹山あたりは、雪が積もっており、富士山は、くっきりみえた。東京が、思ったよりも寒かった。
さあ、これから年賀状だ
1月4日(金)快晴
ゆうべ泊った客が帰り、午後から洗濯、ふとんを干したり。年々減らすようにしているのだが、それでも、年賀状がくる。いただいた年賀状に、返事(?)をだすというパターンだ。手書きがますます少なくなってきたが、頑固に手書き、だ。10時すぎまでかかってしまった。夕食は、肉まん。帰りの新幹線の中で、いいにおいをさせながら、4人連れの家族が、大きな肉まんを食べていた。新大阪から、名古屋まで、時間をかけて、ほんとうにうまそうに食べていた。で、帰ったら、肉まん、今年は、肉まんだ、必ず、絶対に、肉まんだ、をいつの間にか、繰り返していたら東京駅に着いていた。チャリで、綾瀬のヨーカ堂まで肉まんを買いに行った。3個買ってきたが、2個しか食べられなかった。
新年、墓参り
1月5日(土)晴れ 寒い
恒例の新年の墓参り。身内が揃って墓参りして、その後は、おきまりの会食儀式。午後は、六本木へ。ミッドタウンとかでやっている写真展「世界遺産の巡礼の道カミーノ・サンテイアゴ」を見に行った。1600キロの道中の大聖堂、教会、道端のマリア像、尾根道、旧市街など、いい写真だった。年間、この巡礼道を10万もの人たちが歩くという。いつか行かねば、と誓った。この写真を撮った人の本があったので、パラパラっと見ながら、いつか行ってみたいな、とひとりごとを言ったら、「感動の旅ですよ」、と言う人、この本の著者、写真家、南川三治郎さんだった。ちょっとおしゃべりをして、買ってしまった。サインしてくれた。2900円。
新宿あたりの富士塚めぐり
1月6日(日)快晴 風なくあったか
M先生の富士塚めぐりは、新宿周辺ということで、下落合駅10時出発。神田川、妙正寺川が落ち合った落合の富士塚・成子富士、花園神社の富士塚、東大久保の富士塚、来たことがあるものばかりだったが、M先生の説明つきで、よく理解できた。子どもたちが理科離れしているそうだが、大人が理科に詳しくなるっていうのも悪くない。早稲田の箱根山に登って、高田馬場駅に着いたのが4時すぎだった。帰りは、綾瀬駅近くの「鳥の湯」に。
勘違いってあるもんです
1月9日(水)曇り
7日は、北千住で新年会。8日は、豊島公会堂で、巣鴨の「もやいの会」の合同慰霊祭。そして、本日9日、気になっていたので、新宿の歴史博物館へ。ここで「関孝和の和算の世界」という展示会があるというので、行ってみた。日本の算数ー和算の歴史について知りたかったのだ。ここへは、3回ほどきたことがある。受付で入場券を買って、和算の展示はどちら?ときくと、19日からです、との返事。19を9と間違えたのだ。受付の女性は、「勘違いですね、返金できますので、19日すぎにもういちど来てください」、と言ってくれた。でも、こういう対応ってうれしいです。2時から九段で源氏物語の勉強会があるので、歩いていくことにした。市谷駅から靖国通りを登っていたら、老夫婦から、靖国神社への道をきかれたので、私も行くところなので、とご一緒した。大鳥居はあっちの端ですけれど、本殿に近いここから入りましょう、とご案内。ついでだから、と本殿へもご一緒に。拝礼をすませると、就遊館へ行きたいというので、ご案内。入場券は自動販売機になっていて、迷っていたので、買ってあげ、なんだかついでに自分も買ってしまった(800円)。で、展示会場を廻り始めた。ずーっと昔、アメリカ人の友人ときたことがあったが、ほとんど覚えていなかった。人間魚雷、インパール作戦、占守島の戦いなど、じっと説明を読んでいた。いつの間にか、あのふたりとははぐれてしまった。「あと10分でバスが出るよ」、という声。団体さんらしかった。時計をみると1時50分だった。源氏は2時からだ。大慌てで境内を走った。すれすれで間に合った。結局、昼食抜きで2時間、源氏物語の雅(みやび)に浸ったのであります。
はまぐり60個
1月10日(土)快晴
厳冬のモンゴルへ行くことになり、日本では履くことのないブーツを出してみたら、底のゴムがかかとからペロット剥がれている。接着剤をホームセンターで買ってきて修繕したが、どうもうまくいかない。15年前にスウエーデンで買ったもの、もう時効でしょう。行きつけの神保町の山道具屋で新品を買うことにした。こちらの財政状態を理解して、担当のNさんが、在庫がないのでメーカーにきいてみる、と言ってくれた。今晩は、近所の銭湯へ。6時すぎに帰ってきたら、玄関に袋がつるしてあり、中をみるとはまぐり。だれからだろう、と考えていたら、電話があり、ご近所の方(奥さんが亡くなり、ひとり暮らしの80歳男性)だった。親類からもらったとのこと。いつもいろいろいただいているので、ほんのお返し、と。ほんのどころか、数えたら大きなはまぐりが60個も入っていた。いくらなんでも、ひとりでこんなに食べられない。見当つけて10個づつ5軒に配った。せっかく風呂に入ってきたのに寒くなり、結局、もういちど430円。
初勉強会
1月11日(金)曇り
朝から浦和でニュースづくり。夕方、広尾での月1回の勉強会。昨年の11月、12月が西国巡礼に引っかかってしまい欠席だったので、久々の勉強会だった。いつものように恩師B先生の遺稿を音読。いつもながら示唆に富んだ内容だ。曰く「民主主義だ、主権在民だとみな言ってるが、主権者ならば、国家運営のため、税をきちんと納めるべきはずなのに、その主権者ひとりひとりは、税金が少なくてすむように一生けんめいだ」。「政治家が悪いから国民が政治不信になると。国民は政治家を決める人事権(選挙)を持っているのに、その人事権を行使しない人(投票に行かず、棄権する)が多い。人事権を放棄している」。
銀座でランチ、浅草で銭湯展
1月13日(日)曇り 日中8℃、寒い
冬らしく寒い日なのに、銀座のホコ天には大勢の人たちが、銀ブラを楽しんでいた。台湾か、中国か、中国語の観光客が多い。弁護士のN先生主催の昼食会。昔のお仲間とあれこれとびとびの話題で盛り上がり、楽しい時間だった。ひとりだけでいただいたふぐひれ酒、うまかったなあ、ごちそうさまでした。の後は、日本橋丸善で、万年筆売り場を覗き、小伝馬町、馬喰町、浅草橋から鳥越神社で新年のお参りをして、蔵前から国際通りに出て、合羽橋を散策、結構、外人さんたちが寿司の見本や箸、のれんなんかを買っていた。さて、目的は、浅草デプコという展示場。ここで「下町の銭湯めぐり写真展」をやっている。入り口がいいねえ。女湯、男湯と染め抜いたのれんがかかっている。浅草、台東区の銭湯の写真、江戸の銭湯今昔、鎌倉時代、江戸時代の銭湯入りの浮世絵なんかもあった。定番風呂桶ケロリン(鎮痛剤ケロリンの宣伝)も飾ってあって、なんと全国の銭湯に200万個も出回っているそうだ。戦後の焼け野原で、屋根のない、青空銭湯に人々が並んで入浴の順番を待っている写真もあった。最高時、都内には2687軒あった銭湯、現在は1025軒に減ってしまい、減少傾向はとどまることがない、と。こんなにいい資料、内容なのに入館者は、ちらほら。無料なのに、もったいないかぎりだ。
ウランバートルはマイナス30℃
1月14日(月)曇り 日中5℃in Tokyo
広辞苑がリニュアルしたというので、三省堂へ見に行った。もうひとつ、新潮の日本語漢字字典、気になっていたので、こちらも見てみたい、と。北千住の丸善、紀伊国屋にはないので。広辞苑は、持っている(旧版)ので買う気はなく、しかし漢字字典は、欲しくなったが、9975円もするので、もう少し考えてからにしよう。
老後(ローゴ)サーキット
1月16日(水)曇り 午後晴れ
午後、新宿スポーツセンターへ。月1回、ウルトラマラソンの仕掛け人Kさん主催の高齢者のための体操教室だ。20名ほどが参加しており、Kさんが楽しく、面白く解説しながら、Kさん考案のいろんな器具を使ってからだを動かす。「伸ばすのではなく、縮めることを意識して」からだを動かすことが、高齢者向けの体操なのだそうだ。終了して時計をみると、3時半すぎ。ちょうどいい時間、銭湯が開いた時間なので、まっすぐ目指す銭湯へ。先日行った沼袋駅近くでみた「世界湯」。銭湯マップで調査済みだ。高田馬場駅からさかい通りを神田川まで行って、川の上に沿っていくと「世界湯」。聞いたことのない大学・東京富士大学の建物が、川の向こう側にも、こっちにもあったが、銭湯への道は、たしかに旧道で、八百屋や魚屋が生き残っていた。4時近くだったが、5名先客。浴場のタイル絵は、なんとナイアガラの滝、男湯は、マッキンリーの山。カラン20、ゆぶねは、でんき、ジャグジー、座湯の3つ。サウナ無料とあり、入ってみたが、だれもおらず、熱くなかった。いつもの通り、数分で上がり。脱衣場できょろきょろしたら、文字がやたらと多い。「携帯禁止」(撮影、充電)、「家庭ごみ持込禁止」、「ナイロンタオルは水をきること」、「濡れたままでトイレ禁止」、「毛染めは家で。染めたら家で洗ってくること」、「テレビは11時半まで」(25時まで営業)、こうした注意事項が、日本語、ハングル双方で書いてあり、だから張り紙だらけ。銭湯ののれんをくぐり、外に出ると、神田川だった。「あなたは、もう忘れたかしら、赤いてぬぐいマフラーにして」、なんて歌が自然と出てきた。
銭湯回数券が金権ショップで
1月19日(土)曇り 寒い
朝いちばんで、宅急便。大阪のモンゴル人学生ソーターからだ。ウランバートルでひとり暮らしをしている祖母へのおみやげ。預かっていくのはいやではないのだが、その荷物の大きさ、多さ。いつもの通り、小さなバッグで行くつもりなので、どうやって運ぶか。水道橋の山屋(登山具店)へ、雪道用の靴を買いに行った。超安いのがあるということを電話で確かめての買物。サイズがちょっと大きめだけど、4800円が気に入った。帰りがけの古本屋歩きは、本日はやめにして、まっすぐ北千住へ。駅ビルの金権ショップにためしに立ち寄った。実は、銭湯愛好の男性から銭湯回数券が金権ショップにあった、というのを聞いていたのだ。10枚で4000円(1回430円が銭湯料金・東京)の回数券が、3800円だった。もちろん買った。これで当分、回数券入浴。夜、たまたま杉浦日向子さん(江戸の暮らし専門家)の著書「入浴の女王」を読んでいたらこんなのがあった。『ほどよきところで余力を残して一線を退き、あとは自分本位に暮らす』人を隠居というとあった。そうか、隠居してるなあ。
蝋梅の匂う里山歩き
1月20日(日)曇り 風冷い
上野から熊谷に。駅前からバスで約1時間で終点の小川町着。駅近くの武蔵鶴酒造で、大吟醸「酒蔵の宴」小瓶1本と奈良漬を買ってしまった(この先、背負って歩くことを失念)バスでくる途中、だいたいのルートのめぼしをつけておいたので、はじめは、車道を1時間ばかり歩き、途中からは田舎道(それでもほとんどが舗装してあった)を選んで、あみだのように北へ行き、次は東へと進むと、森林公園はずれの大沼に出た。枯れ枝の中に、黄色い花、蝋梅があちこちにあった。大寒だけど、もう春は、すぐにやってくるんだ、とうれしくなった。「春は名のみの風の寒さや」なんて、大声で歌ってしまった。ここからいっきに北へ。荒川にかかる橋がみえてきた。後はたんぼ道を行くと、めざす寺があった。宝幡寺、中学校時代の友人の実家だ。休みの日によく遊びに行った。いつも、味噌をつけたおむすびをおやつに握ってくれたお母さんを思いだす。自宅の表札の苗字が変わっていたので、もう身内はいないのかもしれない。ここから荒川の土手に出て5キロ歩いて荒川大橋に。真っ白な浅間山、榛名山もくっきりみえた。さすがに風がつめたかった。自動販売機の缶コーヒーが、やたらうまかった。
雪の皇居も、なかなか
1月23日(水)雪
買ったばかりの靴のお試し歩き。せっかくの雪の日を逃すっていうことはない、と出かけた。日本橋八丁堀での用事をすませて、銀座から皇居へ。雪だけでなく、ときどき強い風が吹いてきて、傘がとばされそうになる。歩いている人は少ない。丸の内のオッフィス街は、地下でつながっているので、雪の地上をわざわざ歩かなくてもいいのだろう。皇居前の広場、松ノ木に降る雪、雪にけぶる二重橋も、なかなかの情緒だ。雪の日は、鶯谷から上野博物館の裏手あたりが、お気に入りの定番だったが、こちらもなかなかだった。早めに帰宅。近所の銭湯へ。女湯は、他に客なし、はじめからさいごまで、貸切状態だった。雪はもうやんでいたが、寒い。明日の山梨の「猫の手」(ぶどうの枝の剪定作業)が気になり、担当のM先生に電話すると、変更なしとの返事だったので、テレビをみながら剪定はさみを研いでいたら、便乗させてもらうことになっている車のSさんから電話。あちら(現場の畑)は、雪が積もっていて作業は無理なので、延期とのこと。残念だけれども仕方ない。
加湿器を買った
1月24日(木)晴 寒い
午前中は、本の整理。改定なった広辞苑にするか、新潮社の日本語漢字字典にするか、まだ迷っていて、東京駅前の丸善へ。2時間もいたのに結局、立ち読みだけだった。自宅の本の多さがしっかりインプットされていたためだ。帰りがけに綾瀬駅で、我が家ご用達の電気屋のおじさんにぱったり。そのままお店へ。お茶をいただきながら、ちょうど訊きたいことがあったので、「静電気防止のすぐれものってないですか」、と。東急ハンズへも行ってみたが、いいものがなかったのだ。なんで乾燥すると静電気が起こるのか、なんていう質問をしているうちに、加湿器があるといいよ、ということになり、いちばん安いのを買うことになった(4700円)。これまでは、洗濯ものを室内で干したり、やかんで湯をわかしたりしていたが、この加湿器、はたしてその効果は如何に。
江戸(東京)入浴会年次総会
1月27日(日)快晴 明日からモンゴルへ行くのに、本日は、銭湯の会の年次総会。恵比寿のガーデンプレスが会場。総会は4時からなので、その前にひとっ風呂。恵比寿駅東口から歩いて数分のところに、新橋商店街というのがあり、結構古い感じの商店街。表通りは、高級レストランや、ブッテイック店など並ぶ洒落た雰囲気なのに、道ひとつ奥に入ると、「昔」が残っている。その名も新橋湯の玄関にかかるのれんは、なつかしい牛乳石鹸。中は、天井が高く、脱衣場も浴室も、全体的に広く、昔風にゆったりした雰囲気だ。3時開店で、3時15分に入ったのに、先客は7名。みなさんご常連のようだ。壁絵は葉っぱの音が聞こえてきそうな竹やぶの絵。湯船はふたつ、カラン25、囲いなしのシャワーひとつ。桶は定番黄色のケロリン、イスがちょっと変わっていて箱枕型で色はグリーン。いつものように、烏の行水であがり、服を着ていると、二人連れでやってきたおばあちゃん、「風邪みたいだけど、大丈夫かね、風呂に入って」、「大丈夫、大丈夫、出てからあちこち歩かないで、まっすぐ家に帰れば大丈夫」。風邪気味さんが、「あんた、あまり見ないね」というので、「ええ、はじめてなもんで」、とご挨拶。と番台の女将さんが「風邪ひくよ、もっとゆっくりはいればいいのに」、といい、「この人(私のこと)、入ったかとおもったら、もう出てきちゃうんだもの」と解説。すみません、早くって。 2月3日は、渋谷区内の銭湯は、60歳以上は無料、とのポスターが貼ってあった。風呂を出てすぐのところに、山下伏見稲荷大明神があり、お賽銭10円入れて、パチンパチン。風呂上りで出席の総会には、150名ほどが来ており、年次総会らしき議事がすみ、ビールを飲みながら、銭湯めぐりの自慢話で盛り上がっていた。会費3,000円。明日があるので、早めに切り上げ帰宅した。
翌日1月28日から2月4日までモンゴルへ。その報告は、ニュース2月号に。
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