チボリ公園事業検証委員会(委員長=中村良平・岡山大大学院教授)は15日、県庁で第6回会議を開き、石井正弘知事に提出する報告書内容に大筋で合意した。事業失敗の理由は第三セクターでの運営構造に根ざしており、事業終結に至るまでの段階で総括や情報公開をすべきだったとする内容。委員会の会合は今回で終了し、今後は表現の細部を調整したうえで、24日に石井知事に提出する予定。【山崎明子】
非公開で行われた会議の後、中村委員長が会見した。報告書の内容は、チボリ公園誘致構想から岡山市撤退時期▽倉敷市への誘致と事業立ち上げ期▽高谷茂男岡山市長の社長就任を含む再建模索期▽県民市民公園化案など事業整理期--の4期に分けて、資料や関係者の聞き取りを基に検証した。文末に委員会としての総括を記す。報告書は約1万2000字からなるもので、図表やグラフを添付し、11年に及ぶ事業を多角的に構成することを明らかにした。
中村委員長によると、総括の表現について委員らは今回の会議では合意に至らなかったが、県の資金調達力と民間のアイデアで運営する第三セクター方式による事業運営が、公共性と収益性の両方の追求において矛盾点を抱えていたと指摘。結果的に、デンマークのチボリ・インターナショナル社との交渉や県民市民公園化などの意思決定において、公共性と収益性の整合性に関する明確な説明ができなかったとした。このため検証委は、それぞれの段階で事業総括が必要だったとの見方で方向付ける見通し。
中村委員長は「チボリの名称が消え、(県の言う)『広域観光の拠点としての機能がなくなったから』というだけでは閉園の理由として県民はピンとこない。もっと普通の方が分かるように説明をしていただきたい。閉園してもこれまでの経緯を含め、県は跡地問題について責任を果たすべきだ」と述べた。
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■視点
チボリ・ジャパン会長でもある石井正弘知事が、この検証委員会を立ち上げる際に“期待”していたのは何だったのだろうか。
関係者によると、中村教授に委員長就任を求めるきっかけになったのは、8月10日付本紙に載った中村氏のインタビュー記事だったという。その中で中村氏は「(公園建設前から)採算困難のシグナルが出ていた」「チボリを作ること自体が目的になった」「収益を考えるなら県は出来るだけかかわるべきでない」など、事業を始めた長野士郎前知事(故人)時代の問題点を指摘していた。憶測の域を出ないが、あるいは石井知事は「事業の原点は前知事にあった」と言ってほしかったのではないだろうか。
しかし、検証委は石井県政の事業運営にも言及し、県民に対する説明不足を指摘するとみられる。節目ごとに、事業の枠組みを大きく変える方針を打ち出した県の判断への評価が、最終的に報告書でどのように表現されるかは不明だ。しかし、少なくとも県民・市民公園化方針を出した時点では、事業を総括し、説明責任を果たすべきだったとの評価は避けられないようだ。
石井知事への報告は今月24日に予定されている。31日の倉敷チボリ公園の閉園には間に合うが、12月県議会は終わっている。知事は、報告書を受けた後、どのような形で何を県民に説明するだろうか。【小林一彦】
毎日新聞 2008年12月16日 地方版