孤独の岸辺

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孤独の岸辺:/2 秋葉原事件・加藤被告、故郷で流した涙

 ◇「仲間思い出せ」 1年前、居酒屋店主に「本音」

 07年7月、青森の短い夏を焦がすねぶた祭りが近づいていた。

 それはちょっとした事件だった。市内の繁華街にある小さな店で、突然、太いおえつの声が上がった。酔客のカラオケと若いホステスのきょう声が一瞬、止まった。さっきまで焼酎の水割りをちびりと飲んでいた青年が、目を真っ赤にして、しゃくり上げ、号泣していた。

 「ここにいるみんなが苦労してるんだぞ。お前の考えは甘いんじゃないのか。頑張らねば、まいね(だめ)だ」

 隣に座っていた居酒屋の店主(42)が諭した言葉が、彼の心を突き刺した。地元の名門高校を卒業したものの不定期の仕事にしか就けず、ゲームセンター通いの日々。おえつを抑えながら「家に居づらいんです」と漏らした彼に、店主は「ようやく本音を吐き出したな」と感じた。不器用だがかわいい弟のような存在。自分たちを仲間だと信じていた。翌08年6月、彼、加藤智大(ともひろ)被告(26)が東京・秋葉原で7人を殺害する事件を起こすまでは。

 知り合ったのは07年1月。店主がアルバイトをしていた青森市内の運送会社に、茨城県の工場を辞めて郷里に戻った彼が、やはりバイトで入ってきた。経営する居酒屋でバイト仲間らが月1回集まる席に誘った。

 店の一番奥の6人掛けが指定席。地元産のイカやホタテ、七輪の上で焼ける肉。未明まで飲み、きつい仕事を愚痴った。日の出前にトラックに乗り込み、県内一帯で荷物を一人で配る。月収は十数万円。事故を起こして修理代をかぶると、その月の給料はゼロ。仲間の一人は年老いた両親を抱え、都会での就職も交際していた女性との再婚もあきらめた。

 6年前に開いた店は04年以降、BSE(牛海綿状脳症)騒動に襲われた。売り上げは8割も減り、店主は車を手放して自転車で店に通った。電気代を払うため店の機材を切り売りし、朝は運送会社、夜は店で働く。妻と3人の子どもが待つ家では弱音を吐けない。月1回の仲間の集まりは1人3000円。「飲んで食って、割に合わんって」と苦笑しながら、その時間が待ち遠しかった。

 最初は無口だった彼も、似たような境遇の連中に囲まれ、ぽつりと口を開き始めた。大好きな車のこと、ゲームのこと。あの号泣の夜を境に、溶け込んだように見えた。

 「ネットで見つけたんですけど、これ使いませんか」。ベルギービールの小瓶を店に持ってきた。彼自身はビールを飲まない。店主は気遣いがうれしかった。「常連さんに出してみようか」と言うと、照れくさそうに笑った。

 07年10月、「群馬に行く」と話す彼を、店に集まりみんなで見送った。それから、連絡は途絶えた。

 秋葉原事件から2日後、暗い店内に仲間たちが顔を寄せた。誰もが押し黙る中、客席のテレビから、彼が携帯サイトに書き込んだ言葉が流れた。

 「現実でも一人 ネットでも一人」「みんな死んでしまえ。上辺だけの友達」

 ほんの数カ月前に見せた笑顔は何だったのか。

 「なぜ、おれたちに言ってくれなかった」

 誰かがつぶやいた。

 あれから半年余。店主は近く、彼に手紙を書くつもりだ。青森には、お前を思って心配していた人間が間違いなくいる。「なんでこの人たちのことを忘れていたんだろう」。そう後悔させてやりたい。

 12月、店に残っていたベルギービールの最後の1本を空けた。琥珀(こはく)色がかった細かな泡がグラスの中でふくらみ、やがてゆっくりと消えていった。

 「人間と話すのって、いいね」

 事件直前、ネットにそうも書き残していたあいつなら、思い出してくれるはずだ。【林哲平】=つづく

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毎日新聞 2009年1月1日 東京朝刊

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