戦前戦後の時代、全都道府県に広まり、官民一体でハンセン病患者を強制隔離した「無らい県運動」について、熊本県は県内の実態を明らかにする初めての検証作業に着手した。同運動は今も残るハンセン病や患者への偏見や差別を拡大、助長したと指摘されている。熊本県の取り組みは、自ら「加害者」の立場で検証することで、今後の啓発活動や行政による人権侵害の根絶に役立てることを狙っている。
検証は国立ハンセン病療養所菊池恵楓園(同県合志市)の創立100年(4月1日)に合わせ実施。同園入所者の証言も交えて冊子にまとめる。
国の強制隔離政策の検証は、厚生労働省の第3者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」などが手掛けているが、自治体が主体になった「無らい県運動」の方は進んでいないのが実情。4月施行の「ハンセン病問題基本法」には、自治体が差別の根絶に取り組む責任が明記されている。熊本県の検証作業はその具体化の1つで、鳥取県が昨年、同様の取り組みをしており、今後、全国に広がる可能性もある。
「無らい県運動」では警察官が放浪患者を移送したほか、行政が住民による在宅患者の「密告」も奨励したとされる。熊本県でも県警が熊本市の患者157人を一斉に連行した「本妙寺事件」(1940年)が起きている。
初の検証作業は昨年11月、県から委託されたハンセン病学会員の小野友道・熊本保健科学大学長らのグループが本妙寺事件を中心とした資料収集に着手。恵楓園入所者自治会も「埋もれた事実を解明したい」(工藤昌敏会長)と協力。本妙寺事件に巻き込まれた入所者を対象に、隔離で家族とのきずなを断ち切られた状況などの聞き取り調査も行う予定だ。
小野学長は「これまでにない近代史の観点で、強制隔離の実態に迫り、結果は全国に発信したい」と話している。
■無らい県運動
「らい病」と呼ばれたハンセン病の患者ゼロを目指した運動。愛知県で1929年に始まり、患者の「絶対隔離」を打ち出した改正癩(らい)予防法公布の31年以降は全都道府県に拡大した。運動に合わせて療養所が増設され、40年には「1万人隔離」を達成。その後は新規発症患者の減少などで衰退した。「ハンセン病問題に関する検証会議」の最終報告書(2005年)は、患者や家族への差別・偏見を助長するなど「社会被害」の一因になったと指摘した。
=2009/01/03付 西日本新聞朝刊=