この写真は「AC公共広告機構」ホームページのものです(新聞記事からではありません)
産経新聞さんの素晴らしい記事を紹介します
ゆうゆうLife
19年8月22日(水) 産経新聞
脳死移植後に結婚、出産
23歳のとき、英国で原因不明の急性劇症肝炎に倒れ、脳死肝移植で奇跡的に命をつないだ今川真紀子さん。移植から10年目の昨年、長男、駈(かける)くん(1)を出産しました。
脳死移植を受けた人の出産は、国内ではまれ。今年7月には、「私の経験が、移植医療の広がりに役立てれば」と公共広告機構のコマーシャルに実名で登場しました。
今川さんに移植後の生活と結婚、出産を聞きました。(聞き手 佐藤好美様)
英国で急性劇症肝炎
早期に現れたドナー
退院へ懸命リハビリ
(要旨)
今川さんが英国にある大学4年生のとき、原因不明の急性劇症肝炎にかかり、移植しか助かる道はないと診断されました。
意識がなくなり病院に運ばれてから3日後、今川さんが目を覚ましたのは英国の病院のベットの上でした。そのとき初めてお父さんから「移植手術をしたんだよ」と聞いたそうです。
手術からの2ヶ月間は苦しいリハビリが待っていました。「歩け、歩け」のスパルタ式の歩行。免疫抑制剤等の大量の薬の投与。1回何十粒という量を、日に3回、30分1時間駈けて飲んでは戻し、また飲む繰り返しが続いたそうです。
2ヶ月後に無事退院。しかし、生ものはだめ、お酒は飲まない、外出時のマスク着用、犬猫をさわらない等いろいろな制限・注意を受けたそうです。
「日本では当時、脳死移植は行われていませんでした。治療を維持できるかという問題もあり、ロンドンにいるか、帰国するか迷いました。でも病院で帰国を勧められました。『ご両親はとても、心配していたんですよ。これからはどんな問題が起きるか分からない。今はあなたにとって大切な時期だから、ファミリーと一緒にいることをお勧めします』って。手術から9ヶ月後に帰国しました」
8月23日(木) 産経新聞
脳死移植後に結婚、出産
就職で踏み出した復帰
不安と隣り合わせでも
生命を引き継いだ喜び
(要旨)
英国から帰国した真紀子さんは、一時は社会復帰できないのではないかと思ったそうですが、やがて就職もできました。通勤電車に乗るのも、朝、会社で「おはようございます」というだけで嬉しかった。就職したのは、結婚も子供も無理だと思っていたから・・と述べられています。今は月に4万円くらい、当時で10万円くらいの薬代がかかるそうです。
「こんなに医療費がかかるのに、企業が採用してくれるのか、社会が受け入れてくれるのか不安でした」
帰国した年、日本で臓器移植法が通りました。当時は移植に否定的な雰囲気も強く「人が死ぬのを待ってまで生きる必要があるのか」と言われたこともあるそうです。だれかと恋愛しても、相手の両親や親族は許してくれないだろうと思っていました。
しかしやがて今のご主人と結婚されました。
「子供はすごく欲しかったですが、薬の影響がどうでるか分からない、障害のある子が産まれてくるかも知れないけれど、受け入れて二人で育てていこう」と、ご主人と話されました。
父は出産に反対されましたが「私の命と引き換えにしても産む」と説得されました。
「ちょっと古いデータですが、肝移植後に10年生存している人は30%に満たない。私はもう30%の方にはいっているのかも。「もう11年もたってしまった」と思うこともあります」
ドナーは英国人の中年男性で、「肝臓を2つに分けて、マキコと小さな男の子に行ったんだよ」と聞きました。
「あのとき、自分が助かって命を引き継ぎ、駈にまで命を継ぐことができた。その人の命が、1つだけじゃなくて、いくつかの命につながって行くのって素晴らしいことじゃないかと思います」
2日間に渡り、産経新聞朝刊・生活面の紙面約半分(5段)を使用し掲載された今川さんへのインタビュー記事です。(申し訳ありませんが、長かったもので趣旨をそこねないよう私めが短縮し掲載させていただきました)
移植医療の素晴らしい事例ですね。
命はつながって行くのです。
すばらしいお話、産経新聞さん本当にありがとうございました
真紀子さん、無事出産されて本当におめでとうございます。これからも体調に留意され、ご家族がお幸せに暮らしていかれることをお祈りしております。
皆さん、次のテレビCMをぜひご覧下さい。
(私のコメントなどよりまずこれを)
「AC公共広告機構」テレビCM
(黒いテレビ画面の左下にある右向き▲矢印をクリックしてくださいね)
http://www.ad-c.or.jp/campaign/support/04/index.html
8月24日(金)追記しました
8月24日(金)付け 産経新聞
ゆうゆうLife
移植の行方と少年の夢
脳死移植を受けた今川真紀子さん(34)に取材して驚いたのは、手術から11年たってなお、日々、厳しい制約があることだった。
生ものは食べない、犬や猫にさわらない。観葉植物は置かない-。取材の途中、今川さんの携帯電話が鳴った。「食べちゃだめよのアラームなんです」。日に2回、免疫抑制剤の服用2時間前から食べ物は禁止、1時間前から飲み物は禁止だという。
どこまで命を紡げるか、不安と隣り合わせでも、彼女はこの上なく幸せそうだった。
夏空の下、赤いバケツを手に、公園に行こうとする長男の駈(かける)君(1)の関心を、家族総出で引きながら、2人一緒の写真を撮った。
帰途、1人の少年を思いだした。生まれつきの肝疾患で、移植を申請したばかりだった。しかし、日本では当時、法律は通ったものの、臓器移植はまだ1例も実施されていなかった。今川さんの移植はその2年前だが、助かったのはたまたま英国にいたからだ。
少年は14歳。中学2年生なのに、身長は125センチ、体重は30キロに満たなかった。顔は土気色だったが、得意だという指相撲では、私が負けた。
ずっと「長くはもたない」といわれてきた。母親は「ただ、生きていてくれればと1年1年来たけれど、元気だと生きられるんじゃないかと期待してしまう。それなら、将来の生活のすべても考えてやる時期かと・・・」
臓器移植法をめぐっては「人の死を待ってまで生きたいのか」などの反対もあった。母親は「人の不幸を待つなんて、とんでもない。口が裂けてもくださいなんて言えない。でもできるものなら・・・」。矛盾する言葉は心のままだろうと、胸をつかれた。
臓器移植法施行から10年がたったが、脳死下の臓器提供は58例にとどまる。少年が元気なら、今23歳。夢をかなえて調理師になっているだろうか。
(ゆうゆうLife編集長 佐藤好美)
>口が裂けてもくださいなんて言えない。でもできるものなら・・・」。矛盾する言葉は心のままだろうと、胸をつかれた。
この気持ちは、腎臓移植でも肝臓移植でも同じです。患者さんの口からは“ください”とはなかなか言えません。
移植への理解が少しでも広がっていくことを願います。
ゆうゆうLife佐藤編集長様、3日間の掲載ありがとうございました。
心から感謝申し上げます。
by hiroyuki
燃え続ける炎 修復腎移植 「…