1984年の発足から今年で25年を迎えるAMDA。四半世紀の歴史を重ねる間、岡山で医学生の集まりから始まったAMDAは、世界30の国・地域の支部、役割に応じた五つの団体を持つ組織へと変ぼうを遂げた。国際医療救援団体として大きく成長した理由とは--。次の時代に向けて何を目指すのか。AMDAグループの菅波茂代表に聞いた。【石戸諭】
□25年の歴史□
始めた時は「何かをやりたい、人の役に立ちたい」という気持ちだけでした。現場での活動を踏まえながら、多くの考え方を積み重ねてきた結果が今のAMDAです。私たちが絶えず発信していること、例えば「相互扶助」や「援助を受ける側にもプライドがある」といったキーワードはすべて現場での活動から得られたものです。
相互扶助は95年のサハリン大地震で実感しました。あのとき私たちは、援助をロシア側に拒否された。しかし、「神戸の震災の時に助けてくれた。何かお返しをしたい」と言ったら受け入れてくれた。すなわち、困った時は「私は今、あなたを助けますが、将来私が困ったら助けてほしい」という精神が、世界に通用する可能性があると思ったのです。チャリティー精神だけで“施す援助”ではなく、パートナーとして相手のプライドを尊重すること。そうしたAMDAの原則を、支援を通じて積み重ねることができた。現場には普遍性があります。
□理想と現実□
もちろん成功ばかりではありません。難民救援プロジェクトなど、始めたはいいが満足にできないこともありました。そこで気付いたのは、国際社会では正しい行為をする「正当性」だけでなく、なぜそこに存在するのかをいろんな人に納得してもらえる「正統性」が必要ということです。一生懸命だけでは分かってもらえません。AMDAは現在、国連経済社会理事会の総合協議資格を持っています。これで支援活動の正当性だけでなく、現地で円滑に行動するための正統性を確保しやすくなりました。
□次のステップ□
まず、「ネパール子ども病院プロジェクト」を拡大します。コンセプトは「平和と幸福」です。人々に幸福を実感してもらえるように、医療や教育にアクセスしやすい環境を整えたいと思う。そして、もう一つ大きな目標があります。それは「sogo-fujo(相互扶助)」という言葉をもっと普及させ、国際社会で共有できる価値観に高めることです。わかりやすく言えば、英語の辞書に単語として載せられたらいい。実現すれば、そこがAMDAの文化的使命の到達点だと思っています。
◆ミャンマーのサイクロン被害
08年5月、サイクロン「ナルギス」の直撃被害を受けたミャンマーで、AMDAは発生当初からミャンマー人スタッフの医師らが現地の保健当局と連携し、巡回診療を開始した。6月10日~16日には、人道支援の受け入れに慎重だった軍事政権下ながら、日本人医師ら5人も派遣した。
ヤンゴンの南約70キロのクンジャンゴン市での巡回診療では、ボートで移動しながら6000人を超える患者を診察した。海外からの支援受け入れに消極的な軍事政権に対する国際的な批判が強まる中、「全面的に受け入れることが正しいわけではない。政治的な対立と災害支援は別物だ」(菅波代表)と“AMDA流”の国際貢献論を実践した。
11月に来日したミャンマー保健省のパイン・ソウ副大臣は、AMDA本部(岡山市)を訪問し、「今後も災害が発生した場合は共に協力し合いたい」と謝辞を述べた。
◆中国・四川大地震
08年5月、中国・四川省でマグニチュード7・8を記録する大地震が発生。この地震でAMDAは台湾支部を中心に、雲南省大地震や四川省の雪害(ともに96年)での援助活動で培ったネットワークを生かした医療救援を担った。
活動にあたるAMDAに中国政府が出した条件は、「中国での医師免許を持っていることと中国語の語学力」。日本からは、二つの条件を満たす岡山大の汪達紘医師や現地の調整にあたるスタッフが派遣された。結果的にAMDAとして20人を超える医師、看護師が現地入り。外科手術などもこなした。
また、震災後の精神的な不安を持つ患者も多く、カウンセリングなども行った。中国に限らないが、スムーズな支援態勢の連携は、過去の支援活動を生かしたネットワークの存在が大きかったと言える。
◆歴史と組織
AMDAの原点は79年までさかのぼる。設立時の名称は「The Association of Medical Doctors of Asia(=アジア医師連絡協議会)」。79年、国際問題となっていたカンボジア難民救援のため、医学部生と菅波茂代表が現地に飛んだ。しかし、難民キャンプの位置も分からず、活動の受け入れもままならない。善意だけでは何もできない。ネットワークの重要性を学ぶところからAMDAは始まった。
AMDAの拠点は現在30の国・地域に及ぶ海外ネットワークにある。共有するのは「現地を信頼する=ローカルイニシアチブ」という考え方だ。災害発生時の救援・復旧態勢作りは現地が主導し、日本本部や他の海外支部が必要に応じて援助する。
「文化、宗教、歴史が異なる共同体で活動する際に重要なのは、信頼できる人に現地を任せること」と菅波代表は話す。08年のミャンマー・サイクロン被災と中国・四川省大地震。ミャンマーでは現地支部を中核に日本から救援チームを派遣、四川では台湾支部を中心に対応した。世界的なネットワークを生かした迅速な援助が可能になりつつある。
菅波代表は「ある共同体がどんな原理原則に基づいて動いているかを理解しないと、不信感から排斥につながりやすい。自他の違いを不幸ではなく、財産にすることが肝要」という。
毎日新聞 2009年1月1日 地方版