阿部重夫編集長ブログ「最後から2番目の真実」
京都と筑紫哲也と「百聞は一見に如かず」
2008年12月08日 [コラム]
前号でテレビ・キャスター筑紫哲也氏の追悼記「ひとつの人生」を掲載した。恐れ多くもジャーナリストの大先輩にあたる人だが、ずっと以前に毎日新聞本社の最上階にあるレストラン「アラスカ」で他の方々と同席したことがある。彼が癌で長期休養に入るずっと前だが、午後8時になっても悠然と飲んでいるのには驚いた。恐る恐る「大丈夫ですか」と聞いてみたが、にこにこ笑っていた。
のちに彼の番組「ニュース23」に呼ばれて出演したこともある。それを真似たわけではないが、局入りする9時半まで時間を持て余し、ちょいとドイツビールをきこし召してから出演した。筑紫さんがあそこまで平気なら、自分も大丈夫かと思ったのだが、さにあらず。あとで「顔が少し赤かった」と言われて、大いに恥じ入った。
やはり18年もカメラの前に立った人間と、一夜漬けでは覚悟が違う。これからはデジタル放送だから、毛穴まで見えそうなカメラの前で、万が一にもアルコールなど飲んで出られないと肝に銘じた。BS11のキャスター役をこの秋で卒業させていただいたのも、ひとつの理由は金曜夜に禁酒を課せられるのが、だんだん辛くなってきたからである。
さて、筑紫さん追悼記の後日談を書こう。
記事のなかで晩年の彼が治療のあいまに京都で暮らし、ときに姿を見せた「天ぷら 松」の話が出てくる。野中広務・元自民党幹事長、作家の瀬戸内寂聴の3人が離れで歓談しながら揮毫した書があるというのだが、取材のお礼をかねて先週末にその「天ぷら 松」を訪れてみた。
というのは店主の松野さんに電話で取材したおり、書がどういう状態で保存されているのか、よく分からなかったからだ。記事では「螺鈿の飾り棚」とあるが、実物を見ないと釈然としない。食いしん坊でもあるので、「天ぷら 松」の料理がどんなものか味わおうとの魂胆から訪れたのだ。
結論から言う。筑紫さんの墨痕鮮やかな書体をなぞって、薄い螺鈿を切り取り、それを飾りの板に貼り付けたものだ。螺鈿は半透明だから、光を反射させないと見えない。写真はもとの墨書とその螺鈿版である。離れに飾ってあったのをわざわざ外して見せてくれた。
なるほど、百聞は一見に如かずである。ついでに野中さんの揮毫を「愛の味」と書いたが、これも電話で聞いたからで、ほんとうは写真のように「愛味」と「の」が余計だった。訂正させていただく。野中さんと瀬戸内さんの揮毫は、筑紫さんの飾り板とは別仕立てになっている。
さて、もうひとつの結論。料理は文句なく素晴らしい。店は桂川沿いだが、渡月橋からかなり南で歩いてはいけないのに、客がひきもきらないのも納得できる。筑紫さんがこの夏、最後に来店したときの席に座り、レアの雲丹を浮かべた汁物や松茸、津居山の蟹に舌鼓を打った。
京都は絢爛たる紅葉のフィナーレ。故人をしのぶにはいい季節だった。
投稿者 阿部重夫 - 09:00| Permanent link | トラックバック (0)