望む医療、地域が決める
信友 浩一氏(のぶとも・こういち)
九州大学大学院医学研究院教授

71年九大医卒、80年米ハーバード大大学院修了。
82年国鉄中央保健管理所主任医長。
96年九大大学院医学研究院医療システム学分野教授
 病気の主流は感染症から、がんや脳卒中、心筋梗塞(こうそく)など慢性疾患の時代になった。長生きが増えたということは、逆に病気のリスクが高まっていることを意味し、思わぬ病気で人生設計が狂う可能性もある。提供されるものを利用するだけの医療から、発想を転換しなくてはならない。どんな医療を望むのか考える必要がある。

 「地域から発想する医療」とは、医師から一方的に提供してもらう医療ではない。家などのアットホームなところで生活して、病気になれば急性期の病院に行き、回復のリハビリをした上で、またアットホームな場所に戻る「Uターン医療システム」だ。地域から発想する医療とは、どのように生き、死にたいかを決めるところから始まる。

 感染症が主流だった時代は病状の進展が一分一秒を争う。患者が望む治療方法があったとしても、早く治療を始めないと命を救えないため、治療方法も医師に委ねざるを得なかった。慢性疾患は一分一秒を争うようなことが少ない。がんから逃れる、脳卒中の再発を防ぐといった観点で考えると「(病気が)治らない時代」になっている。

 つまり、病気を持ちながらでも自立した生活を楽しめるかどうかが重要視される。自分の尻は自分でふきたい、ハシを持ってかんでのみ込みたいなどだ。それをサポートをするのが医療・介護の役割だろう。

 治療方法について医療を提供する側と、患者の期待を一致させることが医療の整備をする際には必要だ。ある病院で実施した調査によると、患者が知りたい情報は、必ずしも医療側が提供すべき情報と一致しないことが分かった。「医療を提供する側と対話をする場を知事や市長がつくりなさい」ということが今回の新医療計画の本質部分だ。

 従来の制度に頼らない好例が福岡市東区にある。26万人が住む地区で病院も20数施設ある。大きな病院は入院医療に専念し、外来医療を縮小・閉鎖。患者に身近な診療所と大病院の入院医療が連携して、地域の医療機関全体でバーチャルな「東区総合病院」を形成するという発想だ。自分の病院で何をするかでなく、みんなで何をするか。施設完結型医療から地域完結型医療に転換した。

 もう一つは大分県中津市。国立の中津病院を市に委譲し、市民病院として再生させた際の話。自治体立病院は政策医療をやるため赤字で当然との考えは間違い。いい医療をやればもうかる。

 スタート時に、中津市民病院が責任を持つ医療圏、診療圏を設定。次に救急車が中津市の外に中津市の救急患者を搬送した事例を調査した。中津市民が市内で救急医療を受けられなかった理由を明らかにし、中津市に不足している診療科目や医療体制を分析した。

 市民が市外で受けている医療をすべて市内で対応できるようになれば、市民病院の医療費や入院収入などが予測できる。そうなれば採用できる医師の数など損益分岐点も算出可能。中津市民病院はスタートした初年度から黒字だった。

 2006年の医療制度改正時には、「施設完結型医療から地域完結型医療へ」という言葉が流行した。患者の視点を医療政策決定プロセスのなかに取り込むという趣旨だった。

 医療提供側が予算決めや法整備をしてきたが、患者の視点を導入するためには、皆さんがどのように生きたいかを決めなければ、コストに見合った利益も得られない。集約すれば、施設から発想する医師主体の医療から、地域から発想する患者主体の医療になる。

 いま問われているのは健康保険制度だ。ドイツや英国から持ち込んだ医療システムではなく、もともとの成り立ちは福岡県の宗像郡(現宗像市)にあった慣習だった。薬代が出せない住民がいると、近隣の住民が集まって魚を捕るなどして薬代を工面した。これを当時の内務省の役人が国民健康保険に発展させた。

 日本人には、貴重な医療資源を大切に使ってきた歴史的な背景がある。ところが、いつの間にか制度やお金に委ねるという風潮に成り下がってしまった。制度やお金に頼り過ぎていないかを考えてもらいたい。中央政府や制度をあてにせず、現場で対話を重ねることにより新たな医療計画を作っていきたい。
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