2008-02-21
■ 誰よりもよく知っている

より本音に近い部分、言うのが憚られることを言わんとすれば、文章はより自意識過剰になものになる。「ほんとうのわたし」に近づくからだ。書けば書くほどアキレス腱をさらすことになる。計測できるものでもないが、精神的ダメージとしては、面と向かって批判され、論破されるよりよほど堪えるという人もいるかもしれない。
匿名ダイアリーに書いた記事であっても、叩かれたり笑いものにされると記事を削除してしまう人がいるけれども、ほかの人には知られずとも、それが自分の文章だってわかってるから、恥ずかしくて消してしまうのだろうか。
たとえば、
匿名の正当性を失わしめる行為も匿名の敵 - 模型とキャラ弁の日記
で紹介されている記事はもう読めなくなっている。
当該記事は読んでいないのだが、はてぶではボロックソに批判され、侮蔑され、笑いものにされている。私は消した理由は羞恥ゆえだろうと勝手に推測しているのだけれども、仮にそうだとしてなぜ恥ずかしいのか。実名はもとよりはてなid某であることさえ、余人にはわからないのに。
それは、匿名性が恥知らずな振る舞いをする己を人々の目から覆い隠してくれても、叩かれている「私」が己だという自らの知識から自分を守ってくれはしないからだろう。エントリを消してなかったことにするのは、その点から考えるととても合理的だ。
今こうしてハンドルネームのみ公開して文章を書いていることからも明らかだが、私は匿名でものを書くことに積極的に賛成する。私が空から降ってきた人間じゃない可憐な少女である事など皆さんにとっても私自身にとってもどうでもよいことだ。
だけれども、本音とか実感に近いことを言えば言うほど、酷評されれば辛いし、「ななしさん」に徹してそれを受け流すことができないなら、やはり匿名であっても考えてものを言った方が安全じゃないかなと思う。