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大晦日、五箇山タカンボウ山、山スキーの地図とちょっと写真です
下部はタカンボースキー場

こんな感じの尾根が続いた

誰もいないゲレンデパウダーも楽しい
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物事の優先順序
昨日は比較的早く撤退を決めたので、温泉経由で夕方には高山に帰り着いていた。お陰でその後の後片付けもスムーズに行く。先ほどHPに立山最新報告もUPできた。
今日も休日だが、そう山ばっかり行ってはいられない。多少の家族サービスと共に、掃除、仕事やる事は山ほどある。
特に今は年末年始の大事?な時期だ。普通はプライベートな事だけでいっぱいいっぱいになるものだろう。しかも僕は来春からの海外遠征準備もある。山スキーの事や子供の事、仕事の事など、どれ一つとってもおろそかには出来ないし、したくもない。
ただどれもこれも100%完璧なんて事は、もう土台無理だと半ばあきらめている。きっと大事なのはその時々の優先順序なのだろう。
何にプライオリティーをつけて行動するかが、その人の性格や人生を決める。他人の世話ばかりして一生を終えてしまう人もきっと世の中に多いに違いない。
その点僕は全く我侭で自分勝手な人間だと思う。皆忙しい師走だと言うのに、自分の遊び事ばかりに熱中して、隙を見つけるとPCを叩いていたりする。
多分結局それが僕のキャラクターであり、自分の人生になるのだろうが、いつかこういう生き様の手痛いしっぺ返しをどこかで食らうのだろうか。そう思うととにかくせめて、普段の生活では質素に謙虚に生きていこうと思っている。 |
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見当違いで半分までしか行けず
土曜の昼からのっそり行動を始めて、久しぶりの厳冬テント泊山行をやってきた。目指すは高原バス道路経由での立山だ。
この時期雄山の頂上に立とうと思ったら、そうとう大変だというのは覚悟の上だった。しかしそれでも重荷を背負っての高原バス道路ラッセル歩行は予想以上に大変だった。
自分のスピード不足もあり、予定の半分の弥陀ヶ原中央部で撤退を決める。実質2日間の行動としては良く頑張った気もするが、一方その結果には不甲斐無い気もする。
要するに最大の問題は自分の見当違いにあったのだろう。それにしても厳冬の立山は予想以上に大変な所だった。こんなところに長大な黒部立山アルペンルートを作り、一大観光産業にしてしまう人間の力というのにも驚きを感じる。
さて今回の山行のもう一つの目的は、久しぶりの冬のテント露営の山行をすることにもあった。これはもちろん2月中旬からの海外遠征を睨んでの事だ。これはそれなりの成果を上げて、自分なりに問題点を考える事はできたと思う。
それらの問題点をどう克服するかどうかは分からないが、結果的に上手く行けば良いと思う。
山は逃げないというが、来春に計画しているチョモランマ登山だけは別物だ。逃げないからといって何度も挑戦できる対象ではない。本番の山行では今回の様に中間地点で力なく撤退、見当違いの山行でした、なんてならない様にしないといけない。
テントの中で足を乾かす。火事にも注意しないと
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今から冬山に入ります
山には雪が相当降り積もった感じだ。とはいえ正月休みの初日の今日、やはりややくたびれた身体では早起きは出来なかった。山行準備をして、目覚まし時計はかけて寝たのだが、根性が出なくて寝坊となる。
それでもその分しっかり休めた訳だから、僕はOKだ。のっそり出遅れスタートだが、それでも僕は今から冬山登山に出かけよう。
今年は産婦人科医になって初めて長期の正月休みが取れたので、久しぶりに厳冬期のテント泊登山をしてくるつもりだ。寂しい山行になりそうな感じで、山中からのブログアップも遊びの一環として試してみようと思う。
色々な事が上手く行くかは分かりませんが、僕がこの年末年始をどう過ごしているか、ご興味を持ってくださる有難いお方はこちらまでどうぞ。
婦日の山と仕事の臨時報告へGO |
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産婦人科に仕事納めはありません
今日が一応病院では仕事納めという事になっている。看護師さんらも余裕があれば大掃除やお片づけ業務に入っている。
しかし分娩には年末も年始も無いものだ。今日も僕は例年と同様に、何時もと同じく忙しい仕事に追われて過ごした。
何とかかんとか秒単位外来業務を済ませ、大急ぎで配達弁当を食べ、看護師さんらの待つ手術室に直行する。
今日の手術は一件のみだったが、とある理由で殊の外タフな手術となった。出血も増えるし時間もかかる、途中で外科の先生のヘルプと麻酔法の変更も要した。
一年のラストでその年に最も苦労する手術にぶち当たってしまった感じだ。ちと想定外の事もあったが、決してくじけず何とかきちんとこなす。
何と言っても僕が手を上げてしまったら、患者さんは即非常に危険な状態に陥る事になる。手術が始まれば僕は決して最後まであきらめる事は出来ないのだ。
今日は夜から労組のクリスマス会というのが行われる事になっているが、もう時間切れで今年は欠席するしか無いだろう。
さてさてとはいえこの苦しい手術さえクリアすれば、今年は僕にはまともな正月休みがやってくる事になっている。途中特別な秘密?外来は開けないといけないが、それ以外は何と8連休である。
これも特別な優しい代務の先生が、まとめて年末年始の長期代務に来てくれる事に今年はなったからだ。
もちろんそこには、それだけの報酬があるわけだが、それでもこれは例年に無い事である。僕が産婦人科医になって以来、年末年始にこれだけまとめて休めるのは初めてのことだ。
昨夜から今日にかけての寒波で山には雪が積もっただろうし、今までに無い正月休みが僕には来るかもしれない。
今日も夜遅くまで仕事にはなるだろうが、それでもその後の休みがある分、今年の僕は十分恵まれている。 |
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世間は不況のクリスマス
昨日はやや遷延していた分娩も残っていたが、それほど心配する事も無く夕方には無事産まれてくれた。
昨夜は世に言うクリスマスイブであった。例年この時期は正月休み前で特に忙しく、僕はまずまともな時刻に帰宅できた事は無い。ところが昨日は珍しく、まあまあ早めの時刻に帰宅が出来た。
さて僕の家はキリスト教徒ではないから、クリスマスにはサンタクロースは来ない。しかし子供達は、例年の世間の習慣として、なにやら何らかのプレゼントを期待している様子だ。
そこでどんなものが欲しいかとちょっと聞いてみたら、やはり今年も各種ゲーム機ばかりを望んできた。子供達に言われるがままに毎年毎年ゲーム機を買い与えていたらキリが無いと思う。
ちょうどテレビでは不況で、今年のクリスマスは地味な巣ごもり?クリスマスだというニュースが流れていた。住む所無く年を越せない派遣切りされた労働者が、巷にはあふれていると言う。
ここはこんな時に贅沢はいけないと子供達に諭し、今年はゲーム機は買わないぞと子供達に宣言する。もちろん子供達は不満そうだ。
今年はお父さんが山で大変な贅沢をするから、お金を節約しなければならないのだと、傲慢お父さんはニュースを見ながらシャーシャーと子供達に聞かせたりする。
とはいえ子供達は「お父さんがエベレストで大金を使うのに、自分達は我慢せよなんて不公平だ」と、とてももっともな事も言う。
ちょうどそこにタイミング悪く、宅配便が届いた。それは僕がインターネットで購入した高所登山用サングラスであった。当然子供達の非難の視線をビシビシ感じたりする。これで本当に何も与えなければ、家庭内で反乱?がおきそうだ。
仕方が無いのでその後夜こそっと本屋に行き、プレゼント用図書カードだけ購入した。お父さんの贅沢には遠く及ばない金額で、少し心苦しく思ったりする。
さてさてニュースによると今は100年に一度の大不況らしく、世間では失業者があふれているらしい。しかし今が旬?の働き盛り産科医にとってみたら、仕事が無いなんてとても考えられない感じだ。
今日も朝から患者さんは外来待合室から溢れていたし、分娩もある。今は正月休み前という事もあり、仕事はキリが無く今でも続いている。
僕は来年2月からこの不況下にもかかわらず、好き好んで仕事を中断し、山に出かけるつもりだ。失業されている方から見たら、何て贅沢な事だと写るだろう。僕もそう思う。
僕は僕の仕事が特別な人間にしかできない仕事とは思わない。向き不向きは確かにあるが、適切なトレーニングを積んだ健康な人間なら誰にでもできると思う。
世間では仕事が足りないらしいが、産科医業界は仕事だらけで働き手が圧倒的に足りない。
また世間では、嫌でも職を辞めさせられる人が多くいるらしいが、僕は周りが辞めないでくれと頼んでも、しばらく臨床を離れるつもりでいる。
世の中こんなバランス悪いのはどうしてなのか?当事者の一人でありながら、申し訳ないと思うし、妙な気もしている。 |
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脳細胞は大丈夫?
月曜日は午後から軽い手術が2件。夜に呼ばれる事は無くて済んだ。
昨日火曜日は旗日で仕事は休みだ。とはいえ代務の先生はいないから僕は実質的に拘束状態にある。朝から急患呼び出しや病棟回診等でなんだかんだと働いていた。病棟には心拍が時々下がるという方が入院していて、とても遠出は出来ない。
とはいえ昼の空いた時間に外来の机で年賀状も書けたし、午後には久しぶりに家のコタツでDVDも見れたから言う事は無い。山の天気も今ひとつの様だし、宅直しながら過ごす休日としては良い日だったと思う。
夜にはこれまたまったく久しぶりに、家族とくるくる回るお寿司屋さんに出かけた。僕は2月中旬から臨床業務から離れるのみならず、しばらく家族とも離れる。ちとこすい気もするが、こういう家族サービス?は必須の点数稼ぎであるし、家族に忘れられないための思い出作りと言えなくも無い。
さてくるくる寿司では、折角だからと美味しそうな寿司を選んで注文して食べていた。
食べながら魚の名前が直ぐに出てこない自分に気づく。次いで更に恐ろしい事に、寸前にどんなお寿司を食べたかも自分は忘れていたりした。「あれっこの魚、さっき食べたっけ」なんて周囲に聞いて、これは若年性アルツハイマーじゃないかと心配されたりする。
おそらくこれも心ここにあらずで、家族と食事しながら僕はきっと別の事を考えていたのだろう。僕は今、仕事と遠征準備の両方に追われて、気分はいっぱいいっぱいの状態なのだ。
こんな事じゃイカンナアと反省する。また同時に上手くエベレストから帰る事ができたとしても、その後脳細胞が死んで廃人みたいになっているんじゃないかと、マジに心配したりする。
そんな事気にしだしたら、高所登山なんて決してできない訳だが、仕事柄やはりパーになって帰ってきたら困るのだ。
さてさてくるくる寿司で半分くらい食べていた時に、また分娩室から呼び出し電話がかかってきた。
胎児心拍が時々落ちていた方が、もうすぐ分娩になるという連絡だ。家族との食事はそこそこにして、分娩室に向かわないといけない。家族はそんな僕の姿にもうほとんどあきらめ顔だ。小雪の降る中出動し、仕事はもちろんきちんとこなす。
折角の家族団欒?の時間にも、様々な仕事やその他諸々が、僕には何時も付いて来る。
自分で選んだ道とはいえ、周囲も僕もこんな事で上手く行くのだろうか。こればっかりは運不運もあるし、内心全くドキドキひやひやだったりする。 |
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山を取るか資格を取るか
日曜日は午後から天気が悪くなる事が、最初から予想された状態でのスキー山行だった。
こういう時はできれば早発ちして午前中に快適スキーを楽しみたい。しかしスキー場のゴンドラが動き出すのは、午前8時からだからそれ以上早くは行動できなかった。
しかも白馬方面は高山から遠い。朝早起きして山に向かうという僕の山行スタイルでは、どちらにしても早発ちは難しいというのもある。
というわけで9時前からヨタヨタとスキー場のゴンドラトップを歩き出し、白馬乗鞍の頂上に着いた時には、既に空模様はかなり怪しくなっていた。
真冬の吹雪が来るとは思えなかったから無理すれば更に上部稜線まで進めない事も無かったが、万一上で視界不良になると滑降が危険になる。というわけで日曜日は白馬乗鞍周辺で何処かお茶を濁す山スキーとなってしまった。
しかしこれらは考えてみれば、最初から予想できた結果でもあった。こういう中途半端?な感じのする山行が嫌なら、最初から山に向かわなければ良いのだ。
さて実は日曜日には母体保護法指定医研修と言う、産婦人科医にとってはやや重要な研修会が岐阜で開かれる事となっていた。本来なら山スキーではなく、この研修会に出席するのが産婦人科医の本分だったと言える。
とはいえやはり僕は山スキーを選んでしまった。その最大の理由はやはり春に予定している遠征山行だろう。少しでも身体を動かして山に身体を馴らしておきたいという思いがあるのだ。
先日この日記にエベレストに行くつもりだと書いてから、僕は今四方八方から「そんな事で本当にエベレストに行くの」と言われまくっている。ちょっとたるんでやや年老いた僕の身体では、そう言われるのも無理は無いと思う。
せっかく高いお金と貴重な時間を使って、一世一代の登山に行くからには、もっとトレーニングしてシェイプアップした身体で僕も山に行きたい。しかし僕にはずっと朝から晩まで仕事がある。
トレーニングする暇や余裕が無いのだ。だからせめて日曜日くらい山で身体を動かさなければどうにもならんという思いが僕にはあった。
その結果が母体保護法の指定医研修ではなくて、山に向かう事を僕に選ばせたのだろう。とはいえ結果的にそれほどワークアウトできない山行だったから、気持ちは複雑だったりする。
しかしそれでも僕には後悔は無い。白馬からの帰りに山道具店で買い物もできたし、山行と車の運転?の疲れで夜は気持ちよくぐっすり眠れた。
日曜日に山スキーに行った方が良かったか、資格研修会に行った方が良かったか、それは分からない。ただどう動いたとしても無駄でな事は何一つ無い事は良く分かっている。 |
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昨日の白馬乗鞍周辺スキー地図です(滑降は青線)

登り雪面やや固め

雪少なく水が出た斜面をだましだまし滑降
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忘年会と少年サッカーと白馬乗鞍山スキー
様々な事に焦りは感じているが、代務の先生の来てくれている週末くらいきちんとリフレッシュできる時間を過ごしたい。そんなこんなでこの数日間もそれなりに楽しく過ごす事が出来た。
まず金曜夜は病院忘年会で、それなりに弾けて?過ごす。とはいえ残念ながら力のこもった忘年会演芸は、賞外に漏れた。
土曜は少年サッカーの観戦お付き合いで愛知県半田市のサッカー大会クリスマスカップまで行ってきた。こちらも残念ながら試合は負けが続いた。
日曜はMisao先生と白馬乗鞍で山スキーを楽しんだが、目論んでいた小蓮華岳周辺スキーは悪天とコンディション不良であきらめる。
どれもこれも今ひとつの結果だったが、贅沢は言ってられない。何から何まで上手く行く訳は無い。
結果はともかく一生懸命に行動さえすればどんな事にも無駄は無いだろう。
その他にもいろいろとついでの業務も出来たし、やはり楽しい充実した週末で、僕には何も後悔は無い。
恥ずかしすぎる忘年会写真(じきに消しますが、すぐ削除希望の方はご連絡を)

体調不良でも全力で走るのは、僕に似たかと思ったり

昨日の山スキーは、白馬乗鞍岳で引き返した
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目が良くなりたい
とにかく毎日が嵐の様に過ぎ去るイメージだ。これは通常業務に更に加えて来春からの海外登山準備業務がたくさん入ってきているからに他ならない。英語での問い合わせや連絡もひっきりなしだ。
来春の登山ではニューギニアとコーカサス地方の山で多国籍登山に参加する予定だ。共通言語はもちろん英語になるだろう。長く錆付いていた自分の語学力が復活するか、今から楽しみでもあり不安でもある。
さて昨夜は通常の外来、病棟業務が終了後、眼鏡屋と電気屋とカラオケボックスに行く用事があった。その合間に深夜分娩も一件ある。24時間働けますか状態は続く。
眼鏡屋と電気屋は春の山行準備、カラオケボックスは今夜の病院忘年会の演芸の一夜漬け特訓?を受けるためである。
年が増すに連れて記憶力の衰えに愕然とするが、それでも何とか一夜漬けで、世間では有名らしい台詞と踊りを覚えた(多分)。
さてさて話は変わり、僕はこの数日間何時もの眼鏡男を辞め、コンタクトレンズで日々を過ごした。
理由は来春の高所登山の為に、今からコンタクトレンズ生活に慣らしておく必要があるからだ。何でも通常の眼鏡で酸素器具付け登山すると、途端にレンズが曇り視界が殆どなくなってしまうと言う。それでは危険で登山にならない。
しかしコンタクトではどうしても目がしょぼつくので、目を引っ掻く事が増える。目からウィルスや細菌が入る事もあるのだから、それは嬉しくない事だった。この数日間何となく身体がだるいのもコンタクトが関係している気はする。
しかも時々レンズがズレて視界が一気に悪くなる事もあった。
これはコンタクトの乱視矯正が強いので、レンズが角膜上で回転すると視力がいきなり落ちるかららしい。
総じて普段の生活にはやはり眼鏡の方が、僕には合うようだ。
僕は確か中学2年生から眼鏡男で、眼鏡無しの暮らしは30年以上ぶりだ。僕にとって眼鏡は既に身体の一部となってるのだろう。
眼鏡無しの暮らしは、家族や職場の看護師さんらにそれなりの反響を呼んだ。優しい看護師さんはコンタクトの方が若く見えると嬉しいプラス評価してくれた。その一方家族の評判は悪く、目が窪んで気持ち悪いというマイナス評価だ。
最初から一流運動選手の様に抜群の視力を持って生まれてくれば、こんな苦労はしなかったのだろうが、そんな贅沢は今や言ってられない。僕には見た目など気にして入る余裕は無い。この年になって僕はそれなりに必死でマジなのだ。 |
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ロシアがなかなか手強い
来春2月中旬からの海外登山準備が、大波の様に押し寄せている。
海外遠征というのは昔から段取り8分で、日本を無事発つ事が出来たら既にその大部分が終了していると言われているが、要するにそれだけ海外登山には準備が大事なのだ。
特に僕はこの機会にと、究極?の贅を尽くした時間を来春に過ごすつもりなので、その分準備も大変という事になる。
具体的に僕は今同時にロシア、インドネシア、ネパール、及び日本の各所轄エージェントと様々な話を進めている。使用言語も様々だ。
もちろんそれと併行して来春の代務医師との連絡や、勤め先病院とのすり合わせもある。更に普段からの通常業務がそれに加わる。それぞれ独特の事情と思惑があり、その内容は複雑怪奇とすら言える。
それはもう大変なのだが、これだけ頑張れるにも、それが自分の遊びの為だからに他ならないだろう。僕のマネジメント能力が試されているのだと思い、日々あちこちにメールを送りまくっている。
さて概ね多方面との交渉はスムーズに進んでいるのだが、中に特別苦労している箇所がある。
それはロシアサイドとの交渉事だ。まずは現地コーカサスへのメールが時々ロストするので、現地エージェントとの連絡が難しい。登山のための予約金を送金するのも大変だ。
ロシアの銀行は世界的金融不況の波をまともに受けているらしく、1万円程の金額を送金するのにもえらく手間とコストとリスクがかかる。これはあまりに堪らないので支払いは全て現地で、キャッシュ払いとしてもらった。
続いてロシアビザの取得も楽でない。ロシアの旅行はバウチャー旅行と言って、全ての旅先予約が済んでないと入国すら出来ないらしい。
僕がしたいのはただのモスクワ観光ではないから、なおさらこの旅先予約が面倒なのだ。しかも送られてくるバウチャーは完全ロシア語で何書いてあるのかさっぱり分からない。
これらも僕の時間的都合に合わせるために、生じた様々な手間だと言える。しかもこれらの交渉連絡は基本的にビジネス上の金銭ネゴシエーションとは異なる。
考え方に寄れば僕はただの登山好きな顧客な訳だから、その道の交渉のプロから言えば、まだまだこんな連絡事はお遊びみたいなものではあろう。
僕もいろいろと時間の工面が大変なのだが、それはともかくこれも勉強の一つだと思って頑張るしかない。それはもう良く分かっているので、とにかく何とか全てが上手く進んでいってもらいたいと心底思う。 |
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自己管理は大事です
昨日から体調が今ひとつ優れない。いちおうワクチンは打ってあるからインフルエンザでは無いと思うが、咳が続いて微熱があるようだ。
僕はどんな高熱が出ていようとも、どんなに徹夜が続いていようとも、この十数年間一度たりとも仕事を休んだ事が無い人間だ。もちろん有給休暇も全て残してある。
これは誉められる事ではないし、休みたくても休めれないというのが現実があるのだが、それはともかく学生だったら皆勤賞間違いなしだろう。金曜の忘年会では10年表彰というのを受ける事になっているが、ついでに皆勤賞も頂きたいと思ったりする。
いずれにせよ僕の辞書には「仕事を休む」という言葉は無いわけで、今日もきちんと朝から検診やドックや書類等々で忙しく働いていた。
さて三男がマイコプラズマだという事なので、これは僕もインフルエンザよりマイコプラズマに罹ったと考えるのが自然かもしれない。そこは病院勤めの有難い所でさくっとジスロマックと言う抗生剤を処方してもらい、先ほどから飲みだした。何とか週末までには体調を戻したい。こういうのも大事な自己管理だ。何といっても僕が倒れたら多くの人が困る。
さて話は変わり、昨日僕はたくさんの膣脱の患者さんを診察した。
その患者さんの中には、僕のところに来れば、イザとなれば何時でも?手術で膣脱を直してもらえると思っている方がみえるようだ。
おそらく飛騨地域で膣脱の根治修復手術を行うのは僕だけだから、それを伝え聞いて僕のところに多くのお年寄り患者さんが集まるのだろう。
しかし膣脱は基本的に高齢者の病気だ。殆どの方が糖尿病や心臓等の合併症を持っている。
手術はともかく合併症の管理が大変な方が多い。膣脱で死ぬ人は基本的にいない訳で、あえて危険な合併症有り手術は出来ない場合も多い。
その上僕はいつも忙しくて肩こり腰痛持ちだ。目にもちと不安が無い訳ではない。つまり僕の方にもそろそろ膣脱手術は勘弁してもらいたいという思いがだんだん出てきた。
今まで僕はおそらく100人くらいは手術で膣脱を直してきたが、多分これから先がんばってももうこの手の手術を100人にはできないと思う。膣式手術と言うのは、手術を受ける方には比較的優しいが、手術をする方には腰や目に負担があるのだ。
これから先僕がどれだけの仕事が出来るかは、きっと僕の今の自己管理が関係している。
そこまで頑張って仕事を続ける必要はないのかもしれないが、そこには圧倒的な需要があるのも確かだ。
多くのお年寄りの診察をしながら、自分の老化も気になる。
自己管理で永遠の若さを手に入れれば良いのになんて思ったりもするが、世の中そんな甘くは無いだろう。風邪で咳しながらそんな弱気になる自分にも気づいたりする。 |
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メダリストプレミアとかマイコプラズマとか
昨夜は分娩経過中の方が一人残ったが通常業務は比較的早く終わった。すぐには分娩にならないことを確認して、急いで眼鏡屋さん併設の閉店前眼科医院を受診する。
これは来春の特別な高所登山に備え、連続装用可能なコンタクトレンズを処方してもらうためだ。
僕は若いうちからやや重度の近視と乱視を持っていて、コンタクトレンズもややこしいタイプのモノを必要とする。昨日はその辺の事情も考慮し、新製品の2週間連続装用可能乱視併用コンタクトを出してもらった。メダリストプレミアというなかなかカッコ良い名前のコンタクトレンズだ。
まずは試供品を無料で提供してもらうが、特別なレンズらしく僕にぴったりの製品がお店に無い。そこでたまたま店にあった更に度の強いタイプをお試しで使わせてもらうが、何だかすこし平衡感覚はおかしい感じだ。
とはいえ夕食後にはクアアルプに行きトレーニングで汗を流し、身体の方をレンズに慣らすよう心がけた。
しばらく付けっぱなしでも大丈夫との事で、夜もコンタクトを付けて寝たが、今の所軽い違和感ぐらいで問題は無い。
さて今朝もまた分娩室からの呼び出し電話で起こされた。昨日より勝負誘発をかけていた方がやっと拝臨状態になったと言う。
胎児心拍正常で拝臨まで至れば、どんな要注意分娩でも、もうこっちのものだ。
いざとなれば吸引をかける事で素早く娩出させる事も出来る。というわけで寒い中氷点下の出動は要したが、できれば避けたい緊急帝王切開にはならずにホッとする。
次いでそのまま何時もの秒単位外来に突入した。夕方遅くまでひたすらの外来が続く。やはり度のずれたコンタクトレンズがいけないのだろうか、午後からやや頭痛がして身体がだるくなってきた。
別の分娩もまだ残っているが、手術は無いから大丈夫だろう。咳をしながら外来を続ける。微熱もありそうだがたとえあったとしても休める訳ではないので、体温を測る気もしない。
夕方となり、先ほどほぼ同時刻に、分娩室からと会議室からと家から電話がかかってきた。
分娩室からは分娩呼び出し、会議室からは会議呼び出し、家からは三男がマイコプラズマにかかったという連絡だった。どれもこれも同時にそれなりに対応する。
今日も一日なんだかんだと大忙しで、それは今でも続いている。
僕が今ふらふらする理由は、コンタクトだろうかマイコプラズマだろうか、それとも単なる寝不足疲労だろうか。どれもこれも皆ミックスしていると思うのが、どうやら一番正しそうな気はする。 |
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45kgから90kgくらいにして・・
代務の先生が来てくれているお陰で、夜中に何件が分娩があっても、僕はきちんと眠って夜を過ごす事が出来た。
とはいえこの数日間家の中の住人が次々と風邪を引いていき、ついにその順番が僕にも回ってきたようだ。高熱が出る程ではないが、今日は朝から何となく身体はだるくて咳が出る。
これは昨日日曜日に珍しく何処にも出動しなかったのがいけなかったかもしれない。
僕の場合暖かい家の中にいるよりも、寒い外で身体を動かしていた方がずっと身体の健康に良い。ちょっとでも緊張感がほぐれる日が入るとかえって体調を崩す。年がら年中緊張しておいた方が風邪も引かず健康に良いのだ。こういう生活では長生きはできないだろうなあと思ったりもするが、そういう緊張感に中毒を起こしている人間は世の中に多いだろう。
さて今日は深夜未明からとある要注意分娩の勝負誘発が入っていた。勝負誘発と言うのはちょっと問題生ずればすぐに緊急帝王切開しか選択肢が無くなると言う、後戻りできない背水の陣の誘発分娩の事だ。
なんだかこう書くととても大げさな気もするが、こういう事は産科業界にはもうしょっちゅうある。
失敗したら死人が出るのではなくて、緊急帝王切開という最後の逃げ道が残っている分、戦国時代の戦よりはまだマシだと言えよう。
他にも別の誘発分娩もあり、そんなこんなで今日は陣痛室の状況を睨みながら、やや落ち着かない外来業務となった。結局分娩はとある理由で遷延気味となり、代務の先生は昼で名古屋に帰られた。そこから先は現在進行形である。
さてさて分娩というのには、生物学的許容年齢というのがあると、以前にこの日記に書いた事がある。
それと同様に分娩には生物学的許容体重と言うのもあると僕は思う。その範囲はたいたい45kgから90kg位だ。これはあくまで経験的だが、確かにそう思う。
成人で45kg以下の体重の方には、無月経もしくは希少月経で不妊症の方がてきめんに増える。また90kg以上の体重の方は軟産道が狭くなり、たいてい分娩の進行が遅れる。胎児仮死となる可能性も高いし中毒症や糖尿病等の合併症も一気に増える。
更に悪い事に体重の多い方の緊急手術は、術式や麻酔に大変な困難を伴う。
やはり何事も程度問題で標準に近いのが、一番子孫を残すのに適しているという事なのかもしれない。とはいえ皆標準に近い人間ばかりになれば、そんな世の中もまた面白くないだろう。そんな事を思いながら、今日もせっせと緊張感ある臨床業務に励んでいる。 |
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滅多に無い日曜日
昨日の船越ノ頭からの滑降は、寡雪のこの時期なかなか素敵なラインを当てる事が出来たと思う。
これは、ネットの力である程度ルートの情報を得ていたというのがかなり大きい。この時期単独で沢筋ルートに入り込むにはそれなりの情報収集が無いとやはり危険だ。
また昨日の場合、この数日間新たな降雪がほとんど無かったというのも幸運だった。お陰で雪崩の心配は少なくて済む。
しかしその一方、早くドカ雪が来て、近場でも山スキーが出来るようにならないかと願う気持ちもある。
何と言っても高山から白馬までは遠い。白馬まで日帰りでスキーをすると車を運転している時間が7時間で、山スキーをしている時間が6時間にも満たないとなる。滑降してる時間に至っては30分くらいじゃなかろうか。これは何だかやはり勿体無い気はする。
まあそれでも昨夜帰宅後は、能率よく動く事で家族サービスと急患診察等の仕事、及び山スキーのレポートも書けたから良かった。
さて天気予報では今日日曜日は雨だと言う。昨日の白馬乗鞍でそれなりに満足感も得ていた事だし、今日はお出かけ無しの大人しい日曜日を過ごすとした。
代務の先生が来ているのに出動しない休日は全く久しぶりだ。こんな事は滅多に無い。
もちろん大人しく寝て過ごすなんて事は決して無くて、掃除や山行準備、各種情報収集や買い物等で今日も忙しく過ごした。気づいたらもう夜で、一日が経つのは全く早いと思う。
来春僕が計画している継続長期?の海外遠征スタートまで、残す事あと2ヶ月となった。それまでどれだけ十分な準備が出来るか分からないが、とにかく一日一日を大事にして、少しでも有意義な毎日を過ごしたい。仕事しながらでも、僕の海外遠征は既に始まっているとしか思えないのだ。 |
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今日の山スキー行程地図です。船越ノ頭から栂池自然園へ滑降

凍った白馬大池を横断

快適滑降で栂池自然園へ

栂池自然園より滑降してきた山を振り返る
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35歳から45歳
昨日は久しぶりに何処からも呼ばれる事無く、晩から朝まで過ごす事が出来た。
年賀状の事を考えたり、山スキー道具の準備をしたり、それはそれでやる事は多いが、こういう平和な夜も久しぶりだと思う。
これはある意味僕以上に、手術患者さんにとって幸運な事だろう。術者が寝不足であるか無いかは、言うまでも無く手術のパフォーマンスに影響する。
手術の成否や危険度と大きく関係するとまでは、さすがにここに書かないが、出血量や手術時間と、術者の前夜の睡眠の質とは、相関性があるのは間違い無いだろう。
これはどうしようもない現実で、寝不足手術や寝不足外来をいかに克服するかが、この10年間の僕の仕事上の最大のテーマだったと言っても過言では無い。
なにはともあれその点昨夜は、ぐっすり眠れていたので、手術時出血はほとんど無く手術時間も比較的短く済んだ。
さて今日は午後から手術が2件組まれていた。これは手術助手の先生が名古屋から来てくれている金曜午後としては少ない方だ。
代務の先生は大学院1年目の方で、僕がてきぱき?と麻酔、手術を続けてこなすのに、やや驚かれている様子であった。
「ここには麻酔科医はいないのですか?」と聞かれたが、「飛騨地区には麻酔科医はひとりもいません」と答える。地方の医療の現実は、大きな病院でしか働いた事の無い大学院1年生の方には、分かっていてもやや衝撃的?だったかもしれない。
続いて「こんな状態でもう何年も働いているのですか?」と聞かれて、「もう10年以上ですねえ」と答える。
10年前といえば僕は35歳である。35歳と言えば平均的にはだいたい大学院を卒業する位の年齢と一緒だ。「そんな若い頃からこんなにたくさんいろいろな事をしていたなんてそれは大変だ」という有難い感想を頂いたりする。
この機会にと、手術中に手をせっせと動かしながら、僕の苦労話のほんの1部分を聞いていただいたりした。
普段僕は、寝不足日記を読んでいただいている不特定多数?の皆様方に自分の苦労話を聞いていただいている訳だが、やはり直接目の前で愚痴を聞いていただくと、すこし癒された感じがしたりする。
さてさて僕も高山に来てかれこれ10年以上が経った。来年の2月で11年間になる。
これを僕は「空白の10年」とは決して思わない。むしろ大きな成果を上げた10年だと思っている。その間に僕のところで産まれた新生児の数は3000人を越えるし、治療したガン患者さんの人数も100人は軽く越える。売り上げに至っては○十億円だろう(あくまでも売り上げ、収入ではありませんから念のため)。
これだけ10年間で働いた産科医はそうは世の中にいないはずだ。そんな僕に僕は特別なご褒美をあげる事に決めた。それが来春に予定している海外登山であり、その最大の目標がエベレスト登頂だ。
これが実際どうなるかは未だにはっきりしないのだが、何時まで黙っていても仕方が無いので、もうここに書いてしまおうと思う。恥ずかしい結果に終わったら、それが自分の持つ人間力の限界なのだろう。
一般的に35歳から45歳と言うのは、ある意味もっとも身体と精神が一致して働ける時代と言える。
その10年間の集大成を世界最高峰に置ける自分はやはり幸せだとしか思えない。どんなに眠たくて身を削った10年だったとしても、また来春の登山がどんな結果に終わろうとも、それは公私共に決して無駄ではなかったと、既にそう僕は思っている。 |
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美食に食べられたりして
昨夜は仕事が終わってから、友人等と食事を共にする機会があった。高山で一番の和食料理店で豪華フルコースディナーをご馳走になる。
珍味、美食のオンパレードで、普段粗食の僕としては、豪華ご馳走に目がくらみ、最高級ひだ牛を食べるのではなくて最後は食べられている様な気持ちになったりする。
一方、健啖グルメの友人はフルコースをたえらげた後も、寿司を注文し、更には場所を変えてラーメンを食べたりしていた。僕なんてもうお腹一杯でラーメンの汁をすするだけで精一杯となる。
友人からは「そんな小食で良く山登りができるものだ」とあきれられ、更には来春の海外登山に向けてのトレーニング不足をしっかり指摘されたりする。全くもってごもっともで、面目ないという感じだ。
食べると言う事は、別の生き物を消化し自分の身体やエネルギーに変えてしまう行為だと、テレビか何かで聞いた事がある。
逆に弱いものは食べられて、自分が無くなり別の生き物の身体に変わってしまう。それが悪いという訳では無い。世の中の生命系というのがそういう風に出来ているのだ。
そう考えると食べる能力の強い人間と言うのは、それだけパワフルで強いという事なのだろう。運動選手でもいわゆる一流と言われている様な人はたいてい大食いだ。沢山食べる事で沢山運動して、更に強くなる。
当たり前だが食べると言う事は、元気の源なのだと、あらためてやけに元気な友人を見て思ったりする。
一方、僕は昔は世界中あちこちで色々なモノを食べてきたが、もともと大食いでもないし、美食家でもない。量は食べれないが、何でも好き嫌い無く何でも食べる事により、生き延びてきた類の雑食性人間だと思う。だから今ひとつ元気にムラがあり、寝不足の朝方なんてフラフラ?してるのかもしれない。
さてさて、そんなこんなで昨日は例によって食べすぎ飲みすぎてしまった。飲む方もちゃんぽんであまり良い飲み方でなかったが、それでも深夜業務は無しで済んだので、しっかり眠る事は出きた。肝臓に良いものを食べたお陰か二日酔いも無いし、寝不足感も無い。
今日もまた朝から外来、分娩等に追われて仕事を忙しく続けているが、昨日食べたフォアグラや鮟肝等が自分の血となり肉となり、無事に元気の源になっていてくれれば言う事は無い。
贅沢とかどうのとかそういう事を言う前に、食べた分自分が活力ある行動できれば、それはそれで生き物として正しい事なのだろうと思う。
鮟肝、白子、絶品でした

良いものを食べて、やっぱり強くなりたいものだ
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肩こり、腰痛、不眠もあればイライラもします
今朝もまた僕の目覚まし時計は、分娩室からの呼び出し電話だった。ともかくは朝食抜きで早めに出動して、朝一番の分娩業務はきちんとこなす。深夜に起こされない方に賭け、昨夜はデパスを飲んで早めに寝ていたから寝不足感は無い。
今日の外来業務は助産師さんに任せてある。その間僕は朝食代わりのお菓子をぼりぼり食べながら。黙々と数多くの書類を片付けた。中には看護学校40人分の進級試験の採点なども含まれていて、それなりに時間を食ったりする。
また長時間のデスクワークに加わり、集団検診業務も僕の仕事の中に入ってくる。ひたすら50人程の検診を続けるのだが、肩こりや腰痛がジワリと響きそれなりに辛い作業だ。
さてさて昨日テレビを見ていたら、たまたま肩こり、腰痛を特集したメディカルホラー?番組が流されていた。僕に当てはまる事ばかりで見ていて全く気持ちが暗くなる。
僕もきっと椎間板ヘルニアとか腰椎の骨棘形成とかあるのだろう。テレビによるとこれらの疾患を起こす最大の原因は姿勢にあるらしい。本を読んだりパソコンを打ったりしている時の姿勢が大事だと言う。
しかし僕の場合、肩こり、腰痛の原因は普段の仕事にあるのは間違いないと思う。
毎日100回の内診姿勢、毎日500回の椅子立ち座り、更に毎日1回はある手術もしくは会陰裂傷の縫合業務が、骨や筋肉に影響しているのだ。
特に内診は暗い穴の中を早く適切に覗き込む必要が必ずあるので、どう工夫してもなかなか骨に負担をかけない姿勢と言うのを取るのが難しい。夜間業務による不眠と共に、肩こり、腰痛は産婦人科の職業病だと言える
今日も急患さんの受診や往診依頼、各種お客さん?訪問などいろいろ追加?業務が多かった。そういうのが突然入ると計画通りに仕事が進まずついイライラしてしまう。
そのイライラの原因は元を正せば、慢性腰痛や肩こり、不眠が影響している。
僕の仕事量が異常に多いのがとにかくいかんのだろうが、身体や心を長持ちさせるために、こんな暮らしは何処かでリセットさせないといかん。MRさんから貰った湿布を張りながらそんな事を心底思っていたりする。
忘年会の演芸の特訓?もぎっくり腰に注意して・・・(削除ご希望の方はご連絡下さい)
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いろんな夜の過ごし方
昨夜は草木も眠る丑三つ時に何時もながらの突然電話で起こされた。
午前2時前と3時前に1件づつ分娩が入る。両方まとめて出動し対応したが、それでも睡眠時間は大いに削られた。しかもそのうち一件はできたら避けたい爆発型裂傷で縫合にもやや手間取る。夜中に半ば眠りながら行う作業としては、かなり面倒だ。
この仕事中に完全に眠気が覚めてしまったら、2度目の睡眠に失敗する事に繋がり、そうなると今度は今朝からの通常業務に大いに響くという事となる。適度な眠気を維持しつつ的確に縫合するのはそれなりの熟練が要する技だ。
2度目の睡眠には成功したが、それでも今日は一日中続く長くて辛い寝不足外来となった。途中で何回かプッツンしたくなるが、来春に予定している海外遠征の事を思い出して耐える。
さて話は変わり、この秋から冬にかけて、僕は登山を兼ねての職員旅行や学会参加、山道具調達目的で泊りがけで高山を離れる事が何回かあった。普段遠出出来ない僕としてはかなり珍しい事だ。
寒空に一人山でテント泊する根性は出ないので、泊まり場所は旅館だったり、ビジネスホテルだったりを探した。前回の山道具店巡りでは新宿のカプセルホテルに泊まったし、この土日には生まれて始めて?ネットカフェという所に泊まってみた。
普段ネットカフェ難民という言葉をテレビで聞いて、何となくどんなものかと興味を持っていたが、こういう時は自分で試してみるのが一番手っ取り早い。
浅間山と富士山の中間地点?である八王子のネットカフェに泊まったが、これもまた中々の面白い体験だった。印象としてはカプセルホテルやテント泊よりマシだ。値段も安いし短い時間にちょっと寝るためだけに使うのならかなり便利だろう。
独特の閉塞感と何とも淫靡?な感じがエキゾチックだったりする。
ただ最大の問題はやはり防災だろう。火事でもあったら逃げ道が無い。その点はともかくこの、僕は昔から列車の中やバスの中でも良く寝れる人間で、土曜の夜のネットカフェの中でもぐっすり眠れた。朝の時間が来たら店員さんが起こしてくれるというのも有難かったりする。
さてさて今日の仕事もまた忙しかったが、午後の外来終了間際に今日もまた陣痛発来の方が入院してきた。タイミング的に今夜もまた深夜に呼ばれて起こされる可能性が高い。
夜中に突然起こされるて仕事しないといけない寝不足産婦人科医の生活より、狭い部屋の中でも朝まできちんと眠れるネットカフェ難民の暮らしの方が、よほど人間的だなんて感想をここで書いたら、それはちと言い過ぎだろうか。
これはカプセルホテル。都会のテントと言ったところか

サウナで泊まる方々も・・・

いずれにせよ、きちんと朝まで眠れる事が幸せだと思う |
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浅間山と富士山での思惑外れ
この土日は遠く?高山を離れ、日本を代表する2つの火山で登山を楽しんできた。共に真の頂上には立つ事が出来なかったが、それでも短い時間で、僕の好みの旅心を満たしてくれる素敵な週末となった。
浅間山ではその登山口が浅間山荘という温泉旅館になっていた。
浅間山荘と言えばどうしても僕は、連合赤軍のあさま山荘事件を思い出す。僕くらいの年齢より上の人間なら誰しもかなりのインパクトある事件なんじゃ無かろうか。
当時はどのテレビ局でもあさま山荘立て篭もりと、それに伴う鉄球クレーン投入や警察部隊突入を延々と報道していたものだ。
当時8歳だった僕は、子供に人気のテレビ漫画(多分エイトマンとかウルトラQあたりじゃなかろうか)が全て報道番組に変わってしまったという理由で、この事件を良く覚えている。
子供心になぜ自衛隊じゃなくて警察機動隊が突入するのかも随分と不思議に思っていものだ。何だか玩具のような鉄球クレーンを投入する位なら、戦車を出して2〜3発砲撃したほうがよっぽど早い。
その後の日本赤軍の活動や、その他諸々の事への感想はおいといて、今回の浅間山登山で、僕はあの時の山荘の名残でも見れるんじゃないかと少し期待していた。
ところが実際は登山口の浅間山荘は普通の温泉旅館だった。なんでも本物?のあさま山荘とは別物で、本物は軽井沢近くの別荘地にあるらしい。
どうやら浅間とあさま違いであったのかと、ちょっとがっかりする。
さてさて浅間山登山後、僕は関央道をさくっと移動、翌日曜日には須走から富士登山をしていた。
こちらも予想外の雪の少なさと堅い雪面コンディション、更には長い山麓歩きに足を痛めての、これまた思惑はずれ登山となった。
とはいえ山麓馬返し(現代では車止めとも言う)から5合目までの富士山麓登山道歩きは、独特の雰囲気でそれまた楽しかった。
背中に背負ったスキーがはっきり言って余計だったが、それなりに彷徨感も楽しむ事が出来る。山スキーにはならなかったが、富士山の裾野の雰囲気を味わえたのは良かったと思う。
どちらも結果的には、自分のとんだ思い込み間違い登山だった。しかしその一方で予想外の発見もあった。
思い通りに行かなかったのは残念だが、それもまた旅の一つだと思えば、やはり楽しい土日の過ごし方になったのは間違いない。
あさま違いの浅間山荘。登山道も温泉も素敵でした

浅間山は火山ガスにより、最も登頂が危険な日本100名山になっていた

富士の裾野をスキー持って歩く。この努力は無駄になりましたが・・・
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浅間山と富士山オデッセイ
冬型が強まる気配のする週末になった。代務の先生は日曜の昼まで高山に残ってくれる。こういう時、どのように週末を過ごすか寸前まで迷っていた。
とはいえこういう時は「迷わず行けよ、行けば分かるさ」の精神が大事だ。
少しでも天気の良さそうな太平洋側の山に、途中何処かで一泊予定で出かけてみる。どの程度滑れるかは分からないがもちろんスキーは持って行った。色々不甲斐無い事、不手際な事もありスキーは全然できなかった。しかしそれでも予想外の発見が多く充実した楽しい週末となった。
土曜の朝早くに家を出て、凍った平湯トンネルを越え、まずは連合赤軍事件で有名な浅間山荘に向かう。
山荘からは浅間山に向かい夏山登山道がある。冬型の西風強風下なら、噴火口西側にある登山道から頂上まで安全に近づけるはずと踏んだ(ただし当たり前だけど自己責任で、何かあったら非難轟々)。
この予想は当たったけど、頂上自体は登山禁止で冗談抜きの火山ガス危険状態だった。頂上より標高が40m低い前掛山で引き返す。それでも豪快で変化に富んだ冬山登山を存分に楽しむ事ができた。
続いて翌日曜の早朝に富士山須走口に移動する。日曜の午前中にさくっと富士山スキーを楽しむ目論見だ。ところがこの日は快晴で放射冷却が入ったようだ。富士山は一面クラスト雪面と氷の山になっていた。しかも5合目以下にはほとんど雪が無い。スキーは持って言っただけで全く滑れなかった。
頂上に至るには僕のなまくらアルミアイゼンでも危険かもしれない。時間切れもあり、あっさり標高2200m地点で引き返す事を決める。
帰路は病院が落ち着いている事を良い事に、松本で山用品店巡りをしてから帰った。
結果的には全くスキーが出来ない不甲斐無い週末だったが、それでも僕は、短い時間に充実したプチ冒険の旅を楽しめ大満足の気分だ。
浅間山外輪、前掛山への斜面。スキーできない事も無い(僕はこの時スキーを置いて来ちゃいました)

前掛山より噴火する浅間山。スペクタクルな景色でした

富士山は凍ってました
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朝の優先順序
もう毎日の事だが、今朝も分娩室からの電話で一日が始まった。
これで今週は毎朝分娩室からの連絡電話で起こされた事になる。これは毎日確実に夜中から明け方にかけて、一人ずつ安産?で産まれてくれたという事だ。これも能率良く業務が進んでくれているという訳で言う事は無い。深夜に突然起こされるのとは異なるので、寝不足感も無くて済む。
さて今日の場合はいつもより少し電話連絡が遅めで、ちょうど歯を磨き朝食を食べ髭を剃るという朝の一番忙しい時刻に、分娩室からの電話が重なった。電話の向こうは分娩室であるから意味修羅場?みたいな場所だ。
電話連絡では助産師さんがやや落ち着き無い雰囲気で「先生何処にも寄らずとっとこ分娩室まで来てね」とおっしゃっている。気持ちは良く分かるが、朝は誰でも忙しい。
本当に緊急ならば朝食も食べず、髭も剃らず、歯も磨かず、トイレにも寄らず、車でスクランブル出動する訳だが、今朝の場合そこまでは緊急では無いと見て(聞いて)取った。
どういう優先順序で分娩室に向かうかは、毎朝の状況で異なるのは当然だ。
今日の場合は車で出動するほどでも無さそうだ。結構な雨が降っていたので傘をさして歩いて病院に向かう。僕の場合歩いても車でも、病院までかかる時間は5分と変わらない。
そんなこんなでおっとり刀で分娩室に向い、仕事はきちんとこなした。縫合に時間がかかったので大分外来患者さんは待たせてしまったが、それは仕方が無いだろう。
さてさて僕の様に毎月一人で30件以上の分娩を扱っている人間には、通勤時間が短いというのはその必須条件だと思う。都会に住んでいる多くの勤務産科医の中には病院まで通勤時間が一時間以上という方も少なく無い。
そうなるとその分家でくつろげる時間が減るし、病院内で泊まらなければならなくなる日も増える。当然毎月にこなせる分娩数も減る。僕はその点職住隣接だから随分と恵まれている。
僕の父親は、今は引退したが、現役時代は毎朝、茨城県牛久市から明け方の常磐線電車に乗り、都会の工場まで通勤していた。僕はそれを見て育った訳だが、それを思い出すと毎朝分娩室からの電話で起こされる事くらい、どおって事は無いと心底思えてくるのだ。 |
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お歳暮の季節ですが・・・
今更日記に書くのもどうかと思うが、今朝もまた分娩室からの呼び出し電話で朝が始まった。
これでは定時連絡の如しで、こんなに毎日仕事の電話で起こされるなら、もう目覚まし時計なんていらないよと思う。
ただ今日は何時もより30分ほど早く電話連絡が来て、何かの夢を見ている最中に起こされてしまった。
夢を見ている最中に突然起こされる日々が続くと、イライラ感がその後募ってくるから気をつけなければならない。この辺は10年以上夜中に起こされ続けてきた僕だから言える明らかな事実だ。
さてさてそんなこんなで今日は何時もより30分ほど早く出勤して、分娩室に向かった。
すると、寒い朝だと言うのに産婦人科外来の扉の前では、一人の患者さんが暖かい待合室の中にも入らず、じっと僕のことを待っていた。
どうもお歳暮を兼ねた贈り物を、直接僕に手渡したいらしい。ここは立ち話の一つでもするのが礼儀と言うものだろうが、分娩室には仕事が待っているし、軽く挨拶だけしてさっと通り過ぎてしまう。
ただ贈り物を僕に渡したいと言う、悪気の無い気持ちは良く分かるが、原則患者さんからの付け届けは何処の病院でも禁止されている。その点は分かって欲しいと思う。
さてさてその贈り物の内容は、お酒と山の本だった。
実はこの時期何時も、僕の机の上はお酒で一杯になる。それはお歳暮が各方面各位から届くからだ。
僕自信は今まで一度もお歳暮を送った事は無いのだが、それでも毎年この時期にお酒のお歳暮がたくさん届くのは、もちろん僕の立場の故だろう。
ただ僕は皆が思うほど呑んべえじゃゃない。こんなに自分ひとりで飲んでいたら、いずれ必ずアル中となりそうな程の量で、実はお酒の贈り物も、痛し痒しで有難○○・・なのだ。
贈り物を貰っておいて、こんな事を書くなんてとんでもなく失礼な人間だと思えなくも無いが、この10年で僕が貰ったお酒の量は、それで酒屋さんが開ける程の量になる。それはいくらなんでもあんまりなのでやはりここに書いちゃおうと思う。こんなに僕一人で飲める訳はありません。
また今朝頂いた山の本は残念ながら、既に僕の手元にあるものだった。これもちと残念な事だ。
さてさて以前僕は海外旅行を長い事していた時に、中国人の買うお土産の量に随分と驚いた事がある。国内旅行でも大風呂敷に幾つモノお土産の量で、それは自分自身の身体よりも大きい程だった。
一方多くの欧米人はお土産をほとんど買わない。1年以上旅行して持って帰ったのは、何処かの海岸で拾ったきれいな石だけという人もいた。どちらも極端だと思うが、贈り物と言うのは、気持ちはともかく経済効率的には今一つのものだろう。
日本の古くからの習慣を悪く言うつもりは無いのだけど、そんな感想を今日はやっぱり書いてみちゃいました。
お歳暮は有難いですが・・・僕一人ではちょっと・・・(これでもその一部です)

僕が貰って一番嬉しいものは図書券です。なんてここに書いちゃったり・・・。 |
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いよいよ大金が動き出しました
此処のところ毎日の事だが、今朝も分娩室からの呼び出し電話で朝が始まった。今日のケースは早朝未明よりの誘発が予想外に早く進んだと言うものだった。分娩経過というのは想定外の事が良くあることだから、どうと言う事は無い。
何時もの様に朝の仕事からさくさくとこなした。
今日はペーパーワークと検診業務で固めた水曜日だ。外来は助産師さんに任せてあるので僕はどちらかと言うと、比較的楽できる可能性がある。
そこで午前中のドック検診と集団検診の合間に作った僅かな時間に、市内の某銀行まで行き、インドネシアに2900ドルと言うお金を送金してきた。これは来年2月に予定しているカルステンピラミッド登山の為の費用の一部頭金だ。
来春僕は登山としてはそれはもう破格の大金を使って、世界各地で超豪快な登山を楽しもうと計画している。人生最大の贅沢であり、普通はできないとんでもない計画だ。
その第一弾がカルステンピラミッドというオセアニア地域最高峰での登山である。
ニューギニアのジャングルの真ん中に忽然と聳えているらしい。岩山なのでスキーは出来ないが、世界で最も文明から隔絶された地域での登山になるだろう。しかもその岩山の向こうには、謎の鉱山が隠されているというから興味も湧く。
許可関係の問題で入山するにはべらぼうな大金が必要なのだが、それを補って余りある強烈な旅が出来る事を期待している。
さてさてニューギニアイリアンジャヤ地区での登山許可にはお金もかかるし、特別な準備も要るらしい。
赤い壁の前で撮った顔写真とか、年度が指定された新品ドル札などが必要だと言う。ニューギニアのジャングルならではの特別な事情が垣間見えるが、ちと不思議に思う事もある。まあ騙されている訳ではないだろうから良いのだろう。
そんなこんなでいよいよ来春の計画に向けて、準備が新たなステップに入ってきた。いよいよ大金が動き出したのがその始まりだ。もう後戻り出来はしない。サイの角の様に一人前に向かって突き進むしか僕にはもうないのだ。
赤い壁の前で写真を撮りました

赤い壁の場所はとあるガソリンスタンドだったり
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飛び込み分娩と飛び込みテレビ会議
今朝も分娩室からの呼び出し電話で始まった。
今朝の分娩は正確な予定日も分からない、いわゆる若い女性の飛込み系分娩だったが、こういうパターンは大抵安産で、僕にはとやかく言う事は無い。経営者と異なり分娩費用支払い能力についても気にはしない。
何時もの様に出動して、何時もの様にやるべき処置をこなすだけだ。
さて今日は朝から晩までひたすら外来の火曜日である。それだけでもかなり大変なのに今日は昼過ぎに高山市医師会で母体保護法指定医師の再研修会に出席せよと言う通達も受けていた。
僕の手元には毎日各方面から山ほどのメールや手紙が届く。その7〜8割方は開封されないままゴミ箱に直行だ。勿体無いとも思うが僕にはいちいちそれらの手紙やメールを読むだけの時間や能力は無い。ほとんど無用の手紙や雑誌やパンフレットを読む時間があれば一人でも多くの方を診察してあげるのが筋だろう。
さて昨日はそういう山と詰まれた手紙の束に、一枚の岐阜県医師会からの速達が混ざっていた。速達という赤い文字に注意を引かれて開封してみる。そうしたらそれが今日の高山市医師会での母体保護法指定医再研修会開催の連絡手紙だった。
ご丁寧にもし欠席したら、母体保護法の指定更新ができなくなるかもという脅し文句?も入っている。
母体保護法というのは簡単に言えば中絶に関する法律である。僕はもう10年以上中絶を仕事にしていないので、母体保護法指定医の資格も要らないと言えば要らない。しかしこの資格は客観的に言えば、取得も難しく非常に価値ある資格とも言える。
そこで仕方なく?外来の合間に無理に僅かな時間を作り出し、高山市医師会に行き、岐阜で開かれている再研修会のテレビ研修を受けてきた。
岐阜県医師会の一室で流されているビデオを、高山市医師会の一室でライブテレビで見る。何だかバーチャルで変な感じだ。
相互通信なので僕の映像も向こうの会議室に流されているから眠る事も出来ない。一時間じっと我慢して映像を眺めた。
3時にやっと研修会が終わり、病院に戻る。案の定外来待合室は予約患者さんで一杯だった。中にはややイラ付いている雰囲気の方も見えたが僕はどうすれば良いのでしょうかねえ?
とにもかくにも、朝は飛び込み分娩、昼は飛び込み会議と、今日もゲリラ業務の追加があった。お陰?で下痢して血便出るほど疲れている様だが。果たしてこれで大丈夫なのかと自分でも思う。資格よりも自分の命や健康を大事にしないと本当はいかんのだろう。
テレビの中の会議室の中のプロジェクター画面の脇に写る、自分の姿をデジカメで撮る(何のこっちゃ)
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山スキーで眠れさえすれば、元気は戻ります
今日の昼まで代務の先生が来てくれている。お陰で昨日は夜中に呼ばれる心配はまず無くて、きちんと朝まで眠れた。日曜日の山行の程よい疲れで、早くから眠りに付く事も出来る。久しぶりにきちんと幾つもの夢も見れた(夢の内容は忘れましたが)。
山スキーの疲労による睡眠で、気持ちが上手くリセットされた様だ。
今日も外来、手術、急患診察、病棟回診等々と何かと忙しい一日であったが、何時もの事だし仕事はきちんとこなす。
さてこの月末から月明けにかけて、今さら自分で言うのもなんだが僕は猛烈に忙しかった。
理由はたまたま要注意分娩が重なったからだろう。逆子や双子、既往帝切後経膣分娩の緊急手術もあるし、3桁近い体重の方の手術もあった。その他に通常処置や通常手術も入る。息つく暇無い忙しさだったと言っても過言では無い。
その上年末に向けて各種学会や勉強会、医師会の集まり、問い合わせ連絡も多い。とはいえ僕の身体は一つしかない訳で、やれる事しかやれないのは当たり前だ。
これら集まりの担当者は僕を不義理な人間だと思ってはいけない。僕は本当に常軌を逸して忙しいのだ。
しかしこれら重なった要注意分娩も、今日の手術でやっと一段落してくれそうな雰囲気だ。一段落するとまた貯めてある次の仕事が必ず入ってくるわけだが、12月に入り僕はやりたい事がたくさんある。
師走は皆忙しいのは分かるが、僕に仕事や用事を頼む人は、それなりの覚悟を持って頼んで欲しい。つまらない問い合わせ等はしないようにと、とりあえずここに書いて釘を打って置くとしよう。
この数日間は、何故か逆子さんばかりでした
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