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The Operation Babylon
バビロン作戦

イスラエル空軍はイラクが建設している原子炉を完成直前に空爆で破壊しました。イスラエルは核を持っていますが、イラクまでも核を持ってしまうと中東のパワーバランスが崩れてしまいます。それを防ぐためイスラエルは国際法無視の行動に出ました。

 

■ F−15 イーグル アメリカ製
この戦闘機は空中戦で敵機を撃墜するための戦闘機です。航空自衛隊も使用しています。

世界でこの戦闘機と互角に戦える機は数えるくらいしかありません。

写真提供 イスラエル国防省

■ F−16 ファルコン アメリカ製
この戦闘機は地上に対する目標も攻撃できる戦闘機です。

爆弾投下後はそのまま敵の戦闘機と戦うことができます。航空自衛隊の三菱F−2はこれをもとに作られました。

写真提供 イスラエル国防省

 

■ バビロン作戦(オシラク原子炉爆撃) 1981年6月7日

■ プロローグ
イラン・イラク戦争真っ只中、イラクがフランスの技術援助によって原子炉を製作していました。イラクは元々原子力の研究を独自に行なっていましたが、原子炉を作るほどの工業力を持っていないため、購入する方が良いと判断したのです。

フランスはもちろんOKを出しました。これは何も不思議な事ではありません。悪の枢軸なんて言葉はこの時にはなかったのです。つまり、普通に外交して普通に取引が成立したのでした。

■イスラエルの不安
イスラエルは敵国イラクが原子力に興味を示した時点で危機感を募らせました。産油国が原子炉を平和利用するなんてのは、悪いジョークでしかありません。もし、イラクが核武装してしまうと中東における核パワーのバランスが崩れてしまいます。イスラエルは非常に危機感を持ちます。(注:イスラエルは核を持っています)。

すぐにイスラエル政府はフランスに技術供与をやめるよう頼むのですが、ジスカール・デスタン大統領は平和利用のためだから断る理由は無いと、イスラエルの懇願を一蹴しました。

イスラエルはモサドが得た情報を開示してIAEAに訴えるような愚かな事はしません。(イラクはIAEAに加盟しているが、イスラエルは加盟してない)フランスに話が通らないとなると、ユダヤ人のDNAに刻まれた自己保存本能は迷うことなく防御的先制攻撃を行うのです。

1979年4月5日、モサドはフランスに破壊工作班を送り込み、製作途中の原子炉にプラスチック爆弾をセットし爆破しました。この破壊工作は信じられないほど正確かつ簡単に行われました。これはモサドが優秀だった事に加え、フランスの警備がずさんだったからです。

このモサドによる爆破で原子炉は致命的なダメージを受けてしまいましたが、なんとフランスは強引にこの原子炉をイラクに売ってしまったのです。

こうしてフランスからイラクに到着した欠陥原子炉は、それでも稼動に向け急ピッチで製作されました。フランス人技術者もイラクに入り、指導を行なっていました。この原子炉はオリシスと名づけられました。

■ イラクの核武装を防ぐ
イラクの核武装。それだけは防がねばなりません。(再注:イスラエルは核を持っています)。防ぐ方法とは・・・原子炉の破壊です。

イスラエルはモサドの破壊工作が失敗に終ったため、原子炉を完全に使用不能にするには、戦闘機の爆撃で破壊するしかないと考えます。そして、空軍の戦闘機で攻撃する事が決定されました。

しかし、空爆するといってもイラクと国境を接していないイスラエルの戦闘機がイラクまで飛ぶには、どこかの国の領空を侵犯しなくてはなりません。

そんな事をすれば、もちろん国際世論に叩かれるでしょうが、イスラエルは背に腹は換えられない主義であり、さらには当時イラクと戦っていたイスラエル兵器の上得意先であるイランへのサービスでもありました。敵の敵は味方です。

イスラエルはモサドの情報員を総動員し、レーダーの死角、対空砲の配置状況を総合し、一番安全に飛行できるのはヨルダンおよびサウジアラビアしかないと判断します。

■ 領空侵犯で突入
1981年6月7日、イスラエルの基地を飛び立った戦闘機(F−16、F−15)はヨルダンの上空に超低空飛行で進入します。モサドの情報通り、攻撃はまったく受けませんでした。戦闘機は悠々とヨルダンを突破すると、イラク領内へ突撃します。無線は使わないで行動します。(傍受されたら攻撃前に発見される)

 指揮官機 『親鳥から小鳥たち、もうすぐ”ヴォルフシャンツェ”だぞ。』 とジェスチャーで送る
        (リーダーから各機。目標接近。合戦準備なせの意味)
 僚機    『了解!』 と合図を返す
 指揮官機 『
ネッツ隊、突撃隊形作れ!バズ隊、上空制圧!2分で戦闘空域離脱、了解か?』
 僚機    『了解!』
 指揮官機 『目標視認!全機攻撃開始!かかれ!』

午後6時25分、地上30mの超低空飛行でイラクに進撃したイスラエル空軍の攻撃隊は、オシラク原子炉の手前で急激にホップアップします。その瞬間イラクのレーダーがこれを捉えます。対空レーダー監視員は原子炉付近に突如現れたアンノン機(Unknown:敵味方不明機の意味)を呼び出しますが、当然反応はありません。

とっさに、空軍に対しスクランブルをかけますが、飛行場上空にはF−15が飛来し戦闘機はとても飛びたてませんでした。さらに、悪い事に現場周辺に配備されている対空砲チームは、兵隊がそろって食事に行っており沈黙したままです。

高度2000mから爆撃コースに入った8機のF−16は、完成間近のイラク原子炉に急降下爆撃を敢行しました。投下された爆弾16発は原子炉に吸い寄せられるように全弾命中します。(不発弾2)

もちろん、モサドによって爆弾を引き連ける強力な電磁波発生装置が仕掛けられていたからです。(モサドはフランス人技術者の1人を勧誘し、電磁波発生装置を原子炉に置かせていたのですが、セットしたフランス人エージェントはその場を去っていなかったため、爆撃で死亡してしまいました。)

 指揮官機 『目標は完全に破壊された。これより帰還する。』

攻撃隊は進入してきた空路とは別のサウジアラビア上空を飛行し、全機無事で基地に帰還しました。

ヨルダンとサウジアラビアはイスラエル機が領空を通過したのをレーダーで捕らえる事はできず、アラブ諸国から非難されまったく立つ瀬がなかったのでした。

どうにか空に向けて対空砲を撃つ事ができたイラク防空隊は(命中弾なし)、フセイン大統領によって厳しく罰せられたことでしょう。

建設中のオシラクでは当然ですが技術者達が働いていましたが、攻撃の時間は午後6時を過ぎていたため、ほとんどの技師が家路についていました。現場に残っていたのは夜勤シフトの技師数名で、彼らは爆撃で負傷しましたが、死者はモサドに雇われたフランス人1名のみでした。

この作戦の後、イスラエルは予想通り国際世論に非難されたが、イスラエルいわく『イラクとは長年敵国同士である、敵国に対する攻撃を非難されるいわれはない。』と言い放った。

 

■ イラク原子炉のその後

イスラエルによって破壊されたオシラク原子炉は、二度と復活する事はありませんでした。フランスのオシラク原子炉は最新型であり、よくもまあ、イラクに売却したものでした。

イラクは核爆弾に必要なプルトニウムを生産するための原子炉が破壊されたので、違う方法で核爆弾を製造しようと目論んだのです。

湾岸戦争のあと、それらの計画が判明してきました。しかし、その工程はもちろんイスラエルによって妨害され続けてきたのです。モサドによる物理学者や関係者の暗殺が続いたのでした。

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