信じ難い、あのニュースをテレビの速報で知り、すぐ殺到した報道陣からの多数の問い合わせに、
「何が起きてるのか、一番こっちが知りたいのに。」
と信じたくない、もどかしい思いを募らせた24日。
深夜になり、どうにも事実と認めざるをえない愛ちゃんの死を、じわじわ実感すると同時、悲しみとやる瀬なさが激しく押し寄せて来た。
子に先立たれる親の気持ちとはこういうものなのか。
生まれて始めてそう思った。
必死に止めて、止められなかった芸能界引退を昨日の事のように、マネージャーという役割の、自分の、無力さが腹立たしくてならない。
精一杯生きた上での失敗や負った傷がいくらあってもそれを恥じずに抱え、生き続ける事の尊さを、自らの生き方を通してメッセージして来たのが、飯島愛というタレントです。
愛ちゃんは音楽や演技といった表現、いわゆる歌舞音曲を表現形態とせずに、人の魂を癒す芸能の本質的な存在意義を実現出来た、唯一無比の存在でした。
「音楽を作ったり、お笑いの人とかスゴイと思う」
昔、話していた時彼女はこんな事を言いました。
私は、彼女の考えや会話と気遣いのセンス自体が本当に素晴らしく、それを世の中にもっと認めてもらえる形とは、物を書いて作品にする事だと思いました。
そうして愛ちゃんが、まず自分の事を一年以上かかって書いたのが「プラトニックセックス」でした。
死とは、生きる事の意味を一番深く濃く伝えます。
飯島愛は、最後まで、生きるとはどういう事なのか、人生を生きる意義を人に考えさせました。彼女の人生の意味とは、そういう事だったのかもしれません。
愛ちゃんがうちの会社に入るずっと前、私は「朝まで生テレビ」でギャルをテーマにした回をたまたま見ました。ギャル代表のタレントとして出演していた彼女は、有識者が語る観念的な発言ばかりの意見交換に対して一言、
「そんな事より、彼女達の話しを聞いてよ!」
後ろのギャル達を振り返り、そう言いました。
激論の中、絶妙のタイミングで一番の本質の的をつく発言でした。
現場を見よう!当事者達がいるのに、何故話しに耳を傾けようとしないのか?
スタジオには、社会が彼らに作ってしまっている溝の縮図があり、彼女が指摘したのはその溝がいかに出来てしまうのか、なのでした。
飯島愛の心の奥には、インディーズの立場であり続けたい思いが息づいていました。パワーやお金は無くても、すべてのカルチャーは最初はストリートから生まれるんだと、自らの出身であるストリートに誇りを持っていたのだと思います。だから、彼らには殊の外優しかった。
ある番組の打ち上げか何かで偶然初めて愛ちゃんに会った時、しばらく前に見たその「朝まで生テレビ」で感じた事、飯島さんしか出来ない発言でしたし、頭が良いですね、と伝えました。
その又数年後、突然渡辺プロの代表番号に電話があり、
「ミキ副社長、飯島愛です。覚えていらっしゃいますか?先週、お世話になった事務所をやめたのですが、今携帯電話で自分と付いてくれてる子と二人でお仕事やってて、とても大変で…。相談に乗って頂けませんでしょうか。…やっぱり私なんかじゃだめですか。」
そうして始まった愛ちゃんとの約10年は、楽しくてスリリングな日々でした。
思えば、愛ちゃんをタレントとしてより発展させようとしたから出会えたテーマも勉強した事柄も、沢山ありました。
引退後、「相談とご報告をさせていただきたいので、お時間頂けますか。」
一度訪ねて来てビジネスについての意欲を聞きました。今度は、社長としての妹分になってくれる日が来ればいいなと思い、アドバイスをしました。
その後数ヶ月前から、何度も連絡して来ては、予定を延ばしたり、連絡取れなくなったり、の繰り返しになりました。
‘うちのタレント’の時代に何度もマネージャーが家を訪ねたり、皆で電話に呼び続けたりしていた、それを繰り返せばよかったのか、何度も思いが巡ります。
自分の事となると不器用で、本当の想いは伝え下手な愛ちゃん。
愛情深く、自分も愛を求めていた人でした。
皆さん愛ちゃんを、飯島愛という人間を、どうか忘れないでいて下さい。
それが必死に生き抜いた彼女への、一番の御供養だと思います。
愛ちゃん、ありがとう。
さようなら、愛ちゃん。