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ホームレス越冬集会、寒空に「生き残って再び会おう」(1/2ページ)

2008年12月30日19時30分

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写真野宿生活者の越冬集会では元派遣労働者の姿も見られた。後方はミッドランドスクエア=29日夜、名古屋市中村区、川津陽一撮影

 真冬の寒空に、たき火の炎と炊き出しの湯気が立ち上る。28日夜、名古屋駅前の一角で始まったホームレスの年越しを支援する恒例の越冬活動。住宅確保や生活支援策が相次いで打ち出されながらも、なお路上生活を余儀なくされている元派遣労働者の姿が目立った。

 「生き残って再び会おう」「反貧困」。ビル風が吹き抜ける公園に、そんな文句の旗がはためく。200人を超える人たちが列を作り、炊き出しの牛丼をかき込む。たき火の向こうには、トヨタ自動車の営業拠点、ミッドランドスクエアがライトアップのまばゆい光を放っていた。

 公園には所狭しとテントが立ち並び、炊き出しや衣料品の配布、生活健康相談などを新年の4日朝まで行う。

 初めて参加した男性(36)。愛知県岡崎市の自動車部品製造工場で8月まで働いていたが、派遣会社の社長に「もう仕事はないし、次も紹介できない。やめてくれ」と突然言われた。寮も1日で追われた。「びっくりしたけど、周りも同じだった」

 仕事があると信じて名古屋へ。だが定職にはつけず、月4回ほどのコンサートスタッフなどの仕事で食いつなぐ。月収は約3万円。15万円ほどあった蓄えもなくなった。

 ビルのすき間で寒さをしのぎ、支援団体の炊き出しで命をつなぐ。そこで、越冬集会を知った。「仲間に教えてもらった。情報は大切だよね」。携帯電話は手放すことはできない。

 年末年始も路上生活を続けるつもりだ。「ここで協力しながらやっていきたい。悪い人はいないから」

 九州出身の男性(32)は11月中旬に栃木県から来た。栃木では日雇い派遣で土木作業をしていたが、月3、4万円の手取りでは食べていけず、名古屋を目指した。

 製造派遣の面接を受けたがうまくいかず、路上生活が続いている。この間、政府などの支援策を取り上げた報道に触れる機会は少なかった。「情報が行き渡っていない」

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