2008年12月
2008年12月26日
ありがとうございました
このブログでは、最後の投稿になります。
今期の竜王戦は永世称号絡みで、さらに羽生名人3連勝から渡辺竜王の4連勝と劇的でしたね。主人があるとき、「勝ち続けることは、棋士として一番辛い生き方だから、高い賞金を貰うことはそれに見合った対価だ。」と言っていましたが、今シリーズを見ているとその意味が分かる気がします。
さて、最後の更新では、私が女流棋士資格を諦めた日のお話を簡潔に書きます。
一山越えたと思った後しばらく経って、西村理事に話があるからと呼び出されました。内容を要約すると「連盟で普及の仕事をできるようにするので、対局権利をお金で清算して放棄してくれませんか?」ということでした。とても静かに言われました。私は少し考えて、「私は自分の対局権利を守るために、自分で弁護士を立てなければいけませんか?」とできるだけ冷静に尋ねました。本気ではなかったです。
「そんなことはありません。わかりました。どうなるかわかりませんが、連盟は対局権利を守るよう努力します。」という答えを聞いて、逆に『あきらめよう』という思いになりました。十分に誠意のある対応をしていただいた、これ以上ご迷惑は掛けられないと考えたのです。
その日のうちに、頻繁に情報交換をしていた独立に対して慎重に考えている親しい女流棋士仲間に連絡を取りました。「連盟に残り、対局権利をあきらめようと思う。」と…。私が諦めることは、連盟と残留交渉をしている人がいなくなることだったからです。悲しくて辛い気持ちでしたが、後悔はしないと決心しました。(エピソードはここで終わり)
分裂した女流棋士が、いつかまた一緒になってほしいという意見も多かったですね。もちろん分裂したのは、それなりの理由や状況や事情があったからです。でも、今後に状況が変わったりして、一緒になった方がいい局面が出るかもしれません。
そのときは、今回分裂した理由や状況をきちんと皆が把握して検証して、新しい要素と考え合わせて、『やっぱり一つになった方がいい!』という結論になったら一緒になる場合もあると思います。
私が2回に分けて書いた実話は、この機会にはじめて知る人ばかりですし、私が知らないことも沢山あるようです。よくないのは、深く考えたり検証せずにまた一緒になって、分裂した時の理由などを後から知って、「やっぱり二団体の方がよかった。」となってしまうことだと思います。
逆に、団体が二つになって活性化したと、二団体あることを評価して下さる意見もあります。周囲からの様々な意見を聞くと難しいと思うのですが、将来のことは、過去からきちんと学んで話し合って決めていけたらいいですね。
長い間、本当に有難うございました。
一ヶ月後か半年以上後になるか分かりませんが、ブログって、思い立ったら一日で立ち上げられるので、必要だと思ったらまたすぐに始めると思います。そのときに、見つけていただけましたら嬉しいです
。
今期の竜王戦は永世称号絡みで、さらに羽生名人3連勝から渡辺竜王の4連勝と劇的でしたね。主人があるとき、「勝ち続けることは、棋士として一番辛い生き方だから、高い賞金を貰うことはそれに見合った対価だ。」と言っていましたが、今シリーズを見ているとその意味が分かる気がします。
さて、最後の更新では、私が女流棋士資格を諦めた日のお話を簡潔に書きます。
一山越えたと思った後しばらく経って、西村理事に話があるからと呼び出されました。内容を要約すると「連盟で普及の仕事をできるようにするので、対局権利をお金で清算して放棄してくれませんか?」ということでした。とても静かに言われました。私は少し考えて、「私は自分の対局権利を守るために、自分で弁護士を立てなければいけませんか?」とできるだけ冷静に尋ねました。本気ではなかったです。
「そんなことはありません。わかりました。どうなるかわかりませんが、連盟は対局権利を守るよう努力します。」という答えを聞いて、逆に『あきらめよう』という思いになりました。十分に誠意のある対応をしていただいた、これ以上ご迷惑は掛けられないと考えたのです。
その日のうちに、頻繁に情報交換をしていた独立に対して慎重に考えている親しい女流棋士仲間に連絡を取りました。「連盟に残り、対局権利をあきらめようと思う。」と…。私が諦めることは、連盟と残留交渉をしている人がいなくなることだったからです。悲しくて辛い気持ちでしたが、後悔はしないと決心しました。(エピソードはここで終わり)
分裂した女流棋士が、いつかまた一緒になってほしいという意見も多かったですね。もちろん分裂したのは、それなりの理由や状況や事情があったからです。でも、今後に状況が変わったりして、一緒になった方がいい局面が出るかもしれません。
そのときは、今回分裂した理由や状況をきちんと皆が把握して検証して、新しい要素と考え合わせて、『やっぱり一つになった方がいい!』という結論になったら一緒になる場合もあると思います。
私が2回に分けて書いた実話は、この機会にはじめて知る人ばかりですし、私が知らないことも沢山あるようです。よくないのは、深く考えたり検証せずにまた一緒になって、分裂した時の理由などを後から知って、「やっぱり二団体の方がよかった。」となってしまうことだと思います。
逆に、団体が二つになって活性化したと、二団体あることを評価して下さる意見もあります。周囲からの様々な意見を聞くと難しいと思うのですが、将来のことは、過去からきちんと学んで話し合って決めていけたらいいですね。
長い間、本当に有難うございました。
一ヶ月後か半年以上後になるか分かりませんが、ブログって、思い立ったら一日で立ち上げられるので、必要だと思ったらまたすぐに始めると思います。そのときに、見つけていただけましたら嬉しいです
2008年12月15日
連盟に残る道
2006年11月25日スポーツ紙に「女流棋士が独立」という見出しで報道されたのを最初に、約2ヵ月後には騒動になり半年後には分裂しました。
ブログを閉鎖する前に、最後に書いておこうと思ったのは「連盟に残る道」を作ったときのことで、これは私しか書けないことで大切だと思いましたので、簡単にほんとうに軽くエピソードを2回に分けて書きます。
世間は独立支持の気配の中で、残る道を作るのは何回か山を越えなければならず厳しかったです。今思えば、よくあんなことを言ったものだと自分でも驚いています。
将棋連盟としては運営上の都合で独立でも見送りでも構わないので全員がどちらかにしてほしいという希望でしたが、私達は2人だけ連盟に残して対局権利を持たせてほしいという希望で、主張が真っ向から対立しました。
「私は将棋連盟の養成機関に入って、将棋連盟だから女流棋士になったんです。」と訴えて、個別対応を考えていただく方向にはなったのですが、理事から「殆んどの方が独立賛成のように聞いていますが、お二人が連盟に残って対局権利を持つと、そのほうがいいという方が増えて独立できなくなってしまうのではありませんか?」と不思議な(いえ、するどい)ことを言われました。「私達が今まで通りでそのほうがいいという人は、それは独立賛成ではないですよね。連盟のほうがいいと思っている人です。」と答えて、まずは一山越えました。
個別対応の話はあったものの、具体的に今までどおりの条件になるかどうかはまだまだ先でした。
ブログを閉鎖する前に、最後に書いておこうと思ったのは「連盟に残る道」を作ったときのことで、これは私しか書けないことで大切だと思いましたので、簡単にほんとうに軽くエピソードを2回に分けて書きます。
世間は独立支持の気配の中で、残る道を作るのは何回か山を越えなければならず厳しかったです。今思えば、よくあんなことを言ったものだと自分でも驚いています。
将棋連盟としては運営上の都合で独立でも見送りでも構わないので全員がどちらかにしてほしいという希望でしたが、私達は2人だけ連盟に残して対局権利を持たせてほしいという希望で、主張が真っ向から対立しました。
「私は将棋連盟の養成機関に入って、将棋連盟だから女流棋士になったんです。」と訴えて、個別対応を考えていただく方向にはなったのですが、理事から「殆んどの方が独立賛成のように聞いていますが、お二人が連盟に残って対局権利を持つと、そのほうがいいという方が増えて独立できなくなってしまうのではありませんか?」と不思議な(いえ、するどい)ことを言われました。「私達が今まで通りでそのほうがいいという人は、それは独立賛成ではないですよね。連盟のほうがいいと思っている人です。」と答えて、まずは一山越えました。
個別対応の話はあったものの、具体的に今までどおりの条件になるかどうかはまだまだ先でした。
2008年12月10日
年末で閉鎖のお知らせ
今持っているブログとホームページを今年いっぱいで一旦閉鎖することを決心しました。
ここまでの道中、ご覧いただきました皆様、さらに時々コメントをお寄せくださった皆様には、この場をお借りして、大きな感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。本当に有難うございました。
また、半年以上先のことになると思いますが、可愛い名称の新しいものを考えていています。
そのとき、またお目にかかれるのを楽しみにしています。
このブログがオープンしていた期間で、強い関心を示されたのは女流棋士の独立騒動・分裂のことだったと思います。「いつか真相を知りたい。」「もっと説明を聞きたい。」そう思っている方がたくさんいると思います。
その時は、数年後、十数年後には来ると思います。初めて経験する騒動に、動揺し疲れウンザリもして、しばらくは落ち着いて自分のやりたい将棋や仕事に専念したいと思うのは私だけではないと思うので、少し時間が必要だと感じます。しかし、やり取りされた書類・報道記事や当時を証言できる人は消えませんので、だんだん「あのときの書類は・・・」「あのときの報道記事は・・・」と皆が昔話として語りだす時期が来るでしょう。
私にもすでに、今になれば笑い話で話せる私個人に関するエピソードもありますので、閉鎖まであと2回ほど更新しようと思います。
もう一点、分裂したばかりのときから二つに分かれた女流棋士が一つにならないのかという質問も多かったです。これも、少し触れようと思います。
また、コメント欄を管理する都合によりコメントの受信ができない設定にさせていただきます。
また、半年以上先のことになると思いますが、可愛い名称の新しいものを考えていています。
このブログがオープンしていた期間で、強い関心を示されたのは女流棋士の独立騒動・分裂のことだったと思います。「いつか真相を知りたい。」「もっと説明を聞きたい。」そう思っている方がたくさんいると思います。
その時は、数年後、十数年後には来ると思います。初めて経験する騒動に、動揺し疲れウンザリもして、しばらくは落ち着いて自分のやりたい将棋や仕事に専念したいと思うのは私だけではないと思うので、少し時間が必要だと感じます。しかし、やり取りされた書類・報道記事や当時を証言できる人は消えませんので、だんだん「あのときの書類は・・・」「あのときの報道記事は・・・」と皆が昔話として語りだす時期が来るでしょう。
私にもすでに、今になれば笑い話で話せる私個人に関するエピソードもありますので、閉鎖まであと2回ほど更新しようと思います。
もう一点、分裂したばかりのときから二つに分かれた女流棋士が一つにならないのかという質問も多かったです。これも、少し触れようと思います。
また、コメント欄を管理する都合によりコメントの受信ができない設定にさせていただきます。