山崎正治のホームページ

  渋谷実埼玉県議による私(山崎正治)の解任について


【第2回】(平成20年12月28日 記)

 前回冒頭でご紹介した、渋谷実県議から私への「解任通知書」は、実際には松村東氏が筆記したものであることは、松村氏がこれまで彼自身の文章として公開してきた、日本語の常識を逸脱したかのような、読みづらく意味不明な文章と書式から容易に推測できます。

 そして渋谷県議は、松村氏が作成した「解任通知書」を、内容もろくに改めずに署名捺印して、私にぶつけたものであろうと推察できます。つまり渋谷県議と松村東氏の両名は、私を相手に意思を一つにして非難し、私を解任した、ということになります。松村東氏の私に対する身勝手な非難に対し、あくまで冷静に対応した私の姿勢に、松村東氏は腹を立て、渋谷県議にその怒りをぶつけたのでしょう

 松村東氏は昨年、坂戸市長選に立候補すべく、その運動拠点として「不動産侵奪罪」となった坂戸理容美容専門学校(旧東京高等理容美容専門学校)の建物を使用しました。このことは渋谷県議も認知していたことでした。

 松村氏は坂戸理容美容専門学校の窓という窓に渋谷実埼玉県議会議員のポスターを貼り付けるなど、すこぶる挑発的な態度を西入間警察・学校側に対して取り続けました。私は事務局長という立場上、松村東氏の目に余る態度を渋谷県議に抗議しましたが、渋谷県議の回答は「松村が自分でやっている行動に対し、俺としては何も言えないし干渉できない」と、まるで自分の関与を否定するかのように逃げたのです。

 私が委任状を楯に松村東氏を追い込むことで、松村東氏が臍を曲げ、彼と渋谷県議との事実関係を表に出されてしまう可能性を、渋谷県議は恐れたのかもしれません。松村氏との関係が自分にとっては非常にまずい結果になると考えた結果、渋谷県議は私を処断することを安易に思い浮かべたのではないか、と思うのです。

 もう一つ考えられることがあります。本来「不動産侵奪罪」は、松村東氏と渋谷県議の共同謀議であると受け止められても、少しも不思議ではありません。松村東氏の事務所となった「建物」が、どのような状況下にあるものかを十分に認識している政治家渋谷実埼玉県議会議員が、松村東氏の犯した「不動産侵奪罪」=坂戸市長選立候補の運動拠点確保、という中心点に存在していたことに、目を向ける必要があります。

 松村東氏の違法行為に対し厳しく忠告していた行政調査新聞の存在を疎ましく思った松村氏は、それまでさんざん世話になり、何年にもわたって松村氏主張の側に立ち、学校乗っ取り事件をめぐる報道を懸命に続けてきた行政調査新聞社に対し、感情を剥き出しにして排除しはじめました。

 また松村東氏自身が作り配布したチラシが、舟橋市長から「名誉毀損」として刑事告訴されると、今度は「行政調査新聞などに記事を頼んだこともない」と、渋谷県議と警察に同行し偽証するに及んだのです。

 私の手元には、これまで松村東氏自らが送付してきた書類がいくつもあります。その中で「名誉毀損」に関連する書類等も存在します。もし裁判で争うこととなった場合、自分の不利になる書類に対して松村氏が返還要求していることは、こうした裁判に対する「証拠隠滅」を策しているのかを疑わせるものです。

 同時に、松村東氏に片寄った渋谷県議の道義なき行為、罪なき支援者と協力者をここまで貶めることが許されるものなのか、渋谷県議・松村東氏の無道義、倫理の欠落を市民に問うべきである、と私は考えました。

 何故なら、渋谷県議は、〝公人〟たる政治家であります。そして松村東氏は、川越市民に自分の署名入りのチラシを配布すると同時に、坂戸市長選に出馬するという意思を坂戸市民の一部にも認識させた事実があるからです。彼らが裏側で行ってきた不条理を看過し黙していたのでは、「学校乗っ取りの被害者である哀れな松村氏」に大勢の人々が寄せてくれた善意を無にする結末となり、また誤解を生む結果ともなるからです。

 先にご紹介した「解任通知書」は、驚いたことに私を犯罪者として決めつけています。

 松村東氏は、私に送付した膨大な資料(舟橋・松山千恵子氏らに関する裁判記録)のほか、松村東氏からの個人的通信資料等の返還を要求しています。しかし私は、松村東氏から受け取った書類を一切、返却していません。松村東氏は、渋谷県議の前で必死になって私を非難し、書類の返還を要求しました。しかし私は断固として要求に応じなかったのでした。

 渋谷県議には、松村東氏と手を切ることが出来ない彼ら二人だけの秘密事項が存在し、そのことが渋谷県議を拘束している、としか考えざるを得ない挙動の不審があります。前回私がマインドコントロールと呼んだのは、まさにこのことです。この不可解な関係がなければ、渋谷県議は、なんの罪もない私を解任したり、松村東氏を支援した人々、イコール渋谷県議を支えた人々に背を向けてまで、松村東氏を擁護する必要などないはずなのです。

 私は、渋谷県議と松村東氏が私を犯罪者と決めつけたこと、私のプライドを深く傷つけたことが許せません。解任通知書を読んだ私は、自分自身のこれまでの行動について、いささかのやましいところさえないことを確信しています。

 渋谷県議と松村東氏の二人の仲は、学校側の糾弾を主張としながら、坂戸市長選に向けて視野を拡大していきました。松村東氏は、既に74歳です。貯えがあったとしても、市長選に出馬するにあたって、自分の貯えを切り崩して注ぎ込む意思などさらさらないことは、日頃の松村東氏の行動がすでに回答をだしています。選挙出馬の資金は、渋谷県議が負うしかありません。それ以外に、松村氏の選挙資金の出処などありません。

 金で買ったと思われるパシフィック・ウエスタン大学の卒業証書をステータスとして、後生大事に事務所に飾る松村東氏のような人物に就く人間は少ないでしょう。自らを矯めることなく人生を歩み続ける人物に、友人は少ないでしょう。また彼の青年時に受けた被害が現実であったとしても、当時の彼の若さのほとばしりの中には、周囲の人々をして「鼻持ちならない」と感じさせるものがあったのではないかとさえ、現在の松村東氏を知る私は思います。

 74歳の人生を練り上げ、教養を身に付けた人物であるならば、彼はとっくの昔に大勢の人々の支援を受け、学校を取り戻していたことでしょう。松村東氏とは、他の人に信をおかず、人を疑うことだけに重心を置く人物に思えます。それは人に対して感謝の心を持つことができない、ねじ曲がった性格を自分の心に固定したまま、人の世を歩んで来たからでしょう。

 彼は余程惨めな、ひどい思いをしたのか、もって生まれた性質なのかはわかりませんが、いずれにせよ、彼はいま置かれている自分の立場をまるでわかっていないように見えます。他の人々の支援を受けてはじめて、対等に学校側と闘うポジションに立つことが可能になったのであり、その目的は自分の造った学校を取り戻すことです。この闘いに生命を燃やすことこそが、支援者らに対する最大の報恩であり、第一の使命であるはずです。しかし松村東氏と渋谷県議は、こうした大前提を頭の中から外へ掃き出すことに、なんのためらいもなかったのです。

 この時点で、両名の結束の目的は、坂戸市長選に絞られていきました。そのいっぽうで支援者たちの存在を遠いところに置くことについては、心の咎めすらもなかったと、私は思います。

 行政調査新聞は松村東氏をめぐる「学校乗っ取り疑惑」を報じるにあたり、公文書等、あくまで開示された公的資料を元に理論を構築し、政治に身を挺する者が学校乗っ取りなどの犯罪行為に関与してはならぬものとして、社会に信を問うがために、正論をもって真正面から闘ったのです。

 それよりも、なにより行政調査新聞に支援を依頼し、資料を提供してきた者たちが、こっそりと程度の低い考えで結束し、低レベルな政治活動に多額の資金を提供し、法的に確立されない建物を拠点として政治的活動を行ったことについて、行政調査新聞は、渋谷県議と松村東氏らの恣意的欲望を満たさんとする糞味噌一緒にした行動を、苦虫を噛んだ思いで見ていたことでしょう。

 私は渋谷県議のところで約21年間、事務に関わる仕事などを手伝い、最後の5年間を渋谷県議の事務局長として、後援会や支援者等の連絡事項、また内部の事務処理、選挙対策の一切を掌握して今日に至りました。

 第1回冒頭でご紹介しました、渋谷実県議から私に宛てられた「解任通知書」(内容証明による)は、法的文書としての文章が整っていません。ヒステリックで自己本位で、なおかつ幼稚な、読んでいる方が恥ずかしくなる文章と私は感じます。県会議員ともあろう人物が記したものとは到底思えませんし、内容も常識を甚だしく欠いています。こうした文書を解任通知と称し、私に送り付ける非礼で無知な行為は、渋谷県議に仕えてきた私自身の、今日まで歩んできた歳月を空しさと無念さで満たす以外の何物でもありません。

「解任通知書」は、その稚拙な文章から内容に至るまで、すべて松村東氏の作成したものです。解任通知書からも判断できるとおり、松村東氏が記す文章とは、失礼を顧みずに評すれば、文章とはほど遠いものです。私は彼が学校乗っ取りに関し、学校側と対向すべく、それに関する法律を学んだ努力は認めます。しかし基礎的学問を習得する時期を欠いたのか、あるいは勉学をなおざりにしたのか、これまで私が眼にした松村東氏による文書、あるいは支援者である行政調査新聞に、FAXで送付されてきた文書の“理解不能”さといったらありません。「読んでいる方が恥ずかしくなるほど稚拙で意味不明な文体」というのが、松村東氏が書く文章の顕著な特徴なのです。

 私は松村東氏の文章の特徴を知っていたので、今回、渋谷県議が私に提出した解任通知を読み下しただけで、私には「あっ、これは松村東氏が記したものを、渋谷県議が中も改めずに送りつけてきたものだ」とすぐに判断できたのです。こうした行為は、私が渋谷県議に献身した21年間のうちの最後の5年間、身を絞るようにして働いた努力に対し、水を浴びせる行為に他なりません。

 また意味不明な部分に対して指摘されても、羞恥の欠片さえも浮かべない分厚い皮膚の面貌を改めることはありません。そして肝心なことを単刀直入に質問しても、松村氏から直截な回答を望むことはまず無理でしょう。口角泡を飛ばして喋りつづけ、話はどんどん別方向へと飛躍し、堂々巡りしていくのです。実際、松村氏を取材し「学校乗っ取り疑惑」を4年間も報じ続けた行政調査新聞の忍耐力、その労苦は推して知るべきでしょう。

 ここで私は、学校乗っ取り疑惑の犠牲者としてではない、松村東氏という人物そのものに感じた一面を述べておこうと思います。県議を籠絡し、マインドコントロールする人物がどのような人間性を有しているのかを、県議に長年仕えてきた立場の眼で、ここに率直に皆様にお伝えする必要があると思うからです。渋谷実県議は、松村東氏をいつしか「教授」と呼ぶまでに至りました。

 松村東氏は四十年間、一人で学校側と闘って来たと主張しています。私も、その通りだと思います。しかし上記のような理由、つまり松村氏が自分の主張を書きとめておいても、あまりの稚拙な文章ゆえ、読んだ側が理解不能に陥ってしまうこと、そして話の内容を整理すべく確認の意味で質問をぶつけても、こちらが聞きたい一言の回答を得るまで3時間近く堂々巡りの独演を繰り返すのです。これでは彼に力を貸そうにも、松村東氏の主張や説明を理解できる協力者は、ごく限られたものだったでしょう。そして彼を支援しようとした人々の多くは、彼の人間的な面を知るにつれ、徐々に退散していったのではなかったか、と私は想像します。

 彼は、自らの主張を曲げません。むろんそれは自分を正しいと確信しているからなのでしょうけれども、狷介な性格が災いして人が近寄らない、という面が多分にあると感じます。

 松村東氏は、渋谷県議が手をさしのべてくれたことには、深く感謝しなければならないはずです。渋谷県議に依頼された行政調査新聞の報道キャンペーンのおかげで、松村東氏の抱える問題が、一挙に地域社会のニュースになったからです。

 松村東氏にとっては、渋谷県議さまさまであったでしょう。しかしこうした二人の意気投合ぶりが、別の方向を目指しはじめ、ことに松村氏自身の権力指向に拍車を掛けたことが、二人の計画の全てを崩壊させたのです。

 松村東氏の性格は、およそ男の含羞とか羞恥心というものを持ち合わせていないように見えます。謙虚な心を失っていると同時に、いざ自身が優位に立つと、他の支援があってこそ今の自分のあることを忘れ、思い上がったふるまいで人を征する性格であることは、彼の言動の端々から感じられることです。

 松村東氏はそうした姿で、世の中を生きてきたのでしょう。彼は自分自身の正当性をむきになって話します。丸裸で学校側に放り出されたときの周辺情況を物語るのですが、それを聞き取る側は、彼の話を素直に受け止める気持ちになれない部分があります。彼が人に与える雰囲気の中に、いうなれば大きなクエスチョンマークが漂うのです。

 先にも記しましたが、松村東氏の事務所には、パシフィック・ウエスタン大学の卒業証明書が仰々しく飾られています。いわゆる「学位製造販売大学」の最大手と称される非認定大学で、この学校の卒業証書をめぐる学歴詐称事件はこれまでに何度かニュースになっています。

 金で買った大学の卒業証書をこれ見よがしに平然と店頭にさらすことを恥としない松村東氏の今日までの生きてきた方向とは、失礼な言い方かもしれませんが、哀れみをともなってはじめて理解されうるものなのでしょう。こうした彼を渋谷県議が拾ったのです。

 ところが松村東氏という人物は、これまでの裁判を傍聴すれば明確にわかることですが、極めて傲慢な考え方を持っています。あたかも自分の意のままに法律が作動する、という思い込みが、彼の心を満たしているとしか思えません。そのため選任した弁護士は、松村東氏の論旨を理解できず、理解するまでに相当な時間を要することになったのです。

 松村東氏は、弁護士の練り上げた法廷戦術を恣意的に否定し、弁護士を馬鹿呼ばわりし、そのあげくに解任するなどの勝手な所作が随所に見られ、そのため彼の弁護を拒否して身を引く弁護士もいたのです。

 先にも記しましたが、松村東氏を助けてほしいと平成16年11月下旬、行政調査新聞に依頼した張本人は、渋谷実埼玉県議その人でした。渋谷県議は「俺は表にでないから頼む」と、「学校乗っ取り疑惑」の追及を依頼したのでした。

 行政調査新聞側は松村東氏の学校乗っ取りに関する主張の裏取りに、かなりの時間と人員を費やしたと聞いております。以後、学校側を追及する新聞報道が開始されましたが、その裏側で渋谷県議と松村東氏の間には親密で、他に立ち入る隙を与えない交流が密度を増していったのです。そしてやがて松村東氏は、法律的には自分の所有物と確定していない「坂戸理容美容専門学校」の内部に立ち入り占拠し、ここを拠点として坂戸市長選に市長候補者として出馬することを、渋谷県議と画策したのは先に述べたとおりです。このときすでに渋谷県議と松村東氏は、初期の純粋な目的を放棄し、進むべき路線を変え、権力を指向するようになっていたのです。

 行政調査新聞は平成20年1月頃、坂戸市の議員でありながら鶴ヶ島市に居住する高橋信次市議の違法行為を報じ、話題となりました。高橋市議は自らの違法行為に対するリコール要求を逆手にとり、坂戸市議の座を下り、翻って坂戸市の市長選挙に出馬することを決意しました。その高橋信次“坂戸市長候補者”に対して、渋谷県議は松村東氏との共闘を申し入れ、松村東氏が坂戸市長に当選したならば、高橋信次氏を副市長にするからという条件を申し入れ、高橋信次氏に丁重に断られたのです。

 その際、渋谷県議は高橋信次氏側に「行政調査新聞なんか、名誉毀損で警察へ訴えたほうがいい」と示唆しました。渋谷県議という人物は、行政調査新聞に松村東氏の支援を依頼しながら、裏側では、その時点でさえも力を貸し続けている行政調査新聞を「売った」のです。しかし、学校側と闘う新聞報道が、いまさら手を翻すわけにはいかなかったでしょう。行政調査新聞社主の、腹わたが煮えくり返ったであろう思いは、私にとって想像にあまるものです。

 渋谷県議が松村東氏を煽ったのか、あるいは松村東氏が渋谷県議に示唆したのかは不明ですが、両名の意思は、坂戸市長選を征することを目的にして合致していました。松村東氏を過大評価した渋谷県議は、坂戸市長選挙を松村東氏の勝利と見立て、坂戸市政をわがものにするチャンスと考えていたようです。法的に立ち入ってはならない建物を、松村東氏の選挙を見据えた拠点としたこと事態が、渋谷・松村両氏の軽薄な魂胆の顕れだったのです。渋谷県議のなかでは、松村東氏とともに政治権力者として化けていく、権力の階段を登る用意をすでに整えていたのでしょう。

 この時期、渋谷県議は深く松村東氏に信頼を傾けていたようです。後にわかったことですが、松村東氏は、渋谷県議の意を受け、選挙事務所として占拠した校舎に居直り、すでに選挙用の立看板、パンフレットなどを準備していたのです。

松村東氏が準備した坂戸市長選用名刺 平成20年1月28日、「松村東後援会」は埼玉県選挙管理委員会に政治団体登録を提出し、受理されました。また後日、埼玉県選管より「許可証標」が発行されました。後援会事務所として6枚、連絡事務所として6枚、計12枚の「登録証標」が発行されたのです。

 平成20年4月6日告示、4月13日投票日を期して坂戸市長選を目指し、松村東氏出馬の用意が開始されました。松村東後援会代表は萩原宏、また会計責任者松村秀子(松村東氏夫人)が松村東後援会の責任者でした。

 松村東氏の次の行動は、坂戸市選挙管理委員会に、坂戸市長立候補者としての名義を登記することでした。しかしその用紙を受け取り、名義登記の寸前になって、松村氏は「不動産侵奪罪」で西入間署に逮捕されたのです。渋谷県議の必死の選挙対策も徒労に終わりました。松村東氏逮捕により、すべての計画と希望が吹き飛んだのです。

 推測ですが、渋谷県議から松村東氏に動いた金の方向は、そこにあるかも知れません。私と松村東氏との「委任状」をはさんだ争いの原点とは、坂戸市長選を前にして、渋谷県議より松村東氏に動いた金員だったと思うのです。

 渋谷県議は私に、「多額の金が松村に行っている」とか、「松村に貸してある」と日頃から言っていました。まるで、支援してはいるものの、なかなか報われないことを愚痴ているような口ぶりでしたが、そのカネの中身は、渋谷県議と松村東氏の二人だけの知る秘密事項だったのでしょう。松村東氏に貸した資金が使われる前に松村東氏が逮捕されたとしても、渋谷県議には、返ってこないものとする諦めがあったと、今になって思います。

 それを知らなかった私は、「委任状を返せ」と喚き叫ぶ松村東氏を冷静に突き放しました。渋谷県議はなにも言わず、ただ黙していました。松村氏に多額の金を貸したにもかかわらずです。

「不動産侵奪罪」で逮捕された松村東氏に対し、仮にも政治家であるならば、渋谷県議がすべきこととは法的根拠のない建物の占拠について、松村東氏を厳しく叱責し戒めることでしょう。

 しかし県議は松村氏を放置するどころか、坂戸市の各有力議員を回っては、政治家渋谷実の立場から、松村東氏支援の依頼活動を行ったのです。さらには立ち入り禁止の学校校舎を選挙事務所として、つまり選挙の拠点とすることを否定しなかったどころか容認したことは、公人たる政治家として犯してはならならない犯罪行為(松村東氏の不動産侵奪罪)の幇助でありましょう。低級な権力志向をもつ松村東氏を、渋谷県議は裏側から支援したのです。坂戸市長選出馬をめぐるそうした汚い部分を一人背負って逮捕されたのが松村氏であるがゆえに、そのことを理解する渋谷議員にとってはある面、松村東氏に、そのことおおきな借りとなり、現在でも松村東氏に金縛りとなっているのではないでしょうか。

 私は松村東氏に委任状の「原本」を返還しました。そのあとで渋谷県議は「山崎、松村に貸した金は、ドブに捨てたと思ってあきらめるよ」というのでした。私は、莫大な大金を簡単に溝へ捨ててもよいとする、県議のあきらめの言葉の裏にある「深い意味」を考えざるを得ませんでした。庶民からみれば、一生貯えることのできない「大金」である金員を、ドブへ捨ててもよいとする県議の金銭感覚に、強い抵抗感と深い失望を私は覚えたのです。(つづく)