渋谷埼玉県議による私(山崎正治)の解任について
これから私こと山崎正治が皆様にお話しすることは、にわかには信じられないことかもしれません。簡単に言えば、渋谷実県議は松村東氏に、完全にマインドコントロールされている、そうとしか思えないということです。渋谷県議は多額の金員を松村氏に貸しました(県議本人が口にした金額は3,000万円)。しかしそれは事実上、貸したと言うより「差し上げた」という方が正しいのです。県議の後援会事務局長という立場をあずかる私にとって、これは看過することのできない問題でした。
まずは、以下の文書をご覧ください。渋谷実埼玉県議会議員から私の元へ、内容証明付きで郵送されてきたものです。
日本語の常識的な文章作法を逸脱した、不可解で読みづらい文章ですが、まずは原文で掲載いたします。
〔山崎正治県議事務所長職務を解任通知書〕 平成20年12月10日 自由民主党公認埼玉県議会議員
解任通知書の内容
平成20年12月10日 〒350-0001
〒350-0001
以 下 余 白 |
(注) 上記の書面は、埼玉県議会議員渋谷実氏より、後援会事務局長である私に宛てた解任通知書です。内容証明として送付されてきたもので、訂正の手を加えてよい代物(しろもの)ではないため、原文のまま掲載します。語意不明、誤字等、タイトルから始まって判読に耐えない部分がありますが、渋谷県議の解任通知である以上、書面を忠実に再現しました。
突然、この解任通知書を受け取った私にとって、これがまさに悲劇のはじまりでした。
私に対し犯罪行為を行った者と決めつけているところなど、渋谷県議のために働いてきた私の21年の生きざまを著しく傷つけるものです。渋谷県議は、松村東氏を援護することによる噴出する問題の収拾がつかず、精神的な混乱状態に陥っています。その結果、学校乗っ取り問題で、松山・舟橋両政治家(以下「学校側」とします)を糾弾する松村東氏側に立つ支援者、協力者を結果的に裏切る行為が露わとなり、そうしたことがやがて、社会的に表面化することを恐れ、松村東氏批判の姿勢を崩さない「行政調査新聞」との交流を断ち切り、返す刃で私を処断したのです。
私を含め何故、渋谷県議を信じて彼のために働いた人々を冷酷に断ち切る行為に走るのかについては、渋谷県議側にはそれなりの政治家としての社会的立場と、見得を維持するためだと思います。
渋谷県議を一人の政治家として見つめたとき、彼の思想的レベルより生じる思考の揺らぎは、松村東氏を支援し救済するという政治的な目的を、支援者の力を借りて達成しようとする、そのなかばにして発生しました。
いま、渋谷県議は松村東氏と運命共同体ともいうべき関係になりつつあります。松村氏が渋谷県議を、マインドコントロールしているとしか思えない状態なのです。滑稽に聞こえるかもしれませんが 紛れもなく事実です。二人の関係はお互いに操り操られ、学校を取り戻すという当初の目的から横道にそれています。松村東氏は政治的欲望に負け、学校を取り返すという初期の目的を支援者に預けたまま、常識を逸脱し、坂戸市長選に首を突っこんでは、坂戸市長の座を狙うという恣意的な行動を取りました。
その松村東氏の言葉を神がかり的に信じ、渋谷県議はこれまで有権者や支援者からも「狼少年」と陰で囁かれるほど、根も葉もない噂を流し続けました。松村東氏と対向する学校側について、自分の浅い考えから推測した「Xデー」(F氏は、何月何日に逮捕される、など)を、ところ選ばず連発して歩んだ渋谷県議の行為は、政治家としての見識の低さを示すものですし、渋谷県議は非難されてしかるべきです。
渋谷県議による私の解任劇の発端は、委任状「松村東氏が、渋谷県議より借用した金員を認めその一切の処置を渋谷県議に委任した書面」にあります。同委任状は、渋谷県議から松村東氏に渡った金員の最終処理に関して、私が松村東氏と面会の上で処理したものです。
松村東氏は平成20年2月11日「不動産侵奪罪」によって西入間警察に逮捕され、取り調べの結果、起訴となり未決収監されました。
実はその後、松村東氏は夫人と協議離婚をしていたのです。
日頃より渋谷県議は私に「松村東氏に大金を渡している」ことを話していました。松村東氏を疑う訳ではありませんが、松村夫妻との協議離婚については、松村東氏から夫人に対する慰謝料という形で、渋谷県議の金が松村夫人の手元に動いたのではないか、と私は推測しております。
以前にも松村東氏は、自分の業務活動(不動産業)で、渋谷県議から金員を借用したこともあります(返却済み)。しかし今回は、それに勝る莫大な金が、平成19年10月25日に渋谷県議から松村東氏に貸借として動いたことを知る立場にある私は、その「金員の保全策」を渋谷県議に進言したのです。
渋谷県議は私の進言を受け、そして貸金回収の事前行為として、私に対し松村東氏からの「委任状」の受理の実行を了承しました。普通ならば、松村東氏に対する渋谷県議への進言とは、部下として主人を思うための行為として褒められるべきでしょう。しかし褒めるべき姿勢であるのに、了承したはずの渋谷県議の態度は、後に手の平を返すように変わったのです。
拘置所にいる松村東氏の行動に、渋谷県議事務所を預かる私は不安を抱きました。と同時に事務局長としての立場から渋谷県議に、貸金の保全策を提言したのです。私は、渋谷県議の了承を得て、「不動産侵奪罪」によって未決収監されている松村東氏に、接見禁止(罪を認めないため)が解ける(罪を認めた)のを待ってから面会しました。そして本人と渋谷県議の金銭貸借を明らかにし、かつ、松村氏本人の了承の下で、松村氏自身が署名し拇印した書面を作成しました。
こうして、県会議員渋谷実氏に対する松村東氏の委任状が完成したのです。こうした事実は全て、渋谷県議の許可の下に行われたことです。渋谷県議の許可がない場合は、私の立場としましては、主たる渋谷県議を無視し、両者の間におけるプライベートな金銭の貸借に関して、いらざる口を挿む必要などありません。
やがて松村東氏は、平成20年8月16日、6ヶ月間の未決拘留を終え保釈となりました。社会に戻ったとたん、松村東氏はこれまでの態度を豹変させ、渋谷県議より借用したとする金員について、私に対し厳しく異議を唱えたのです。私の悲劇はこの時から始まりました。
私に対する松村東氏の姿勢は、実に不快なものでした。渋谷県議と松村東氏という二者のなかに、まるでマインドコントロールというか、渋谷県議が松村東氏の言いなりになっているとしか判断せざるを得ない、不可解な関係が生じていることを、私はこのときはっきりと確認したのです。
渋谷県議は松村東氏に対しこういいました。「山崎(私)から借金の保全策の相談など受けていない。山崎が、松村東氏に対して個人的に勝手な行動をとったのだ』と。まったくの虚偽の弁明です。松村東氏は渋谷県議を追及し、渋谷県議は逃げを打ったのです。渋谷県議は多額の金員の債権者であり、松村氏はその負債者であるにもかかわらずです。
松村東氏は私に対しあからさまに恨みを持ち、強い敵愾心を燃やして、私に対向してくるようになりました。
当時、松村東氏の委任状は、私が保管していました。松村東氏は私に対して、委任状の返還を強硬に求めてきました。私と松村東氏とは激しく対立したのです。渋谷県議は、私を伴って松村東氏の事務所に出向きました。そこで松村東氏は改めて渋谷県議の前で、私に再度、委任状の返還を厳しく求めました。
そのとき私は松村東氏に対し「あんたとは、二度と口を聞きたくない」と、渋谷県議を松村東氏の事務所に置いたまま、ひとりで家に帰りました。渋谷県議はそのとき、一言も言葉を発しませんでした。その様子は、まるで松村東氏に弱い尻尾でも握られているかのような姿だったのです。
渋谷県議の一貫性のなさは明らかです。渋谷県議は部下(私)が進言した松村東氏に対する貸付金の保全策に対し承諾を与え、部下である私がその命を受け、保全としての委任状を松村東氏から受理した、という過程があります。
ところが松村東氏が、「不動産侵奪罪」の罪を認め仮釈放されると、拘留されていた時点での私との約束を違え、委任状の返還を私に求めたてきたわけです。それは松村東氏に対して渋谷県議が、「委任状の作成は山崎が勝手にやったことだ」と、虚偽の弁明をしたことに根本的な原因があります。ここで渋谷県議の姿勢に対して、私が強い不信感を抱いたのは、当然ではないでしょうか。
松村東氏は、私が押さえている委任状の返還を強硬に請求してきました。しかし私は断固としてその要求に応じませんでした。私の態度がそうでしたので、松村氏はこんどは渋谷県議を訴え攻め立て、たまらず渋谷県議は私に対し、松村東氏に「委任状を返せ」と命じたのです。
渋谷県議と松村東氏の間には、人に言えぬ何事かの約束事でもあるのかと、疑心が湧いてきます。守るべき主(あるじ)である渋谷県議は松村氏に右顧左眄するばかりで、その主体性の無さに、私は深く失望しました。何故、渋谷先生は、松村氏の言いなりになるのでしょう。渋谷県議に対する不信感が強く頭をもたげるのを、抑えることができませんでした。
先に述べましたとおり委任状を作成する前、渋谷県議は私に対して、松村東氏に大きな金員を支出していることを話しました。これは、あくまで私の憶測に過ぎませんが、渋谷県議より松村東氏に渡った金員の内実とは、松村東氏の坂戸市長選出馬のための選挙資金だったのではなかったのか、と思うのです。渋谷県議は多額の金を支出したことで、こぼしはしましたが、本当のことを私に吐露できないまま、私が要請した保全策を承諾するしかなかったのでしょう。
その結果、松村東氏は多額の金員を渋谷県議から受け取りました。しかし松村氏は、いったん懐に入れた選挙資金を返済する気などなかったのでは、と思うのです。しかし彼は、わたしが保全策を講じた際には、収監されている立場でした。そこで松村氏は「渋谷県議には、保釈されてから話をすれば済むこと」と考え、私が差し出した委任状に軽く拇印を押したのではなかったのか、と想像してしまうのです。
やがて、過去を含めて、これまで以上に松村東氏と渋谷県議は、結束を深めていきます。松村東氏を背負い続けて歩む渋谷県議の歳月のなかに、この二人の行動が支援者たちを踏みにじってきた過程が刻まれています。二人のそうした裏切り行為が表面化するにつれ、渋谷県議の政治家たるゆえんが、希薄さをさらに薄めていくのです。
松村東氏の自己主張に依存して寄り掛かる渋谷県議の行動には、主体性はありません。これが支援者たちの眼に明らかに映し出され、またそのことを支援者より厳しく指摘されたことに大きく動揺した渋谷県議は、前後の見境なく精神的混乱を来たし、信じるに足る全てを知る私を、犯罪者と決めつける文書(松村東氏の作成した文書)を盲目的に、私に投げ付けてきたのでしょう。
渋谷県議は、形だけは政治家でありますが、すでに政治を投げ棄てた場所に自らの身を置き、整理すべき数々の問題を松村東氏とともに放棄した彼の無責任な姿勢は、厳しく市民社会に問われなければならない、と私は、いま考えています。(つづく)