純宗皇帝の署名偽造
「純宗皇帝の署名偽造」
『日本は1904年日露戦争を起こしたのち,・・・』
「起こしたの日本なの?」   
「と思ったんですけどねえ?」
『大韓帝国の国権を奪取するためにさまざまな工作を展開します.今からそれについてお話いたします.3年前にこの駒場キャンパスに来て学部学生を対象としてこの問題の要点を話したことがありますが,今日はもう少し詳しく説明することにします.私がこの10年間,韓国併合は法的に成立しなかったという主張をしていますが,今日はこの主張の要点を大まかに話すことになりました.話の順序を,3つのパートに分けてお話いたします. まず初めに,純宗皇帝の署名を統監府の職員たちが偽造した事実です.』
「いきなり断定かよ。」   

『 『純宗皇帝は高宗皇帝の息子で,大韓帝国最後の皇帝です.
私は1992年度に,ソウル大学校で管理している奎章閣図書の,高宗・純宗時代の公文書整理事業をしていました.文書量が膨大なので,その時できたことは全体のごく一部でした. いちばん最初に整理すべきものは法令関係だと判断し,皇帝たちの勅令,詔令,法律などの資料を検討しました.ところで,この法令関係資料のなかで,純宗皇帝の名で初期に発布されたものの名の署名を見ると,ここに見せているものと同じで,何箇所か互いに異なる筆体にになっているものが発見されました.ここの画面に掲示された署名は,起案用紙の左側,中央部分に署名があるものを一箇所に集めたものです.大体日付別に,互いに異なる筆体によって署名が行われました.
実際に文書のある例を掲示してみます.これは1907年12月13日付の勅令のうちのひとつですが,‘朕が法官養成所官制改正に関する件を裁可してこれに頒布するものなり’という文句があり,年月日を表示し名前を署名して,その署名の下に‘勅命之寶’という御璽が押されています.このような形態で1907年11月18日から1908年1月18日まで2ヶ月間・61件の文書に,5・6種類の互いに異なる筆体によって署名がされました.この文献は大体,各部官制通則,内部官制改正など,大韓帝国政府を統監府の監督の下に収めておくのに関連がある規定でした.一言で言うなら,国家組織体系を改編することに関する法令としてとても重要なものでした.
これらが偽造された署名だというのなら,
純宗皇帝の本物の署名を見ておく必要が あ り ま す ね?』
「・・・・・・(一同苦笑)」   

『純宗皇帝の署名が確実なものは,1910年8月22日に韓国併合条約が強制されたとき,皇帝が李完用に全権委員として任命したという委任状に署名したものを挙げることができます.』
(一同爆笑)「ぶわははは~」    
「ちょっと待てそれは偽造じゃないのか?」
「李泰鎭は全権委任の書類が真正だと言ってる訳だね。自爆するのが好きだなぁ」
「今ここ読んでたんですけど、正しいと言ってるのはこれなの」
「この汚ないの。この子供みたいな凄い汚い字、これが本物なんだって。これがね、「偽造署名文献原本」こっちが偽造でこっちが本物。って書いてある。この写真はさっきのを一つに纏めましたよ、ってこれを学生にスライドで見せてたんだろうね。書く筆によってこれくらいの差は出るんじゃないんかとは思うんですけどねぇ」
「総督府の皆はこれ買うべきだよ」
「続きを読みますよ~。」
『 この資料のなかの上段部分の署名がまさにその委任状に加えられた署名です.
これは署名部分だけを抜いたもので,委任状の全体は後ほどまたお見せします.
この署名といっしょにさらにいくつかを集めて掲示しましたが,下のものは,1908年1月18日まで偽造されたあと,皇帝に本物の署名を継続してもらっていたのですが,それらのなかからいくつかを選び出したものです.
2ヵ月間,政府組織改編に関する法令を偽造署名で皇帝に内緒で公布したあと,特に重要ではない案件について皇帝から直接署名をもらっていたのでした.皇帝の名前の文字●(=土ヘンに石)は,発音を「チョク」といいますが,・・・』
 (↑bangdollが再現してみた文字)
「ツチヘンに石という字を合字して、作ったその文字は一般的に使用しないんですって」
『土(tuchi)のつちに石(ishi)のいしを合字したもので,一般的には使わない文字です.日本もそうかもしれませんが,韓国の場合,君主の名の文字は一般人が使用できないので,もし君主が一般的に多く使用する文字を名の文字として採用したら,たいへんな不便をもたらすことになります.』
「要は忌語って言うのかしら」
『避諱といって,その文字は一般的な文章において使用できなくなります.このような不便を減らすために君主が自ら一般的に使用しない文字,または新たに文字を作って名の文字として使ったのです.いずれにしろ,偽装署名と純宗皇帝の本物の署名に差があるということは,一目で見分けることができます.』
「できるかー!・・・・・・(一同苦笑)」   
「続きを読みますよ~。」
『 ところで,皇帝の本物の署名の文字の腕前は子供の文字みたいでしょう?
純宗皇帝は,本来は絵と文字に優れた才能を持っていました.ここに見える絵が,彼が自分で描いたもので,その画題として書かれている‘富貴兼之’という文句とその下についている正軒という雅号の文字の腕前は水準以上です.とても美しい筆体です.
皆さんはご存知かどうか分かりませんが,純宗皇帝のお爺さん・大院君は蘭の花の絵を上手に描くことで評判の聞こえた方です.そんな方の孫が,文字が巧く絵も上手だったというのは驚くことではありませんね.』
「・・・・・・(一同苦笑)」   
(棒読みで)「血筋は大事なんだろうな、うんうん。」
「先へ進んでいいですか?続けます。」
『ところで,こんなに文字と絵に才能があった人が,自分の名前を真っ直ぐに書けなくなってしまったのです.1898年9月に,何者かが高宗皇帝を殺すために,厨房を通じて皇帝と皇太子が朝食にコーヒーを嗜むということを知り,・・・』
「! コーヒーを?」
「と、書いてありますよ」
『そのコーヒーに多量の阿片を摘み入れたというのです.高宗皇帝は飲んだ後におかしいと感じて吐き出し,皇太子は少量であったけれど呑み込んでしまって,それ以後は心身障害を引き起こしてしまったといいます.いわゆる“毒茶事件”というのがそれでして,以後彼はこのように名前の文字を書くことすら不便になってしまったのです.』
「毒茶事件は初耳です」
「1898年9月ですって、今日帰ったらNAVER総督府会議室で聞いて下さい」
「しかしコーヒーを嗜んでいたっていう事自体がすんげえ不思議なんですけど。」
「韓国人コーヒー飲まないだろっての。ドトール退却するくらいに」
「あんな不味いコーヒー。でも朝ゴハンにコーヒーを楽しむって書いてあります」
Part2へつづく・・・・・・ |