NBAが嫌うスーパースター
スーパースターとは、そのスポーツの代名詞となる存在である。ジョー・モンタナがそうである様に、タイガー・ウッズがそうである様に、その一挙手一投足に注目が集まる。バスケットボール界も、アメリカのスポーツ史上最高と言っても過言ではないマイケル・ジョーダンを生み出した。
彼等は実力ももちろん備えているが、人気も計り知れない。雑書の表紙を飾り、コマーシャル出演等、広告塔としても起用されることがしばしばである。スーパースターとは、実力だけではその様に呼ばれることはないし、だからと言って人気だけではその先は見えている。スーパースターの基準は非常に曖昧で困難なものである。
しかし逆に、NBAが生み出したくないスーパースター像がここ最近見え隠れしている。それは、ヒップホップに関わっているスーパースターである。世界規模のアピールを求めるNBAが作りたいスーパースターと現状を見てみよう。
ヒップホップの浸透
現状として将来のNBAを担っていく選手達には、ヒップホップが彼等の生活の中で今や当たり前の存在になっている。NBAから取り除くことはもはや出来ない。
既にブラックカルチャーの中に定着しているバスケットボールとヒップホップは、黒人の子供達の憧れでもある。アメリカンドリームを夢見る子供達は、バスケットボールかヒップホップによってなりあがろうとするとも言われている。有名な話だが、アレン・アイバーソンは自身のアルバムを作成し、問題の種になった。また、シャックとコービーは不仲説が話題となったレイカーズ時代、ラップをすることで互いをけなし合い、実際両者ともラップソングを発表している。この様にして、NBAのスーパースター達もヒップホップ業界に携わっているのである。
更に、バスケットボール界とヒップホップ界の親交が増しているのも事実である。アメリカのバスケットボールのリズムからヒップホップのリズムが感じられると同時に、アーティスト側もバスケットボールに関することを頻繁にラップしている。NBA選手がアルバムのリリースをするのと対照的に、ラップで成功した人々がNBAチームのオーナー陣として参加することもある。ニュージャージー・ネッツのオーナーであるJAY−Z(ジェイ・ジー)はコートサイドで観戦しているのがよく映っている。また、レブロン・ジェームスとの親交も深い。先の2007オールスターゲームの選手紹介でレブロンは、ダイアモンドを模って手を掲げて登場したが、あれはJAY−Zらのお決まりのポーズである。加えて、2006オールスターゲームでシャックがバスケットボールシューズを改造した携帯電話を披露していたが、その電話の先は、ラッパーのP.ディディとネリーであった。
ブラックカルチャーとの融合が成され始めている現在、両者の歩みよりは確実と言える。未知の潜在能力を秘めた選手達がヒップホップと共に育ち、NBAを支持する側のファンも親しんできている。しかし、NBAはヒップホップスタイルのスーパースターを今まで好んできてはいない。そこには、NBAが持つ二つの考えがある。
一つはパブリックイメージである。ヒップホップはここ数年で若者からかなりの支持を得るようになったものの、そのイメージは依然としてストリートギャングやギャングスタである。黒人達としては、自身の生活を生々しく綴った歌詞もそれを歌う自分達の代弁者も、他の多数から見れば麻薬等のついて放送禁止用語を用いて歌っているように感じられている。ヒップホップスタイルの一番手、アレン・アイバーソンは小柄な体に類稀なる得点力を持っているだけでなく、ブラックカルチャーそのままの服装を着こなし、コメントし、行動しているが故に黒人達の圧倒的な支持を得て、スーパースターへ登り詰めいているが、賛否両論なのは確かである。その様な状況をNBA自体が好ましく思っていないのも確かだ。なぜなら、主張性の強いヒップホップとアイバーソンがよく問題になった選手とヘッドコーチとの確執や対立とが必要十分条件になってしまっているのはまだしも、最悪の状況として、乱闘が発生してしまうからである。パレス・オブ・オーバーンヒルズとアメリカを震撼させたロン・アーテストの乱闘や、マディソンスクエアーガーデンでのバスケの試合をボクシングの試合にしてしまったカーメロ・アンソニーの乱闘。アーテストは自らのレコードレーベルを持ち、アンソニーもヒップホップファンである。
NBAはバスケットボールの代名詞となるスーパースターに、ヒップホップスタイルを融合させたくないのである。もっと大きな視野で見れば、USAバスケットボールがアテネオリンピックまでアイバーソンを代表選出しなかった様に、タトゥーを入れた選手のイメージを広めたくはなかったのである。
次は、その規模である。
バスケットボールとヒップホップを融合させて成功したAND1の支持層はほとんどが若者である。ただし、あくまで「バスケットボール」の最高峰に君臨するNBAの支持層は年齢や性別等全く問わない。外国人選手の活躍も目立つ世界規模のリーグとなっている現在、世界へのアピールを考えた時、スーパースターにヒップホップが関係しているのをNBAが快く感じているとは言えない。
それは実際にいくつかの側面から窺うことが出来る。NBAはいわゆるドレスコードを設け、nba.comでは「ベストドレッサー」を決める投票さえ行っていた。往年の選手のジャージやNFLジャージを着て会場入りし、記者会見に臨む大多数の選手を、紳士のイメージへ変えることに成功した。つまり、ヒップホップスタイルを覆うことが出来たのだ。加えて、NFLスーパーボウルのハーフタイムショウでの失敗から学んでいるのも大きい。先程挙げたP.ディディやネリーも出演したヒップホップテイストを取り込んだショウでは、ジャネット・ジャクソンのハプニングにより、全世界規模の生中継という恐ろしさを証明した。NFLはこの後ヒップホップ界を起用していない。これと同様にNBAオールスターではヒップホップのパフォーマンスが極めて少ない。2004年に唯一アウトキャストがライブを行ったが、彼等はこの年グラミー賞の主要部門を獲得しており、言わばアメリカ音楽界公認のヒップホップを使用したことになる。
この様なことが証明している様に、選手達のヒップホップ色を見えないようし、スター達が集うオールスターにヒップホップを披露しないようにしているのである。世界戦略としても、NBAはヒップホップを拒んでいる。
では、何故NBAはスーパースター達と候補生をヒップホップに結び付けたくないのか。そこにはマイケルジョーダンの存在がある。
世界中の誰もがスーパースターの一人として、ジョーダンを挙げることになるだろう。それは、マイケル・ジョーダンの模範性によるものである。バスケットボールのスキルとクラッチシューターぶりは周知の通りだが、彼は自らの影響力に気がついた時に、自分の身だしなみを始め、身の回りのことを意識し始めた。会見にはドレスコードが無くてもスーツで現れ、ウォームアップジャージもズボンの中にしっかり入れていた。NBAはまさしくこの姿が最高のスーパースター像としているのだ。その模範性を持ったバスケットボール界を代表するスーパースターを生み出したいのである。NBA関係者による投票で決まるシーズンMVP選出には00-01シーズンのアイバーソン以来、ティム・ダンカン2回、ケビン・ガーネット1回、スティーブ・ナッシュ2回という結果になっている。ヒップホップ色の薄いメンバーの選出にNBA側としては内心ホッとしているところであろう。
ところが、オールスターのファン投票では少々異なった結果が出ている。アイバーソン、レブロンを初めとするヒップホップスタイルの選手達が上位に来ているのである。もちろんオールスターに出場する選手全員がスーパースターと呼ばれる域にいるわけではないが、高い率で支持されているということは見過ごされてはいけない事実である。実際この投票はファンから見た選手の輝き度を見る基準とも受け取れるのである。
更にもちろんヒップホップを好む選手がスーパースターになれないわけではない。レブロン・ジェームスは広告塔としてのメディア露出度とNBA関連の受賞歴からも、既にスーパースターの域にいる。「LJ23」をロゴにした自らのブランドがあり、エアズームレブロンというシグネイチャーモデルもあり、CMにも出演する。レブロンは間違いなくジョーダンと同じ道を歩んでいるのである。
異端から多様性の需要へ
ワシントンD.C.では、ブッシュ批判の中から初の女性大統領や初の黒人大統領への期待がかかる状況となってきている。新しいことや新しい価値は必ず生まれてくるのである。バスケットボール界でも、たとえNBAが好もうが嫌おうが、必ずヒップホップと共に育った実力者は増えていくことになる。
マイケル・ジョーダンが世界的スーパースターとなった後、主張性と先鋭性のある音楽と共にアイバーソンが賛否両論の中、這い上がってきた。ところがレブロン・ジェームスはヒップホップに関係していても、批判という批判がほとんど無く、受け入れられているのである。時代と共に価値観や支持は緩やかに変化してきたのである。多民族化する中で、もうジョーダンの様な絶対的存在は現れないかもしれない。それでもレブロンのようなスーパースターやスーパースター候補は出てくるのである。彼等のスタイルを受け入れることなしに発展は無い。
アピールすべき規模が大きいからこそ、様々な価値の中で、ヒップホップスタイル等の新しい価値を認めなければならない。それなしに、NBAは新世代のスーパースターを生み出すことは出来ない。(志賀優一)