雨が降っても、風が吹いても、レベルファイブスタジアム(福岡市博多区)のバックスタンドを巨大な旗が覆い尽くす。縦20メートル、横60メートル。アビスパのロゴとチームカラーのグレーとブルーで染まったビッグフラッグは、応援のシンボルとして、ホームゲームの試合前に掲げられる。
■日本一の「旗」
Jリーグ参入2年目の1997年。有志約20人によって、フラッグの作製が始まった。「市民一人一人の思いを込めたものをつくろう」。スタジアムの出入り口で毎試合、手作りのステッカーとバッジを交換に1口1000円で寄付金を募った。3年を経て約600万円が集まる。企業の力は借りなかった。日本一大きいフラッグが2000年秋に完成した。
「今、あのフラッグが泣いている。アビスパが苦しい状況だからこそ、フラッグをつくった情熱を思い出して市民の力でクラブを立て直す。やれないことはない」。当時、作成委員会のスタッフ男性は力を込めた。
■再生のモデル
今季2年ぶりに赤字になるアビスパ以上の財政難に陥りながら、立ち直ったクラブがある。
J2甲府は2000年、1億1000万円を超える債務超過(全資産を売却しても借金が残る状態)になった。
市民は存続を求める署名運動を始め、海野一幸社長を先頭にスタッフは山梨県内の企業1社1社をこまめに回り、クラブの存在意義を訴えた。「クラブはきっと、町に一体感をもたらします」
福岡の7社会のような大企業のない山梨では、小さな協力を積み上げていくしかない。選手のユニホームを無償で洗濯してくれる店を募集した。胸スポンサー4000万円、スタジアム内看板160万円と、他クラブより低額に設定した。負傷した選手を運ぶ担架にも広告をつけた。
01年の広告収入は前年比約3500万円増の約6000万円。クラブの存続が決まった。
地域が一丸となって苦境を乗り切った甲府には、物語が1つ生まれた。
02年、胸スポンサーで穀物製品製造会社「はくばく」の工場が火災に見舞われた。すると、多くの市民が甲府のファンサイトに書き込んだ。
「はくばくの製品を買おうぜ」「今こそ恩返しの時だろう」
サイトを見たはくばくの長澤重俊社長はクラブに連絡した。
「私たちをサポーターが助けてくれる。これからも協力します」
■支援箱設置を
小さな一歩が、力を生む。アビスパ再生に向け、本紙にはさまざまな提案が寄せられている。
「小売店や飲食店のレジ横にアビスパ支援箱を設置して強化費などに充てる」(福岡市内の会社員男性)。「アビスパシールが付いた商品を売り、益金の一部をクラブ運営費に回す」(福岡県太宰府市の会社員男性)。「天神や博多駅からスタジアムまで100円バスを運行させる」(福岡市東区のOL)…。本紙も毎月の支援額などを掲載すれば、読者の関心を高める役割を担える。
市民が主役の理想のクラブづくりへ-。動きだすときがきた。
□ □
Jリーグ2部(J2)のアビスパ福岡の現状と課題をまとめた連載「どうするアビスパ J参入迷走の12年」には600件を超える反響が寄せられた。今回は、再生に向けた具体策を考える。
◇ ◇
連載に対するご意見・感想を西日本新聞読者プラザにお寄せください。
西日本新聞読者プラザ「Par:Q」http://www.nishinippon.co.jp/webclub/
=2008/12/26付 西日本新聞朝刊=