九州最大の歓楽街・中洲(福岡市博多区)に1人の男性が足を運んだ。小料理屋の暖簾(のれん)をくぐると、店主に頭を下げた。「アビスパのポスターを張ってもらえないでしょうか?」
「いいよ。トイレに張っておいてくれよ」
■個の力でなく
男性はアビスパ創設以来のサポーター。クラブの宣伝のため、自主的に飲食店に行ってポスターを張り続けているが、限界を感じている。
大分県内ではトリニータの旗やマスコットがあちらこちらで目につくが、福岡ではアビスパの文字すら街並みを歩いてもなかなか見当たらない。
「個人の力でなく、もっと大勢の人が協力してくれれば…」頭を抱える彼に知人の福岡市中央区の会社員男性が声を掛けた。
「各地域の有志を集めて、みんなでやればいいじゃないですか。そういう運動をしましょうよ」
「ボランティアチーム」(仮称)発足に向け動きだした。
■おらがチーム
県民の力でJリーグに変革をもたらしたクラブがある。ホームゲームの観客動員数1試合平均3万人を超えJ1でトップの集客力を争う新潟。1999年の1試合平均はわずか約4000人だった。クラブは苦肉の策として2001年の一時期チケット引換券を配布して入場料を無料にすると、一気に観客が増えた。
「人が人を呼び、おらがチームをつくったという思いがある」。新潟県南魚沼市の自営業男性は胸を張った。03年に初めて試合を観戦してから、自身の店以外にも知人の飲食店などにチームのポスターやカレンダーを飾った。サッカーに無関心な友人もスタジアムに連れて行くと、サポーターの輪がしだいに大きくなっていったという。
「アルビレックスは県民の力で大きくなった」とクラブを育てた中野幸夫前社長。04年10月に発生した新潟県中越地震のときはユニホームの袖に「がんばろう新潟」のワッペンをつけ、県民の願いを込めた。
■交流を深めて
アビスパの今季のホームゲームの観客動員数の1試合平均はJ2で5位の1万79人。だが、140万人を超える福岡市の規模を考えれば、地域に根付いたとはいえない。どうするか-。そのプランが読者から届いた。
「スタジアムまでの道のりに、手作りでいいから選手の足形のプレートや旗を置きアビスパロードと名付けて、会場まで行く楽しみを増やす。試合前には景品が当たるゲームでファンを盛り上げてみてはどうか」(福岡県久留米市の主婦)「子どもだけでなく、大人やお年寄りもできるアビスパサッカー大会や教室を各地で開催する。祭りやイベントにも選手が積極的に顔を出せば交流が深まる」(福岡市城南区の男性)「各小学校にチケットを購入してもらい、売り上げの一部を学校のグラウンドの芝生化に使う。そこで選手がサッカー教室を開けば地域のためにもなる」(福岡県太宰府市の男性)…。
J1千葉の礎を築き、オシム前日本代表監督を日本に招聘(しょうへい)したグルノーブル(フランス)の祖母井(うばがい)秀隆ゼネラルマネジャーが、こう話したことがある。「(人は)お金では動かない。心で動く。信頼の上にこそ組織は輝く」
これが今、市民も含めたアビスパに求められている。
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=2008/12/27付 西日本新聞朝刊=