ログイン
IDでもっと便利に[ 新規取得 ]

ジャンル
サブジャンル

国内

<生活危機>08世界不況 派遣の悲哀 「高給」広告で愛知に来たが…

12月29日15時46分配信 毎日新聞


<生活危機>08世界不況 派遣の悲哀 「高給」広告で愛知に来たが…

派遣会社との交渉を協議する布村さん(左)と堰代委員長(手前)=名古屋市中区の管理職ユニオン・東海で、25日午後5時30分、山田一晶撮影

 ◇収入激減、2年半で解雇−−元ホテルマン・46歳

 名古屋市中区の労働組合「管理職ユニオン・東海」の事務所では11月以降、解雇された派遣労働者からの電話が急増した。11月29、30日に事前告知して行った「派遣切りホットライン」では2日だけで130件の相談があった。狭いマンションの一室には12月末になってもひっきりなしに電話がかかる。「過去に例がないほどで、解雇相談ばかり」と堰代晃執行委員長は言う。

 島根県出身の元派遣社員、布村光治さん(46)も、ホットラインの様子を伝えるテレビを見て11月30日に電話相談した一人。06年3月から愛知県岡崎市の自動車工場で働いていたが、12月26日付で解雇された。

 元は大手チェーンのホテルマン。ソムリエの資格も持ち、国内各地の酒蔵を訪ねて日本酒の勉強をしたり、海外のホテルで働いたこともあったが、「手取り35万円も」との求人広告にひかれ、派遣登録した。工場での仕事は溶接。熱射病になりそうな環境で働いたが、手取りは多くても20万円だった。同じラインで働いていた人たちは30社以上の派遣会社から集められ、派遣会社による天引きで手取りが何万円も違うことがあったという。

 家族への仕送りができなくなったのはこの秋から。残業がなくなり、手取りが数万円まで激減したためだ。

 そして11月28日、1カ月後の解雇予告と、同時に退寮を求める通知を受け取った。動揺したまま引っ越しの準備を始め、心に浮かんだ懸念は「荷物の送り先をどこにしよう」だけだった。当然、再就職の当てもなかった。

 それから2日後、ホットラインに電話した後、ユニオンの手助けで派遣会社と交渉し、12月25日までかかって3月末までの退寮期限の延長など会社からの譲歩を引き出した。

 「同じように困っている人の手助けができたら」と、布村さんはユニオンの事務所に立ち寄り、相談者からの電話を受けたり、他の派遣社員の団交に同席している。自分自身も、年明け早々から求職活動を再開する。「もう、派遣は怖くてできない。どんな仕事でもいいから正社員になりたい。厳しいかもしれないけれど」【山田一晶】

【関連ニュース】
生活危機:08世界不況 就職戦線、来年も闇 旧態依然「ハンディ」に怒り
派遣切り:真っ先に影響、外国人労働者 浜松や広島で訴え
日産ディーゼル:「派遣」満期雇用に方針転換へ
失職列島:/3 立ち上がる外国人派遣労働者 雇用調整の標的に
派遣労働者:07年度は最多の384万人 賃金は10%減

最終更新:12月29日19時7分

この話題に関するブログ 39
主なニュースサイトで 派遣労働・非正規雇用 の記事を読む

この記事を読んでいる人はこんな記事も読んでいます

みんなの感想 この話題についてみんながどう感じたかわかります。

みんなの感想(話題ランキング)


提供RSS