議事録

第45回「J.I.フォーラム」
21世紀 ニッポンを変えるイニシアティブトークセッション

蟹瀬誠一 アメリカのメディアから、今の日本の状況は不思議を通り越して不可思議だ、ちょっと説明してくれないかと言われたんですが、僕にもわからないと返事をしましたら笑っていました。
今日おいでいただいた皆さんの話からこの不可思議のなぞが解けるのではないかと期待しています。「失われた10年」という言葉がずいぶん流行り文句にもなりましたけれども、経済だけではなく政治も社会も、多くのものが失われた中で、いつまでも言葉だけであるような感じがするのが「地方の時代」という言葉です。しかし、私個人が失望しているうちにも、今日お見えになっている方々は地方の時代はこうあるべきだという形を少しずつ実際の行動で示してくださっています。
まずは田中さん。いまや作家で長野県知事ですね。私どもメディアの好取材対象でもあるわけですが、正直に申し上げて、ここまで地方自治の中に風穴を開けていかれるとは思っていませんでした。まず、田中さんから今の地方自治の現状といいますか、長野でやっておられることをお話くださいませんか。

長野の脱ダム宣言にたいするマスコミ報道は不満なり

田中康夫 私は別に風穴を開けるとかいう大それたことをやっているわけではない。障子の穴を開けた方が東京におられますから、その二番煎じをやってもしょうがないわけでして、単に私はこういうふうに世の中がなれば良いなと考えてやっているだけです。私ならこうしたいという方向性を提示したところ、今のところ過半数の市民の方々が評価してくださっているのにすぎないと思っています。
私は日本のメディアの人よりも外国のメディアの人の方が記事としてあがってくるのを見ると的確なんですね。これは20年前に私が『なんとなくクリスタル』を書いた時からそうでした。ところが、日本のメディアの方は、私が今まで批評をやってきたのとおよそ違って、取材に来ると、バンソウコウや軟膏まで用意してあって、ナデナデしてすごいですねなどともちあげてくれますが、あがってくる記事をみると何もアーギュメントしていない。20年前からそうですが、もともと頭の中で考えていたことを書いているだけです。だったら私のところにこないで、データだけでくっつければ良いんです。外国のメディアの方は20年前の私の本を読んで「なんでこんな物を買うような若者がこの国にはいるのか。君は何を書きたかったんだ」と突っ込んできたのですが、私は「何となく」の気分で過ごしている若者がいるということを書いたのです。私が書いたことは20年間変わっていない、何も成長していないわけですけれども、今も私が言っていることは大文字の目標の時代ではもはやないということです。つまりイランのように新聞が毎朝半分真っ黒に塗りつぶされているような社会だったら、ノンポリティカルな学生でもそんなことがないことを望む集会に出かけていくはずです。こぶしを上げる人もいるが、こぶしを上げなくても人々は一つの目標に向かっていく。けれどもそうした大文字、たとえばアパルトヘイト化の参政権を求める運動であったりするような、つまり大文字でアピールしなければならないような事態は日本にはもはやないんです。でも今の日本で大丈夫だと思っている人もおそらくいないんです。
私達の社会は10年間で財政出動に100兆円、公共事業に71兆円使った、それなのに自分の家も含めて豊かさが実感できない。インビジブルな数字が徘徊しているわけです。とするならばそれはお金の使い方が間違っていたことになります。間違っていたならばそれをまずやめなければならない。その時に長野県の多くの、それも地元のメディアではなくて全国紙の長野支局にいる人達は田中康夫は手続きをすっぽかしているというわけです。もっと市民と話し合うべきであると。NHKの夜7時30分からやっている「アエラ」を読んでいるような顔をした女性キャスターがやっている番組では「あまりに性急しすぎませんか。20年間計画してきたダムをどうしてわずか半年の間でやめるんですか」と問いただしていましたけれども、私はそれが間違っていたから、あるいは、20年間説明が必要だと言っていたダムなのに説明責任を果たしてきていないから、その流域に住んでいる人たちの6割までがいらないと言い、1割台の人しかいるといっていないから、それこそが今までのプロセスが間違っていた証ですと言っているわけです。今、日本が置かれている状況はクリント・イーストウッドがカーメルの首相になったときと同じ状況が起きているのだと思います。つまりカーメルという町は民主党の支持者が多いかもしれないけれども、ある部分はセルフィッシュかもしれない。人権とか環境とかという言葉を声高にいうムーブメントには抵抗感があるけれども、そうした社民主義的な意識はとても大事にしたいと思っている人達は、今まで政治というものははるか遠い向う側にあってドロドロしていてそんな事に関わらなくても世の中はつつがなく暮らせると思っていた。でもどうもそうではないのではないかと感じ始めるようになった。それは小文字の小さな一つ一つのデテールを出来ることから自分達が変革していく事によって社会は変わるのではないかと感じ始めるようになった。私はカーメルのクリント・イースウッドのような存在がすでにニセコ町を始めとして、その他の地域においても市町村レベルではずいぶん出てきたと思います。地方交付税をもらっているところは国からお金をもらっているんだから文句を言っちゃいけないと思っていた。しかし、そんな事はないんです。今まで公的資金をもらった会社の経営者だって責任を取らないで、文句を言っていたんだからそれに比べれば、まだ私は県民から選ばれたのだから言わせていただく、というただそれだけの事です。

 こぶしをふりあげない人々を参加させる新たな選択


蟹瀬 今まではそういう声をあげても届かなかった。ところが今回、例えば田中さんの場合は有権者まで届いて知事の椅子を手に入れることが出来た。ここの違いはどこから生まれているんでしょうか。

田中 阪神大震災の後、3兆円も借金のある神戸が海を埋め立てて1兆円の市営空港を作ると言い出した計画に対して住民投票で35万人の方が反対の署名をしました。あの運動のとき私が最初に思ったのは、震災ボランティアをやっていたこともあって、これは税金の使い方としておかしい、そばに2つも空港があって新幹線もあるのに何で海を埋め立てて1兆円もかけて空港をつくるのかということでした。最初に集まってきた人たちはこぶしをふり上げる人達でした。これ以外に、たまさか私の書いたものを読んだり、顔を知っていたのかもしれませんが、なんとなく変だなと思った人達が私という媒介がいた事で、ごく普通に入ってきた。その時に今までの運動論の言葉ではなくて、これなら私もバリアフリーで参加できるかもしれないなという気持で参加しやすいムーブメントに広げられるかどうかです。長野県の場合も戦後3人しか知事がいなくて、新幹線も高速道路もオリンピックで通ったけれども、経済は傾いて行く。こういうときにもう一つトンネルを作れば豊かになれると言っている人達がいるけれども、でもそうじゃないのではないのと市民は思うようになった。ではその代わりになるものは何ですか、といったら、長野の人はわからなかった。長野の人どころか、世界中の人がポスト物質主義の時代に何をしたらいいのかはわからない。でも今はもう物質主義の流れをとめなきゃいけない。そのとめるのを何でとめるか。原理主義のタリバンのような形ではなくて、まさに第3や第4の選択の道があるのではないかということだと思います。

蟹瀬 新たな選択ですね。それから触媒としてのあり方。これからも田中さんにくわしく聞きたいと思います。次にニセコ町長の逢坂さんにうかがいたいと思います。今、田中さんの話を聞いて、何か隠されているものがあってそれが一般の人にわからないために物事が変わってこなかった。そういう意味では情報公開ということでニセコ町はものすごくラジカルに変わりつつあると思うんです。そのへんの経緯を教えてください。

   当たり前のことを淡々とやればいい


逢坂誠二 黒澤明の「生きる」という映画がありますね。1952年の映画です。あれは市役所が舞台です。市役所の課長さんが自分が胃ガンだとわかってから生きているうちにいい仕事を残そうと一生懸命仕事をやり出すんです。ところが、仕事をやりだすと、実は仕事が出来ないという実状が映画の中に描かれているんです。私は町役場の職員だったんですけれども、私が就職した頃のニセコ町役場はあれと似た状況でした。ニセコ町というのはとても小さな町ですが、町が小さいからそうなのかなと思ったのですが、どうもそれは違うらしいとわかりました。他の町や村も市も都道府県も、もしかしたら国も同じで何かおかしいんじゃないのかと感じました。私が考えたのは、ただ当たり前のことを当たり前に出来るようにしたいということなんです。特別な事でもなんでもないんです。わからなければいけないことは皆で知りましょう。隠していてはおかしい事は出しましょう、ただそれだけなんです。それがあたかも、今すごいことのように言われるとするならば、やっぱり我々が属している社会が少しおかしいのではないかというところが出発点です。当たり前の事を淡々とやってみたら、劇的に変わるのではないか。当たり前のことをしたらそこまで情報公開をしていいのですかと言われてしまうということなんです。

蟹瀬 今、情報公開法施行前に霞ヶ関で何が行なわれているかと言ったら、一所懸命いわゆるヤバイ書類を燃やしたり隠したりしているわけではないですか。

逢坂 それについては「はい」と言えるほど状況を知りませんのでわかりませんが、情報公開に対して公務員がものすごく恐れをなしている事は事実です。でもニセコでいろんなことを公開すると、最初は確かに課長さん達もずいぶんビビリましたね。

   情報公開してしまえばかえってうまくいく


蟹瀬 何を隠したいんですか。

逢坂 何をということはないんです。そもそも役所の書類なんていうものを一般の町民にさらっと見せるということはちょっと待ってよという文化なんです。そもそも書類は役人が見るもので、普通の人が見るものではないというふうに思っている。そんな事を言ってもだめだ、これからはそれが当たり前になるのだからどんどん見せて、町民の話を聞いて、議論をしていけ変わるよと言うと、最初は課長さん達は、ちょっとそれは困る、と躊躇したんです。でもやりだしたら、やればやるほど今度は、ある課長が「いやあ、町長ね。恐れないでやったら町民が味方になったよ」と言い出した。今までは、例えばゴミの問題で町民がワーッと文句を言って来て課長さん達は逃げ回っていた。それが今度は反対派の方とよく話してみる、情報を公開する、なぜ町が出来ないかを説明する、そうしたら実はその人たちがゴミについてものすごく知識があって詳しかった。町の知恵袋になってくれた。それでこれなら町民が味方になるな、情報公開をしたほうがいいな、ということになったんです。何も特別なことではない。当たり前のことなんです。

蟹瀬 特別ではないといっても、日本はなかなか情報公開法が作れなくて、それを阻止しようとする大きな勢力があったわけではないですか。不備ではあるけれども形のついたものがやっと出来たところですよね。

逢坂 4月1日からどんどんお使いになれば良いと思うんです。
もう一つは行政の持っている情報というものは、求められてから出すという性格のものばかりではないんです。そもそも知りたいと思ったら皆が知らなければいけない。知る事ができるというものも相当あるんです。ニセコでは「情報公開」よりも「情報共有」という言い方をしています。情報公開から情報共有へ概念をひろげて、さらに何のために情報を共有するかというと、それを知って活用するためです。じゃあ自分の町をどうしたいんだ、長野県どうしたいんだ、北海道どうしたいんだ、どんな問題があるのか。それが考えるきっかけになります。問題意識を持つきっかけになります。そんなふうに思っています。

蟹瀬 逢坂さんがおっしゃったのは正論なんだけれども、それがなかなか全国レベルではやれないし、市町村単位でもかなり難しいという現状があると思うんですが、廣川さん、横須賀の方では情報化で市役所を変えるというスローガンを立てていますね。実際にどういうことをなさっているんですか。

    談合をさせないシステムを開発

廣川聡美 情報化しても市役所は変わらないよという人はいつもいっぱいいます。本当にインターネットを入れたら市役所が変わるかと言ったら、それだけでは何も変わりません。経営のやり方を変えないかぎり全く意味がない。それは市役所の中だけではなくて、情報をオープンにするための武器になります。今までも武器がなかったわけではなく、広報紙があったり、記者クラブで発表したりする方法があったんですが、マスコミは悪い事は書いても、良いことはあまり書いていただけなかった。しかし、インターネットであれば職員が外部に対してたいしてお金もかけずに逐一知らせる事が出来るわけです。それを使って私どもは入札の情報を全部オープンにしています。単に情報をオープンにしただけではなく、制度も変えました。たぶん都道府県も国もそうだと思いますが、普通は指名競争入札と言って多分5,6社から10社ぐらいの数の業者を指名して入札しますが、こういうやり方をしていると話し合いつまりそれを談合というんですけれども、そういうことがあったよという話をどこかからリークされる。リークするのは談合でうまくいかなかった人がするのだと思いますが、そういう情報があると入札を一からやり直します。これでは困るので、どう変えたかというと市役所に業者の方がこないようにしました。こなければどこが入札に参加するかわからないから、談合のしようがない。もちろん一生懸命調べる人もいるでしょうが、結果的にそんな面倒くさい事をやっていられませんから。入札の札は郵便局留めで送ってもらう。そうしたらどうなったかというと入札の参加者が2・5倍に増えました。

蟹瀬 以前は入札する前にお話し合いといういわゆる談合が行なわれて、入札の数も減っていた。絞り込まれていたわけですね。

廣川 もともと絞った数でやっていたんです。それを逆に間口を広げたんです。一定の条件を満たせば誰でも参加できるようにした。この結果、これまではものすごく高い金額で入札されていたことがわかったんです。平均95・7%以上。95・7%というのは100円のものを95円70銭で買っていた。それを今申し上げたやり方でやったら85円70銭になった。そこで大きな差が出ました。金額で言うと平成11年度の私どもの公共事業費は約200億あったんです。したがって入札差額が32億。前年との差額が20億です。ただ波風もありました。これを始めたのが11年の4月なんですけれども、9月議会の時には大きなスピーカーを積んだ車がいっぱい来てワーワーがなり立てました。でもワーワー言っても入札の事は言わないんです。具体的に契約を担当していた部長の個人的な悪口を言ったんです。あいつはマージャンやっていてどうだとか、そんな事をあれこれ言って騒ぎ立てた。それで警察に聞いたら、4日もすれば終わるよと言われましたが本当に終わりました。

蟹瀬 なるほど。田中さん、そういう意味ではIT化というのは、これまでは考えられなかった新しいエレメントを入れていますね。地方の時代を作る上で。

田中 例えば私の選挙の時にメーリングリストをつかったことが勝利につながったというようなことをマスコミの人が書くんです。とりわけ新聞社の永田町の周辺にいる人は。違うんですよ。つまり一人一人が世の中を変えたいと思うようになったからそうなっただけ。だけど今までのようなこぶしを上げる運動ではついていけない。その時に等身大の自分と同じ言葉を話す人間がいると、自分は加わったことはないけれども、期間限定で少し関わってみようかなという気持になります。でもやり方がわからない。その時にそういうメーリングリストがあるらしいと知ったら、飯田に住んでいる人も上田に住んでいる人も松本に住んでいる人もうちはこういうことをやっているよと、ああ、うちはこうだよと、つまり最初に良い意味でのやる気があれば、違うんです。
今、長野県でもIT関連予算というのが国からふって来るのだけど、それは早い話が新たな小さな箱もの行政です。だってITくらい商習慣を逸脱しているものはないでしょ。車や冷蔵庫が壊れたら皆さんすぐに取りに来てよというでしょ。そして3台壊れたという話があったらリコールになりますよ。コンピュータが壊れたら、皆さんは自分で秋葉原まで持っていく。代金返せなんて言わない。3年たっても動くコンピュータなのにもう一台買い換えようかなと考えたりする。これと同じように目先だけの政治の人はコンピュータは3年ごとに買い換えられる小さな箱ものだという話ですよね。最初に人間としての体温、目ざすもの、考えがなければ違うと思います。私の場合は選挙前からすべて情報公開していたので、幸いに選挙中も私がすでに忘れていた写真まで取り出して来て、更にいろんな人が情報公開してくれたので、私は別に何もないんですが、犬が人をかんでも記事にならないが、人が犬をかんだら記事になるたとえで隠している事があるから書きたくなるんです。私の事を、プロセスがまちがっている、もっと話し合いをすべきだと、記者会見でよく言われますが、じゃあいつまで美濃部さんみたいに話し合いをしていればいいんですか。今まで長野県においては全部クローズされていた。アクセスの方法すら知らなかった。私が「知事直通のEメールもFAXもありますよ」というと「それを使える人は極くわずかです。」と言う。じゃあ今までの議員の人達はどうだったんですか。ごく限られた講演会に出た人の意見だけ聞いていたんです。私がこうしますと言った事に対して皆さんが投書以外にもいろんな手段でチェックが出来るんです。それが私は民主主義だと思う。話し合いは大事です。でも同時にリーダーというものは責任を持って提示しなければいけない。私の場合は幸いにして、選挙中からすべて情報公開をされてしまったので、今度長野県自体が私の事をこれ以上情報公開する必要がなくなってしまった。私がたまたま属している長野県という組織の公開するに足るものを情報公開しただけの話です。それは当たり前の話で、情報公開とか男女共同参画とかいう言葉が陳腐すぎて言うのが恥ずかしいとおじさんやおばさんが思うような世の中にならなければいけないということです。

    日本の山の資源を生かし、おらが山の木をつかって小学校をつくる  


蟹瀬 建築家の守田さん、建築家という肩書きをここで紹介すると、異質な感じがするかもしれませんが、実際には木の使い方であるとか、公共事業のあり方などに非常に斬新な考えをお持ちになっているんです。それをご説明いただけますか。

守田昌利 あまり難しい事をやっているわけではないんですが、日本は森林の国です。67%が山なんです。そこで1年間に育つ木の量は日本人が1年間に使う量にほぼ等しい。逆にいうと何も輸入しなくても、日本人が使えるだけの木は育っているんです。
今はどうなっているかというと、20%だけが国産で、あと80%が輸入されている。それで何が起きているか。本来なら80%もストックされているわけだから、山が豊かになって、世界中が困ったときには今度は輸出国になれるわけなんですが、山はそういうふうに出来ておりません。そのままほうっておくと倒れておかしくなっていく。人間が手を入れたところはずっと永遠に手を入れつづけなければいけないんです。こういうことが普段からきちんと考えられているかというと、あまり考えられていない。僕は東京に住んでいますから、田舎に行って目の前にある木を使ってお家を建てませんかという話をすると、その木をそのまま使ってですかと聞かれるんです。輸入されている材料の方が良いと思っている。本当はそうではなく、そこにある材料を使う努力を皆がすればいいんです。最近私は「地方の山を助けるために、山から切り出した木を使って公共建築を建てましょう」と地方に行って言い始めています。今現在も岩手県の紫波町の町長と知り合ってそのことを訴えましたら、大変に勇気のある町長で「町の山から切り出した木だけで公共建築を作ります。公共建築いろんな建物があるが、それを全部山の木材だけを使い、一本たりともよその町からは持ってきません」と宣言していただきました。「子供の家」というのが今月出来上がったんですが、それをこしらえたときに町の人達を沢山呼んで説明会を開きました。カラマツがたくさんあるのは、北海道の次が岩手県、その次が長野県なんです。これは戦後に大量に植えたからですが、これがほとんど使われていない。カラマツという木はあまり良い木だとは思われていないので、カラマツだけ使ったものをみせようと、工事途中で見せたんです。皆さんが「カラマツってこんなにすばらしい木なの。こんなに良い木なの」と驚いていました。現実に見せて始めてわかるんです。この町長が素晴らしいところは、まず実験的に小さい建物を作って皆に了解を得て、次に学校を作ると言うように理解し易いようにする。小さい建物の約100倍あるのを今設計しています。100倍もあると山から木を切ってきて使うのにはとても手間がかかります。その町は1年間で森林の売り上げが3億ぐらいですが、木材だけでその学校一つに1億以上使います。だから製材所は間に合わない。林業の人も間に合わない。当然大工さんも足りない。建具屋さんも足りない。というふうになってしまいます。でもよそから来て働いてもらわないで、自分達の町だけでやろうということになった。何が問題なのか、時間の問題ですからゆっくり作ればいいでしょ、となった。手で作るわけだから、工期を1年ということではなくて1年4ヶ月にしましょうよと。皆で間に合うスピードにすればいいんです。そういうふうに大きく考え方が変わります。時代が変わっているわけですから、皆で考えればうまく行くわけです。この辺のところは行政がちょっとした勇気を出せば、変われるんです。

   役所の仕組みを変える構造改革


従来だったら、学校を作るのに予算が単年度で出来ていますから、設計が終わって入札した時に始めて業者が決まります。それから材料を発注する。まだ山に木が立っています。それは当然使えないわけです。工期が決められていますから、じゃあどうするか。乾燥した輸入材が積んであるからそれを使うということになる。したがって山の自分達の木を使うには行政の仕組みを変えないとだめなんです。前の年に山から切り出して乾燥させておいて次の年に使うというふうにしておかないと、うまくまわらない。情報がそういうふうに動いていなければ、山から切ってきても誰も使ってくれません。
もう一つ、実際に山にどんな木が生えているかということがほとんど情報化されていないんです。私が設計するときに、山の木の小さなサンプルを見せてこれと同じ木を使ってくださいと言っても、これと同じ木が山に生えているわけじゃないんです。山の木は一つづつ同じ種類であっても性格が違います。こうした情報が事前に調べてあればうまく建物を設計する事ができるんです。東京の人達が羨むような木材をふんだんに使った建物を作ろうよ、と言って床の厚さも15ミリではなくて75ミリの一枚板をバンと張りました。でもその位の事をやっても実はそんなに高くはならないんです。自分達の木を自分達で加工して自分達で作るからなんです。こんな事を昔はどこでもやっていたが、今それが出来ないのは何が問題なのか。この辺のところがなかなか変わらない行政の仕組みが存在していることが大きなポイントだと思います。

蟹瀬 守田さんの木の話を伺ったとき、最初は木の話だと思いました。だけど実際に問われているのは入札制度のあり方だとか、公共事業のあり方とか、あるいは地方にある素晴らしいものをいかに生かそうということなのに、ある種の制度のために全く生かされない。廣川さんが先程ITの入札の話をなさっておられましたが、そういうのはうまく行かないものなのですか。

廣川 入札について言いますと、市長が翌年の業界の新年会に顔を出したら冷たい雰囲気で、そのときはだいぶ市長も参ったようでした。でもうちの市長の偉いところはそこを跳ねのけて、どう考えても10%物が安く買えるのは税金を10%効率的に使えるわけですからぜったいに間違いはないわけです。プレッシャーを受けても跳ね除けないといけないんですけれども、後援会が業界の方々がメインである首長さんにとっては結構厳しいのではないかと思います。全国の他の首長さんがそれができるかというと、なかなか難しいかもしれません。

守田 同じ建築をやっていますので、入札の話とか予算の話には非常に関心があります。紫波町は予算があるであれば、それをふんだんに使ってどうやったらうまく使えるかというところまで踏み込んでいくにはどうやったらいいかと考えた。そして皆が参加するわけだから、始めからもうすべて公開してしまえということにした。地元の小さな工務店たちが連合を組んで、自分の息子や孫たちのために町の建物を作るわけです。作り手のおじさんの名前まで皆知っている。スーパーゼネコンが来てポーンと作って、もうけを持って帰る。地元の工務店は下請けで思いっきりたたかれる。町長はそういうやり方をするとかえって票は入りません。ふざけるなという話になってしまう。今は違うんです。80%スーパーゼネコンが持っていったやつが今度は80%町の中に落ちるわけです。高いとか安いとかというのは誰も問題視しない。皆して参加して作るんだと。これの方が僕は大切だと思います。当然価格公開しないと駄目です。当たり前のことのように材料がどういう値段をしているのかということも含めて。

    ダムをつくりたがる補助金行政のからくり

蟹瀬 田中さんに伺いたいんですが、公共事業で作るものは、ダムもそうですけれども、コンクリートで出来ていないと駄目なんだという考えが田舎のほうではあるんですか。

田中 僕は公共事業のあり方を変えると公約しました。3つのダムに関してはいったんゼロからやり直すと言いました。ダムが多く作られるのは補助金行政の然らしめるところが大きいと思います。ダムは大体200から400億かかります。半分まず国が出します。多目的なダムを作るという段階で、県の事業でも残りの半分のうちの95%は起債が出来ます。この借金の返済時には66%を国が面倒をみてくれるので、全体として81%はダムを作る場合に国が面倒を見てくれるという形になります。
これに対して例えば養護学校を作るとすると、これは公共投資になります。これだと国の補助金は21%です。その他の県の起債の償還時に対する国からの補助はありません。このような仕組みから、地方は本当にダムがほしいのかなと疑問に思っています。もし仮に体育館をつくるとき国が8割面倒をみると言ったら、日本中に多分1000万個ぐらい体育館が出来てしまうのではないか。ダムは8割も国が面倒をみてくれるから作りましょうと私達の県でも旧体質の人達は言うんですけれども、この手の巨大な事業は8割は実は東京に本社がある企業体に還流される。コンクリートも使えば、コンクリートをこねる作業もよそから持ってきたところでやる。例えば橋だとかトンネルだとか道路、ビルディングなどはそれぞれの専門分野の知識しかつかいませんが、ダムの場合はとりつけ道路をふくめていわゆる土木工学の技術の粋を全部を使う。僕はあえて申し上げると、これは土木工学を修めた方々にとっての究極の大人のおもちゃだと思っています。
一方で例えば長野県でジョイントベンチャーを組んで巨大な公共事業が行なわれています。この場合には大体3社JVになります。3社JVは5:3:2の按分です。5と3の部分は大体長野県に本社がない企業です。そうしますと8割国から補助が来ていても、それは地元におちないで全部そのまま中央に戻ってしまう。日本のODAよりもあこぎです。逆に補助率が6,7割のものがあったら、私達は東京の会社に長野県民の税金を寄付しているということです。起債の償還する利息がありますから、これを考えると実は巨大公共事業は私達の地元の意欲のある土木建築業者を潤しているとは言えないんです。このパラドックス。私にとっての責務はこうやってしゃべったり書いたりして、4月以降の具体的な事例を見せて、これがこういう金額で、こういう業者でというふうに、4月から情報公開条例が出来ますから、全部言えます。やはりそうやって見せていかないといけないと思う。
もう一つは私が脱ダム宣言した意味は、出来る限りコンクリートのダムを作らないということです。以前、例えば「緑のダム」ということを言った政党があったが、それは広がらなかった。だが、私が1回記者会見をやっただけで、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。もちろん下諏訪ダムを中止すると決めた事もありますけれども、「緑のダム」という言葉から来るものは環境を守るという発想です。私はもちろん長野県の森林をもっと整備しなければいけないと思っています。
アポロ計画のころでしたか、私が中学生のころ、ダムの前に立って、このダムが私達の生活を支えている、そして科学を大人たちがこのダムに生かしてくれていると感動的に思いました。でも今は、ダムの前に立つと、JR西日本の山陽新幹線のトンネルと同じように塩分のあるコンクリートが使われていて、いつの日かこのダムも壊れるのではないだろうか、そして科学は本当に人間が人間らしく生きるため、永遠の未来を与えてくれるのだろうかという疑問がこの巨大ダムに象徴されているように思うんです。この巨大なダムの数字の内容は知らなくても、何か私達がこれだけ大きな投資をしても豊かにならない社会の縮図がここにあるのではないかと思うのです。だから緑のダムではなく脱ダムと言ったのは、おそらくそこにダム単体ではないすべての私達の社会のあり方が凝縮されていると皆さんが思っていただけるのではないかと思ったのです。
ある魚市場のそばにある新聞社の論説の偉い人が、加藤紘一さんという方は発言したあとにころころ変ってしまう、私はマスコミの前で言いすぎると書いていましたが、マスコミの前で言うのはパブリックだということです。私がマスコミの前で言った事が理由なくころころ変えたら市民はあっという間に離れます。私は良い意味で私に追い込んでいるんです。加藤さんがそうなったときに何でかなと言ったら、ある論説の人がこれでまた書けて飯の種になるんじゃないかと言ったというんだけれども、私はどうも長野県の改革が早くいき過ぎると、マスメディアの人達の書くべき内容がなくなってしまうのではないかと思うんです。社説ではずっと公共事業を見直そう、緑を大事にしようと言っていたのに、具体的に神戸の時は私は市民運動側だったし、議会の構成を見れば35万人の署名を集めたって否決されるのはわかっているから悲劇のヒーローとして書くのはドラマとしては成立しやすいんです。権力側で社説で書いていた事をすごいスピードでやってくれる人が現れたら、自分達が食いっぱぐれてしまうと思うから足を引っ張っているのではないか。私は長野県の記者クラブを廃止することからおそらく記者クラブ的な体質、まさに護送船団方式のマスメディアというのが融けていくと思っています。あるいは融けさせなければいけないと思っています。(拍手)

蟹瀬 僕もアメリカでのジャーナリズムの仕事が長かったものですから、日本のメディアの問題点は、自分が当事者でありながら、問題点をいつも感じつつ仕事をしています。しかし今日はそれがテーマではありませんからご了解いただきたいと思います。先程の公共事業の話に戻って、地元が潤わない形のシステムが連綿と続いているというのはどういうことなんでしょうか。

    公共事業は地元に金はおちないで、東京のゼネコンはもってゆく


逢坂 北海道も長野と並ぶ公共事業王国です。東京の税金を北海道に全部持って行っているとずいぶん批判されています。それはともかくとして、今の行政で何が問題かというと、これはもう時代にあわないから変えようよといってもそれが簡単に出来ないということです。これは何も巨大な公共事業だけを考えなくても、小さなことでもいいんです。例えば単年度予算主義というのがありますね。4月から始まって3月までお金を皆使いきりましょうというやつです。私が20代の頃、担当したある公共事業で小さなヘリポートを作ったんです。1億ぐらい予算がついていたのを7000万ぐらいで出来そうだから、3000万残しますと言ったんです。そうしたらものすごく怒られました。「何で残すんだ。国がつけた予算だよ」「同じ物を7000万で出来たから良いんじゃないんですか」「それが駄目なんだよ。後で道庁に行って迷惑をかける。国に迷惑かける」というようなことがありました。
今でもそのままですね。もう一つは住民参加とか情報公開とか言って、皆で話し合って決めていこうとしますよね。でも国の補助金制度にのろうとしたら、締め切りが1週間後だったら大至急事業内容を出してこいというのがざらなんです。本当は市役所の職員は皆真面目なんですよ。参加だってやりたいんですよ。でもこんな現状なら出来っこないです。今日は暴露しちゃいますけど、明日私の首がなくなったら長野で使ってくださいね。(笑い)

田中 喜んで特別顧問になっていただきます。長野県は安藤忠雄さんと堀田力さんと養老孟司さんを年間50万円で特別顧問にしたいと言ったら、そんな事は税金の無駄だと言われました。うちの議員は毎月31万円、お給料以外に政務調査費をもらっています。年間2億3000万円も政務調査費を払っているんですよ。ぜひその3人よりも素晴らしい長野県に対する提言を来年の3月にはいただきたいと思っていますけれどもね。

逢坂 去年経済対策とか雇用対策でいろんな政策がうたれましたよね。夏ぐらいでしたか、急激に雇用を増やすんだということでワーッと補正予算がついた。あれで私の町にも事業の指示が来ました。締め切りまでどれ位時間があったと思いますか。1週間です。1週間で雇用対策を考えてすぐ出してくれといわれました。もちろん国が言ったときにはもっと時間があったと思います。それがいろんなレベルを通ってニセコ町に来た時には1週間しか残されていなかった。1週間でうちの雇用対策担当の職員は何を考えることができますか。だったら、今までの事業とかやりのこした事業を寄せ集めて提出するわけです。住民参加なんかできないのです。こんな実態があります。ちょっと言いすぎかもしれませんが、とにかく仕組みを直さないとどうにもならないと思います。
もう一つは、お金を牛耳られているから、そんなら補助を使わなければいいではないか、何もしなければいいではないか、と言いますけれども、それは無理なんですね。特に長野もそうだし、財政的には厳しい町や村も多いと思いますので、そこを変えなければ駄目です。

蟹瀬 変えるのは今無理だという発言と、変えなければ駄目だという発言がぶつかりあっているんですが、どうしたら変えられるんですか。

逢坂 だから私も首をかけてしゃべっているんです。しゃべらなきゃわからないです。市民の皆さんは役所の職員が悪いというけれども、違います。悪いことの裏には理由があるんです。

蟹瀬 そういう中から田中さんみたいな人が出てきた。

    最初にダムありきで押しとおすすごい世界


田中 下諏訪の川は一回も堤防が決壊したことも、人が亡くなったことも、家が流されたこともないけれども240億円かけてダムを作らなければいけないという。そのダムは全体の地域に降る雨の9分の1しかコントロール出来ないんです。市街地部分が3キロあるんですが、一回もあふれたこともない川を浚渫するならば、1メートル1万円でできる。私はまず原点にもどろうと。浚渫して、路盤の点検補修をして、上流の森林整備をして、というふうに様々なことを考えていかなければいけないのに、最初にダムありきで押し通す。これは私はサービス業の精神がないからだと思います。これは鉄道会社と同じです。私はかねがね鉄道会社は横柄だと思っています。とりわけ最近上場しているような会社は。鉄道会社って日銭だものね。遊園地を作って、国にお金を出してもらって鉄道を作ると、日銭が入る。定期券の人は6ヶ月先に前払いしてくれるんです。だからそんなところがホテルやショッピングセンターを経営したってうまく行くはずがない。行政も先に皆さんからお金を頂戴して、しかもどこに使うかもつまびらかに言わないで、お金を使う。だから鉄道会社も行政も全部逸脱しているわけです。普通なら良い商品を作って、良いサービスをして始めて、それも何ヵ月後かにお金が入ってくるのに。だから私はサービス業の精神を持ってできる限り少ない金額でできる限り大きな事をしようとしているわけです。
もう一つは県内各地に10個合同庁舎という地方事務所があるんですが、私は4月から1ヶ月のうち1週間はそこで仕事をすることにしました。例えば介護保険ですが、私は霞ヶ関の官僚は腐っていない、優秀な人がいっぱいいると思います。その人達が介護保険のプログラムでいっぱいプラットホームを作っている。長野県の南半分は絶対に介護保険が必要な地域だと思っていますが、各市町村が手を上げなければ出来ないんです。私は市町村長と会って、20年後には空いてしまうかもしれない特養老人ホームをもう1個作るんだったらもっと違う訪問介護の方面に力を入れたら良いんじゃないの、ショートスティの方が良いんじゃないのと一緒に話し合っています。そして平成14年度にその村にあった介護保険を築いてもらう。こういうことを行政指導というなら、行政指導という言葉を勘違いしていると思うんです。例えば東海村で起きたような事はそれこそストリクトに行政指導やプロテクションを考えなければいけないのに、あんなところはしないで、昔よく言われたようにバス停を100m動かすのにすごく書類が要るというようなまったくくだらないところに行政指導している。


    ITで役所の仕組みも変わらざるを得ない

廣川 都道府県で温度差がものすごくあるんです。田中さんがおっしゃったように高知県では市町村に職員がどんどん行って、今までみたいに県庁にふんぞり返っていないで、市町村の人たちと一緒になって物を考えて一緒になってやれと知事が指示しているんです。だがそうでないところが山ほどあります。私の担当のITの世界でもそうです。総合行政ネットワークというのは国と都道府県と市町村がつながるんですけれども、つながったときに役割分担が大きく変わると思うんです。地方分権一括法で役割分担の見直しという話があるんですが、例えば都道府県と市町村が見直しの会議をやったかと言うと一回もやっていない。ネットワークでつながるとどうなるかというと、今までは国から書類が来て、都道府県でコピーして、コピーしたらすぐに配れば良いのに、配らないで市町村にこれを配って良いかなどと決裁をとっている。でもそういうことはなくなります。じかに書類が電子メールで届いて、逆に集計も都道府県があれこれ言わないで、チェックはあるにしてもそのまま行うようになる。今までとはまるっきり働き方が変わってくる。役割分担が変わります。情報を受け継ぐだけの人がいらなくなります。県は情報を受け継ぐだけの役割だとは思いませんが、そういう事だけをやっている人達のセクションは多分要らなくなります。テクノロジーがシステムを変え、システムが人間を変えていく。その時に役割分担をどうするか、ちゃんと話し合いをすべきです。市町村も都道府県に甘えていては駄目。自分達の役割を考えて、住民のニーズを把握してちゃんとやるべきです。センサーの役割とあるべき姿を考えるのが仕事にならなければいけない。それを支援、調整するのが都道府県の役割だと私は思います。

蟹瀬 守田さん、いまお話を伺っていていわゆる「役人」という言葉、これあまり良い響きではありませんね。これは何も日本に限ったことではなく、役人というのはほっておけば数がどんどん増えて最大の使命は現状維持になる。これはなかなか変わらないような気がするんです。外から見ていてどうですか。

守田 本当にその通りです。2年ほど前に、ちょっと努力してくれたら簡単に山の木が使えるのにね、という話を担当者にしたら「なんで私は努力しなきゃいかんのですか」と役所の人が言うのです。職員にはその義務はない、努力するというふうにはなっていないんです。先程言った、山の木を切って使えるようにするため、山にどんな木が生えているのかを調べるのは、発注する側ですから、山の人達に聞けばいいだけなんです。だけどその事は自分の仕事に入っていない。そこでもう進まなくなってしまう。今回は僕がメッセンジャーになって森林組合の人達と夜を徹してどんな木があるのかを聞きました。彼らもよくわかっていなかったが、こういうのを使いたいと言った。こうして始めてデータが出てきます。でも抽象的なものです。もっと詳細なデーターになった在庫情報というようなものになっていかなければうまく使えません。ここに長野県知事がおられるからお話しますけれども、山にはものすごく大量に木があるわけですから、その木を切ってあげて山を活性化していけば、治水はうまく行くんです。

蟹瀬 そのへんのことについては、我々素人はわからないですよね。

田中 干ばつに関しては今までは国からの補助はありません。だけど国から補助がなくてもやるべき事はまず始めなければいけないので、私は造林というか、森林整備の予算を昨年の2倍にしました。

蟹瀬 森林というと、我々はイメージ的に木を植えていく発想ばかりではないですか。

田中 日本は例えば道路の舗装整備、浚渫の費用などは全部国からの補助はないんです。作る事には出すが、育む事とか、よい意味で維持する事には出さない。でも今までは東京都以外は国からお金をもらっているから、このことは言えないと言っていた。でも具体的な事例で我々が提示をしていく事で、知らなかった市民もこんな事があるのかと知るようになる。例えばふるさと農道で長野県でも63億円かけて橋を作っています。あるレタス作っている村に。ところが当初予算は19億円でスタートしているんです。小さく始めて大きく育てるといわれて、私は何だこれと思ったのね。ふるさと農道は交通量予測調査もしないでお金がついてしまったんです。信濃川上というところなんですけれども、78メートルの巨大なコンクリの橋脚が立っているんですよ。「こんなの、どうして作っているの」と聞いたら20年後かなにかに山梨県と佐久の間に高速道路が通るから、そこのインターに向けて作っているというんです。ずいぶん準備がいいことでございますね。高速道路でレタスを運ぶんです。ところが山梨の方へ行く道は大体60キロ制限だけど、多分80キロ出してもトラックが走れるような道が出来ているんです。私はコンクリの橋なんかかけないよと言ったのです。ところが債務負担行為というやつなんです。行政には表返しだか裏返しだか、芸者さんみたいなことを言っているんだけれども、鉄橋をもう前に作ってしまっているんです。大阪とか君津とかそのへんの工場で作っているんです。平成12年度予算では1銭もついていなかったのに、行政はつぶれないという前提で平成13年度予算から支払う。でも私が就任した時にはそんな事はわからなかった。そんなものはもう1回見直さなきゃいけない。すでに発注してしまっているから平成13年度予算で組んでおかないと違約金を払わないといけなくなります。鉄橋だからかけないで1年置いておくといろいろな事が起きてしまうという。すごい世界だよね。

     改革首長を支える市民のムーブメントが大事


逢坂 日本の役人は馬鹿ではないと思います。変えようというムーブメントが絶対に起こると思うんです。私はその声が地域からは少ないような気がします。もっともっとはっきり言っていいと思うんです。そのために重要なのは市民の皆さんの力です。はっきり言うと、ものを変えようとする力は小さな少人数からしか生まれない。皆がこれは絶対におかしいと思うようになったらものはひとりでに変わるでしょ。ここにいる会場の人が皆おかしいと思ったら、賛成も反対もなくものが変わるではないですか。でも、ものを変えていくときに気が付くのは最初は少数です。だからつらいんです。でもこれを支える力がなければ駄目なんです。それが市民の力なんです。投票でしか私は世の中は変わらないと思う。だから私、つまり田中知事を皆で支えていかなければいけないと思うんです。もしかしたら私は間違うかもしれない。間違ったときはガツンとやらなければいけない。そのために実は情報公開とか情報共有がいるんです。実態を知ってはじめて皆がああそうかとなる。ただ単にダムの話だけではなくいろんな事が絡んでいるな、予算も道路も公務員の資質もいろんな事が絡んでいるな、だったら我々がもっと勉強して支えるムーブメントを作っていこうということが大事なのではないかと思うんですが。いかがですか。

田中 お互いを誉めあってもね。傷をなめあっているのではないもんね(笑い)。今日、退職者の方達に講堂で退職の辞令を渡して話しましたが、「私達はパブリックサーバントで、県庁の建物の中にいるときに私達は最も公僕であるべきはずなのにもっともプライベートなんです」と言いました。だって前例を踏襲する、新しい事はやらない、家族を養い、家のローンを返済するためには職を失いたくない、だからとてもプライベートな感覚で公務をやっているわけです。でもその人達も家に戻れば近所の人と、変な世の中だな、もっとこうなってほしい、と言い合っているんです。プライベートな時間にもっともパブリックなことを言っている。私は退職する方々に皆さんは今日から毎日が日曜日ではないですよ、毎日がウイークディですよ、今までの皆さんの経験を各地域でプライベートな時間にパブリックな発言をしつづけてください」と言いました。
私は一番最初に感じたのは、神戸空港の住民投票に署名するよう、JR神戸の駅前でキャンペーンしましたが、皆署名しないんです。世論調査をしたら7割8割反対の人がいるのに、製鉄メーカーや東京の大きな会社の支社の社員が3,4人で出て来ると、互いに牽制しあって署名しないんです。ところが郊外の駅で終電まで立っていると誰もが知っている会社のバッチをつけた人がやってきて、「こんなことはうちの会社だったら考えられない。3兆円借金を抱えていて1兆円の空港をつくるなんて」と言って署名していきます。そしてうちの女房はしていないと思うから一冊署名簿をもらいますと言って持って帰る。私はこのとき、本当に個人になった時に人間は自分の考えを出せると思いました。私はシュプレヒコール型ではなくて皆がものが言えるような社会の環境設定をしていかなくてはいけないと思うんです。

蟹瀬 一種無力感が広がった時代から少しづつ立ち上がりつつあるような気がするんです。きっかけはもちろん神戸の大震災でもあるし、一つの例として覚えているのは日本におけるフランス年。京都にフランスが寄贈してくれる鉄の橋をかけようというバカバカしい企画があって予算までついた。地元の人達がすごく反対した。僕も反対運動に加わったんですけれども。そうしたら予算まで白紙撤回してしまった。こういうことが可能な時代になりつつあるなと感じました。

田中 フランスの鉄の橋をかけましょうと言い出したので、京都に行った事のない人まで古都に似つかわしくないと言い出した。もしかしたらあの場所は橋と橋の間が比較的にあいている場所で、地域にあった形状の橋だったらかける必要があるのかないのかという議論から始まらなければいけないけれども、これはまさにテレビ的な時代の今、橋がいりますか、いりませんか。鉄の橋ですよ。どうですか。という中では伝えにくいんです。あり方を問うていく形でいかないで、マルかバツかで言ってしまうのでは成長がないと思います。もちろんあの橋自体はいらなかったと思う。だけど形状の話になると説明がまどろっこしいんです。それをいかにまどろっこしくなく端的に伝えていけるかどうかがマスメディアやリーダーの技量だと思う。

蟹瀬 今日のテーマの一番太い柱は、地方がいま少しずつ元気を出そうとしているということですが、僕が一番危惧しているのは地方がどんどん活発化して何が起こるかというと、地方が均一になってしまうことです。まったく同じような長野県、愛知県、北海道ができることは実際は好まれていないと思うんです。地方の特色を生かしながら、地方自治を強化していくことは一体どうやったらできのでしょう。この辺はいかがですか。

     中央型に平準化していくことに疑問がおきない不思議


守田 建築の方から考えますと、日本の町が大きな波の中から一つづつの小さな地方の波に変わらなければいけないだろうと思うんです。戦後の建築は日本中ほとんど同じ形式で作り始めた。本当はそうではなく一つ一つの町にあったものがあるはずなんです。そういうふうにいうとあるんですよというんですが、そこにあるメーカーさんの住宅がポコンと建ち、その隣りには違うメーカーさんのができる。全国にあるものがどこにでも出来てしまう。本当はそうではなく、その町でしか取れない材料、その町でしか出来ない技術をつかって例えば100年作りつづけたらどうですかと僕はいろんな町に行って提案しているんです。そうするとほっておいても観光地になりますよと。そこにしかないわけだから。
技術は沢山あるわけです。世界中の技術はインターネットで持ってくればほとんどエネルギーはかかりません。しかし、ドイツから断熱の木製のサッシを持ってくるんです。これは省エネにすごくなるんですよと。でもどこが省エネなのか。ドイツから持ってくる輸送のエネルギーは考えないわけです。もっと全体的に見て欲しいのです。又、理解していただきたいのは、例えばその町で育った木はその町で育った人達と同じ空気を吸って、同じ水で育っているんです。体に悪い事なんてどこにもない。皆が気がついて、じゃあそれを作ってみようというときに、それを作るのには時間がかかるんですと。45日で出来ますというコマーシャルを見慣れてしまって、自分が一生ここに住む家を45日程度で作られてたまるかという人はほとんどいなくなってしまっているんです。本当は時間の長さを自慢するようになってほしいんです。それが45日の方を選んでしまうという不思議な文化になっている。こんな現実が町そのものをが壊していっているのではないでしょうか。それがあちこちで起きています。行政の仕組みそのものもそうです。

蟹瀬 おっしゃる通りだと思います。大阪さん、たぶんニセコって良い町だからそのへん実感があると思うんですが、家一軒ではなくて町自体も金太郎飴型の公共事業漬けになっているようなイメージで作られている気がするんですが。

逢坂 戦後50年の間に日本人の価値観ってすごく均一化されましたね。だから特色のある街づくりをしようとすると、必ず反対勢力にあってつぶされてしまうケースが多いです。これはテレビとかマスメディアの影響が大きいと思う。そこに出てくるものが世の中の標準であって良いものであるという印象を持ってしまうんです。ニセコにいてもうちの子供はファーストフードを食べたいと平気で言うわけです。そういうところの価値観をなおしていかないといけないと思うんだけどね。

守田 その通りだと思います。鉄筋コンクリートの学校を作ったほうが立派だというふうに田舎の人は思っている。でも、東京だって実際に鉄筋コンクリートで学校を作りたいわけではないんです。本当は木造の平屋建てでゆったり作りたいんですよ。場所がないから仕方なく二階建て三階建てで作っている。それなのに逆にそっちの方が素晴らしいと思ってしまう。でも町の人達に現実に絵を描いて見せると、始めてそうだったよねと皆気が付くんです。だからやって見せるしかないというのが今の時代です。テレビが中央から情報を降らせているんです。ですから国民はその通りにしないといけないと思い込んでしまっている。鉄筋コンクリートの方が長持ちすると考えているようですが、鉄筋コンクリートというのはフランスの田舎の植木屋さんが考えたもので、まだ250年ぐらいしか歴史がない。それにくらべて木造の日本の東大寺などの古建築は皆1000年以上歴史があるんです。三代丸山遺跡で見つかった高層建築、これは6000年です。そういう日本の古来からある技術でつくったものは長く持つんです。そういうことをもっと理解して、自分の身の周りで確かめるということを皆さん考えていただきたいと思うんです。そこに気が付けば、これは長く使っていたものなのだな、ということが身の周りに沢山ある。その良さを発見していけばいいんです。それがその地方にとって本当は一番良いことなんです。ゆったりした平屋建ての校舎をつくるために隣りの敷地を買えばいい。東京では買ったらとてつもない値段になるから上に高くする。田舎は明らかに建物より土地の方が圧倒的に安いんです。校舎の敷地は校地と言いますが、大きくすれば良いんです。そういう発想は元々ないんです。東京から出た仕組みですから。田舎の仕組みはそこが違っているということを話を聞いて気がついた。もとの校地の中で建替えるためには仮設の校舎がいる。それが、1億かかるところを敷地を買い増すだけだと5000万ですんでしまうわけですから。こういうことというのはトップの人が頑張らなきゃいかんのです。首長さんがそれでいいんだと。そういうふうに頑張る勇気というのが必要なんです。

逢坂 今までは標準化するとか皆と同じに作るということはある種日本の中では公平だったり平等だったりしたんです。補助金を出すためにはよそと違ったものをやられちゃこれは困る。特殊なものに補助金を出すとなぜ長野だけそこに出しちゃうの。なぜ北海道にはくれないの。そういうのが平等だとか公平だという価値観で国がすすんできたんです。それは仕方のない側面もあります。戦争が終わって一所懸命、日本の国を何とかしようと頑張ってきたわけだからある一定の水準に行こうというところまで来るにはそういう処方は私は有効だったと思うんです。でもこれからはそうじゃないんです。地域ごとの新たな価値観を捜そうという事をしなきゃいけないんです。でもそれをやるのは今の仕組みや制度の中では結構エネルギーがいるんです。例えばニセコで木造校舎を作ろうと言ったら通常の校舎を作るよりもものすごい手続きが必要で、ものすごい協議が必要で、ものすごく大変なことになるんです。職員はそれをやりづらい。やりたくない。なぜか。やってもやらなくても給料は変わらないから。

   公務員は積極果敢にやるために月給をもらっているのだ!


蟹瀬 そこで町長がやろうと言ったら何とかなる。

逢坂 そこで一所懸命頑張ったら価値を見出すという仕組みをこれから作っていかなきゃいけない。でも本来今の公務員制度というのは、皆さん公務員というとイコール親方日の丸で、リストラがないと思っていますよね。あれは何のためにあるかと言ったら新たな事にチャレンジをして積極果敢にやっていいということなんですよ。それでも首にならないということなんですよ。本当は制度的にそういうふうに担保されているはずなんです。制度本来の意味をもう1回呼び覚まさなきゃいけないなと私は思います。

蟹瀬 そういう意味は僕今日始めて聞きましたけれども。

田中 公務員の場合は降格人事というのがないんです。例えば課長でもっとこの人には違う人生があるなと思っても。県庁の建物の外だとその人が行けるポジションは例えば地方事務所の所長ぐらいしかないんですよ。そうするとその人には新しい人生をどうですかと言っている意味にはならないだよね。知事とは違って公選じゃないのに、俺はこの地域の王様になっちゃった。だから第三セクターをいっぱい作ってしまうんですね。降格人事ではなくてとにかく置く場所を作らなきゃいけない。すごいまずいですね。
フランスは石の国といわれます。ブルターニュは石ですよ。石しかなかったんだと思うの。アルザスとかサボア地方とかのスイスとかドイツとかの国境の方に行ったら木の家だよね。石の国のはずなのに。それで地中海の方に行ったらイタリアの人達と同じようなカンヌやニースと同じ黄色い壁の家があるでしょ。日本はどこに行ってもアルミサッシのツーバイフォーの家になってしまったということです。これはやっぱりマスメディアが、東京にある新聞社が全国に行って同じスタイルでやる、東京にあるテレビ局が東京と同じ番組を流す、ラジオは東京の局のも流れているんだけれども、朝や昼間はほとんど地元のなんだよね。地震が起きたときにテレビはちっとも役に立たなかったの。ヘリコプターの上から「あら大変でございます」って5つの局が皆同じ絵を流して、地震とは無関係の人がコタツに入ってみかん食べながら「あら大変だ」と言っていたんですよ。地元の人に役立ったのは「ここにお水がありますよ。ここの病院はつぶれていませんよ」という地元のラジオだったの。だからやっぱりITのすごさというのは実はワールドワイドですよ。国境がないんです。けれどもいろんなホームページがあるし、いろんなサイトがあるし、まさにその中にコミュニティ以下のインディビジュアルサイトがいっぱいあって、だけど全体は東京ドームのように自由にパスポートなしに行き来ができるということです。それがもしマスメディアの中で可能性があるとすると、それはタウンペーパーとかいろいろあるかもしれないけれども、均一で言えばラジオなんです。テレビというのは一分半一人がしゃべったら長いです。だから起承転結じゃなくて転や結になるけれども、ラジオは1時間の番組でアナウンサーとアシスタントとゲストでじゅうぶん持つんです。一分半しゃべっても長くないから起承転結で考える考え方が出せるんです。だから私は地域の自立ということはメディアを使う場合もそういうことを考えないといけないなと思います。

蟹瀬 今のインターネットにおける多様性みたいなものというのは面白いですよね。メディア論をやりに来たわけじゃないですけれども、力が入っちゃうんだけれども。マスメディアというものは、マスという言葉が示しているように大衆に対して、非常に大きなマスに対して均一な情報を流すという構造的に出来上がっちゃっているものなんですね。

田中 土曜日の午前中に情報番組とか社会情報番組とかありますよね。あるテレビ局で局長賞だか社長賞だか出た。それはなんだったかというと、東京にちょうど台風がやってきていたんです。でも全国ネットの朝の番組なんですよ。その日は三重県だか高知県だかの秋の花の生中継をかんかん照りの場所からする予定だったの。ところが東京に刻一刻と台風が近づいている。そんな花の絵流している場合じゃないだろとディレクターだかプロデューサーとかがそこで用意していた花の農家の人達とかテレビクルーは全部撤収させられて、東京のニュースを全国に流したんです。そうしたらその局長だか社長が時期にかなったタイムリーな番組編成をしたといって賞状を出したの。とんでもハップンな話ですよね。東京の人のためにやっているんじゃないんですよ。いいじゃないですか。台風の時に家の中に入って壊れないと勘違いしている東京のビルの中にいる人にとっては、高知の花を見ているほうが心和むよね。

蟹瀬 すべからく中央集権型で物事が進んでいるんですよ。

田中 実はどこの局かあえて言わなかった理由は、聞かれなかった理由なんですけど。(笑い)

     役所の課長を引っ張り出すテクニック

守田 僕はインターネットを自分の後ろ側で支えくれる仕組みとして使っているんです。行政に行って話をする時に「個人の建築家守田です」ということだけで行ったら対応は窓口の担当者だけになる。それを「実は僕はインターネットでマガジンを発行しております。ここで話されることはそのまま全部世界中に流れます」と最初にお断りするんです。そうすると必ず上司が出てきます。これは田中さんから学んだことではあるんですけれども、必ず上司が出てきて、公式な話として話を全部聞いてくれる。そうすると結構飛躍したことがちゃんとできるんです。本当に不思議なことに担当者は安全側安全側で話をする。でも一番目の的は何だ、という話があってその目的に近づくためであればその解釈は成立するよねという。実は頭が良いんです。だから話が出来るんです。でもそれは上司とじゃないと駄目なんです。だから上司を引っ張り出すためのテクニックとして、いつもメールマガジンのことを言うんです。行政の人を動かすためのテクニックで、システム特許を取りたいくらいです。皆さんも使ってください。

蟹瀬 民間企業でもありますね。いわゆるクレーマーと言われて批判される人は多いんだけれども、某大手電気会社の製品に欠陥があるとある人が、お客様相談窓口で訴えたが、適当にあしらわれた。そこでインターネットでその事を訴えたら、何万人何十万人の人がそれを見て、逆に企業側が受身になってしまった。こういうことが起こるようになったのもインターネットならではのことだと思うんです。
ただそうやって情報が流れていくことはもちろん良いことだけれども、一方でお叱りを受けることを承知でいうんですけれども、どうも全部情報を公開してあからさまにしちゃったら本当のことが言えなくてかえって、うまいこと行かないんじゃないのとおっしゃる偉い人が沢山いるんです。そのへんはいかがですか。特に役所内で。

廣川 そういう気分はやっぱりあります。ただ私どもは情報公開条例をこの間の議会で通したんですが、全部出してしまうと楽になると思うんです。もちろんプライバシーとか出してはいけないものもあるんですけれども、そうでないものはオープンにします。それ以外のものはない、というふうにすべきです。そうすればよっぽど楽になる。予算編成の過程からいくら要求したのか、何の事業で要求したのかを出すという話をしているところもありますから。そうするとみっともないものは出せないんです。これはどこだったか忘れましたが、予算編成の過程をどういう事業にいくら要求したのかを公開している自治体がある。予算要求って議員さんとか土地の有力者の方々のしがらみで役人の中には本当はいやだなと思うんですけれども、仕方なく要求だけはする場合がある。要求すると当然財政で切られるんですね。そうすると自分だけは気持ちが楽になるんです。一応言う事を聞いたということになる。ところがそれを最初からオープンにしてしまえばそういうものは出なくなる。無駄な手間をかけるのはバカバカしいですからそれは良い考えだなと思っています。
逢坂 うちの職員が実感しているのは、ゲロすれば楽になるということです。間違いないんです。隠しているから駄目なんです。ゴミの最終処分場を作るときもずいぶん摩擦が出ます。でも最初からどこにするかとか場所を決めるときも最初からゲロしておくんです。こういうふうに決めたとか、ここを想定しているとか。そうすると最後は我々に必要なものだしと反対運動が起きても納得していただけると思うんだな。なくて良いという話にはなりませんからね。ちょっと1回試しにやって見ることですね。ビビッているところは。なんか小さなことでも良いですから。それを担当者とか課長のレベルで実感することです。ゲロして楽になった体験を少しでもすると結構良いものです。

蟹瀬 田中さん、長野の議会ではそういう教育効果は出ていますか。

    実体のあるパーフォーマンスをつづけるのみ


田中 議員の人は当選してなんぼですから、それぞれインストールするモデムやOSが変わっているかどうかわかりませんけれども、急速に僕は議員は変わってきていると思います。だからある意味で言えば先程おっしゃったように首にならない人達、それも45歳というのはこれ別に団塊とか団塊以降とか、団塊と団塊ジュニアの間にはさまれてちょっとプレゼンスがなかったんで、階段の世代と私が勝手に言っているんですが、ということじゃないですね。45歳を超えるとなかなか生理的なのか、ポジション的なのか、私が言っているようなこんなリナックスの運動のようなことがなかなか難しいかもしれない。
公開ということに関していうと実態を皆さんに関心を持っていただくということが大事な事なんです。難しいことを難しくいうのは誰だって、学者の出来そこないの人はそういうんです。難しいことをやさしく言わなきゃいけないんですよね。私の1階のガラス張りの部屋にぬいぐるみもおいているので、動物園とかいう人達がいっぱいいて実際そうだと思うんですけれども、ご飯食べているのを見せているんですけれども、でもあれは実態なんです。1階のガラス張りの部屋にしてから3階の今までの知事室でこそこそ話したがるような人達は入ってこれなくなっちゃったわけです。議員であっても、市町村長であっても。あるいはそういう人達が入ってきてもやっぱり横が県民ホールですから皆が見ているからしゃべり方も変わる。陳情とか恫喝型とか懇願型じゃなくなるわけです。対等に話して私にロジカルに納得させられるようなプロポーザルでなければ無理だということがわかってきたのね。これは一つの本質なんです。だけど県民はリアルタイムで今日は誰が田中の部屋に入って行ったのかがわかる。県庁から遠いところに住んでいる人達はテレビを見てガラス張りなのを見て「ああ、なんか近づいたな」と思う。これはファッションです。でも実態のあるパフォーマンスを続けなければ、私は絶対政治に限らず、商品だって続かないと思うんですね。だけど日本の場合は実態というか、本質が希薄な商品の宣伝の広告とかそういうことがパフォーマンスだと思われてきたから、それをも変えていかなきゃいけないと思います。
議員の人達とかそれに賛意を示しているメディアの全国紙の記者とかいるんだけれど。そういう人も含めてありがたいと思うのは、私達がお金を払っていないのにこんなに長野県のことを放送してくれて。原宿歩いている女の子だって長野県の知事の名前と県庁所在地を言えるようになったんだからこの効果はたいしたものですよ。遠いものじゃないということ。長野県の人は今皆夕方の6時半のローカルニュース30分が今までコンテンツにならなかったのが、今コンテンツつくるのに大変なんです。皆夕方のニュース見て、地元の信濃毎日新聞の朝刊は第三面が県政欄なんだけど、ここを読むんですよね。ここから始まるわけで。お昼休みに女の子達もお弁当を食べながら話している。
だけどもう1個、私は全国紙の新聞がすごく遅れていると思うのは、社説で地方の時代だと書いていますでしょ。皆さん地方の都道府県知事の発言が新聞の何面に載ると思いますか。脱ダムの時には1面に載りました。その他は社会面です。第2社会面です。石原都知事という一つの国よりも人口の多いところの知事である人の発言も2面や3面には載らない。2面や3面は誰も関心がない永田町の話ものっけているんです。もうここに全国発信をしている新聞社というものが滅びるしかないということがあるんだよね。まさに私は社説で言っていたことをやっていたのに、その人が現れたら思考停止状態になってしまう。地方の時代だというのだったら、まず自分のところからパフォーマンスでも形から見せてみなさいよ。と私は言いたいね。

蟹瀬 メディアをうまく利用する方法というのを、情報を出す側もきちっと考えながらやらないといけないと思うのね。これは非常に大きなツールでしょ。ITでインターネットももちろんあるんだけれども、実際の既存のメディアをどういうふうに有効活用するか。本来僕が言ったらいかんのだけれども、こういう席ですからあえて言います。

    メディアとの関係のありかた

田中 でもそれだってメディアの人が私とか長野県のことを流すと、視聴率が上がるからでしょ。それは逆に僕はテレビはやすきにつくとか言うけれども、テレビの人は視聴率で食べているんです。あるいは雑誌の人も毎号部数会議があって、売れなければ反省会をするんです。新聞の人は唯一自分達は公器ですというけれども、販売店の人や勧誘員の人が何をしているか知らない。警察だって民主化した時にこんな二重構造の組織はないですよ。そして部数が減ったか減らないかなんて記事に反映されない。それはさっき言ったように僕が責任を持って何か提案するんです。皆に言うんです。僕の言っていることがもし私欲に基づいていたり、世の中の考え方と違ったら、皆はそれに意見が言えるんですから。それによってチェックをしていく民主主義でないといけないと思います。

蟹瀬 この機会に聞いてみたいと思ったのが一つあったんです。地方自治、地方の時代という大きなテーマの中でそれが実現できない壁というものが先程の単年度予算の問題であったり、情報が隠ぺいされている要素があったりとかという話がありましたが、それを打破していくためには、今市民の人たちが声をあげるべきだと言いますが、たいてい一般論ですよね。もっとノウハウ的に、具体的にどういうことをやっていけば良いのか、考えられたことがありますか。

廣川 一言で言えば情報をオープンにすることですね。問題は山ほどあります。まずは人間の問題です。市役所は競争のないところなんです。多少の出世争いはありますが、本質的に給料は変わらない。何年勤めればいくらというのがはっきり見えています。

蟹瀬 例えば今役所がやっていることを民間へどんどん委託していく。役所ゼロでも良いじゃないのみたいなところまで持っていくような、政府で言えば小さな政府志向です。そういうものはどうなんですか。

廣川 おっしゃる通りだと思います。しかしそこに持っていくにもいろいろ壁があるんです。例えば労働組合とかありまして、直営だった事業をいきなり委託をしようという話にすると、なかなかうんと言わない。さっきの競争のない話もそうなんです。駄目な職員だったら首にすればいいのに、なかなか首に出来ない。それはなぜかというと、判例がないから裁判になるとなんとなく負けてしまったりするからです。まずは人の話が一番ポイントだと思います。それをクリア出来ないと委託も出来ない。本当は委託できることは委託して、市役所には経営を担当する職員がごく少数いればそれで用は足りる。そこに持っていくにはまず現状をあからさまにしてしまうのが一番大事だと思うんです。
例えば労働組合の交渉経過を全部出してしまえばいいんです。だけど出すと後がこじれると思うのかなかなかそうしない。

蟹瀬 ニセコという町は日本全国から見れば小さいところだけれども、さらに民間でやっていく。第三セクターとかいうと怪しい部分があるですけれども、そういう方向性というのはどうして模索出来ないのかなと考えてしまうんです。

     地方の時代はやはりすこしずつ進んでいる


逢坂 簡単に行かないことがあることは、私も理解出来るんですが、ただ今後の方向として間違いないのは、収益と負担の関係が明確なもの。私がお金を払っていてみかえりのサービスがこういうふうに来て、というのが明らかなものは何も行政がやる必要はないですね。もう一つは民間委託ということがすごく今華やかにいわれていますけれども、民間同士の競争のないところで委託に出しても本当の委託の効果は生まれませんね。例えば同じ業務をやる会社が3社か4社しかない町で民間委託を出しても本当の意味での効果は生まれないんです。そこは注意が必要だと思います。
ちょっと話がそれますけれども、地方の時代といっているけれども、なかなか地方が動かないという話がありましたが、でも皆さん考えてみて下さい。北海道のニセコって人口4600人なんです。そこの町の町長がここに来てしゃべられる時代なんですよね。これはまさに変わってきていることだと思いますよ。今、ニセコは雪が1メートル50もあるんですが、そこから町長がエッチラオッチラ東京に出て来てこんなすごいところでしゃべれるって、昔ならあり得ないことです。これは間違いなく地方の時代になっているんだと思います。ただ今勘違いしているのは、地方分権という言葉がものすごくよくて、中央集権がものすごく駄目なことのように言われているんですけれど、これは違うと思うんです。中央集権的に日本の国はまだまだやらなきゃならない分野は沢山ある。中央集権でやるということは明らかなリーダーシップを発揮するということなんです。実は日本全体の将来について明確な指針とかリーダーシップが少したりないんじゃないのかなというのを、言い訳する意味で、地方分権、地方分権、地方やれ、と言っている。本来日本全体としてやらなきゃいけないことがあるような気がしませんか。

田中 そうだよね。でも常に日本は何をするべきかばかり言ってきたわけですよ。だけどそうじゃなくて、どうあるべきかなんです。今までは、どうあるべきかを語る人は高等遊民だなどと言われてきた。そうではなくどうあるべきかを私は長野県で県民と一緒に考えていかなくてはいけないと終始一貫して言っているんだけどね。

      全国の地方がのろしをあげて、全体を変える


逢坂 全くその通りです。私が例えばこういう場に呼ばれるのも20年前だったらどんなことかというと、農産物を加工したものを東京へPRに来るくらいです。すると、すごいね、町長頑張っているね、ということだったんですけれども、今あるべき論みたいなことを言って何とか通る時代になってきていますから。だから変わる兆しはあるんです。この流れを国民がどうとらえるかだと思います。
それから日本を変えていくもう一つの方向は、やっぱり地方です。のろしが全国から上がるんです。長野からのろしが上がる。北海道からものろしが上がる。九州からも中国地方からものろしがあがる。それの総合体として日本があるべき形というのを作っていくというのも一つの方向だと思います。

田中 そのために私は日本のニセコの町長であっても長野県の知事であっても政治家なんですよ。直接選挙で選ばれているんですから。政治家が市民に届く言葉の演説が出来ていないということだと思います。長野県で言っているのは思考停止状態にするような住民参加じゃないんです。ああ、楽しいというハンド・イン・ハンドをやらせているんじゃないんですよ。一人一人が思考覚醒状態になって、県政の話を考える。PTAなどももうすでに組織決定してシャンシャンシャンと爽快だったけれども、それに対して今までは壊す人しかいなかった。壊すんじゃなくてどうしてこうやって決まったの、あるいはこういう考えもあるんじゃないですか、という形を皆が考えていく。私が長野県で一番嬉しかったことを話しますと、観光審議会というものが私が就任する前からありまして、長野県はコンテンツがあまりにあるものだから、県民性が真面目なあまり愛想がない、料理はまずい、サービスは悪いと言われているんです。よわった県なんですけれども、その観光の審議会で最初に答申の素案を持ってきました。書いてあることが抽象的すぎるので、どうしてもっと言葉が飛び出してこないのと僕が言ったんです。観光課の課長は、「とりあえずこういう答申になっていますが、また、私達が考えればいいです」といいました。答申には県会議員の名が二人も入っていました。彼はこんな答申の文章では恥ずかしいと言うんです。もっと具体的にしようと言ってもう一回会合をやり直した。私はこれは多分今まで審議会の委員になっていた人も一人一人は「こんなので良いのかな」と思っても一応ここまで動いてきてしまったのだからとか、事務方が言っているのだからと流してきた。それをひっくり返すというのではなくて、良い意味で組み立て直せば良いんだというふうに思ってくれるようになったのはとても嬉しいことでした。

    最後の決め手は投票である

逢坂 わかりやすい言葉で、地方自治とか国政とかを皆の手に入れなきゃいけない。皆さんもスタンドからグランドに出て一緒にプレーしなきゃいけない。お任せ民主主義をやっていてはいかんのです。ただグランドでプレーをするというのは、皆さんは朝から晩まで仕事を持っていてプレーできませんから、そのために大事な仕組みがあるんです。それが議会なんですよ。それは投票で変えるしかないんです。

蟹瀬 ここで会場の皆さんは壇上の話を聞いていろんな事が頭の中に浮かんできたと思うんですね。質問もあれば、そうではないのではないかというご意見もあると思います。会場の方から質問を受けたいと思います。

会場発言者1(男性) 
木について学ぶ場所が少ない。どうしたら学べるか。

守田 (質問にたいする答え)若い人達は本物の木をほとんど知らないんです。街路樹の話をしても木の種類や名前も知らない。実際に自分のまわりにある木の名前もわからない。これは教育の問題だけでは解決できません。もっと触れられる場所を山ほど作らねばいけないんだろうと思います。僕はたまたま関心が深いから、それだけ知っているということではないのではないかなという気がします。今CO2の問題とか言われていて、本当にダムをやめてもっと山を育てれば良いんだとか、これは皆、木の話なんです。木の話をもっともっと沢山のところでしなきゃいかんと思っています。日常的に。

逢坂 それでしたらニセコに来てくださいよ。山に一緒に登りましょうよ。

田中 それはね、ご自分で捜さなきゃいけないということなんです。今守田さんから一つや二つの例を言われて、それをそのまま従っていくというのでは、自分自身の想像力は養われません。ヒントは守田さんがずっと話してきたことの中にあるはずです。それは自分で捜さなければ、いくら資料を読んでもわからない。うちの職員にも課長などでよくこういう人がいるんです。「私は知事がサービス業と言ったから、今人気がある映画は全部見るようにしています、本もベストセラーを読んでいます」と。そうじゃないんです。私達の社会は、今足りない物は何ですかではないんです。捨てられるものは何ですか。見ないで済まそうとする勇気を持てるものは何ですか、なのです。本もタイトルを見ただけで読まないという選択、もしかしたらすごく良い本かもしれませんよ。それを書評だけで済ませる、あるいは2500円出して買う。そういう選択を自分の中で日々行なわなければ、情報の中で情報におぼれてしまうということです。

会場発言者2(男性) 今日の話でもう一つの隠れテーマはメディアですね。政治と住民を救う一つの役割はメディアだと思うのですけれども、公共事業が良いとか悪いとかいう議論がマスコミにあるんですが、今日伺ったように例えば単年度予算主義の問題とかいろいろうかがいましたが、そういう情報はなかなか入ってこないので、聞いて始めてそうなのかと思いました。それがわからないと本当の議論は出来ないと思いました。そういう意味の情報公開のあり方をお聞きしたいんです。

蟹瀬 今日はメディア論の場ではないので、非常に短くしますけれども、一つはマスメディアというのが田中さんがおっしゃったようにオールオアナッシン、マルかバツというように非常に紋切り型に物事をとらえがちなために細部の重要な部分が一般に伝わっていかないということがあると思います。これは日本のメディアが本当に考えていかなきゃいけない部分だと思います。売り上げとか視聴率もあるんですけれども、基本的には取材している人間が不勉強なんです。僕も含めて反省を入れていきます。その辺の問題があると思います。

田中 それは情報公開条例が出来たから請求したって、どこの金脈を掘り当てるか、どこのスラッジを掘り当てるかだから、本当ならマスメディアの人なんて一番自由業だと自認しているんだから、なんでも立候補して4年間なり8年間なり、もっとでもいいんだけれども行政の仕事をやってみればいいんです。私はこの仕事がこんなに楽しい仕事だったかって思いませんでした。はっきり言って収入は激減していますし、自分の時間なんかないです。長野でも女の人とも会っていないし。禅寺の坊主より生臭さがないと思っているけれども、いまだにエネルギッシュだと思うけれども、こんなに楽しい仕事はないですよ。具体的に物が言えるんだもの。どんなに評論家の方が公共事業のことを言っていてもそのデテールがわからないとなかなかわからないと思います。

逢坂 ニセコでは新聞記者の研修を受け入れました。第一線の新聞記者です。研修に来てもらうんです。二ヶ月ぐらいなんですけれども。実際に携わらないと問題の細部がわからないんです。役所がどんなところで悩んでいるかということが。ただ新聞記者を研修に入れちゃうとそこで書かれちゃうと、他社との関係があって、抜いた抜かれたの関係があるものですから、臨時職員の発令をするんです。そしたら法律の適用を受けますから秘守義務があって書けないんです。そういう協定をしてやります。マスコミの皆さんは勉強しないと言っていましたけれども、どこを勉強したらいいかということは必ずしも情報がないんです。そんなことも一つのヒントになると思います。

蟹瀬 もう一つはアメリカで非常に今進んでいるんですけれども、公開された情報をきちっと図書館のように整備して一般の人達がそこに行って調べる事ができるシステム、あるいはジャーナリストがそこへ行って調べることができるシステムをつくることです。日本でも今情報クリアランスハウスというのが出来つつありますが、まだまだスケールが小さい。そういうものを作っていくということが必要だと思います。マスメディアだけに頼るのではなくて。直接アクセス出来る場です。

会場発言者3(男性) インターネット掲示板2チャンネルというところで議員選挙版で投稿している読者という者です。政治を変えるためにあたって考えなければならないのは、人々が利己心を持っているんです。利己心とか性格の悪いところというのがあるということをマスコミの方とか政治家の方であるとかがもっと認識して利己的なところをもっと直さなければならないと思うんです。皆さんはこれからそういうことにどう考えていらっしゃいますか。

田中 そういう質問するだけあなたも多角的に見ているんだら、性格は僕と同じように悪いんだよ。いいじゃないですか。人間100%意見の一致なんかありませんよ。わかりあえないんですよ。親子だって恋人だって。だから話し合ったり議論する喜びがある。2チャンネルの人達とかっていうのではなくてね。とかく傍観者として見ていて、言っている人達っているんです。はっきり言って夜の今10時からやっているニュースと夜の11時ぐらいからやっているニュースの男の人二人が田中康夫の長野県のことを流した後に、必ず何もコメントしないでコマーシャルに行っちゃう理由は多分そこにあると思うんです。今までは権力をシニカルに批判していれば良かったのに、自分達が言ったことに比較的近いことをやってくれる人が出てきたら、それを誉めるのはどうもジャーナリストとしていかがなものかと思っているんだよね。だからレポーターの人に言わせて、CMに行っちゃうんだよ。だから今までのジャーナリズム、ジャーナリストのあり方というのも問われてきちゃっているんだよね。傍観だけじゃなくて自分は出来る範囲で何が出来るのかということを考えていくことが発言をする一般市民にも問われている。階段でリーダーに上がって行ってもらうだけではなくて、はしごを外していないけれども、同時に自分が上がっていく。だから議員というものは、他に自分の仕事があって、ボランティアでいいんですよ。はっきり言って。だけど今までの議員は自分で建設会社をやっていて、新幹線の駅の出来る場所を知りたいから議員をやっていたんでしょ。建設会社をやっていて収入がなかったら人間はさもしくなります。収入がある人は半径1メートルの幸せはもうあるんだから、あとの2メートル目のことは町のために多少収入は減るかもしれないけれども、やろうというのがボランティアの意識です。

    全体と個のふたつを等価におく

守田 世の中で起きていることを判断する自分自身の基準を作らなければいけないだろうと思うんです。昔は宗教がありましたが、今は宗教がないわけです。田中さんがやっていることが全部正しいかというと、そういうわけにもいきません。いろんなことが世の中で起きていますが、それを判断するには自分の基準がいります。こういう場合、僕は建物を建てる時と同じような考え方をすることにしています。ヒントになるかもしれないのでちょっとだけ話します。全体と個、要するに部分ですね。これを常に等価の状態に置いておく。社会全体と自分とはどうか。どちらかを優先してはいけません。必ず等価であると考えます。等価でなければ駄目なんです。その基準ですべてのものを判断していったときに自分の考え方はどこに行きつくだろうかということをいつも考えているんです。建物は整合性がそれで始めてとれていくんです。社会も人びとがそう考えていけば、個人が突出したり、社会が個人を押さえつけたりすることはなくなって行くのではないか。この基準を世の中にどうやって仕組みとして作っていったらいいかはわかりませんが、ただ個人としてはそういうふうにして世の中を見ているつもりです。

会場発言者4(女性) 10年ほど前に田中先生と合コンをしたJALのスチュワーデスをしている有川です。今日はお変わりない康夫さんを見て嬉しかったです。
質問させていただきますが、地方がそれぞれ変わりつつあることはよくわかりました。しかし、今、国のリーダーが国のグランドデザインを描けないことに問題があることは、この場所に来ている皆様はじゅうぶんおわかりだと思います。そういうことを私達が自分達で選ぶとか、考えることができないこの制度、仕組みに対してどのようにパネラーの皆様はお考えになるのか、首長の方に中心にお答えいただきたいと思います。

田中 私は権力というものは必要だと思っています。社会には決断する人がいなければいけないし、動かす人がいなければいけない。でも権威は必要ないです。勲章のような権威はまっぴらゴメンです。ポリシーメーキングの責任観念のない人が権威の勲章だけを求めているから組織は停滞してしまう。たまたま田中康夫という人がいて、ものを考えていて、そこに長野県知事という肩書きだけではない様々な機能がくっついている。それぞれの場所でやれることをやるだけの話ではないですか。

蟹瀬 逢坂さん、今のご質問では日本のリーダーが日本のグランドデザインを描けない状況をどう思うかということなんですが。

逢坂 それはリーダーだけが悪いのではなく、現状そのものを良しとしていたものがあったわけですよね。もうそれはやめよう。でもそれを変えるのは一票でしかないです。私は本当に短い経験しかありませんが、もうとにかく一票です。選挙に行くことです。票を入れることです。

田中 ただそれには入れたい人がいないという事情もある。僕は妹から政治の世界に行くのは違う世界に行ってしまうことになり、兄さんは外野にいて書いていてこそ兄さんだと言われました。でもそうではない。逢坂さんみたいな人が出ると、回りで一緒に支えるというか、同じ考えに立って、議員に言ってみようという人も出てくる。だから最初の触媒が必要です。ニセコの町はそれがとてもラッキーにいったし、他にも全国に素晴らしい市長村長はずいぶん出られているなと思っています。

逢坂 要するに良い病原菌を増やす努力をするということです。この会場をいっぺんに変えようというのは無理なんです。あの辺にある良い病原菌、こっちにもある良い病原菌を増加させる努力をする。選択肢がないなら、選択肢を作れないかということを考えなければいけないんです。それは難しいことではなくて当たり前にやればいいんです。私には最初何も後ろだてがなかった。ただの係長でしたから。田舎の町でただの係長が選挙に出て当選するはずないんです。でも当たり前にやったら何とかなるんです。

     地方の時代を実現してゆくキーポイント


蟹瀬 選挙に行って一票を投じるということ、それから自分が勇気を持って立候補するということ。それからもう一つ、今の選挙制度で良いのかどうかの議論もきちんと行わねばならない。たぶん選挙制度自体も制度疲労が来ていると思います。そこのところもしっかりいろんな形で検討して行くことがこれから必要だという気がします。
最後になりましたが、皆さんから一言ずつ、地方自治の時代を本当に実現するためには何が必要なのかをコメントしてください。

守田 私は皆さんと違う立場なんですが、必要なのはほんのちょっとした勇気です。ほんのちょっとした勇気だけもって、前に進んでいただければ、その地方は必ず変わります。私はいろんな町を歩いていて本当にそう思いました。

廣川 特に市町村の方に言いたいのは元気を出してくださいということです。やれば出来ます。ところがこんなことを言ってはいけないかなと思って自分で自己規制をしている。それではなくてやってみる。よっぽど外れない限りは首にはなりません。とにかくやってみることだと思います。

逢坂 当たり前を当たり前にやる。それ以上でもそれ以下でもないです。さきほど利己的なという話が出ましたは、私も邪悪な気持ちが8割ぐらいありますから、これが終わったら、酒を飲みに行こうとか、明日は何時まで寝ていようかとか、どうやってズルしようかとか思っています。何も仕事ばかりに熱中している特殊人間ではありません。そういうありのままの姿を見ていただいて、違いを知るということです。皆同じになることが良いことではありません。違いを知りながら、進むべき共通の方向を捜すことを日本人ができるかどうかが大事だと思います。

田中 長野県で起きていることはさっき言ったように、皆が県政を自分のものだと思って日々、楽しみに見ています。チェックしてアラさがししてやろうというのでなくてより良くしようとしている。嬉しいのはたくさんEメールをいただく中で中学生とか高校生が非常に多いということです。彼らは、今の世の中がすごく息苦しいと思っている。その子達は僕が知事になるまでは、日本はいやだから留学かなんかしてしまおうかなと思っていたんだけれども、今度はちょっと期待できるかなと思っていると書いてあるのがすごく嬉しかった。今の日本は何事も説明会があって、公聴会があって、審議会があって議会の議決があって、いちおう形としては民主主義なんです。一つ一つは。でも全体として最後に答えが出てきたものは民主主義からはほど遠いものになっている。ねじれちゃっている。銀行に公的資金を入れたけれども、放漫な貸し出しをした役員は一人として責任をとって辞めない。国家公安委員も法律上のことがあるから、退職金の返還請求は出来ないと公然と言う。法は誰のためにあるのか。法は法を守るためにあるのではなくて、法は人々が良い意味で豊かな生活ができるようにするためにある。私はそれぞれの人がそれぞれのポジションでこぶしを上げるのではなくて、しなやかに日常生活をしながら、言うべきことを言い、行なうべきことを行なわないと、近い将来に日本はテロリズムが起きてしまうと思うんです。テロをする人は最初からアメリカの小学校で銃を乱射するような人ではない。私達と同じように今の日本はこれで良いのかと思っている人たちです。世の中に迷惑を起こしても、その責任を取る人達がいないと、いつかは世の中に正義が行われていないと感じる人達がプッツンになってテロリズムが起きてしまうかもしれない。今の責任を取らない人たちは、自分達は安泰にじいさんになるかもしれないけれども、次の世代のリーダーになる人達を殺しかけているということです。

蟹瀬 今日、皆さんのお話を伺っていて一つだけ出てきてほしいのに出てこなかったことがあるんです。それは自分が住んでいる地域に対する愛情、これが果たして昔ほどあるのかどうか。僕は日本国中まわったわけではないですけれども、地域に対する愛情がひょっとしたらどんどん薄れていっているのではないか。そういうものをまた芽生えさせてくれるためにも、田中さんを礼賛するわけではないですが、いろんなユニークなリーダーシップを発揮する人が出てくる必要があるのではないかという気がしているんです。

田中 それは守田さん達のやっていらっしゃることこそが自分がその地域の一員だということですよね。私は長野県で便座のあり方研究会というのを作りまして、これ予算案ゼロなんです。私が便座長というのになりましたけれども、やっぱり皆ストレスがたまっていて、トイレの個室の形状がどうあるべきか、壁の色がどうかというのは研究対象になります。トイレ研究家の人がいてこういう絵にしたらどうでしょうかと提案してくれました。こういうふうに地域の人が一緒に参加して、おじいちゃんやおばあちゃんもペイントを塗る、子供はタイルを埋めこむというふうに、良い意味での社民主義的に皆が参加していることを確認できるような形を提示していくのが私達の仕事だと思います。

蟹瀬 今日の集まりは一つの結論を出すことではなくて、皆さんにとって地方自治のあり方についてちょっと考える機会を持っていただきたいという意味で行いました。今日おいでになった4人の方、また4人の後ろあるいは横に並んでいて、いろいろ地方で新しいムーブメントを起こそうとされている方が沢山いらっしゃると思うんです。そういう方々のためにぜひ応援団になっていただきたい。評論家になるのは非常に簡単ですけれども、当事者になるのは難しいんですね。僕はメディアという世界にいて一番自分に毎日言い聞かせているのはこのことです。是非当事者として問題を考えていただきたい。そうすればおのずと新しい構図が出てきます。

逢坂 朝から晩まで年中こんなことに関わっている必要はないんです。小さいことで良いんです。ちょっと関わってもらって。朝から晩まで関わっている人を見てあの人がすごくて、関わっていない自分はつまらないなんていうのではないんです。ゴミの出し方一つでも良い。この公園を誰が清掃しているかなということをちょっと考えてもらえばいい。そういうことがきっかけになると思います。

蟹瀬 今日は皆さんありがとうございました。(盛大な拍手)


【討論者略歴】
田中康夫(たなか やすお)
小学2年から高校卒業までを長野県上田市と松本市で過ごす。大学在学中、「なんとなく、クリスタル」で1980年度「文藝賞」を受賞。新しい感覚のその作品は話題を呼び“クリスタル・ブーム”を巻き起こし、映画化もされる。月刊誌「噂の真相」に「東京ペログリ日記」を連載。執筆の傍ら、テレビタレントとしても活躍。また95年の阪神大震災後には、神戸でボランティア活動に従事、98年神戸“市営”空港建設計画に反対する市民運動にも積極的に取り組む。2000年10月長野県知事選に立候補し就任。主な著書に「神戸震災日記」「いまどき真っ当な料理店」「憂国呆談」など多数。

逢坂誠二(おおさか せいじ)ニセコ町長
1983年北海道大学薬学部製薬化学科卒業後、ニセコ町役場勤務。企画観光課企画広報係長、総務課財政係長を務め、94年ニセコ町長就任。98年再選、現在2期目。分権社会の到来などを一つの契機として、自治体の政策形成や地域経営のスタイルが大きな転換期を迎えている。こうした中で、あるべき自治体の形を、情報共有やコミュニケーションを中心に据えて取り組んでいる。

廣川聡美(ひろかわ さとみ)横須賀市情報政策課課長
わが国で最もIT化が進んでいると言われる横須賀市の情報化キーマン。自ら「情報化で市役所を変える」ことを目標として活動している。ネットワーク社会における市役所の役割を展望し、業務の傍ら、他自治体からの要請を受けて、横須賀の取り組みを全国に紹介している。この取り組みも、「地方自治体が全般的に底上げされ、社会の変革に乗り遅れることがないように」という氏のポリシーによるものである。

守田昌利(もりた まさとし)建築家
1961年北海道帯広柏高校建築科に学ぶと同時に大工として弟子入り。在学中に最初の住宅設計を手がける。64年北海道電力(株)に入社。設計部員として、社宅、保養所、変電所、営業所等の建築設計をするかたわら、個人として北海道電力退職者のための個人住宅等を設計。その後、設計事務所設立((株)アトリエモルフ建築事務所)、84年(株)沙羅建築事務所(設計組織を変更)する。88年組織合弁により社名を(株)沙羅壇建築事務所に変更。建築家の職能領域に建築企画・事業企画を明確に位置付ける。東洋思想を中心とした建築企画、コンセプト企画の確立を目指す。94年(株)法輪設立に参画し、沙羅壇建築事務所の社長と兼務。その後、沙羅壇建築事務所を共同経営者に譲渡。97年(株)プロテック取締役に就任。建築家としての活動の拠点を(株)プロテックに移す。

【コーディネーター】
蟹瀬誠一(かにせ せいいち)ジャーナリスト・ニュースキャスター
1974年上智大学文学部新聞学科卒業後、米国AP通信社記者、フランスAFP通信社記者、『TIME』誌東京特派員を経て91年にTBS『報道特集』キャスターとして日本のテレビ報道界に転身。天皇崩御、日米摩擦、教育間題、政治と暴力団、東欧の公害問題、カンボジア情勢などの幅広い取材・リポートを行う。現在はテレビ朝日、朝8時から10時のモーニングショー『スーパーモーニング』メインキャスター。