2003年度一橋大学社会学部学士論文(加藤哲郎ゼミナール)
~さらば、愛しき娘。たちよ~
前田 健太郎
(写真):モーニング娘。
上段左から、飯田圭織・小川麻琴・紺野あさ美
辻希美・矢口真里・新垣里沙・吉澤ひとみ
田中れいな・藤本美貴・道重さゆみ・亀井絵里
加護亜依・高橋愛・石川梨華・安倍なつみ
この作品を、モーニング娘。ならびにアイドルをこよなく愛する多くの方々に捧げる。
目次
~序章~ 「青春を謳歌する諸君に告ぐ」…4
青のキヲク/私が生きてきた「道」/I WISH
~第一章~ 時代の寵児…9
母なることば/アイドル帝国の繁栄/冬の訪れ
王政復古の予兆/平成と昭和のあいだ
~第二章~ Memory 青春の光…19
現在を生きる
第一節 「敗者から勝者へ」/ラブ・ストーリーは突然に/選民思想 プロ意識が生み出した個性/「生」が持つ力
第二節 狂想曲「娘。」/練り上げられたシナリオ/「象徴」vs「救世主」
溢れる個性の集合体/黄金のナイン
第三節 飽きたこども、萎えたおとな/飽和状態
2002.7.31構造改革/キモチは伝わる
~第三章~ 「萌える」少衆…39
「語る」少衆/「つむぐ」少衆/「創造する」少衆
「費やす」少衆/「遊ぶ」少衆/「踊る」少衆
~終章~ 愛あらばIT'S ALL RIGHT…50
落日/そして、終わりを告げる「夏休み」/「22歳」と「24歳」の私
ふるさと/せんこう花火
おわりに…56
資料…57
参考文献・参考URL…83
~序章~ 「青春を謳歌する諸君に告ぐ」
青のキヲク
「なっち(注1)、卒業おめでとう。そして、今までありがとう!」
その刹那は突然やってきた。
2003(平成15)年7月27日、東京代々木第一体育館。ハロプロメンバー(注2)による夏恒例のコンサート「Hello! Project 2003夏~よっしゃ!ビックリサマー!!~」(注3)の公演中、モーニング娘。(注4)のオリジナルメンバーのひとり、安倍なつみの卒業が発表されたのである。
いつかはこの日が訪れるとわかっていたし、それはそう遠くないとも思っていた。というのも、安倍は、5月に初のユニット活動(注5)を展開していたし、また、8月13日には、『22歳の私』でソロデビューすることも決まっていたからだ。さらに決定的だったのが、コンサートの開始前に、一緒に来ていた友人から、「誰かの卒業が発表されるらしいよ。」と聞かされていたことである。
いくら、それなりに心の準備をしていたとは言っても、会場に流れたVTRのなかで、モーニング娘。のプロデューサーであるつんく♂(注6)から、安倍の卒業に関する発表を聞いた瞬間は、頭の中が真っ白になったし、何ともいえない気持ちがこみ上げてきて、胸が苦しくなった。しかし、安倍本人の口から、
「私もモーニング娘。の卒業が決まりました。皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。卒業するまでのモーニング娘。としての一日一日をかみしめて、はりきっていきたいと思います。そして、卒業してからの自分自身の将来に対して、もうすでにいろいろなビジョンが広がっています。みなさん、楽しみに待っていてください。」
と、今の心境と卒業に向けての決意を聞いた途端、止まっていた私の時間が動き出した。
そして、我も忘れて、ありったけの大声で、冒頭の言葉を叫んだのである。恥ずかしくはなかった、といえば、嘘になるであろう。それでも私は、自分の素直な気持ちを彼女に伝えたかったのだ。もちろん、そう思っていたのは私だけではない。会場全体がそういう声に包まれていたのである。
私はその後も、何度となく「なっち、ありがとう!」と叫び続けた。
その日の夜…
私はゼミのHPの掲示板にこんな書き込みをした。
我が青春も、ついに終わりを告げようとしている。
なっちのソロデビューを祝う代々木の杜を襲ったつんく♂のコメント…
私の中で何かが切れた。
しかし、なっちは引退するわけではない。
卒業してもあの笑顔が見られなくなるわけではない。
むしろ、何人たりとも私からあの笑顔を奪えるわけがない。
なっちが夢見ていたソロデビュー。
わたしが夢見ていたなっちのソロデビュー。
喜ばしいことだ。
しかし、何故だろう?
私の心は晴れない。
今はただ、残り少ない、「モーニング娘。」の安倍なつみの姿を
見守ることしかできない。
儚く終わった初恋にも似ているこの感情は何なのだろうか?
私には光が見えない。
なんとも大げさな、と思った方が大半であろう。それでも、この書き込みを紹介したのは、「モーニング娘。」や「安倍なつみ」という存在が、私のなかで、大きな大きな割合を占めている、ということを皆さんに伝えたかったからである。
(注1)モー娘。のメンバー、安倍なつみの愛称。現代用語の基礎知識2002の「風俗・流行」カテゴリー内の「若者用語」に掲載された。詳細は巻末に掲載。
(注2)正式名称は「ハロープロジェクト」。モーニング娘。や松浦亜弥を中心とする、アップフロントエージェンシーのアイドル総勢46名によって構成。詳細は巻末に掲載。
(注3)ハロプロのコンサートツアーのタイトル。
(注4)一般に、世間やマスコミでは、モーニング娘。を「モー娘。」と呼ぶ。本人たちは「娘。や「モーニング」、ファンは「娘。」と呼ぶことが多い。
(注5)「おけいさんと安倍なつみ(モーニング娘。)」という名前のユニットで、『母と娘のデュエットソング』を発売。詳細は巻末に掲載。
(注6)ロックバンド「シャ乱Q」のヴォーカルであり、モーニング娘。やハロプロメンバーのプロデューサー。音楽だけでなく、映画やミュージカルも手がけ、多くの著書も執筆している。シャ乱Qは現在活動休止中。
私が生きてきた「道」
これまでの学業の集大成である卒論のテーマを決めるときに、とにかく、「自分が研究対象として情熱を燃やせるもの」、または「自分がいま一番考えたいこと」を選ぼうと思った。たとえそれが、卒論のテーマにはそぐわないもの、あるいは、参考文献に乏しく、書き上げるのが困難なものだとしても、何年後かに自分で読み返したときに、「あのときの自分は、こんなことに情熱を燃やしながら、日々生きていたんだ。」と、はっきり感じ取れるような卒論にしたかったのである。
読者のなかには、「いくら好きだからといって…」と、思われる方もいるであろう。いや、そう思う人のほうが多いはずだ。別に認めてほしい、分かってほしいとは思わない。ただ、「世の中にはこういう人間もいるんだな。」という風に受け取ってもらえれば、それで十分なのである。
なぜ私が、「モーニング娘。」や「安倍なつみ」というアイドルに惹かれたのか。理由や要因はたくさんある。が、簡単に言ってしまえば、孤独や寂しさを感じたとき、娘。の歌声やダンスが私を元気づけてくれた。辛いことがあったとき、なっちの笑顔が私を優しくつつんでくれた。ただそれだけのことである。
こういうことを真剣に言うと、多くの人は、「こいつは頭がおかしいんじゃないか。」とか、「気持ち悪い。」とさえ思うかもしれない。特に女性の方はそうであろう。理解してもらうのは難しいと思うが、ここでいう、私の「好き」は、いたって純粋なものである。野球少年がイチローや松井秀喜のプレーに心を躍らせるように、若い女性が江國香織の小説の世界に入り込んでしまうように、元気なお年寄りが毎日のようにゲートボールへと出かけるように、私はモーニング娘。を楽しむのだ。
モーニング娘。の『Say Yeah!-もっとミラクルナイト-』(注7)という曲のなかに、こんな歌詞がある。歌詞というより、間奏中に「台詞」として登場するのだが…。
青春を謳歌する諸君に告ぐ
我々は完全に愉しんでいる
さぁ、諸君たちもともに
愉しもうではないかー!
そう、実に私は「モーニング娘。」という「青春」を楽しんでいるのだ。
モーニング娘。に情熱を注いでいる人間は何も私だけではない。いや、私よりも熱狂的なファンはいくらでもいる。
一昔前までは、アイドルに夢中になることは、決して恥ずかしいことではなく、むしろ、当たり前のことだったように思える。学校や食卓での会話のなかには、間違いなくアイドルの話題があったであろう。古くは、舟木・橋・西郷の「御三家」に始まり、山口百恵、キャンディーズ、ピンク・レディー、松田聖子、チェッカーズ、おニャン子クラブ…。その時代を代表するアイドルが、その時代に青春を送る若者を、また、ときには老若男女を問わず、多くの人びとを魅了してきたのである。
しかし、時代が「昭和」から「平成」に変わった頃からであろうか。「国民的」なアイドルが現れなくなり、「オタク」や「マニア」という言葉や概念が広く一般に知られてからは、この国では、アイドルに夢中になることは、マイナスな印象を与えるようになった。「迫害」といえば大げさになってしまうが、小中学生ならまだしも、私のような人間は、いまの時代では少々肩身の狭い思いをしなくてはならないようだ。
それでも、アイドルに青春を捧げる人間は存在し続ける。「宗教」の概念が薄いこの社会では、少々理解しがたいだろうが、「偶像崇拝」にも似たこの現象は、一種の「新興」宗教とも言えるだろう…。
(注7)220万枚を超える売り上げ(オリコン調べ)となった、モーニング娘。のベストアルバム『ベスト!モーニング娘。1』に収録。
I WISH
ここまで人びとに愛される、または信仰されるアイドルとはいったい何なのか?または、なぜファンたちは、そこまでアイドルに青春を捧げることができるのか?さらには、これから先、アイドルという存在はどうなっていくのか?これらが、私がいま一番知りたいことである。
その答えを出すためには、アイドルの「歴史」や「現状」を眺める必要があるし、「アイドルそのもの」とアイドルの「送り手」、「受け手」のそれぞれの視点も欠かすことはできないだろう。そして、これらを包括的に考察するために、「現在を生き、アイドルのファンである私」という存在を軸に「物語」を進めていきたいとも思う。
ここまで読んで、「コアすぎて嫌だな」とか、「ちょっと気持ち悪いな」と思った方に、この卒論を最後まで読んでもらうために、あらかじめ断っておくが、私はいたって真面目なごく普通の青年である。
青春といったって、何も「モーニング娘。」だけが私の全てではない。中学、高校と続けた野球を、大学でも四年間、精一杯頑張ったし、素敵な恋人だっている。他にも夢中になれることは、いくらか、ある…。
どうか、だまされたと思って、まさしく私の「青春の一ページ」を最後まで読み進めて欲しい。
なお、文中に何度も登場する「モーニング娘。」の「。」という表記についてであるが、こだわりを持つ一ファンとしては、これを削除するわけにはいかなかった。また、「娘。」や「モー娘。」、「なっち」などの多くの略称や愛称を用いたために、多少格調の低い文章になってしまった箇所もある。読みづらいとは思うが、あらかじめご了承していただきたい。
~第一章~ 時代の寵児
母なることば
それぞれの時代に、さまざまなアイドルが躍動し、大衆を魅了し、そして、愛されてきた。まずは、それぞれの時代に産み落とされていったアイドルの「過去」について、簡単ではあるが、説明していきたいと思う。
何事にも前史があるように、アイドルにもその前史はある。近代日本百年の歴史からも、川上貞奴などの舞台女優や原節子など銀幕のアイドルまで先駆的な存在は拾える。しかし、長らく「スター」と「アイドル」は未分化であった。
日本のアイドルの原型は、1950年代前半の美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみの「三人娘」である。この頃の日本は、娯楽性への希求が高まると同時に、若者層が社会的に台頭しつつあり、また、ラジオなどの媒体や芸能プロダクションといった、アイドルを送る側の条件も次第に整えられていった時期であった。なかでも、遠い存在(非日常的)であった「スター」のラジオ、特にCM出演は、大衆との距離を近づける大きなきっかけとなった。
それらを背景に、50年代後半には、平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎の「ロカビリー三人男」が若い女性に支持された。50年代終わりから60年代初めには、映画界の吉永小百合、松原智恵子、浜田光夫ら「青春スター」が若者の憧れとなった。60年代前半は、英米ポップスのカバー盤を歌う、田代みどり、森山加代子、飯田久彦らが若年層に支持される一方、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦が流行歌の「御三家」として女性の支持を集めた。60年代後半には、グループ・サウンズの沢田研二、萩原健一、赤松愛らに少女たちは熱狂した。
このような過程を経て、60年代後半から70年代に「アイドル」という語が頻繁に使われはじめるのだが、ここで、アイドル誕生の母とも言える、「アイドル」という語について少し考察していきたい。
ヨーロッパ語における、「アイドル」の第一の定義は、ひとしく「偶像」という意味である。二義か三義になって、フランス語(idole)に「表情に乏しい美女」、厳格なカトリック国であるスペインでは、偶像(idolo)の派生語「偶像崇拝」(idolatria)の二義に「邪神」、ロシア語の俗語に「馬鹿、阿呆」とあって、これは、日本語としての「アイドル」に少し近いという気もするが、いずれにしろキリスト教世界では、アイドルとは偶像のことである。
よって、アイドルという語が本来の「偶像」という意味で日本に定着すれば、「アイドル」とは「菩薩」といった語に訳されるのだろうが、日本語としてのアイドルは、若くてかわいい、というイメージが集約されている語となった。
アイドルに前史があるのと同じく、アイドルという語が定着するまでにも前史がある。まず、川田孝子、松島トモコ、小林幸子などの「少女歌手」。彼女たちは、NHKラジオの子ども番組や「小学何年生」といった幼年雑誌の表紙とグラビアに出ていた。ついで、前述した吉永小百合などの銀幕スターを指す「青春スター」という語になった。それからテレビ時代に入って「ジャリタレ」、「可愛コちゃん歌手」という語が使われるようになった。
そして、1963(昭和38)年にシルビー・バルタン主演のフランス映画『アイドルをさがせ』が公開され、翌64年にビートルズのアルバム『四人はアイドル』がリリースされると、「アイドル」や「アイドル歌手」という語が国内で一般的に使われるようになった。こうして、「アイドル」という語が定着してから、今日的なアイドルたちが生まれたのである。
アイドルという語からアイドルという概念が定着したのだが、それに一役買ったのがテレビである。大衆文化の形成に多大な影響を及ぼすメディアの変遷に伴い、芸能の世界での棲み分けも進んでいったのだが、このテレビの登場・普及が、「アイドル文化」の構築・発展に及ぼした影響は計り知れない。
高度経済成長を経て、テレビが急速に普及すると、レコードや映画、新聞や雑誌でしか目に、または耳にすることのなかった歌手や俳優たちとファンとの距離が一気に縮まった。
この「ファンとの心理的な距離」こそが、「スター」と「アイドル」を分ける一つの基準であり、ファンにとっては近寄りがたい「神」である「スター」と、ファンとの心理的な距離がより近いとされる「人気者」である「アイドル」という図式が成立したのだ。
つまり、テレビという日常的なメディアで求められるのは、スターではなく、自分たち(=大衆)と心理的に距離の近い、すなわち、親近感が持てる、または、感情移入がしやすい人物(=アイドル)なのだ。
また、高度経済成長のなかで、大衆文化の享受者として若者が登場するが、若者にとって同世代であるアイドルは、まさに自分たちの代表であるという認識が生まれ、アイドルを応援することは自然な成り行きとなった。こうして、アイドルの「ファン」としての土壌も出来上がっていくのである。
こうして、ようやく「スター」と「アイドル」の区別がなされ、アイドルの「ファン」という概念も定着してくると、そこから、一気に「アイドル」という新勢力が芸能界を席巻していく。
なお、「スター」や「アイドル」と似たような言葉でよく耳にする、「タレント」についても簡単ではあるが、説明しておこう。
「タレント」の語源は、旧約聖書によると、「古代ギリシャおよびヘブライで使用された、人の才能や資質の衡量およびそれらの対価としての貨幣の単位」である。そこから才能のある人を意味する言葉になり、芸能やスポーツの世界で多く使われるようになった。現在では、テレビに出演する芸能人を総じて指す、「TVタレント」という使われ方が一般であるが、単に、本業が「歌手」でも「俳優」でもなく、おもにバラエティー番組に出演する芸能人を「タレント」と呼ぶ場合もある。
アイドル帝国の繁栄
1971(昭和46)年には、南沙織、天地真理、小柳ルミ子の「三人娘」がデビューし、「性」を感じさせない清純な女の子、という女性アイドルのパターンが確立する。翌72年には、西城秀樹、郷ひろみがデビューし、前年デビューの野口五郎とあわせて「新御三家」となる。73年には、「花の中三トリオ」森昌子、桜田淳子、山口百恵の登場により、アイドルはいっそう低年齢化する。75年には、キャンディーズ、翌年には、ピンク・レディーがヒットをとばし、デュオやトリオの女性アイドルも定着する。山口百恵を生み出した『スター誕生』(日本テレビ)からは、その後も石野真子、小泉今日子、中森明菜らのアイドルが生まれる。
なかでも、山口百恵は抜群の歌唱力と得意なキャラクターを兼ね備えていた。幼い外見とは対照的に、妖艶さ、輝かしい暗さを持ち、どこか影のつきまとう神秘的なオーラを放っていた。さらに、結婚を理由に、人気絶頂期であるにもかかわらず、芸能界を引退した潔さも含めて、男性だけでなく、女性たちからも圧倒的な支持を得た。伝説的なアイドルと言っても過言ではないだろう。
このような流れの中で、70年代終わり頃から、聴き手たちは次第に変貌し、歌唱力や歌心に重きをおく価値観がはっきりと崩れはじめる。人気アイドルの曲がヒットするのは当たり前のことであったが、それ以上にプロマイド写真やアイドルグッズ、『平凡』『明星』に代表されるアイドル雑誌が飛ぶように売れたのである。
79年に創刊されたミニコミ誌『よいこの歌謡曲』(冬樹社)は、「アイドルは中身なんかで勝負しない」と宣言し、独特のアイドル美学を展開。同時期、各地の高校や大学では「アイドル研究会」の活動が活発化、アイドルを真面目に論ずる風潮が流行した。この70何代後半から80年代が、もっともアイドルが繁栄を極めた時期であり、もっともアイドルとファンとの距離が近づいていた時代でもあろう。
しかし、アイドルは、大衆に愛されるがゆえの苦悩も抱えていた。というのも、アイドルはスターと違って、能力や業績、作品だけではなく、素顔(プライベート)を商売道具としなければならなかったからだ。
この問題は、デビュー当時のビートルズも抱えていた問題であった。本人たちは、「ビートルズ」の存在理由は音楽を作り、演奏することにあると考えていたが、ファンはビートルズの虚像だけを求めてただ絶叫するばかりで、音楽を聴こうともしなかった。1965年に作られた「ヘルプ」は、こうした矛盾に悩み苦しんでいた4人の潜在的な心の叫びでもあった。
また、キャンディーズの引退宣言における「私たちは普通の女の子に戻ります!」という言葉にも、こういった苦悩が感じ取れるであろう。
しかし、アイドルとアイドルファンの勢いは止まらない。80年、松田聖子がデビュー。歌においても、キャラクターにおいても、山口百恵の対極に出て成功を収めた。山口百恵が多彩な楽曲を歌い上げたのに対して、松田聖子は、エンターテイメントの成功の秘訣とも言える「パターンの確立」によってヒットを飛ばした。そのパターンとは、「聖子節」と呼ばれ、作詞松本隆、作曲呉田軽穂(注1)、曲名は「~の~」(注2)場所はリゾート、季節は夏と冬のそれぞれの変わり目、歌い方は高音でしゃくりあげる泣き節、その曲だと一聴してわかる英語のリフレインつき、のことである。
また、キャラクターにしても、「明るさ」と「可愛らしさ」を前面に押し出した。その「ブリっ子」姿は、テレビに映るアイドルが実像ではなく虚像なのだ、ということをファンに認識させ、一般的なアイドルの象徴として活躍し続けた。
松田聖子が、山口百恵の引退後、アイドルのトップを独走できたのは、薬師丸ひろ子が、大学受験のために一時的に芸能活動を休止したことも大きく影響しているのだが、一方で、「ポスト百恵」と言われた中森明菜は、山口百恵の複製ではなく、松田聖子のアンチ・テーゼとして支持を受けたとも言えるであろう。
女性アイドルが栄華を極めるなか、同年、「たのきんトリオ」田原俊彦、野村義男、近藤真彦がアイドルとして浮上。彼らの所属する「ジャニーズ事務所」は、以後もシブガキ隊、少年隊、光GENJI、男闘呼組と次々に男性アイドルを製造していく。これ以降は、現在に至るまで「男性アイドル=ジャニーズ」という図式が成り立つほど、ジャニーズ事務所は長く強大な力を誇ることになる。
ジャニーズ以外で大きな成功を収めたアイドルとしては、チェッカーズがその代表格であろう。アイドルロックバンドとして、多くのヒット曲を飛ばしただけでなく、ヴォーカル藤井郁弥の髪型が、若い男性の間で流行するなど、大きな影響力を持っていた。
85年、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)から「おニャン子クラブ」(以下、おニャン子)がデビュー。この総勢54人におよぶ集団アイドルは、フジ・サンケイグループの諸媒体をフル活用した売り方で、驚異的なレコード・セールスを記録。同時に、アイドルが様々な力関係のなかにあることが聴き手に定着し、売り手の仕掛けを知った上で、遊びとして、アイドルを楽しむ風潮が生まれた。アイドルが、ファンの「愛玩物」、もっと言えば、「愛玩具」として存在していたとも言える。
しかし、レコード依存的なアイドル文化は、高度情報化社会への移行にともない変質を遂げ、アイドルの「タレント」性崩壊をエネルギー源としたおニャン子の爆発的なヒット以後、アイドルは様式を喪失した。
(注1)「ユーミン」こと松任谷由実。
(注2)『裸足の季節』、『渚のバルコニー』、『ピンクのモーツァルト』など。
冬の訪れ
百恵、聖子、ひろ子、明菜に続く在来型で出発した小泉今日子は、ドラマやCMで過激に「個性」を強調して生き残ったし、中山美穂も歌・ドラマ・CMと、マルチにこなすことで走り抜けた。工藤静香は、おニャン子時代とは全く曲調の違う歌を歌い上げて、同性のファンを獲得したし、WINKは、独特の振り付けで人気を得た。時代が多少前後するが、この他にも、アグネス・チャン、松本伊代、菊池桃子、南野陽子、斉藤由貴、酒井法子などがアイドルの王道を駆け抜けた。
しかし、90年代に入ると、「最後の正統派アイドル」といわれた高橋由美子をはじめ、多くの在来種アイドルは没落、または路線変更を余儀なくされたし、おニャン子を模倣した多くのアイドルグループは、供給量が多すぎたためにファンがついていけなくなり、勝ち抜くことはできなかった。
この時点で、歌謡曲を歌うアイドルは消滅し(=売れないという意味)、「歌わないアイドル」が活躍するようになる。ドラマで「国民的美少女」を演じた後藤久美子やCMに多く出演した宮沢りえがその代表格であろう。
いっぽう音楽界では、アイドル歌手の歌う「歌謡曲」に代わり、B'z、ZARD、大黒摩季、WANDSに代表され、コンピューターで打ち込んだサウンドで曲を作り上げる「ニュー・ミュージック」やチャゲ&飛鳥、Dream Comes True、米米クラブが歌う、トレンディードラマの主題歌が流行し、主流を占めるようになる。
これにより、アイドルの登竜門であった「CDデビュー」の道がほぼ閉ざされ、以前のように、ヒット曲を歌い、バラエティー番組にも出演して、お茶の間に浸透するというアイドルは現れなくなかったが、一部のファン層に根強く支持され続けた結果、そこから徐々に全国的な人気を獲得していくアイドルが登場した。「グラビアアイドル」や「アイドル声優」である。
もちろん、90年代以前も、これらのアイドルは活躍していたのだが(たとえば、グラビアのアグネス・ラム)、歌謡曲を歌う国民的アイドルのポジションが空いたことで、これらのアイドルの注目度が一気に上がったのである。
まず、グラビアアイドルから、人気タレントの座に上りつめたのが、「イエローキャブ」所属の山田まりあや雛形あきこである。両者は、週刊誌や雑誌、写真集に水着で登場し、若い男性を中心に人気に火がつくと、今度は、明るくサバサバした性格で女性のファンをも獲得し、バラエティー番組やドラマにも進出したのである。イエローキャブはその後も、現在活躍中の佐藤江梨子、小池栄子、MEGUMIなどの多くのグラビアアイドルを輩出し、グラビア界で確固たる地位を築き上げている。
アイドル声優は、その職質上、テレビへの露出は少ないものの、ラジオや雑誌で活躍し、また、握手会やサイン会などのイベントを精力的に行うことで、ファンとの近い距離を維持した。その結果、CDを発売すれば、必ず売り上げランキングのトップ10前後にはランクインする、林原めぐみのような存在が生まれた。
しかし、全盛期のようなアイドル歌手は依然現れず、90年代前半は、「アイドル冬の時代」が続く。もちろん、この状況は、女性アイドルに限ったことではなく、男性アイドルの先頭を走るジャニーズ勢からも、光GENJI以降、新しい人気アイドルは誕生しなかった。
音楽業界に話を戻すと、90年代中ごろから、ニュー・ミュージックやトレンディードラマの主題歌に変わる新たな流れとして、「ロックバンド」と「小室哲哉プロデュース」というキーワードが浮上してくる。
このころの音楽業界は、カラオケブームの恩恵を受け、バブル経済崩壊後の不況も吹き飛ばすほどの活気に溢れていた。「ロックバンド」と、一口で言うには、少しポップ色も入っているのだが、Mr.Childrenやスピッツ、JUDY AND MARYなどが、若い世代に広く支持され、ドラマやCMとのタイアップの有無にかかわらず、ミリオンヒットを飛ばすようになった。
さらには、「ビジュアル系」と言われるロックバンドも活躍し始める。メイクを施し、俳優やモデルにも劣らないルックスを持った、LUNA SEA、GLAY、L'Arc~en~Cielらが、男女を問わず支持され、他にも多くの「ビジュアル系」が誕生した。
一方で、小室哲哉がプロデュースする「ダンスミュージック」もこのころの主流であった。TMNのキーボードで、多くの作詞作曲も務めていた小室は、グループ解散後、他のアーティストへの単なる楽曲提供という形ではなく、楽曲制作の最初の段階から全てに携わる、「プロデュース」というスタイルを確立し、多くのヒット曲を生んだ。アイドルグループ、東京パフォーマンスドールの元メンバー、篠原涼子をプロデュースした『恋しさとせつなさと心強さと』やお笑いコンビ「ダウンタウン」の浜田雅功と組んだ『WOW WAR TONIGHT ~時には起こせよムーブメント~』はダブルミリオンを突破する売り上げを記録し、小室は一躍、時の人となった。
小室哲哉は、その後も多くのアーティストをプロデュース。カラオケブームにも乗って、安室奈美恵や華原朋美を世に送り出し、自らも参加したgloveでは、当時の売り上げ記録を次々と塗り替えていった。
しかし、「アムラー」と呼ばれる若い女性のファッションリーダーであった安室奈美恵の登場も、アイドル歌手復活を予感させるものではなかった。というのも、小室の楽曲は、安室の高い歌唱力と得意のダンスを活かしたダンスミュージックであったし、彼女自身、アーティスト志向が高く、あまりアイドルとして扱われることを望んでいなかったからだ。
華原に関して言えば、その明るいキャラクターと「朋ちゃん」という愛称で知られていたこともあって、旧来のアイドルに近い部分は多分にあったであろうが、小室と恋仲にあることを公言していて、「性」を感じさせない清純な女性というアイドル像とは違っていた。
また、両者とも、その支持層は、カラオケで「アムロ」や「朋ちゃん」を歌う女性が中心であり、男性ファンにしても、ファンであることを公言することに、何の恥じらいも必要とはしなかった。男女を問わず広く人気があった、山口百恵やピンク・レディー、松田聖子らのファンにも、この「恥じらい」はあまりなかったのだが、その前後のキャンディーズやおニャン子クラブといった異性からの圧倒的な支持に支えられていたアイドルのファンには、多少の「恥じらい」がつきまとっていたのである。
これは、動物の本能的な欲求に起因する問題であろう。アイドルに夢中になっているときはよいのだが、いざ現実に戻り、普通の女の子を相手に「モテたい」と思った場合、「アイドルに夢中になっている自分がマイナスになるのではないか」と考え、アイドルのファンであることを、他人、特に女性に話すのをためらってしまうのである。当然、何のためらいもなく、自分がファンであることに誇りを持って公言していた強者も少なくなかっただろうが…。
小室ファミリー(注3)やロックバンドが席巻したこの時代にも、アイドルがいないわけではなかった。観月ありさ、内田有紀、広末涼子らがトップアイドルとして活躍はしていた。しかし、彼女たちはアイドル歌手ではなく、「アイドル女優」としての色が濃く、コンサートやイベントのように直接ファンと触れ合う機会が少なかったために、全盛期のような狭義のアイドル(歌手)には成り得なかったのである。
(注3)マスコミや世間は、小室哲哉と小室にプロデュースされたアーティストを合わせて,
こう呼んでいた。
王政復古の予兆
「アイドル冬の時代」が続いた1990年代前半だが、96(平成8)年あたりから状況が変わってくる。まずは前述したように、若い安室奈美恵や華原朋美がトップアーティストとして、活躍し始める。また、安室と並ぶファッションリーダーとして注目を集めた持田香織がヴォーカルを務めるEvery Little ThingやPUFFY、相川七瀬など、女性アーティストが音楽界をリードする。さらに、安室を輩出した「沖縄アクターズスクール」出身のMAX、SPEEDがブレイクする。
このSPEEDの登場はインパクトが大きかった。なぜなら、彼女たちはデビュー当時の平均年齢が13,5歳にもかかわらず、歌、ダンスともに高い能力を示したからである。「若くてかわいい」SPEEDであったが、その楽曲や実力を考えると、狭義のアイドルというよりは、やはりアーティストであった。しかし、音楽バラエティー番組などで見せるその素顔は、まさに10代の普通の女の子であり、昭和の「作られたアイドル」や「ファンのためのアイドル」とは違って、実力派でありながら、アイドル性をも兼ね備えたアーティスト(歌手)であったといえるだろう。
女性アーティストやビジュアル系ロックバンドが活躍するなか、アイドル冬の時代にも、着実に人気を獲得していったのが、ジャニーズ勢のSMAPであった。この年、現在でも高視聴率を誇る、フジテレビ『SMAP×SMAP』が放送開始されると、一気に彼らは、「国民的アイドルグループ」への階段を上り始める。
中居、木村、稲垣、草彅、香取のメンバー5人全員がそれぞれ、ドラマ、バラエティー、CM、映画、本などのあらゆるジャンルで活躍し、歌手としてもヒットを飛ばした。記憶に新しいのが、2003(平成15)年の『世界に一つだけの花』の大ヒットである。CDの売り上げが落ち込むなかでの200万枚突破は、快挙ともいえるだろう。現在、30歳前後のメンバーの年齢を考えると、単なるアイドルではなく、「限りなくスターに近いアイドル」という意味で、「スーパーアイドル」といえるのではないか。
このSMAPの活躍をきっかけに、その後もTOKIO、V6、Kinki Kids、嵐、タッキー&翼などが登場し、ドラマ、バラエティー、CMなどで活躍。光GENJI以降、一時期、力を落としていたジャニーズ帝国が復活する。なかでも、Kinki Kidsは、デビュー以来、売り上げランキング初登場1位の連続記録を現在も更新中であり、これは世界記録としてギネスブックにも認定されている。
こうして、いわゆるアイドル歌謡が流行し、「アイドル=歌手の時代」であった昭和とは違う、ダンスミュージック、ロック、ポップスなど幅広い楽曲を歌い、アイドル性を帯びながらもアーティスト志向の強い女性歌手や歌手だけにとどまらず、様々な分野で広く活躍する男性アイドルが、「平成のアイドル」として時代(大衆)をリードするようになった。
平成と昭和のあいだ
時代が「平成」になった頃から、高度情報化社会への移行に伴い、大衆文化をリードする若者の価値観、趣向の多様化が見られるようになった。若者は、あらゆる面で、「かっこいいもの」「本物」を求めるようになった。その影響をもっとも受けたのが「作られた女性アイドル」である。男性アイドルは「ジャニーズ事務所」という確固たる基盤のもと、時代の流れに上手く迎合したが、アイドルを生み出す確固たるシステムが構築されていなかった女性アイドルは、昭和的なアイドルの過剰な供給により、「アーティスト志向」という路線変更を余儀なくされたのだ。
こうした流れを受けて、女性アーティストの快進撃は続き、「歌姫」や「ディーバ」と呼ばれる女性ソロアーティストが次から次へと登場する。その流れのなかで、若者に圧倒的な支持を得た、いまの時代を代表する二人のカリスマが登場したのが、1999(平成11)年のことである。
一人は宇多田ヒカル。そして、もう一人が浜崎あゆみ。まさしく彗星のごとく現れた宇多田は、自らの作詞作曲による、本場アメリカ仕込みのR&Bをベースにヒットを連発。なかでも、1stアルバム『First Love』は、756万枚という金字塔を打ち建てた。
浜崎あゆみは、「あゆ」という愛称で親しまれ、作詞やファッションが注目を浴び、出産のために一時、歌手活動を休止していた安室に代わって、女子高生を中心に絶大な人気を誇る。現在、3年連続でレコード大賞を受賞している。
宇多田やあゆのようなアーティストが活躍する一方で、おニャン子クラブ解散以降、ブラウン管から姿を消してしまった昭和的な「作られたアイドル」「ファンのためのアイドル」へのニーズがなくなったわけではなかった。彼女たちを欲する人間は、世間から離れた自分だけの空間で、密かにグラビアアイドルやアイドル女優、アイドル声優を応援することで、その欲望を満たしてきたのだが、前述したSPEEDの登場で、一気に声を上げ始める。
そして、二人の歌姫が登場する前の97(平成9)年に結成されたモーニング娘。に淡い夢を見始めたのだ。
「どこにでもいるような女の子だから気軽に楽しめる。さらに、5人とも違うタイプの女の子だから何か得した気分になる。いわば、ファーストフードや喫茶店のモーニングセット。」という由来から、「モーニング娘。」と名付けられたこのグループは、時代の流れに逆行し、いかにもアイドル、というような衣装を身にまとい、バリバリのアイドル歌謡を歌う、まさに「平成」の世に現れた「昭和」のアイドル歌手であった。テレビ東京『ASAYAN』から誕生した彼女たちは、アーティスト志向を持ちながらも、アイドルであることを自認し、また、握手会やサイン会を精力的におこなうことで、ファンとの近い距離を保った。
昭和のアイドルを愛していた人間たちは、地方からやってきたばかりで、垢抜けてはいないが初々しい彼女たちにノスタルジーを覚えた。また、昭和のアイドルを知らない世代にも、目新しく映ったのであろう。彼女たちは徐々に人気を広げていった。
デビュー以来のモーニング娘。の楽曲は、キャンディーズを彷彿とさせるようなアイドルポップと「性」を感じさせない彼女たちが、精一杯背伸びをして歌った大人の恋愛ソングが中心であった。よって、ファン層も、『ASAYAN』の視聴者を中心に、昭和のアイドルをあまり知らない男子中高生、アイドル全盛期に青春を送ったであろう20歳後半から30代前半の男性が多かった。アイドル歌手がいなかった、90年代前半に中高生であった20代前半の男性には、若干違和感があったであろう。
しかし、彼女たちは、99(平成11)年、ピンク・レディーのようなお祭り的な要素とディスコサウンドを取り入れた『LOVEマシーン』の大ヒット(164万枚)で、一気に幅広い層から支持されるようになる。奇しくも、二人の歌姫が登場した年と同じであるが、平成不況で沈み込んでいたこの年末の忘年会では、日本中で『LOVEマシーン』が歌われたのである。カラオケチャートで17週連続首位を獲得したこの曲は、若者だけでなく、サラリーマンのオジサンや主婦のオバサンにまで歌われたのである。
日本の未来はwow wow wow wow♪
『LOVEマシーン』で大ブレイクを果たした彼女たちは、ジャニーズの男性アイドルのように様々なジャンルで活躍するようになる。プッチモニやミニモニ。などの人気ユニットも生み出し、モーニング娘。の妹分としてデビューした松浦亜弥らとともに、ハロープロジェクトの先頭を走る。彼女たちが所属する芸能事務所、アップフロントエージェンシーは、女性版「ジャニーズ事務所」を目指し、ハロープロジェクトを展開しているのであろう。
モーニング娘。の成功後、おニャン子クラブのときと同様、彼女たちを模倣したアイドルグループが生まれたが、今のところ、他のアイドルの追随を許していない。デビューしてから6年の時が経ち、さすがに絶対的な人気は衰えてきているが、相対的にはまだまだ人気を誇っていると言えるだろう。
では、いまの時代に愛されている彼女たちの魅力とは何なのであろうか。
第二章では、昭和の女性アイドルの性格を帯び、平成の男性アイドルのような活動を展開するモーニング娘。について考察していきたいと思う。
~第二章~ Memory 青春の光
時代を生きる
この本文の中で、数多く存在する、または、存在したアイドルのなかでも、「モーニング娘。」を大きく取り扱うのにはそれなりの理由がある。
特定の「アイドル」を語るなら、そのアイドルの特異性や普遍性を見出さなくてはならないであろう。当然、山口百恵や松田聖子、ピンク・レディーやおニャン子クラブにはあったであろうし、モーニング娘。にもあるとは思う。
では、なぜ、特異性や普遍性を持っていた他のアイドルたちは取り上げなかったのか。それは、私がその時代を生きていなかったがゆえに、彼女たちの魅力はもちろん、その人気や影響力にも生で触れることができなかったからである。
このことは、「アイドル」の存在を語るうえで、致命的であると私は考える。というのも、アイドルが誕生・発展した経緯を考えれば、アイドルにとって、「ファンとの関係性」は最も重要だからである。
そこで、序章でも述べたように、私が大ファンであるモーニング娘。に白羽の矢を立てたのだ。モーニング娘。が現役のアイドルであるために、そして、私がそのファンであるために、私は彼女たちの魅力も人気も影響力も肌で感じることができる。つまりは、「アイドルそのもの」だけでなく、「送り手」や「受け手」についても深く考察することができるし、それらの関係性についても、よりリアルに迫れるということだ。
以下では、モーニング娘。が国民的アイドルにまで成長した過程と現状を、「私という語り部」を中心に述べていきたいと思う。砕けていうならば、私が娘。とともに歩んだ青春の記憶を晒す、といったところだろうか…。本文の構成上、モーニング娘。の歩みを、時系列的には、「後藤真希加入」と「五期メンバー加入」をターニングポイントとし、三節にわたって説明していく。
なお、この卒論で、「モーニング娘。」を大きく扱う理由は前述したとおりだが、それ以外の理由として、当然、もっと多くの方がたに、私が応援する娘。たちのことを知ってもらいたいという野望がある。そこで、以下の内容をより理解してもらうためにも、先に、巻末に用意した、メンバー(脱退・卒業したメンバーを含む)の顔写真と簡単なプロフィールを読んでいただきたい。また、巻末には、モーニング娘。の活動年表、ユニット構成や松浦亜弥などのハロープロジェクトメンバーについての紹介も準備したので、ぜひ参考にして頂きたい。
第一節 敗者から勝者へ
ラブ・ストーリーは突然に
私がモーニング娘。に出会ったのは、1997(平成9)年の12月のことである。高校三年生であった私は、受験勉強を一通り終え、寝る前にテレビをつけた。チャンネルを回していると、一人の女性が目に付いた。中澤裕子であった。
「きれいな人だな。ちょっと相川七瀬(注1)に似ている。」
それからしばらく、その番組を見ていた。5人の女性が、名古屋球場でCDを手売りしているようだ。買いに来てくれた人と次から次へと握手を交わしている。
そうこうしていると、スタンドにいる大勢の人が突然カウントダウンを始めた。そして、それが0になった瞬間、その5人が歓喜の輪を作り、お互い涙を流しながら抱き合うではないか。当然、私には何のことだかわからないのだが、画面では、「インディーズCD『愛の種』5万枚完売、モーニング娘。メジャーデビュー決定!」というテロップと興奮気味のナレーションが流れていた…。
これが私と娘。の出会いであった。このとき、この番組を見ていなかったら、私はいつ娘。と出会っていただろうか。テレビが好きな私のことだから、そう遅くない時期だとは思う。
しかし、この『ASAYAN』という番組が、私の故郷である鹿児島ではチャンネルを持たないテレビ東京で放送されていた(注2)ことを考えると、やはり、ただの偶然ではなかったのかもしれない。大げさではあるが、一応、運命とでも言っておこうか…。
では、ここで、私がその存在を知る前のモーニング娘。について簡単に説明しよう。
もともと、この5人は、オーディションバラエティ番組である、テレビ東京『ASAYAN』の中の「シャ乱Q女性ロックヴォーカリストオーディション」に応募した女性たちである。5人とも、最終候補までは残ったのであるが、残念ながらグランプリには選ばれなかった。
しかし、敗退した最終審査進出者10名の中から、このままにしておくにはもったいない、と評価されたこの5名が後日呼び出され、5人でユニットを組むことを、オーディションの審査員であったシャ乱Qから提案された。
当然、「敗者」である彼女たちが、ただでデビューできるわけはなく、「5日で、インディーズCD(注3)5万枚を完売することができたらメジャーデビュー」という過酷な条件が課せられた。今よりCDが売れていた時代とはいえ、レコード会社のバックアップもない彼女たちが、この条件をクリアするとは、シャ乱Qのメンバーはもちろん、番組スタッフも全く予想していなかったようだ。
グランプリに選ばれた平家みちよ(注4)が、武道館にて華々しくデビューを飾る一方で、つんく♂から「モーニング娘」(注5)と命名されたこのグループは、インディーズCD『愛の種』のPR活動を必死におこなった。実際のCD手売りイベントは、東京・大阪・名古屋・札幌・福岡で開催されることが決定していたのだが、それまでのあいだは、それぞれの学校や職場(注6)、人通りの多い街頭や百貨店でビラを配ったり、ポスターを貼ってもらえるよう、レコード店を駆け回ったり、有線の放送局を回ったりした。安倍にいたっては、地元室蘭の市役所を訪れ、市長に直接、協力・応援を懇願した。
そして、いよいよ大阪で最初のイベントが始まったのだが、いきなり一万枚を超える売り上げを記録し、その後の福岡、札幌でも順調に売り上げを伸ばした。オーディションの「敗者」である彼女たちが必死に頑張る姿に、番組の視聴者や彼女たちの存在を知った人びとが心を動かされ、会場に足を運んだのであろう。
当時、テレビ番組から誕生した曲がヒットするという風潮はあった。日本テレビ『進め!電波少年』の企画で、ユーラシア大陸をヒッチハイクで横断したお笑いコンビ「猿岩石」は、帰国後人気者となり、元チェッカーズの藤井兄弟が作詞作曲した『白い雲のように』を歌って、ミリオンヒットとなった。
また、時代は多少前後するが、日本テレビ『ウッチャンナンチャンのウリナリ』から生まれた「ポケットビスケッツ」や「ブラックビスケッツ」もヒットを飛ばした。
当然、番組スタッフやつんく♂もその流れを考慮し、また、日本人の多くが、「判官びいき」の性質を持ち、「お涙頂戴」が大好きであることも狙って、曲のレコーディング風景やPR活動だけでなく、彼女たちの生い立ちなども番組内で紹介したのだが、ここまでの快進撃は予想していなかったようだ。そして、彼女たちはついに、名古屋で行われたイベントで、その目標を達成する。
「この子たち、どうなるんだろう?ちょっと気になるなぁ。」
私は、次週からも番組を見続けた。
(注1)ロックシンガー。1995(平成7)年11月08日『夢見る少女じゃいられない』でデビュー。アルバム『Red』が250万枚を超える大ヒット。
(注2)鹿児島にはテレビ東京系の放送局はなく、同番組は他局の深夜で、2週間ほど遅れて放送されていた。モーニング娘。以外にも鈴木あみやCHEMISTRY、池脇千鶴などを輩出。2002(平成14)年3月24日をもって放送終了。
(注3)レコード会社に所属していないアーティストの自主制作CD。
(注4)1997(平成9)年11月5日『GET』でデビュー。2002(平成14)年秋にハロープロジェクトから卒業。
(注5)詳細は巻末の「モーニング娘。活動年表」に掲載。
(注6)当時、中澤はOL、石黒は専門学校生、飯田・安倍は高校生、福田は中学生。
選民思想
『モーニングコーヒー』でメジャーデビューしたモーニング娘。であったが、当時、私の周りで彼女たちを知っている人間は誰もいなかった。それでも私は、『ASAYAN』に翻弄される彼女たちの姿を、次第に熱を込めて追うようになるのである。
たとえば、2ndシングルの発売前に突然発表された「メンバーの追加」。過酷な条件を乗り越えてようやくメジャーデビューを果たし、固い絆も生まれつつあった彼女たちにとっては、受け入れがたい事実であった。この決定には、ファンのなかでも意見が分かれ、反対するもののなかには、ファンサイトを閉鎖するという形で抗議するものもいた。
最初は、そういった番組の展開を楽しむだけの私であったが、保田・矢口・市井の三人が加入後に発売された、彼女たちの2ndシングル『サマーナイトタウン』という曲を気に入ってからは、モーニング娘。自体も気になり出していった。
それまでの私は、女性アーティストでは、相川七瀬やSPEEDが好きだったのだが、モーニング娘。が、3rdシングル『抱いてHOLD ON ME!』でランキング一位を獲得し、世間でも知られるようになってきたころには、「俺はデビュー前から知っていたんだもんね。」と、得意な気持ちにさえなり、彼女たちを応援している自分に気づき始めた。
その後も、モーニング娘。のレコード大賞最優秀新人賞獲得や紅白初出場を喜んだり、新曲や新曲のランキング発表が待ち遠しかったりと、ますます感情移入してしまっている私がいた。まさに、『ASAYAN』の番組スタッフやつんく♂など、アイドルの「作り手」または「送り手」の術中にはまっていったのである。
私だけではなく、モーニング娘。の古くからのファンは、だいたいが番組の視聴者である。レコーディングにおけるメインヴォーカルの争奪戦やオリジナルメンバーと二期メンバーの間の不仲具合を見て、様々な想像を膨らませたり、彼女たちの喜怒哀楽に共感したりもする。さらには、自分だけが知っているアイドルである、という優越感さえ持ち合わせる。少し大げさな言い方をすると、「俺(僕)は、モーニング娘。に選ばれたファンなんだ!」といったところであろうか。
それまで番組では、オーディションの合格者のその後の活動については、告知程度で、大きく取り上げることはなかったのだが、モーニング娘。の反響の大きさに、最初は驚きを隠せなかったつんく♂や番組スタッフも、彼女たちを単なる企画アイドルで終わらそうとはしなかった。
そもそも、このオーディションの目的は、女性ロックヴォーカリストの発掘であった。しかし、それは建前であり、昭和アイドルとともに青春を過ごしたつんく♂(注7)や番組スタッフは、おニャン子クラブのような「アイドル」を作りたかったのである。とはいえ、アイドルではなく、アーティストが活躍する時代に「アイドル」を募集しても、よい人材を得られないと考えた両者は、「女性ロックヴォーカリストオーディション」と銘打ったのである。もちろん、ロックヴォーカリストもアイドルもどちらも選びたかったのだが、形式上、当然グランプリにはロックヴォーカリストを選んだ。そして、敗者である彼女たちなら、「アイドル」としてプロデュースすることを試してもよいであろうと考えたのだ。その後、音楽評論家・福田一郎氏の「プエルトリコのメヌード(注8)を参考にするとよい。」というアドバイスにヒントを得て、モーニング娘。を結成したのである。
私や他の視聴者は、そんな隠された意図も知らずに番組を見ていた。当然、彼女たちもアイドルになるために、オーディションを受けたわけではないであろう。それでも、夢であるCDデビューできるとあって、モーニング娘。になることを決意したのである。よって、彼女たちは若いアイドルでありながらも、しっかりとしたプロ意識を持って頑張ってきた。その点が彼女たちの最大の魅力であろう。一生懸命な人間を見ると、応援したくなるのが、ファンならずとも人間の心理である。ましてや、それが若くて可愛い女の子ならなおさらであろう。
「俺(僕)が応援しないで、誰が娘。たちを支えてやるんだ!」
(注7)テレビやラジオ、雑誌や著書で自ら公言している。
(注8)プエルトリコの少年アイドルグループ。リッキー・マーティンらが過去に在籍。
12、3歳で加入した後、17歳になると脱退しなければならない。常にメンバーが変動しつつも、本国では根強い人気を誇る。
プロ意識が生み出した個性
つんく♂はおニャン子クラブのようなアイドルグループを作りたかった、と前述したが、
実際、モーニング娘。が世間に知られるようになってからは、新聞や雑誌などで「平成の
おニャン子クラブ(以下、おニャン子)」と言われることが多かった。もちろん、デビュー
当初からもこういう声はいくらかあった。が、おニャン子をリアルタイムで体験していな
い私には、あまりピンとこなかったのだ。知っていたことと言えば、せいぜい「おニャン
子クラブ」というグループ名と人数が多かったことぐらいか。あとは、『セーラー服を脱が
さないで』のサビの部分を口ずさめる程度である。
そこで、以下では、おニャン子とはいったいどのようなアイドルグループだったのかと
いうことについて考察し、「おニャン子」と「モー娘。」を比較していきたいと思う。
おニャン子は、1985(昭和60)年にフジテレビ『夕焼けニャンニャン』から誕生したグ
ループである。「おニャン子クラブ」という名称自体は、番組に登場する女子高生メンバー
全員の総称であり、メンバーの総数は、実に「54名」が登録されていた。番組からは、工藤静香、渡辺満里奈など、現在でも第一線で活躍を続けるほどのメンバーが数多く生まれ、一大ブームを巻き起こした番組であった。
テレビ番組から誕生したアイドルグループという点だけではなく、次々とメンバーが加入してくる点や何人かのメンバーを選んでユニットを組む点など、両者の共通点は少なくない。しかし、本人たちの姿勢にこそ、最大の違いがあった。
おニャン子を生んだ同番組は、「女子高校生」を中心とした番組作りをしており、このようなコンセプトは、それ以前に同局で、「女子大生」をフィーチャーした『オールナイトフジ』を先例しただけという、割と安直なものではあった。しかし、おニャン子クラブのプロデューサーである秋元康は、見事に新しいアイドル像を作り上げた。
まず、集団のなかの一人をスターにしようとするのではなく、「女子高生」というブラン
ドを、おニャン子クラブ全体でやろうとした。それは、ひとりひとり見るとそれほどではないが、みんなが集まっていると、何か魅力的である、というクラブ活動のニュアンスともいえる。こういった考えはモーニング娘。にもあったであろう。
また、山口百恵や松田聖子のように絶対売れてやる、という当時のアイドルたちの笑顔の裏側にある、ドロドロした大人の顔に、ファンはついてこなくなるであろう、と考え、秋元が先に手がけた菊池桃子同様、「別に芸能活動を続けなくても、私にはパパとママがいるもん!」というスタンスを持った「素人らしさ」を売りにした。これが当時の若い世代に受けたのであるが、おニャン子の、この意識こそが、モーニング娘。との決定的な違いである。
では、なぜつんく♂は、モーニング娘。にプロ根性を叩き込んだのか。それは、受け手の問題であろう。おニャン子の時代は、アイドルも社会全体も、貪欲に働くという空気があった。だから、秋元は逆を進んだのである。それに対して、モーニング娘。が生まれる前の時代は、大人はどこか疲れていて、無関心、無意欲な若者が増えつつあり、必死に頑張るアイドルなど存在せず、かっこよく器用にこなすアーティストが支持される時代であったのだ。だから、つんく♂は、一生懸命なアイドルが新しく、世間の人びとを元気づけることができると考えたのではないだろうか。
さらに、当時は、「個性が叫ばれる」時代であった。ジャニーズの男性アイドルに見られるように、アイドルは単に歌を歌うだけではやっていけない。ダンスや演技、バラエティーもできないと、淘汰されていくのだ。そこで、つんく♂は、歌手というよりはダンスも踊れる(注9)アーティストとしてプロデュースし、さらには、個々のキャラクターを磨き上げることも要求した。
もともと「敗者」である彼女たちは常に危機感を抱えていた。順調にステップアップしているにもかかわらず、当時リーダーの中澤が、番組内で「この世界はそんなに甘くない」と話していたコメントにもそれが窺える。だから、彼女たちは、つんく♂の要求に応えようと、歌や踊りはもちろん、「個性」を磨くことにも力を入れた。この時点では、まだ全員のキャラクターが確立されているわけではないので、詳しくは後述するが、この「プロ意識から生まれた個性」こそが、モーニング娘。を国民的アイドルへと押し上げる大きな原動力となる。
(注9)モーニング娘。のダンスの指導を担当したのは、夏まゆみ。
「生」が持つ力
順調に見えたモーニング娘。にも、新たな試練が訪れていた。最年少ながら、安定した歌唱力で、安倍とともにメインヴォーカルを務めていた福田明日香の脱退が発表されたのである。理由は学業専念のためである。
「脱退なんてあるんだ!?」
私は虚を突かれた。
「紅白にも出て、一番いいときに…。ていうか、芸能界ってそんなに簡単に辞められるもんなんだな。」
これが私の正直な感想であった。福田は、年齢にわりに妙な落ち着きを持ち、少し影のある子であったから、その福田が辞めること自体はさほど驚きはしなかったのだが、脱退という選択肢があることに少なからず衝撃を受けた。
メヌードを参考にしていることもあって、これも戦略の一つであったかもしれないが、このことが、入ってくるメンバーがいれば、去っていくメンバーもいるという、モーニング娘。における一つの決まりをファンや世間に認識させたのは間違いない。モーニング娘。にとって、こうしたメンバーの流動性は、メンバーの成長を促し、世間の注目も維持するという、一つの大きな特徴となった。
しかし、福田の脱退が影響したのか、それとも早くも飽きられ始めたのか、私が受けたインパクトの大きさとは逆に、CDの売り上げは落ちていく。「モーニング娘。もこれからは下がる一方かな。」と、さすがに私も不安を覚えていたが、「生」で彼女たちを見た感動が、私の沈んだ気持ちを燃え上がらせる。
ある日、いつものようにテレビを観ながら過ごしていた私は、モーニング娘。が鹿児島でライブを行うことを知った。そして、チケットの予約開始日、45分ほど電話をかけ続けた結果、見事チケットを手に入れた。そして、ライブを楽しむために、モーニング娘。のアルバムを2枚(注4)買って、毎日聴き続けた。
迎えたライブ当日。私にとって、初めて生で見る芸能人がモーニング娘。であったのだが、彼女たちが、5thシングル『真夏の光線』のイントロの開始とともにステージに登場した瞬間、私の胸は高鳴り始めた。ステ-ジ狭し、と元気に駆け回るモーニング娘。のメンバーたち。安倍の満面の笑顔や『カラスの女房』を歌う浴衣姿の中澤に思わず魅入ってしまっていた。
私は、テレビやCDで聴いていた歌を一緒に歌い、「生」の彼女たちに触れることで、完全にモーニング娘。に心を奪われてしまった。しかし、このときはまだ、羞恥心までは拭うことができなかったし、別に、特定な誰かを好きというわけではなかったから、「なっちー!」と、すべてが濁音に聞こえるような声で叫ぶ隣の人を、少し冷ややかな目で見ていたのだが…。
このライブ以降、私の彼女たちに対する想いは、日に日に増していくのだが、それとは逆に、彼女たちの人気は後退していく。
(注4)1stアルバム『ファーストタイム』、2ndアルバム『セカンドモーニング』の2枚。
なお、以降では、曲名など、巻末の「モーニング娘。活動年表」などの資料に掲載されている事柄については、細かい説明を省略する場合がある。
第二節 狂想曲「娘。」
練り上げられたシナリオ
ライブで「生」の彼女たちに触れたのが、1999(平成11)年の夏。この季節は、私をモーニング娘。の完全なるファンとすべく、ライブ以外にも、よくできたシナリオを用意していた。そして、そのシナリオは、私だけでなく、大衆をも魅了した。
まずそのひとつが、『ASAYAN』が番組内で企画し、必要に煽った「モーニング娘。vs鈴木あみ(注5)のCD売り上げ対決」である。同日発売となる、モーニング娘。の『ふるさと』と鈴木あみの『BE TOGETHER』のCD売り上げ初登場ランキングを競わせるというものである。結果は鈴木あみの圧勝に終わり、モーニング娘。の人気凋落は誰の目にも明らかとなった。彼女たちは再び敗者となったのである。しかし、一様に落ち込む彼女たちの姿を画面で見た私は、「俺は変わらず応援し続けるから!」と、固く胸に誓った。
続いてやってきた波が、「後藤真希の加入」と「『LOVEマシーン』の発売」であった。番組では、対決に敗れた彼女たちを、「新メンバーが二名追加され、1999年9月9日に、モーニング娘。は9人となって再デビューします。」と、大々的に放送した。「いまさら…。」
と思った視聴者がほとんどであっただろうが、これはモーニング娘。のために用意された最後にして最大のチャンスだったのである。
オーディションの結果、新たに加入したメンバーは、予定した二名ではなく、後藤真希のひとり。しかし、この13歳の超大物ルーキーが起爆剤となり、モーニング娘。は、破竹の快進撃を開始する。
『ふるさと』での不振で、彼女たちのお尻にもいよいよ火が点いた。新曲が売れなければ、グループ解散という空気さえ流れていた。しかし、懸命な7人に対して、後藤はいたってマイペースな少女であった。プレッシャーは感じていたようだが、淡々としていて、加入前はあまりモーニング娘。のことを知らなかったという後藤のスタンスは、見ていて実に面白かった。特に、両者が初対面を果たした際に、後藤を見て、「うわ~、私の好みの子だ。」と言ってくれた「矢口」の名前を、対面前に「知」って誰ですか?と、言い放った場面などは今でも印象に残っている。
見た目にしても、後藤のインパクトは大きく、金髪姿で、13歳とは思えない大人びた雰囲気を醸し出していた。アイドルにしては垢抜けていなかった7人とは、この点でも対照的であり、まさに、「田舎の学校に転校してきた、洗練された都会の女の子」といった感じであった。
このままではまずい、という危機感と大物ルーキーに受けた刺激は、7人を成長させ、後藤の加入とともに、モーニング娘。の大躍進のターニングポイントとなった。
そして、モーニング娘。の名を世に知らしめた『LOVEマシーン』であるが、若い世代には新鮮で中年層には懐かしいディスコ・ミュージックと、不景気をものともしない前向き(というよりはお気楽)な歌詞、さらには、派手な衣装を身にまとった若くてカワイイ女の子が真剣な表情で踊る滑稽な振り付けが、大衆のハートをわしづかみにした。『LOVEマシーン』を歌う娘。たちを、テレビで最初に見た瞬間は、ほとんどの人が、「なんじゃ、こりゃ!?」と思ったであろうが、曲が進むにつれ、気がつけば皆、思わず口ずさんでしまったのではないだろうか。
前作での惨敗と新星の登場、そして、起死回生の一発と、何ともよくできたシナリオである。そのなかで、彼女たちが目標に向かって懸命に努力する姿は、志望大学合格のために勉強する私にとって大きな励みとなった。また、彼女たちの歌声やダンスは、私に元気を与えてくれたし、その笑顔は私を癒してもくれた。
ファンに夢・希望・愛情・元気・癒しなどの色々なパワーを与えるアイドルと、そのアイドルに魅了され、精一杯応援する(愛情を注ぐ)ファン。そして、両者が出会うためにあらゆる仕掛けを試みる、アイドルの送り手。三者の息がぴったりと合ったとき、その時代に愛されるアイドルが誕生するのである。
(注5)モーニング娘。に続いて『ASAYAN』からデビュー。小室哲哉プロデュースのもと、トップアイドルとなったが、所属事務所とのトラブルが原因で、現在は活動休止中。
「象徴」vs「救世主」
『LOVEマシーン』のヒット後も、モーニング娘。の勢いは止まらない。保田・市井・後藤の三人で結成された「プッチモニ」は、デビューシングル『ちょこっとLOVE』でいきなりのミリオンを達成した。。。。。(注6)特に、後藤の人気はとどまることを知らず、加入以来、わずか数ヶ月で、モーニング娘。のエースの位置に躍り出た。その最年少メンバーの活躍ぶりは、「怪物」とも形容できるほどであった。しかし、その一方で、それまでのエースであった安倍は、苦悩の日々を送ることとなる。
デビュー以来、安倍は福田とともに、メインヴォーカルとして活躍し、メンバーのなかでも、No.1の人気を誇っていた。そこで、安倍と福田以外のメンバーは、露出を多くするために、モー娘。本体の活動以外にもユニット活動を行っていった。はじめに、中澤がソロ演歌歌手「中澤ゆうこ」としてデビュー。次いで、石黒、飯田、矢口の三人が「タンポポ」として活躍し始めた。福田の脱退後は、安倍が『ふるさと』で全編に渡りリードヴォーカルを務めるなど(残りの6人がコーラス)、グループとしては、ある程度バランスが取れていた。
しかし、その『ふるさと』の不振が、安倍に多大なプレッシャーを与えた。そこに登場したのが後藤であり、後藤が活躍すればするほど、安倍の影は薄れていった。また、プッチモニの結成により、ユニットに属していないのも安倍だけとなった。
追い打ちをかけるように、マスコミは「安倍vs後藤のセンター争い(注7)」などとはやし立て、ストレスからか、このころから安倍は太りだし、人気の衰退に拍車がかかる。実際安倍も、自身のエッセイ『ALBUM 1998-2003 abe natsumi』(2003年、ワニブックス)のなかで当時を振り返り、「このころは、自分の悩みとか迷っていることとか、自分のなかで処理できないものが、どんどん肥大していった。」と語っている。ブラウン管から安倍の最大の魅力ともいえる笑顔が少なくなっていった。作り物の笑顔が増えたのだ。
そんな安倍の姿を見ているうちに、私のなかで、ある気持ちの変化が起こり始めた。
「今までモーニング娘。の人気を支えてきた最大の功労者であるなっちが、どうして隅に追いやられるんだ!」
それまでの私は、モーニング娘。自体のファンであり、特定の誰かが好きというわけではなかったのだが、このころから、画面やCDのなかで、娘。の「顔」という位置づけと、現実との狭間で苦悩する安倍の存在を気にするようになった。
「今日はホントの笑顔が見れるかな。今回の曲は歌うパートが増えてるかな。」
実はその前から、すでに私は安倍に惹かれつつあった。まず、『真夏の光線』のプロモーションビデオの安倍の笑顔に魅入られてしまった。さらに、浪人生であった私は、勉強の気分転換によくラジオを聴いていて、そのなかには、安倍がパーソナリティを務めるTFM系『スーパーモーニングライダー』も含まれていた。内容自体はそんなに面白いものではなかったのだが、安倍がとにかく楽しそうにしゃべるので、ついつい聴いてしまうのだ。その後、番組が27時25分開始に変更しても聴き続けた。ラジオは、パーソナリティがリスナーに直接語りかけるので、距離の近さを感じられる。安倍の持つ空気感が、勉強で疲れたココロとカラダを癒してくれるのだ。それだけではない。安倍が中学時代にいじめられていて自殺まで考えていたこと、そのときにJUDY AND MARYの『小さな頃から』という曲に救われたこと、それがきっかけで、歌手を本気で目指すようになったことを聞いてしまったからだ。
「どんなことがあっても、俺は応援し続けるから。」
最初は、判官びいきというか、同情というか、そういう気持ちからだったかもしれないが、安倍に対して特別な感情を持つようになったのは、間違いなかった。
(注6)『ちょこっとLOVE』の歌詞から「。。。。。」を適用。
(注7)センターポジション。メインヴォーカルが位置し、グループ内の人気や実力が反映される。このころは、形式的には、安倍と後藤の二人がセンターを務めていた。また、ファンのなかでも、以前から娘。を応援してきた人たちと、後藤の加入後にファンになった人たちのあいだで、お互いをよく思わない雰囲気が多少見られた。
溢れる個性の集合体
モーニング娘。というグループは、メンバーの変遷を原動力として、進化を続けてきた。後藤の加入は、それが顕著であり、安倍が「エース」の座を奪われたのも仕方のないことである。しかし、「モーニング娘。」という物語にもっとも劇的な変化が現れたのは、四期メンバーの加入後であった。
2000(平成12)年の正月、ハロプロのライブツアーの終了と同時に、石黒彩が、もう一つの夢であった服飾関係の道に進むために脱退したが、『恋のダンスサイト』がミリオンを突破したり、ハロプロメンバーによるシャッフルユニット企画を試みたりと、娘。たちの快進撃は続いた。
そんななか、石川、吉澤、辻、加護の4人が新メンバーとして加入してくる。私はそのなかでも、辻と加護の姿に衝撃を受けた。
「子供じゃん!」
二人の年齢は当時12歳。一ヶ月前までランドセルを背負っていた。脱退した福田と後藤もデビュー当時は13歳であったが、二人ともどこか大人びていたから、あまり年齢は感じさせなかった。しかし、辻と加護は見た目だけでなく、話し方や雰囲気も思い切り子供であった。「この子たちはやっていけるのだろうか。」と心配せずにはいられなかった。
新メンバー4名を加え、パワーアップした娘。たちは、結婚ソングとしても定着した『ハッピーサマーウェディング』を発売したり、初の主演映画『ピンチランナー』が公開されたりと順調な活動を続けていたが、市井紗耶香が突然、シンガーソングライターを目指すことを理由に脱退を発表する。市井は後藤の教育係になってから急成長を遂げ、プッチモニや青色7(注8)では、センターも務めたが、モーニング娘。初となる日本武道館のライブを最後に脱退した。
このころからテレビのレギュラー番組が増え始めるのだが、それと同時に、モーニング娘。を生み出し、人気獲得の要因ともなった『ASAYN』での露出が激減する。理由は定かではないが、おそらく、番組スポンサーとの絡みが原因であろう。代わって、娘。たちの魅力を引き出してくれたのが、音楽バラエティ番組、TBS 『うたばん』である。
お笑いコンビ「とんねるず」の石橋貴明とSMAPの中居正広がMCを務める同番組には、二期メンバー加入後から出演していて、ファンのあいだでも面白いと評判であった。というのも、アイドルとの共演が多い石橋とアイドルである中居のコンビが、娘。たちとのトークやゲームのなかで、個々のキャラクターを確立させていったからである。
後藤加入以前は、安倍が「かわいいお姫様キャラ」で、それ以外の中澤・石黒・飯田・福田は「いじられキャラ」であった。特に飯田は「ジョンソン」と名づけられ、トークの中心となった。
後藤加入あたりから、髪を短くした市井が「母さん」と呼ばれるようになる。また、後藤も石橋に気に入られ、ひいきを受けるようになる。
娘。だけでなく、ユニットでの出演も多くなると、保田が注目を浴びるようになる。石橋と中居の、保田への「イジメ」とも取れる悪態は、視聴者の笑いを誘う一方で、番組に多数の抗議が寄せられるほどであった。しかし、保田本人が、「うたばんのおかげでキャラができて、自信がついた。」とコメントするなど、娘。にとっては、貴重な番組であったし、また、ファンにとっても、メンバーの素顔が見れる楽しみな番組であった。その後も、同番組は新しく入ってくるメンバーの個性を引き出し、モーニング娘。の人気維持に大きく貢献した。
市井脱退後も、娘。たちは走り続けた。ヒット曲を連発し、多くのテレビやラジオ番組、CMや雑誌などで活躍した。テレビ番組の企画から生まれたグループが、「国民的アイドルグループ」と呼ばれるようになったのもこのころからであろうか。
そんななか、娘。たちにちょっとした変化が見られるようになった。辻・加護コンビの台頭である。加入当初は、与えられた仕事をこなすだけで精一杯であったこの二人だが、テレビ東京『ハロー!モーニング。』の企画から生まれたユニット「ミニモニ。」への参加で一気にブレイクする。
このミニモニ。は、身長150cm以下の矢口・辻・加護の三人が勝手に活動し始め、後につんく♂にデビューを依頼するという前代未聞の経緯で誕生した。さらに、ココナッツ娘。(注9)からミカが加入し、『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』でデビューすると、ランキング1位を獲得した。
続く2ndシングル「ミニモニ。テレフォン!リンリンリン」も大ヒットすると、ミニモニ。を描いたマンガやアニメが登場。勢いはとどまることを知らず、キャラクターグッズが発売され、CMにも出演、さらに「ミニハムず」役で映画デビューも果たした。本家モーニング娘。のファン層よりさらに年下の子供たちに、「ミニモニ。シンドローム」を巻き起こしたのである。
なかでも辻と加護は、「辻ちゃん」「加護ちゃん」の愛称で親しまれ、二人の髪型やファッションを真似る、幼稚園・小学生の女の子も少なくなかった。こういった流れに自信を得たのであろう。辻・加護コンビは、まるで小学生のような茶目っ気たっぷりの行動でファンを楽しませるようになる。
ミニモニ。の活躍は、親、祖父母の財布に直結し、俗に「6ポケット」と呼ばれる「子供市場」までも獲得したのだが、そのミニモニ。のリーダーである矢口が果たす役割は娘。にとって大きなものであった。
矢口はデビュー以来、ファンのあいだでは、常に高い人気を保っていたのだが、その存在が取り上げられることは、あまり多くはなかった。しかし、145cmの小さい体でありながら、持ち前の明るさで、娘。以外にも、タンポポ、ミニモニ。の二つのユニットで活躍する彼女は、いつしか「モー娘。のムードメーカー」や「モー娘。の中間管理職」と評価されるようになった。
というのも、二期メンバーである矢口は、ミニモニでは、辻・加護と、タンポポでは、石川と行動をともにしており、早くから四期メンバーとの距離を縮めていった。その結果、中澤・飯田・安倍・保田の「お姉さんチーム」と、後藤・石川・吉澤・辻・加護の「こどもチーム」とのパイプ役を務めるようになっていったからである。彼女自身、エッセイ『おいら』(2003年、ワニブックス)のなかで、「よく、“矢口は、中間管理職みたいな人だね”って言われるんだけど、それが役割だと思っている。センターは似合わないかもしれないけど、見えないところでみんなをガッチリと固めてあげたい。昔からそういうのが好き。」と語っている。
また、各ユニットが多方面で活躍するなか、安倍もドラマやCMにソロ出演するなど、徐々にその存在感を取り戻し、持ち前の笑顔が見られるようになっていった。
(注8)ハロプロ内のシャッフルユニット。詳細は巻末に掲載。
(注9)ハロプロ内のグループ。詳細は巻末に掲載。
黄金のナイン
四期メンバー加入から約一年後の2001(平成13)年4月に、娘。を縁の下から支えてきたリーダー中澤がグループから卒業した。この「卒業」は、それまでの、本人の意思による「脱退」とは違って、つんく♂、あるいは所属事務所の方針によるものであった。当時27歳という年齢を考慮すれば仕方のないことであったが、中澤がいなかったら、私は娘。のファンにはなっていなかったのではないか、と考えると、中澤に対する感謝の気持ちが溢れた。
この中澤の卒業も、娘。にとって、大きな転機となった。リーダーであり、精神的支柱であった彼女の卒業は、ファン以上にメンバーに深い悲しみをもたらしたのだが、結果として、残った若いメンバーの精神的な成長を促した。また、石黒や市井のような突然の「脱退」ではなく、予定されていた「卒業」であったために、多くのレギュラー番組や音楽番組で、中澤の卒業式なるものが行われ、その後も恒例となった。さらには、卒業後もソロとしての芸能活動を続けることから、メンバーにとっても、ファンにとっても、卒業は、次なるステップへの「通過儀礼」として捉えられた。
中澤の卒業により、グループのメンバー構成は、下は13歳の辻・加護から、上は20歳の保田までとなり、ちょうど、中・高・大一貫の私立の女子校のような年齢分布となった。
9人体制となったモーニング娘。は、その歴史のなかでも、もっとも個々の完成度が高く、また、バランスも取れていてために、ファンのあいだでも、「黄金の9人」と呼ばれ、この9人で発売した唯一のシングル『ザ☆ピ~ス!』は、売り上げ以上に人気のある代表曲となった。
というのも、このグループには珍しく、一年ものあいだメンバーが固定されていたからだ。四期メンバーは、ユニット活動も含めて多くのメディアに登場し、じっくりと実力やキャラクターを磨いた。
その結果、つんく♂監督のもと、デビュー以来センターを務めるエースの後藤と、苦難を乗り越え復活を遂げたシンボルの安倍がツートップを組み、正統派アイドルの石川、クールでボーイッシュな吉澤、「天然ボケ」キャラから新しくリーダーとなった飯田、「いじられ」キャラから新しく設けられたサブリーダーとなった保田が、脇を固めるという布陣となった。そこへ、ムードメーカーである矢口が潤滑油として働き、さらには、辻・加護という強力な飛び道具まで用意されているのだから、面白くないはずがない。
もう一つファンの目を引いたのが、前述した『ザ☆ピ~ス!』で、石川がセンターに抜擢されたことである。娘。の歴史のなかでも、センターを務めたメンバーは、安倍と後藤、脱退した福田の三人だけである。それだけ四期メンバーが成長したという証であったし、ファンからの反応も良かったということは、人気を維持しながらも、多忙なスケジュールのなかで、個々が自分を磨く努力を怠らなかった成果でもあった。
ちなみに、次のシングル『Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~』では、吉澤がセンターを任された。
この9人体制の娘。は、わずか4ヶ月という短い期間ではあったが、音楽活動以外にも、日本テレビ系24時間TV『愛は地球を救う』にメインパーソナリティーとして参加するなど、その勢いはとどまることを知らず、「国民的アイドル」の座を揺るぎないものとした。
第三節 飽きたこども、萎えたおとな
飽和状態
9人体制の成熟に気を良くしたつんく♂(または事務所)は、メンバーの増員を決定する。この判断が、人気凋落の一つの原因とも言われている。
ここで、娘。のファン層について少し振り返ろう。後藤加入以前は、おニャン子クラブを髣髴とさせる昭和のアイドル的な要素が強かったため、そのファン層は主に、『ASAYAN』視聴者のなかの、中高生男子と20代後半から30代前半の男性であった。後藤加入後は、小学校高学年から高3までの男子と20代~30代前半の男性、小学校高学年から中3までの女子とその親であろう。さらに、ミニモニ。が活躍すると、幼稚園から小学校中学年の女子とその親が加わる。
しかし、高橋・紺野・小川・新垣の4名が、五期メンバーとして加入すると、そのファン層も大きく変わる。まず、グループの人数が過去最多の13名となったことで、ファンは混乱する。やっとメンバーの顔と名前とキャラクターを把握したと思ったら、一気に4人も入ってきて、一つの画面に収まるために3列にも並んでいる。覚えようと思っても、後藤や四期メンバーほどのインパクトはないから、なかなか覚えられない。お腹いっぱいでも、デザートなら入るが、もうご飯は食べられない、といったところであろう。それならまだしも、自分が好きなメンバーがあまり画面に映らない!なんてこともある。こうして、少しずつファンが去っていった。
さらに、モーニング娘。の本職が歌手である以上、一番大事である楽曲自体の魅力が失われてきたのもこのころからである。それまでの娘。は、デビュー曲『モーニングコーヒー』に代表されるアイドルポップス、『抱いてHOLD ON ME!』のようなセクシー路線、『LOVEマシーン』などのディスコ・ミュージック、そして、ラップも織り交ぜた『ザ☆ピ~ス!』など、多様な楽曲を歌ってきた。さらに、タンポポは、ブリティッシュポップスを歌い、プッチモニは一曲ごとに曲調を変え、ミニモニ。はお子様ソングを歌った。
しかし、ミニモニ。のヒットと辻・加護と同世代である五期メンバーの加入が、自身と「ターゲット」を低年齢化させ、楽曲の選択の幅をも狭くしてしまった。その結果、CDの売り上げは減少していく。盲目的なファン以外は、娘。が好きだからCDを買うわけではない。いい歌だからこそCDを買うのだ。
しかし、加入直後は、送り手(つんく♂、事務所)も、四期メンバーのときのように時間が経てば、五期メンバーも浸透していくだろうと、楽観視していたのではないか。特に対策は講じられなかった。そして、加入から約一年が経っても、娘。の人気はいっこうに回復しなかった。私でさえも、娘。へ対する情熱は徐々に薄れていった。
実際、私の周りでも、「加護ちゃんたちまでは全員知ってるけど、新メンバーまではよくわからないなぁ。」というような声を耳にするようになった。では、なぜ五期メンバーは、あまり世間に認知されなかったのか。それは、娘。にもユニットにも空きがなかったからである。四期メンバーは、それぞれがユニットに参加し、メディアに多く露出することができたが、五期メンバーは、娘。での露出しかなく、それも13人の大所帯であったから、なかなかフューチャーされなかったのである。
2002.7.31構造改革
モーニング娘。の人気凋落の原因はもう一つある。それは、共食いである。「モーニング娘。」というブランドを掲げ展開していった「ハロープロジェクト」の狙いは成功し、松浦亜弥、藤本美貴、メロン記念日などが、娘。に続くアイドルとして人気を獲得していった。
なかでも松浦亜弥は、デビュー当初こそ、モーニング娘。の妹分というアドバンテージを有していたが、『ASAYAN』のような背景もないなかで、長く現れなかったソロアイドル歌手として成功を収めたのだから、その才能は賞賛に値する。
しかし、彼女のファンは、元娘。ファンである場合が多い。それは、松浦に限ったことではなく、藤本やメロン記念日についても言えることだった。
ここで、つんく♂やハロプロメンバーの所属事務所、「アップフロントエージェンシー」(以下、UFA)もようやく次の手を打った。大幅な人事異動である。その意図は、娘。というよりも、ハロプロ全体の人気を維持することであった。
ファンのあいだで、「ハローマゲドン」とも呼ばれたこの構造改革の目玉は、後藤真希の卒業であった。しかも、わずか2ヵ月後に、である。どこかの国の政治家の言葉を借りれば、まさに「痛みを伴う改革」であった。娘。を国民的アイドルへと押し上げた最大の原動力である彼女の卒業は、大きな痛手ではあるが、後進の育成のためと世間の注目を集めるためには、一番の方法であったのかもしれない。
また、保田圭も来春の卒業が発表された。彼女の更なるステップアップのために、21歳という、アイドルとしては決して若くない年齢を考慮したのであろう。
さらには、ユニットも再編成されることとなった。詳細は巻末に掲載するが、ファンにとって、一番の衝撃は、もっとも歴史のあるタンポポから、初期メンバーの飯田と矢口、そして、途中参加した加護を卒業させるという人事であった。同時に、矢口は自ら結成したミニモニ。も卒業することとなり、ハロプロキッズ(注10)と新ユニットを結成する運びとなった。ミニモニ。を成功させた矢口の手腕が買われたのであろう。
この知らせを聞いて私の気持ちはますます沈んでいった。
「ごっちん(注11)もついに卒業かぁ。(娘。の人気が下がる前に)もっと早く卒業させてあげれば良かったのに。寂しくなるなぁ。タンポポとかもメンバー変わるのか。何か、どんどん俺が愛した娘。じゃなくなっていくなぁ。」
思わずつぶやいた。
しかし、どこかの国と同様、この構造改革が成果を上げることはなかった。いよいよ娘。の人気凋落に拍車がかかり始める。もはや大衆は娘。に飽きていた。
余談ではあるが、ハロプロの総理大臣ことつんく♂より前に、「痛みを伴う構造改革」を唱えた小泉総理は、娘。たちと一度対面している。彼女たちがレギュラー出演していた日本テレビ『モーたいへんでした』のなかで、メンバーが各界の著名人に取材をするコーナーがあり、自民党本部の入り口からエレベーターに向かう総理に対して、報道陣の一番前に陣取っていた娘。たちが一斉に「総理!」や「小泉さーん!」と叫んだのである。すると、総理は、娘。たちのほうに目をやり、自分を指差しながら、「私はイブニング親父。」とコメントした。何とも物分りのいい人である。
「ついに、一国の首相に知られるほどになったのか。」
私には、感慨深い瞬間であった。なお、このころは、2001(平成13)年の衆議院総選挙前であり、このコーナーでは、小泉自民党総裁以外にも各党の党首が取材の対象となった。私の記憶では、公明党の神崎代表の対応が親切であり、逆に社民党の土井党首の対応が冷たかった、と思うのだが、さすがの私でも、このときの対応を見ていた高校生ぐらいの年代が、二年後に有権者となり、前回の2003(平成15)年の総選挙の議席数に反映されたのではないか、とまでは思っていない。他に、石原都知事や讀賣新聞の渡邊オーナーも取材に応じている。
土井さん以外の、男性のお偉いさん方は、娘。たちの前では、終始にこやかであった。好感度アップのためか、それとも所詮は「おとこ」だからであろうか。機会があれば聞いてみたいものである。
さて、話が少し逸脱してしまったが、以下では、このハロプロ構造改革の行方を追っていく。
(注10)正式名称はハロープロジェクトキッズ。ジャニーズJr.のようなアイドル予備軍。詳細は巻末に掲載。
(注11)後藤真希の愛称。世間では「ゴマキ」と呼ばれるが、ファンのあいだでは、「ごっちん」「ごっつぁん」などと呼ばれる。
キモチは伝わる
2002(平成14)年9月23日、横浜アリーナ。後藤真希、17歳の誕生日でもあるこの日、彼女の卒業ライブが行われた。私は友人に誘われこのライブに行ったのだが、終了後、「やっぱり俺は、娘。が大好きなんだ!」と、思わずにはいられないライブであった。
この日は、後藤だけでなく、プッチモニとタンポポが、現メンバーでのラストを迎えたわけだが、会場は、開始前から異様な雰囲気に包まれていた。
ライブは進み、いよいよタンポポが登場。黄色い衣装に身を包んだメンバーが登場した瞬間、満開のたんぽぽが会場を埋めつくした。状況を説明すると、娘。のライブでは、普段からファンが、サイリゥム(発光体。ペンライトのようなもの)を振って、一緒に盛り上がるのだが、このときは、ほとんどのファンがタンポポのために、黄色いサイリゥムを用意していたのである。というのも、ライブ前に、ファンがネットで呼びかけたり、ビラを配ったりして、申し合わせていたのである。ちなみに、保田の卒業ライブでは、彼女が好きな赤色が会場を埋めつくした。
メンバーは歌う前から号泣、会場を感動が包んだ。私も友人が用意してくれていたサイリゥムを曲に合わせて、力の限り振り続けた。タンポポは曲が好きであったし、プッチモニやミニモニ。と違ってなかなかランキング一位を取れなかったので、応援していたのだ。
その後も、娘。とファンが一体となったライブは続き、いよいよ後藤の最後の登場となった。舞台上では、メンバーが涙を流しながら、順々に後藤に向けてのお別れの言葉を述べていった。なかでも、安倍の言葉は印象的であった。「こらからも夢に向かって頑張ろうね。ごっつぁんからは本当にいっぱいもらった、なっち。どうもありがと!」モーニング娘。を語る上では、必ず取り立たされる二人のライバル関係。色々あったのであろう。しかし、お互いの存在が、お互いを刺激し合って、二人は輝き続けた。そういったことを物語る安倍の言葉は、私の胸にも確かに響いた。
最後は、後藤のソロ曲『手を握って歩きたい』を全員で熱唱。こうして後藤は卒業していったのだが、ライブ終了後も、ファンの声援は、20分以上は鳴り止まなかった。
「ごーっちん、ごーっちん、ごーっちん…。」
私も叫び続けた。エースとして娘。を引っ張り続けてくれた彼女への感謝の気持ちからであった。
ライブから三日後、私は、ニッポン放送『矢口真里の allnightnippon SUPER』を聴いていたのだが、そのなかで、矢口が、「タンポポ畑、本当に感動しました。感謝の気持ちでいっぱいです。」と語っていた。私はついつい興奮してしまった。
「ファンのキモチ、ちゃんと届いてるんだなぁ。」
娘。が頑張る姿に、ファンは精一杯の声援を送る。その声援に、決して感謝の気持ちを忘れない彼女たちがいる。だから、ファンは応援し続ける。こういう感動はやはり、直接触れ合えるライブでしか味わえないのかもしれない。
すでに、大衆の興味から、モーニング娘。は消えていっている。あれほど、娘。やミニモニ。に夢中になっていた女の子たちも、飽きたおもちゃを捨てるかのように、彼女たちを見放した。低年齢化する娘。についていけなくなった大人たちも、彼女たちから去っていった。
それでも、モーニング娘。は走り続ける。そして、そんな彼女たちに情熱を燃やし続ける小衆は、確かにいる。娘。が好きで、「自分もモーニング娘。のようになりたい」と願い続ける女の子たちや、「俺が応援しないで、誰が応援するんだ!」と、盲目的な愛を貫く人びと。当然、私もその一人であるが、私以上の愛で、娘。を支え続ける人は、まだまだ存在する。
第三章では、モーニング娘。のファンのなかでも、俗に「モーヲタ」と呼ばれる人々について述べていきたいと思う。
~第三章~「萌える」少衆
「語る」少衆
みなさんは、「モーヲタ(以下、ヲタ)」(注1)と呼ばれる人びとをご存知だろうか。昔でいう、「おっかけ」に近いような存在であるが、ある者は出演番組を欠かさずチェックし、また、ある者はコンサートと聞くと全国を飛び回る。ひたすら「娘。への思い」を日記に書き続ける者もいる。インターネットでの情報収集と意見交換にも余念がない。
私自身も、出演番組や関連出版物をある程度は欠かさず見てきたし、年に1,2回はライブにも行く。また、こうして「モーニング娘。」を卒論に取り上げるくらいだから、世間から見れば、十分ヲタと言えるだろう。
しかし、本当のヲタからすれば、私などはヲタとは言えない。なぜなら、彼ら(注2)は、独自の文化さえも築き上げているからである。
もはや、大衆は去っていった。それでも、彼らの熱は冷めない。冷めるどころか、娘。の絶対的な人気の下降に反比例するかのように、彼らの情熱は燃え上がる。
では、なぜ、彼らはそれほどまでに、娘。を愛することができるのだろうか。
月10万以上をコンサートやグッズの購入に充て、娘。への愛情をWeb上や雑誌で赤裸々に綴る……ビバ彦氏(注3)の名前をモーヲタ界で知らない者はいない。
「娘。は、アイドルという枠を超えた一つのジャンルとして確立されていると思います。脱退・加入の繰り返しにより、娘。は固定したグループからダイナミックな運動体になった。さらには、娘。が宝塚みたいになってほしいのですが。」
ところが、メンバーで誰が好きかとの問いにビバ彦氏は声を詰まらせる。
「自分が好きなのは、多角的な形でエンターテイメントを提供してくれる娘。という集団そのもの。彼女たちの関係性からいろいろな物語が読み取れるんです。例えば、新メンバーの一人にコネ疑惑があり、ファンからブーイングを受けている。でも彼女は、まだ幼いのにちゃんと笑顔を崩さず頑張っている。彼女の存在をめぐる娘。内の思惑や、事務所などの大人の世界の話、それを読み解く数多くのファンの声…そういう物語の入れ子構造を見届けるだけで、すごく面白いんですよ……えぇっと、何の話でしたっけ?(笑)」(注4)
そう、モーヲタは総じて「娘。を語りだすと止まらない」のだ。自らの視点で、自らが作り上げた「娘。物語」を語ることの楽しさが、ヲタが、ヲタであり続ける理由の大きな一つであろう。たとえば、プロ野球やプロレス、女子校の教室といった具合に、娘。をさまざまに読み取り、語るのだ。
以下では、モーヲタが生まれた経緯と、その特徴について述べていきたいと思う。
(注1)モーニング娘。オタクを略した名称で、「モーヲタ」と明記する。なお、モーヲタは、自身のことを、「ヲタ」と呼び、ヲタ以外の人、つまりは一般人のことを「イッパソ」と呼ぶ。また、ヲタの友達を「ヲタもだち」と呼ぶ。
(注2)当然、女性も含まれる。
(注3)職業は、ライター。「爆音娘。」などのイベントも手掛ける。
(注4)『SPA!』2001年12月19日号より引用。
「つむぐ」少衆
これまでも述べてきたように、娘。の最初のファンは、単に曲の良し悪しはもちろんだが、『ASAYAN』で流れる「試練を乗り越えて、敗者から勝者へ」という、彼女たちの物語に魅力を感じて、ファンになった人が多い。
その後、『LOVEマシーン』がヒットし、ファンは一気に拡大するわけだが、このころから、ファンサイトも多数登場するようになる。しかし、浪花節的なストーリーが好きな日本人にとっては自然な成り行きだったのかもしれない。メディアより送られる物語をファンが一方的に受容する、という図式が一般的であった。
しかし、物語を楽しむことを覚えたファンにとって、状況が一変する出来事が起こる。『ASAYAN』のリニューアルによる、番組内からの娘。の撤退である。毎週、舞台裏を楽しみにしていたファンは当惑した。物語を求めて、彼らが向かったのはインターネットであった。ちょうどこの2000(平成12)年夏は、巨大掲示板群「2ちゃんねる」が一般化し始めた時期でもあった。
このなかで、娘。に関する議論、噂、ネタが飛び交うようになるのだが、「自作小説」がもっとも流行する。これは、娘。のメンバーを登場人物にしたフィクションであり、数々の名作長編がネット上で話題となった。物語を失ったファンたちは、自ら物語をつむぐことを覚えたのである。当時は、娘。自体もシャッフルユニット展開を始めており、まさに、「メンバーの関係性を楽しむ」という遊びが定着したことの産物といえるだろう。「モーヲタ」という言葉が誕生したのも、このころからだと言われている。
2001(平成13)年に入り、ミニモニ。が低年齢層に人気を得たこともあり、娘。はファミリーで楽しめるアイドルとなる。「モー娘。なかで誰が好き?」という会話が日常のなかで成立するようにもなった。
一方、「2ちゃんねる」では、ヲタを叩く、掲示板荒らしの増加や、スレッド乱立による情報の拡散化が目立つようになり、一部のモーヲタ論者たちは、一般に「テキスト系」と呼ばれる評論サイトを作り始める。ここで、各人の個性がはっきりと表れるようになった。ある物は日記によるメディア評論、ある物はニュース速報、あるいは妄想系…。
これらのサイトが中心となって、モーヲタ文化は独自の発展を見せる。「娘。そのもの」よりも「娘。をどう読み解くか」に興味を持つ人たちが増加し、何人かの有名人モーヲタが出現するようになった。
その後も、娘。の一挙手一投足に対し、ヲタたちは熱い議論を交し合い続ける。メディアの思惑どおりか、それとも突然変異か、テレビなどの一方的な情報にただ踊らされることなく、独自に語りだしたモーヲタたちは、現在もなお、進化の途中にあるといえるだろう。
ちなみに、2004(平成16)年1月現在、インターネットで、「モーニング娘。」で検索してみると、Yahoo!に登録されているサイト数は280ある。また、格検索サイトのヒット数は、Googleで411,000、Goo 、Excite、infoseekで108,000、である。
「創造する」少衆
モーヲタの使用する言葉は、略語や造語が多く、普通の人にはわかりづらい。ここでは、それらの言葉の一部を紹介したいと思う。
(1)娘。の曲名
『モーニングコーヒー』→「モーコー」
『サマーナイトタウン』→「サマナイ」
『抱いてHOLD ON ME !』→「DHOM」
『LOVEマシーン』→「ラブマ」
『恋のダンスサイト』→「恋ダン」
『恋愛レボリューション21』→「恋レボ」
『Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~』→「ミスムン」
『そうだ!We're ALIVE』→「ウィアラ」
(2)派生ユニット、ソロの曲名
プッチモニ『ちょこっとLOVE』→「ちょこらぶ」
『BABY!恋にKHOCK OUT』→「べべ恋」
『ぴったりしたいX'mas』→「ぴたクリ」
タンポポ 『ラストキッス』→「ラスキス」
『乙女パスタに感動』→「おとパス」
『恋をしちゃいました!』→「恋しちゃ」
後藤真希 『抱いてよ!PLEASE GO ON』→「DPGO」
(3)ユニットの略称
カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)→かんりか→「管理課」
カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)→かんこんとう→「葛根湯」
主に2ちゃんねる上で使われている。
(4)ライブなどにおけるノリ方の名称
PPPH…Bメロでの掛け声の入れ方。「パン・パ・パン・ヒュー」の頭文字を取ってつけられた。手拍子も添える。たとえば「なーっち、ヲイ!」などの掛け声を「パン・パ・パン・ヒュー」のリズムに乗せて叫ぶ。昔のアイドルのコンサートでもやっていたようだ。
OAD…Over Action Dolphinの略。主に前奏での動き。激しく動くことでステー
ジ上の人からレスポンスをもらうために、始まったといわれる。
マワリ…頭の上で手を叩きながら、くるくる回ること。曲のサビの部分でやる。
ロマンス…人差指を突き出して、両手を斜め45度に伸ばしては曲げ、伸ばしては
曲げ、を繰り返す。ロングロマンスは、右右左左右左右右の順。ショートロマンスは、右左右右の順。
(5)その他の用語
青封筒/白封筒…FC (ファンクラブ)からのお知らせや会報が入っている封筒の
色に由来する。
ハロショ…Hello! Project オフィシャルショップの略称。
ヲタカラ…モーヲタによるカラオケのこと。娘。の曲しか歌わないカラオケ。
あな真里…ニッポン放送『あなたがいるから矢口真里』の略称。
UFA…娘。の所属事務所、アップフロントエージェンシーの頭文字。
(6)各メンバーの愛称
辻…一般には「辻ちゃん」と呼ばれるが、ヲタは「ののたん」と呼ぶ。
加護…一般には「加護ちゃん」と呼ばれるが、ヲタは「あいぼん」と呼ぶ。
後藤…一般には「ゴマキ」と呼ばれるが、ヲタは「ごっちん」と呼ぶ。ヲタは、「ゴマキ」という、マスコミによって付けられた名称を嫌がる場合が多い。
(7)特定のメンバーのヲタの名称
安倍…なちヲタ 矢口…やぐヲタ 小川…まこヲタ 高橋…ヲラヲタ
などがある。なお、なぜ、高橋のヲタを「ヲラヲタ」と呼ぶかという理由については、さまざまな説があるが、定説はないために、ここでは割愛する。
(8)ヲタの分類
現場系ヲタ…ライブ・イベント参加が主な活動。
在宅系ヲタ…HP作成、CD・DVD、グッズの購入が主な活動。
このように、基本的には略語が多いが、ここで紹介したのはほんの一部に過ぎず、その数は計り知れない。また、今回は紹介できなかったが、この他にも、ヲタ特有の決まり文句などがあり、私も理解できないものは多々ある。これらの言葉が、おもに、「2ちゃんねる」などのネット上で生まれた言葉であるために、同じヲタのなかでも、ネット世界に通ずる人とそうでない人とでは、ずいぶん開きがある。
「費やす」少衆
モーヲタの活動は多種多様であるが、そのためには当然「経済力」が必要となってくる。娘。のために、どれくらいの出費をしているのだろうか。ヲタの形態に合わせて、述べていきたいと思う。
一口に「モーヲタ」と言っても、その形態は大きく二種類に分かれる。
一つは現場系と呼ばれるヲタたちである。彼らの主な活動は、ライブやイベントへの参加であり、娘。と一緒に歌ったり踊ったりすることに生きがいを感じている。だから、娘。のためなら、全国各地を飛び回る。かつてのアイドル親衛隊と同じようなものであり、前述したPPPH、ODA、マワリ、ロマンスなどのライブにおける掛け声やファン用振り付けは、彼らがリードする。また、ライブ会場に行くと、娘。色満載のTシャツや特攻服を身に纏った派手なヲタを見かけるのが、その中心は、この現場系ヲタである。彼らは、ネット上で知り合っている場合が多く、ライブ前には集会を開き、娘。関連の曲を流しながら、本番での掛け声や振り付けのための、「アップ(ウォーミングアップ)」を行う。
現場系ヲタは、多大な時間とある程度の経済力を持たなければ、その活動を持続させることができない。よって、その中心は、大学生や専門学生、フリーターである。娘。のために、どのくらい費やしているか、現場系ヲタの数人に話を聞いてみた。
ケース(1)
男・大学院生・23歳・自宅・ヲタ歴3年半・保田ヲタ
1ヶ月の収入 35,000円(アルバイト代)
娘。に関する支出(1ヶ月平均) 10,000円
(内訳、ライブ・イベント代7,000円、CD・DVD2,000円、出版物1,000円)
娘。係数(注5) 28,6%(小数点第二位で四捨五入)
ケース(2)
男・23歳・大学生・自宅・ヲタ(ファン)歴4年半・やぐヲタ
1ヶ月の収入 45,000円(アルバイト代)
娘。に関する支出(1ヶ月平均) 10,000円
(内訳、ライブ・イベント代6,000円、CD・DVD代4,000円)
娘。係数 22,2%
ケース(3)
男・23歳・大学生・下宿・ファン歴4年弱、ヲタ歴3年弱・辻ヲタ
下宿生の場合、収入のほとんどを生活費に充てているため、自宅生に比べ、「遊ぶ」ために使える金額は多くない。が、アンケートの回答によると、このヲタは、自由に使える金額約30,000円(1ヶ月)のうち、そのほとんどを娘。のために費やしているようだ。
ちなみに、私は下宿生であるが、自由に使える金額約15,000円のうち、娘。に費やす金額は3,000円程度であり、娘。係数は約20%である。
次に、在宅系ヲタについて紹介しよう。
彼らの活動は基本的におとなしい。時間の制約、経済力の欠如、性格的なもの、と理由は幅広く、その層も、中高生から社会人まで多様であり、主な活動も、CD・DVD、グッズの購入や、ライブやイベントへの参加、HPの制作と多岐にわたる。
ケース(1)
男・22歳・大学生・自宅・ヲタ歴2年・辻ヲタ
1ヶ月の収入 40,000円(アルバイト代)
娘。に関する支出(1ヶ月平均) 15,000円
(内訳、ライブ・イベント代6,000円、CD・DVD、グッズ、出版物代9,000円)
娘。係数 37.5%
サンプルとしては、学生しか集めることができず、また、自宅生と下宿生では、収入の扱い方が異なる。よって、今回はあまり、基準となる数字は出せなかったが、参考までに掲載した。
(注5)エンゲル係数の考え方を用いた。(娘。係数)=(娘。に関する支出)÷(収入)
「遊ぶ」少衆
ヲタは、娘。をゲームとしても楽しんでいる。ここでは、「モージャラ」というゲームについて紹介したいと思う。なお、文中には、多少の麻雀用語が使われているので、麻雀を知らない方にはわかりづらいかもしれない。あらかじめ、ご了承していただきたい。
モージャラとは、モーニング娘。ドンジャラの略称で、2000(平成12)年9月にバンダイから発売されたドンジャラの娘。バージョンである。また、ドンジャラとは、子供向けの麻雀のような遊びであり、牌に描かれたドラえもんのキャラクターや数字を揃えて点数を競うゲームである。
モージャラの牌には、当時娘。のメンバーであった、中澤・飯田・安倍・保田・矢口・後藤・石川・吉澤・加護・辻の10名の顔が描かれており、なぜか全員髪を下ろしている。定価は6,800円だが、中澤が翌年4月に卒業するまでの約半年間のみの販売であり、また、娘。が増員し続け、ドンジャラの絵柄数の原則である10人になることはないと推測されることから、モージャラはプレミア商品となっており、ネットオークションなどでも高値で取り引きされている。
遊び方としては、基本的に一般のドンジャラと同様のルールである。ゆえに、ツモは「ドンジャラ」である。原則としてリーチは絶対であり、「鳴き」のルールはない。どんなに娘。が増員しようと、配牌は8枚である。正式な役としては、集合(ヲタは「ソロ」と呼ぶ)・カラフル・フラッシュ等のドンジャラの役に加えて、それぞれのメンバーから構成されるユニットを役とした「タンポポ」・「プッチモニ」がある。
通常はこれらの役に、モージャラ発売直後にデビューした「ミニモニ。」を加える。また、プレイヤーが一番好きなメンバーの牌を「推し牌(嫁牌)」と呼び、「推し牌」が上がり手に入っている場合に、点数をプラスするというのも広く一般的である。
他にも、非公式であり、世間一般にはあまり認知されていない、テレビやラジオから生まれたユニットを役としたもの(たとえば、中澤・安倍・矢口で「TSUNAGI」、安倍・辻で「マロンメロン。」など)や、メンバー内の数人が映画やドラマに出演した場合、そのメンバーで構成される役(安倍・保田・石川で「最後の夏休み」など)があり、さらには、ある曲でセンターを飾ったメンバーで構成される役(吉澤・安倍・後藤で「Mr.Moonlight」など)等も考案されている。
当然、「モーニング娘。」という役も考案されている。中澤以外の9人すべてを揃えるという、いわゆる国士無双的な役であるが、意外と簡単に上がれてしまうので、あまり用いられることはない。また、ドンジャラでは、オールマイティ牌は通常2枚だが、モージャラはユニットを作りやすくするために、予備の白牌も含めた4枚で行う場合が多い。こうすることで、オールマイティ牌を他のハロプロメンバーと見立て、石川・加護・オールマイティで「三人祭」(オールマイティは松浦亜弥)というのも可能になる。
さらには、安倍ソロ「なっちありがとう」(注5)の点数は723点で、後藤ソロ「ゴマキ言うな」の点数は510点、矢口でロンするときは「セクシービーム」(注6)と叫ぶ。石川でリーチするときは自分の持ち牌をすべて見せる(注7)等の様々なローカルルールもある。このように、正規の役や規則に様々な手を加えることで、よりヲタヲタしさ(注8)溢れるものにカスタマイズし得ることが、モージャラ固有の特質であると言える。
また、通常のドンジャラとは大きく異なる、モージャラ最大の特徴は、プレーヤーの感情が激しく移入するという点である。もちろんこのプレーヤーとはヲタのことである。
モーヲタがモージャラをするとき、ヲタの推し(注9)への想い入れは計り知れない。ゆえに、ヲタは推しを「切る(牌を捨てる)」ことはできないのである。推しを切ることは、推しへの背信行為となる。「ここで推しを切ったら、もうその娘。はこっちを向いてくれないのではないか。」「ここで推しを切ったら、その娘。は次のライブで卒業してしまうのではないか。」そんな恐怖感に怯えながら、モージャラを行っているのである。だから、ヲタは、たとえ役に関係なくても、推しは切らずに残しておく。最後の最後、推しを切ればリーチがかかるというときになって、ようやく推しを切ることになる。そのとき、ヲタは泣いている。
逆に、推しを役に入れて上がったときの充実感・爽快感・達成感と言ったら、何物にも変えがたいものがある。
例えば、辻ヲタがいるとする。辻は公式ルールでは、ユニット役に関しては、どこにも所属していない。それでも、辻ヲタは、必死に辻を集めるのだ。辻ヲタの脳内では、たとえ役がなくても、辻が3枚揃えば、「プッチモニ」の80点以上の価値があると思い込んでいる。前述したとおり、通常「ミニモニ。」と「推し」は,正規以外の役として認められているので、推しで上がれば、何らかの点数がつくことになる。
しかし、あらかじめ役と設定せず、得点がつかないと知っていても、ヲタは何かしらのユニットを作りたがる。たとえば、先程の辻ヲタが、辻を3枚揃えたとする。さらに、加護が1枚あるとする。当然狙うは「辻・加護コンビ(注10)」である。躍起になって加護を集め始め、奇跡的に辻・加護・安倍で上がったとする。当然、正式な役ではない。しかし、開始前の申し合わせで「推し」役がある。
また、辻ヲタの脳内では、「ののたんとあいぼんで『辻・加護コンビ』だろ。それから、ののたんとなっちで『マロンメロン。』もあるぞ。」さらに妄想は止まらない。「そういえば、この3人は一時太っていたことがあったから、『エルセーヌ(注11)』と名付けよう。それに、なっちが卒業する直前のハロコンで、辻・加護の卒業が発表されたっけ。それで、なっち卒業の印象が薄れちゃったんだよなぁ。『UFA空気嫁』(注12)だな。」
こうして、脳内で149億点くらいまで価値を伸し上げる。このように、ヲタは推しへの愛の形を、役として表現するのである。
それゆえに、他人の推しは、あとあと「危険牌」になる可能性が大きいから、最初の段階で切る場合が多い。あるいは、まったく興味のないメンバーも早々に切ることが多い。たとえば、「困ったときの保田切り」という言葉が存在する。一巡目終了後、捨て場には保田が4枚という悲しい現実が往々にしてある。一般的に保田は安牌とされているが、それを逆手にとって、保田待ちをする忍耐強いヲタもいる。
気を付けなければならないのは、ヲタはイッパソとモージャラをやってはいけないということである。
なぜなら、必ずと言ってよいほど、ヲタはイッパソに負けるからである。まず、根本的に「勝ち」の基準がイッパソとヲタでは異なっている。イッパソにとっては、得点の多い人が「勝ち」である。正しい。しかし,ヲタにとっての勝ちは、それだけではない。いや、むしろそれではない。
先述したように、如何に自分の推しの役で上がるか、つまり、推しへの愛を役で表現することが「勝ち」なのである。イッパソは牌への想い入れが小さい。ヲタと比べると無に等しい。得点の少ない、つまり、何のユニットも存在しないのにもかかわらず、上がろうとする。ヲタにとっては、推しを集める前にイッパソに上がられ、志半ばでの挫折の繰り返しである。
ヲタ同士でやると、ときおり流局があるが、イッパソとやると、通常のドンジャラ同様、流れることはない。ヲタとイッパソでモージャラすると、ヲタが持ち点の300点をあっという間に失い、借金をし、当然借金を返せるわけもなく、不良債権化に至るというのがオチである。
さて、現場系ヲタは静かな環境が寂しいため、ライブDVDを見ながら、モージャラをすることが多々ある。ヲタは、曲のどの部分を推しが歌うか、や、映像のどの場面で推しが映るか、が判っているため、その瞬間になると、モージャラそっちのけになる。曲を聞いているだけで、どうしても身体を動かしたくなり、山を積めないヲタも出てくるほどである。しかし、DVDに集中しすぎると、「リーチ」を聞き逃したり、チョンボしたりと、不利に働くことが多いから注意が必要である。
2003年春に行われた、保田の卒業ライブを見ながらのモージャラで、こんな会話があった。「アンコールの前にDVD止めましょ!」「なんで?」「圭ちゃんの卒業シーン見ると、圭ちゃん切れなくなるから…。」推しへの愛を深めるためにも、それ以外のメンバーへの愛着を沸かすためにも、モージャラの際のDVDは必須なのかもしれない。
このように、モージャラは極めて奥が深い。通常のドンジャラに比べ、プレーヤー各々の、一つあるいは複数の牌への執着心が過度に大きい。なかなか捨て牌を一つに絞れないDD(注13)もいれば、オールマイティを推し牌とする必死な平家みちよヲタもいる。娘。やその仲間を愛する余り、さまざまな人間模様が見え隠れする、それが、モージャラが、モーヲタを夢中にさせる最大の理由ではないのだろうか。
(注5)ヲタは、娘。の象徴である安倍の卒業に際して、「なっちありがとう」という気持ちを持っている。
(注6)『恋のダンスサイト』のなかで、矢口が「セクシービーム」と叫ぶことに由来する。
(注7)石川が盗聴の被害にあったことに由来する。
(注8)いかにもヲタっぽい、という意の、造られた形容詞。
(注9)一番想い入れの強いメンバーのこと。
(注10)本人たちが名づけた「ぶりんこうんこ」というユニット名がある。
(注11)美容エステ会社。CMに中澤やミニモニ。などが出演していた。
(注12)「空気を読め!」ということと、嫁牌の「嫁」をかけている。
(注13)「誰でも大好き」の頭文字を取ったもの。特定のメンバーに固執せず、様々なメンバーのファンであることを表す。
「踊る」少衆
前述したビバ彦氏らが、開催する「爆音娘。」というイベントがある。慶応大学でも、「モー娘。研究会」主導で、学祭でも盛り上がったこのイベント。多くの現場系ヲタを中心に、モーヲタが一同に会するこのイベントに私も参加した。以下は、その簡単なレポートである。
24時ごろ会場に入ると、薄暗い店内、アップを始める男たち。その熱気は凄まじい、の一言に尽きる。お世辞にも音響設備がいいとは言えないし、曲の繋ぎも悪い。それでも、男たちは、サンタや娘。のコスプレしたかわいい女性DJがかける音楽に、思い思いの振りでノル。
真冬だというのに、店内の温度は上昇し続ける。天井からは熱気から生じた水滴が滴り落ち、また、隣の人にぶつかると、汗がべっとりつくほどである。客は、いかにもオタク然とした若者(今時の格好をした男女も少なくない)から、スーツを着たサラリーマン、女性まで、総勢200人以上はいるだろうか。
最初は、その熱気に圧倒されていた私も、気持ちが高ぶり始める。そして、圧巻だったのが、「ザ☆ピ~ス」。曲がかかりだすと同時に、無秩序だったホールに時計回りの巨大な円が生じる。右手を高く突き出し、「HO~ほら行こうぜ!」と、大合唱が始まる。私も思わず興奮し円のなかに入っていってしまった。
最初は、「誰か娘。のメンバーがいるわけでもないのに。」と、思っていた私も、ノリノリな7時間であった。とはいっても体は消耗しきっていたが。ヲタの「力」を垣間見た一夜であった。
~終章~ 愛あらばIT'S ALL RIGHT
落日
『ASAYAN』から誕生したモーニング娘。は、番組のなかで、CDの手売り、メンバーの加入や脱退・卒業、ユニット活動や鈴木あみとの対決などの試練を、一生懸命に乗り越えることで、視聴者の心を掴んでいった。そして、後藤加入後、『LOVEマシーン』の大ヒットで国民的アイドルグループへと成長してからも、プッチモニ、ミニモニ。などの人気ユニットを生み出したり、シャッフルユニット企画(注1)に挑戦したりと、話題を欠かすことなく走り続け、絶大なる人気を誇示した。その後も、メンバーのレンタル移籍(注2)や大幅な人事異動などをおこない、グループとしての新鮮さを保とうとしたが、メンバーの低年齢化、人数の肥大化、それらに起因する楽曲の画一化によって、次第に人気を落としていった。
何とか人気を回復させようと、後藤真希の卒業後もさまざまなニュースが飛び交った。ハロプロ内の人気アイドル、後藤、松浦、藤本による期間限定ユニット「ごまっとう」の結成。三人の名前の頭文字を取ったユニット名は、「たのきんトリオ」を彷彿とさせたが、大ヒットとはならなかった。
その「ごまっとう」の藤本美貴(注3)のモーニング娘。への電撃加入も世間を驚かせはしたが、残念ながら藤本も、いまのところ、デビュー時の後藤のような「救世主」には成りえていない。また、その直後、亀井・道重・田中の三人が加入するが、こちらも「起爆剤」としての活躍は見られていない。さらに、メンバーを二分した「さくら組」、「おとめ組」の新ユニットも話題にこそなったが、人気回復への決め手とまでは至ってない。
それでも、メンバーは絶えず成長し、前をしっかりと見据えながら走り続けている。保田の卒業後も、飯田・安倍・矢口のリーダーシップのもと、もはや中心メンバーへと成長した石川・吉澤・辻・加護の4期メンバー、そして、娘。の新しい顔になりつつある高橋・紺野・小川・新垣の5期メンバー、さらに、新風を吹き込んでいる藤本・亀井・道重・田中の6期メンバーが一致団結し、さらなる飛躍のために、「娘。」というグループが持つ力を表現し続けている。しかし、そんななか、いよいよ「娘。の象徴」である安倍なつみが、グループから卒業することになる。
(注1)ハロプロメンバーをシャッフルして、一回限りの新たなユニットを結成し、CDを発売。ファンのあいだでは恒例となっている。詳細は巻末に掲載。
(注2)ハロプロ内のグループ、カントリー娘。のメジャーデビューに伴い、石川梨華がレンタルされた。石川はこの経験を活かし、中心メンバーへと成長。詳細は巻末に掲載。
(注3)藤本は、四期メンバーが合格したオーディションの途中で落選したが、事務所の目に止まり、2002(平成14)年3月13日に『会えない長い日曜日』でデビュー。
そして、終わりを告げる「夏休み」
2004(平成16)年1月25日。娘。のなかでも、私が一番応援している安倍なつみの卒業とともに、私も娘。のファンを卒業するつもりであった。残念ながら、私が観に行ったのは、ライブの昼公演であり、彼女の本当のラストステージとなる夜公演ではなかったのだが、彼女が卒業するその日の姿を目に焼き付けることで、私のなかでも、ひとつの区切りをつけようと思っていた。
その日の会場である横浜アリーナは、ライブが始まるずっと前から異様な雰囲気に包まれていた。会場のあちらこちらから、安倍に対する熱い想いが発せられていた。会場だけではなく、最寄り駅である新横浜駅辺りから騒然としており、夜の部のチケットを求めて、多くの人が、その旨を書いたボードを片手に立っていた。「なっちの最後を見届けたい。」切実であった。ちなみに、ネットオークションでは、夜の部の最前列のチケットに80万円以上の値がついたという。
一緒に行く友人が遅刻して、入場したときには、すでに開始一分前であった。ファンのボルテージは最高潮に達し、会場全体から「なーっち!なーっち!」という大声援が送られていた。そして、いよいよモーニング娘。が登場する。
私は叫んだ。安倍の名前を何度も何度も叫んだ。比較的ステージとの距離が近い席ではあったが、もちろん、この大歓声のなかで、私の声が安倍に聞こえるはずはない。それでも、想いは届くと信じてやまなかった。この真冬のなか、全身全霊を込めて、安倍の姿を目で追い、安倍の名前を叫び、安倍とともに歌い、安倍とともに踊った私は、汗をびっしょり掻いてしまった。こんなすがすがしい汗は実に久しぶりであった。「こんなに楽しい瞬間がずっと続けばいいのに。」
私や他のすべてのファンたちの気持ちとは裏腹に、時間は過ぎていく。「なっちが、このメンバーとともに、この曲を歌うのは、これが最後なんだ。」
そう思うと胸が苦しくなる。いまこの瞬間を完全燃焼するために、そういった後ろ向きな気持ちは、すべて心の奥へとしまい込んだ。
楽しい瞬間ほど、時が経つのはとてつもなく早い。「なっちの笑顔をずっと見ていたい。なっちの歌声をずっと聴いていたい。なっちと、なっちのいる娘。とずっとこの幸せを共有していたい。」
私の想いを嘲笑うかのように、その時はやってきた。
鳴り止まない歓声のなか、安倍はひとりで登場した。ファンの声援をかみ締めながら、安倍は話し始めた。
「みんな、ほんとうにありがとう。私は今日、モーニング娘。を卒業します。最後に心を込めて歌います。聴いてください。『22歳の私』。」
私は正直、安倍の歌がそんなに上手いとは思わない。しかし、安倍の歌には、実に気持ちが込められている。「この歌を、聴いている人の耳ではなく、心に届けたい。」そういう想いが詰まっていて、聴いていると、心の奥のほうが自然と満ち足りていく。「いい歌手に、いい女性に成長したな。」頭のなかで、デビュー当時の安倍を思い浮かべながら、私は思わず、微笑んでしまった。
さらに、安倍は娘。のメンバー全員(紺野は風邪のため欠席)とともに、『ふるさと』を歌う。ともに娘。という道を歩んできた飯田や矢口、安倍の背中を見ながら成長してきた後輩メンバー。それぞれと、それぞれの想いをかみ締めながら、安倍は歌った。この曲は、安倍にとっては、いろいろな意味で大切な歌であろう。この曲辺りから、安倍に対して特別な感情を抱き始めた私にとっても、思い出の曲である。
そして、安倍と娘。を含めたハロプロメンバー全員が、ラストナンバーの『でっかい宇宙に愛がある』を歌う。ともに苦難を乗り越えてきた中澤や、ともに娘。を支えてきた後藤の姿もそこにはあった。私のなかでは、娘。とともに歩んできたさまざまな記憶が駆け巡っていった。
「なーっち!なーっち!なーっち!なーっち!なーっち!なーっち!なーっ………。」
私の長い長い「夏休み」は終わろうとしていた。
「22歳」と「24歳」の私
ライブから帰宅した私は、ラジオをつけた。夜の公演を終えた矢口が、生放送でしゃべっている。そこへ安倍がゲストとしてやってくる。この二人はメンバーであると同時に親友である。二人のあいだには、私の知っている世界があり、私には知ることのできない世界がある。いや、そのほうが多いであろう。それでも、二人に会話を聞いているだけで、ワクワクしてしまう。私にとって、彼女たちは大きな大きな存在であるが、彼女たちの歴史に、私という「個人」はいないであろう。それでも、私は、彼女たちのなかで、大きな存在である「ファン」のひとりであるという絶対的な事実が、私の心に落ち着きと興奮を同居させる。
しかし、いつまでたっても、「夏休み」気分ではいられない。当然宿題(大学生として最後にやらねばならないこと)もあれば、二学期(社会人として働くこれからの人生)も始まる。夜の公演で行われた、安倍の娘。からの卒業式が、同時に私にとっての始業式であり(もちろん、ソロとなった安倍にとってもだが)、安倍の娘。としての最後の言葉が、二学期の始まりを告げる校長先生のあいさつである。
一睡もしないまま朝を向かえ、情報番組をつけた。各局、芸能コーナーのトップとして、安倍の卒業を扱っている。画面では、昨夜の会場の様子が映し出されている。すでに噂で聞いていたとおり、安倍のためにファンが用意した白いサイリゥムが、まるで、雪景色のように広がっていた。「わぁ、しろーい。」見たまんまの感想である。安倍のそういうところも好きである。さらに、スタッフが特別に用意した星空のような照明と鳴り止まない声援に、安倍は言葉を詰まらせる。そして、「室蘭から出てきた私が、こんなあったかい皆さんに囲まれて、このステージに立てるなんて。本当に幸せ。」涙をこらえる安倍の姿が、たまらなくいとおしかった。
そして、メンバーが次々と、安倍にはなむけの言葉を送っている。そのなかでも、辻と加護の言葉を聞いて、いい歳なのに、泣きそうになってしまった。
加護「今まで言えなかったけど、ずっと憧れの人でした。」
辻「大好き。」
二人ともこの言葉を言うのが精一杯で、その場に泣き崩れてしまった。安倍を本当の姉のように慕っていた二人。やはり、別れが辛いのであろう。
さらに、安倍とともに娘。を支えてきた飯田と矢口が言葉を送る。
矢口「なっちの愛した娘。は、圭織とおいらで引っ張っていくから安心して。辛いときや寂しいときは、いつでも甘えろよ。」
飯田「デビューしたとき、『横浜アリーナをいっぱいにするぐらいのアーティストになろうね』って約束したの、覚えてる?いっぱいだよ!」
親友でもある矢口と、一時期距離があいていた飯田。どちらにせよ、安倍は素晴らしい仲間に恵まれた。そして、安倍も素晴らしい仲間であった。
安倍は、モーニング娘。としてのラストナンバーとなる、『ふるさと』を歌い上げたあと、こう綴った。
「走り続ける安倍なつみ、そして、モーニング娘。を、これからも応援してください。」
私は思った。
「なっちが、『娘。をこれからも応援してください。』って、言ってるんだから、なっちを応援し続けるのは、当たり前だけど、なっちがいない娘。も応援し続けなきゃ!」
私の夏休みは終わった。しかし、宿題を終わらせて、さらに二学期の勉強をしながらも、夏休みの楽しさは忘れずにやっていくつもりだ。いつかは忘れるのかもしれない。それでも、私の心のなかでは、夏休みに味わった甘酸っぱさは、消えることはないであろう。
ふるさと
「モーニング娘。は私にとって『ふるさと』でした。」
16歳で上京して以来、娘。の顔として、エースとして、象徴としてグループを牽引してきた安倍なつみの、卒業会見での言葉である。彼女は、モーニング娘。への想いを、「ふるさと」という言葉に込めた。人生でもっとも多感な時期を、青春を、娘。に捧げた彼女の想いである。私にとっては、薄っぺらい他のどんな言葉よりも真実味がある。なぜなら、彼女にとってもそうであったように、私にとっても「娘。」は、「小学校時代の夏休みのような甘酸っぱさ」を与えてくれ、その先に見えるものは、「ふるさと」であったからである。楽しいときも、辛いときも、嬉しいときも、寂しいときも、彼女たちはそこにいた。ステージ上から、画面のなかから、ラジオから、誌面から、CDのなかから、いつも私に力を与えてくれた。彼女たちと同じときを過ごすことが、喜怒哀楽を共有することが、私にとってのひとつの幸せの「形」であった。いま振り返っても、どうして、私はここまで彼女たちに惹きつけられたのか、はっきりとは説明できないかもしれない。でも、ひとつだけいえるのは、彼女たちに対する「感謝の気持ち」であろう。それは、親兄弟、祖父母、恩師、仲間、恋人…私にかかわるすべての人に対する感情に等しいであろう。つまりは、「無償の愛」である。
せんこう花火
私が語るまでもなく、モーニング娘。に対する世間の関心が、すでに去ってしまっていることを、数字が物語っている。NHKの好感度調査によると、一昨年5位、昨年8位だった娘。の順位は、今年は21位だという。それでも、十分に評価できる順位だとは思うが、安倍に引き続き、辻と加護も今夏をもって、卒業することが決まっており、モーニング娘。は今後、新たな局面を迎えるであろう。
しかし、仮に彼女たちが、今までのような支持を得られなくなったとしても、アイドルが滅びることはない。モーニング娘。はその力尽きるまで走り続けるだろうし、安倍や後藤、松浦も走り続ける。そして、何より私やモーヲタのような人がいる。
それでも、いつかは彼女たちの姿を見られなくなる日が来るであろう。しかし、時は流れ、そしてまた、戻ってくる。山口百恵や松田聖子、ピンク・レディーやおニャン子クラブを喪失したとき、小衆は耐えながら待ち続け、「モーニング娘。」という、ひとつの大衆文化を生み出した。
時代は変わる。科学技術は発達し、生活様式も変化した。しかし、人間が人間である限り、変わらないものがある。心だ。気持ちや愛は、形こそ多様だが、その根源は有史以来、いや、きっと、ずっとその前から変わっていない。そういった想いの結実の一つの形が、「アイドル」を生んだ。
「アイドルとは何か?」という、私の問いに対する、私の、そして、この文章を読んでいただいた方への答えは、「アイドルとは、愛の一つの形(≒偶像、≠虚像)」である。アイドルを神とするならば、神の信者(ファン)に対する愛は無限であり、信者の神に対する愛もまた無限である。そして、神(アイドル)の愛が無限であると、信じることができたとき、ファン(信者)は、アイドル(神)に無償の愛を捧げる。これが、ファンがアイドルに惹きつけられる理由であろう。しかし、その愛が一方通行では、アイドルは、ただのファンの作り出した虚像であり、偶像にはなり得ない。アイドルもファンも、「愛の行為者」であり、主体でも、対象でもある。
そういった想いがある限り、燻ることはあっても、アイドルという火は消えない。モーニング娘。のような個々のアイドルは、夏の花火のように、一瞬でその輝きを放ち散ろうとも、「アイドル」への、送り手の、そのものの、受け手の想いという火種がなくなることはないであろう。よって、アイドルは、その時代時代に、産み落とされ続ける。
モーニング娘。の人気が落ちようとも、世間では、アイドルファンドなるものが登場しており、ネット社会では、ネットアイドルなるものが増殖し続けている。これらが、いつか再び時代の寵児として、我々の前に登場するのかもしれない。
しかし、私は、再びモーニング娘。という花火が、日本という夜空に打ち上がることを密かに、気長に待つとしよう。
それにしても、クリスマスやバレンタインデーにしか盛り上がらない、(といっても、ただイベントを楽しんでいるだけだが、)信仰心の希薄なこの国で、アイドルが生まれたのはなぜだろうか。
同じく、アイドルに熱狂する風潮がある台湾・韓国・中国(ごく最近だが)などの東アジア諸国共通の儒教と関係しているのだろうか。それとは逆に、信仰が日常である欧米で、日本や東アジア的なアイドルが生まれないのはなぜだろうか。これらの疑問は、次の機会に考察するとしよう。
おわりに
とても、卒論とは呼べない出来かもしれませんが、自分のなかでは完全燃焼しました。
もうすぐ締め切りですし。あと一時間半…。
まぁ、読み物としてはそれなりに面白いのではないのでしょうか。以下に、娘。のプロフィールや活動年表など、「これを読めば、あなたもファン、いや、ヲタになるかもしれません!」というような資料も載せておきました。よかったら呼んでください。
さて、つまらないあいさつは終わりにして、この場を借りて、お世話になった方々に、お礼を申し上げたいと思います。
まずは、加藤哲郎先生。「モーニング娘。で書きたいんですけど。」という、私に苦笑しながらも快諾し、温かくご指導いただきまして、誠にありがとうございます。なかなか面白いといいますか、くだらない内容となってますので、ぜひっ、熟読してください。新しい価値観に出会えるかもしれません。
次は、私の就職内定先である、テレビ朝日編成制作局編成部の松瀬さん。取材を快諾してくださり、誠にありがとうございました。アイドルの歴史の考察は松瀬さんのお話抜きでは完成いたしませんでした。
さらに、「名無し清原44」さんをはじめとする、ヲタもだちのみなさん。ご協力ありがとうございました。みなさんからすれば、物足りない文章かもしれませんが、バランスを考えて、というより、暴走しない程度に抑えました。今日のモージャラ楽しみにしてます。
最後に、モーニング娘。のみなさん。あなた方がいなければ、卒論どころか、いまの私はなかったと思います。特に、安倍なつみさんには、私の目の前に貼ってあるポスターとしても、励ましてもらいました(笑)この感謝の気持ちは、さらなる「応援」という形で表現したいと思います。
2004(平成16)年1月30日
前田 健太郎
―資料―
We are Morning Musume。
卒業、脱退したメンバーを含めて、全ての娘。のプロフィールを紹介。
モーニング娘。をあまり知らない初心者用に制作したもので、ファンやヲタの方がたにとっては物足りない内容であろう。あらかじめご了承していただきたい。
オリジナルメンバー 1997(平成9)年9月7日結成
1998(平成10)年1月28日『モーニングコーヒー』でデビュー
中澤 裕子(なかざわ ゆうこ) 愛称:ゆうちゃん 1973(昭和48)年6月19日生まれの30歳 2001年4月15日卒業 出身地:京都府(福知山市) 血液型:O型 趣味:旅行、ネイルアート、読書 ユニット:ソロ演歌歌手・中澤ゆう子、あか組4 メモ:姉御肌で知られる元リーダー。現在はハロプロのリーダーとしてマルチに活躍中。
石黒 彩(いしぐろ あや) 愛称:あやっぺ 1978(昭和53)年5月12日生まれの25歳 2000年1月7日脱退 出身地:北海道(札幌市) 血液型:A型 趣味:部屋の温度を26度にしておくこと ユニット:タンポポ メモ:独特の個性の持ち主。脱退後に結婚・出産。二児の母としてタレント活動を再開。
飯田 圭織(いいだ かおり) 愛称:かおり、かおりん 1981(昭和56)年8月8日生まれの22歳
出身地:北海道(札幌市) 血液型: A型 趣味:絵を描くこと ユニット:おとめ組・タンポポ・青色7・10人祭・おどる11・11WATER メモ:元祖天然ボケキャラも、現在は娘。のリーダー。絵画が得意で個展を開いたことも。
安倍 なつみ(あべ なつみ) 愛称:なっち、なっつぁん、いも(なっち) 1981(昭和56)年8月10日生まれの22歳 2004年1月25日卒業 出身地:北海道(室蘭市) 血液型:A型 趣味:料理、詞を書くこと、笑うコト ユニット:さくら組・黄色5・10人祭・おどる11・おけいさんと安倍なつみ(娘。)・SALT5 メモ:笑顔が素敵な娘。の象徴的存在。卒業後も歌手・女優としての活躍が期待される。
福田 明日香(ふくだ あすか) 愛称:あすか、福ちゃん 1985(昭和60)年12月17日生まれの18歳 1999年4月18日脱退 出身地:東京都 血液型:B型 趣味:ジャズダンス、空を見上げること ユニット:なし メモ:安倍とのツインヴォーカルで娘。の創成期を支えた。学業専念のため脱退。
2期メンバー 1998(平成10)年5月3日加入 同年5月27日 通算2枚目『サマーサイトタウン』でデビュー
保田 圭(やすだ けい) 愛称:圭ちゃん、ケメ子、おばちゃん 1980(昭和55)年12月6日生まれの23歳 2003年5月5日卒業 出身地:千葉県 血液型:A型 趣味:Eメール、ショッピング、英会話 ユニット:プッチモニ・黄色5・10人祭・おどる11 メモ:安定した歌唱力と強烈ないじられキャラを誇った元サブリーダー。娘。内の相談役。
矢口 真里(やぐち まり) 愛称:やぐち、まりっぺ 1983(昭和58)年1月20日生まれの21歳 出身地:神奈川県 血液型:A型 趣味:マンガ、ゲーム、K-1 ユニット:さくら組・タンポポ・青色7・ミニモニ。・7人祭・セクシー8・11WATER・ROMANS・ZYX メモ:娘。ユニット参加数NO.1を誇るムードメーカー兼セクシー隊長兼中間管理職的役割。
市井 紗耶香(いちい さやか) 愛称:さやか、かあさん 1983(昭和58)年12月31日生まれの20歳 2000年5月21日脱退 出身地:千葉県 血液型:A型 趣味:メイク、音楽鑑賞、英会話 ユニット:初代プッチモニ・青色7 メモ:ブレイクした直後に脱退。再デビューを果たしたが、2003年冬に芸能界を引退。
3期メンバー 1999(平成11)年8月4日加入(公表は8月22日) 同年9月9日 通算7枚目『LOVEマシーン』でデビュー
後藤 真希(ごとう まき) 愛称:ごっちん、ごっつぁん、(ゴマキ) 1985(昭和60)年9月23日生まれの18歳 2002年9月23日卒業 出身地:東京都 血液型:O型 趣味:料理、買い物 ユニット:初代プッチモニ・あか組4・7人祭・セクシー8 メモ:娘。を国民的アイドルへと成長させた最大の原動力。現在もトップアイドルとして活躍。
4期メンバー 2000(平成12)年4月16日加入 同年5月17日 通算9枚目『ハッピーサマーウエディング』でデビュー
石川 梨華(いしかわ りか) 愛称:梨華ちゃん、りかっち、チャミー 1985(昭和60)年1月19日生まれの19歳 出身地:神奈川県 血液型:A型 趣味:ショッピング、映画鑑賞 ユニット:おとめ組・タンポポ・三人祭・カントリー娘。に石川梨華(娘。)・セクシー8・7AIR メモ:正統派アイドル。次期エース候補NO.1であるが、娘。内ではキモいキャラ。
吉澤 ひとみ(よしざわ ひとみ) 愛称:よっすぃ、よっちゃん、よしこ 1985(昭和60)年4月12日生まれの18歳 出身地:埼玉県 血液型:O型 趣味:メール、買い物 ユニット:さくら組・プッチモニ・10人祭・セクシー8・11WATER メモ:同期の石川とは正反対の娘。唯一の男前(オヤジ)キャラ。何事にもセンスあり。
辻 希美(つじ のぞみ) 愛称:辻ちゃん、つじ、のの、ののちゃん、ののたん 1987(昭和62)年6月17日生まれの16歳 2004年夏卒業予定 出身地:東京都 血液型:O型 趣味:プリクラ、お菓子作り ユニット:おとめ組・青色7・ミニモニ。・10人祭・おどる11・11WATER メモ:食いしん坊で泣き虫だったが、心の優しい女の子に成長。加護とのコンビは敵なし。
加護 亜依(かご あい) 愛称:加護ちゃん、あいぼん、かご 1988(昭和63)年2月7日生まれの15歳 2004年夏卒業予定 出身地:奈良県 血液型:AB型 趣味:ナシを切ること ユニット:さくら組・タンポポ・ミニモニ。・三人祭・ハッピー7・SALT5 メモ:いたずら大好きっ子だったが、可愛らしい女性へと成長。辻とのコンビに敵なし。
5期メンバー 2001(平成13)年8月26日加入 同年10月31日 通算13枚目『Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~』でデビュー
高橋 愛(たかはし あい) 愛称:愛ちゃん、ラブリー、たかはし 1986(昭和61)年9月14日生まれの17歳 出身地:福井県 血液型:A型 趣味:クラシックバレエ、宝塚 ユニット:さくら組、ハッピー7、ミニモニ。・7AIR メモ:高い歌唱力と端正な顔立ちに似合わない福井弁で娘。の中心メンバーに成長。
紺野 あさ美(こんの あさみ) 愛称:こんこん、あさみちゃん、こんの 1987(昭和62)年5月7日生まれの16歳 出身地:北海道 血液型:B型 趣味:体を動かすこと、買い物、おしゃべり ユニット:さくら組・おどる11・タンポポ・カントリー娘。に紺野と藤本(娘。)・11WATER メモ:歌、ダンスともに赤点娘。であったが、確実に成長。勉強は娘。の中でもNO.1。
小川 麻琴(おがわ まこと) 愛称:まこっちゃん、まこと 1987(昭和62)年10月27日生まれの16歳 出身地:新潟県 血液型:O型 趣味:みんなでワイワイ遊ぶこと、甘い物を食べること。 ユニット:おとめ組・ハッピー7・プッチモニ・SALT5 メモ:ダンスに定評あり。最近では保田に代わる、いじられキャラとして急浮上。
新垣 里沙(にいがき りさ) 愛称:がきさん、おまめちゃん、おまめ 1988(昭和63)年10月20日生まれの15歳 出身地:神奈川県 血液型:B型 趣味:アクセサリー集め、スポーツ(特にバスケ) ユニット:さくら組・ハッピー7・タンポポ・7AIR メモ:加入以前から娘。の大ファン。年齢に似合わない独特の落ち着きが魅力。
第6期メンバー 2003(平成15)年5月5日合流(注1) 同年7月30日 通算19枚目『シャボン玉』でデビュー
藤本 美貴(ふじもと みき) 愛称:ミキティ、みきたん、みきすけ 1985(昭和60)年2月26日生まれの18歳 出身地:北海道 血液型:A型 趣味:買い物 ユニット:おとめ組・おどる11・カントリー娘。に紺野と藤本(娘。)・11WATER メモ:ソロ活動を経て電撃加入。人気・実力を兼ね備えたミキティは救世主となれるか!?
亀井 絵里(かめい えり) 愛称:えりりん、えり、かめちゃん 1988(昭和63)年12月23日生まれの15歳 出身地:東京都 血液型:AB型 趣味:買い物、メイク ユニット:さくら組 メモ:加入当時はおとなしかったが、徐々に天然ボケキャラを発揮。
道重 さゆみ(みちしげ さゆみ) 愛称:さゆ、さゆみん、しげさん 1989(平成元)年7月13日生まれの14歳 出身地:山口県 血液型:A型 趣味:プリクラ、テニス、パソコン ユニット:おとめ組 メモ:自分が一番カワイイと主張する素直な子。早くもソロでテレビ番組にレギュラー出演。
田中 れいな(注2)(たなか れいな) 愛称:れいな、たなか 1989(平成元)年11月11日生まれの14歳 出身地:福岡県 血液型:O型 趣味:バレーボール、カラオケ、プリクラ、メール ユニット:おとめ組・あぁ! メモ:負けん気の強さと歌唱力が評価され、早くもユニットに参加。
(注1) 加入の発表は、藤本が03年1月6日、亀井・道重・田中が03年1月19日。
(注2) 本名は「田中麗奈(れいな)」。女優の「田中麗奈(れな)」と漢字表記が重なることを配慮。
なお、年齢は、2004(平成16)年1月20日現在のものである。
モーニング娘。活動年表
以下に掲載する内容は、モーニング娘。の活動のほんの一部である。大きな活動以外は、基本的には、モーニング娘。・各ユニット・ソロ・元メンバーともに、「初」となる活動のみを取り上げた。
しかし、これを読んで頂ければ、「娘。」たちの努力の成果や残してきた足跡が多少なりとも分かってもらえるだろう。
1997(平成9)年~1998(平成10)年
1997.4.27 |
テレビ東京のオーディションバラエティ番組『ASAYAN』にて、「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」が開催される。 |
1997.9.7 |
【結成】 オーディションの敗退者であった中澤、石黒、飯田、安倍、福田の5人が招集され、新ユニット結成の企画が持ち上がる。 |
1997.9.8 |
つんくにより、ユニット名が「モーニング娘」と命名される。 |
1997.9.14 |
『ASAYAN』にて、ユニット名が公表されるものの、番組のMCを務めるお笑いコンビ「ナインティナイン」の矢部の独断により「。」を付けて『モーニング娘。』に決定する。 |
1997.11.30 |
【イベント】 名古屋で『愛の種』の手売りイベントを行う。ノルマであった5万枚完売を果たし、メジャーデビューが決定する。 |
1998.1.28 |
【CD】 メジャーデビューシングル『モーニングコーヒー』が発売される。 |
1998.4.7 |
【TV】 テレビ東京系のバラエティドラマ『太陽娘と海』の放映が開始される。(ドラマ初出演) |
1998.4.27 |
【写真集】 初の写真集『morning musume』が発売される。 |
1998.5.3 |
【加入】 第1回追加メンバーとして保田圭、矢口真里、市井紗耶香が加入。 |
1998.5.27 |
【CD】 2枚目のシングル『サマーナイトタウン』が発売される。 |
1998.7.8 |
【CD】 ファーストアルバム『ファーストタイム』が発売される。 |
1998.7.12 |
【ライブ】 初のコンサートツアー「Hello!」が東京渋谷公会堂から始まる。 |
1998.8.5 |
【CD】 「中澤ゆうこ」のソロデビューシングル『カラスの女房』が発売される。 |
1998.8.18 |
【映画】 初の出演映画『モーニング刑事(コップ)』の上映が開始される。(映画初出演) |
1998.9.9 |
【CD】 3枚目のシングル『抱いて HOLD NO ME!』が発売。初めての「オリコン」1位を獲得。 |
1998.10.1 |
【ラジオ】 TFM系で安倍、福田がパーソナリティをつとめる『お願いMORNING CALL!』の放送が開始される。 |
1998.11.18 |
【CD】 石黒、飯田、矢口の3人による新ユニット「タンポポ」のデビューシングル『ラストキッス』が発売される。 |
1998.12.4 |
【受賞】 第31回全日本有線放送大賞「新人賞」を受賞。 |
1998.12.31 |
【受賞】 第40回日本レコード大賞「最優秀新人賞」を受賞。 |
1998.12.31 |
【TV】 NHKの『紅白歌合戦』に初出場。(『抱いて HOLD NO ME!』) |
1999(平成11)年~
1999.2.10 |
【CD】 4枚目のシングル『Memory 青春の光』が発売される。 |
1999.3.1 |
【受賞】 第36回ゴールデンアロー賞「音楽新人賞」を受賞。 |
1999.3.5 |
【受賞】 第13回日本ゴールドディスク大賞「ニューアーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 |
1999.3.21 |
【ライブ】 初の全国ツアー「Memory 青春の光ツアー」が始まる。 |
1999.3.31 |
【CD】 「タンポポ」の初めてのアルバム『TANPOPO 1』が発売される。 |
1999.4.1 |
【ラジオ】 TFM系で安倍がパーソナリティをつとめる『スーパーモーニングライダー』の放送が開始される。 |
1999.4.18 |
【脱退】 ツアー最終日の新宿厚生年金ホールをもって、福田明日香が脱退。 |
1999.5.12 |
【CD】 5枚目のシングル『真夏の光線』が発売される。 |
1999.7.14 |
【CD】 6枚目のシングル『ふるさと』が発売される。 |
1999.7.28 |
【CD】 2枚目のアルバム『セカンドモーニング』が発売される。 |
1999.8.4 |
【加入】 第2回追加メンバーとして後藤真希の加入が決定。 |
1999.9.9 |
【CD】 後藤加入後初の、通算7枚目のシングル『LOVE マシーン』が発売され、初めてミリオンを達成。 |
1999.11.25 |
【CD】 「プッチモニ」のデビューシングル『ちょこっと LOVE』が発売される。(ミリオン達成) |
1999.12.3 |
【受賞】 第32回日本有線大賞「有線音楽優秀賞」を受賞。 |
1999.12.10 |
【写真集】 安倍なつみソロ写真集『ナッチ』が発売される。 |
1999.12.31 |
【受賞】 第41回日本レコード大賞「優秀作品賞」を受賞。(『LOVEマシーン』) |
1999.12.31 |
【TV】 NHKの『紅白歌合戦』に2年連続出場(『LOVE マシーン』) |
2000(平成12)年~
2000.1.7 |
【脱退】 大阪厚生年金会館のコンサートをもって、オリジナルメンバーである石黒彩が脱退。 |
2000.1.26 |
【CD】 8枚目のシングル『恋のダンスサイト』が発売される。(2作目のミリオン達成) |
2000.2.8 |
【CM】 安倍が出演する、カネボウ「SALA」のCMのオンエアが開始。モーニング娘。関連としてはCM初出演。 |
2000.3.4 |
【CM】 JTの中国ブレンド茶「飲茶楼」のCMのオンエアが開始される。モーニング娘。としてはCM初出演。 |
2000.3.6 |
【受賞】 第37回ゴールデンアロー賞「音楽賞」を受賞。 |
2000.3.8 |
【CD】 シャッフル企画、『赤い日記帳』、『青いスポーツカーの男』、『黄色いお空で BOOM BOOM BOOM』が発売される。 |
2000.3.15 |
【受賞】 「プッチモニ」が、第14回日本ゴールドディスク大賞「ソングオブ・ザ・イヤー」を受賞。(『ちょこっとLOVE』) |
2000.3.15 |
【受賞】 第14回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」を受賞。(『LOVEマシーン』・『恋のダンスサイト』) |
2000.3.29 |
【CD】 サードアルバム『LOVE パラダイス』が発売される。 |
2000.4.7 |
【TV】 日本テレビ系で『フライデーナイトはお願い!モーニング』の放映が開始される。 |
2000.4.9 |
【TV】 テレビ東京系で『ハロー!モーニング。』の放映が開始される。(現在も放送中) |
2000.4.16 |
【イベント】 映画『ピンチランナー』の撮影のため、「ひたちなか全日本少女駅伝大会」に参加し、51組中38位で完走。 |
2000.4.16 |
【加入】 第3回追加メンバーとして石川梨華、吉澤ひとみ、辻希美、加護亜依の加入が発表。 |
2000.5.12 |
【入籍】 元メンバーの石黒が、ロックバンド「LUNA SEA」の真矢と入籍。 |
2000.5.17 |
【CD】 第3回追加メンバーにとって初の、通算9枚目のシングル『ハッピーサマーウェディング』が発売される。 |
2000.5.20 |
【映画】 主演映画『ピンチランナー』が公開される。 |
2000.5.21 |
【脱退】 東京武道館コンサートをもって、第1回追加メンバーであった市井紗耶香が脱退。 |
2000.6.17 |
【TV】 TBS系『2000シドニー五輪女子バレー世界最終予選』の応援団として起用され、『DANSEするのだ!』がテーマソングとして使用される。 |
2000.6.28 |
【公表】 スーパーサーカス「サルティンバンコ」日本公演の応援団長を務めることが発表。 |
2000.7.5 |
【CD】 「タンポポ」が、石川・加護加入後初の、通算して5枚目のシングル『乙女パスタに感動』を発売。 |
2000.7.26 |
【CD】 「プッチモニ」が、吉澤加入後初の、通算で2枚目のシングル『青春時代1、2、3!』を発売。 |
2000.9.6 |
【CD】 10枚目のシングル『I WISH』が発売される。 |
2000.9.11 |
【開設】 公式サイト『モーニング娘。オフィシャルサイト』が開設される。 |
2000.10.14 |
【ラジオ】 MBS毎日放送の『ヤングタウン』に安倍、保田がレギュラーパーソナリティとして参加。 |
2000.10.23 |
【イベント】 福岡ドームで「日本シリーズ始球式」に参加。 |
2000.11.18 |
【受賞】 第33回全日本有線放送大賞「読売テレビ特別賞」を受賞。 |
2000.12.1 |
BSデジタル放送開始にともない、NHKハイビジョンのテーマ曲に『Say Yeah!もっとミラクルナイト』が使用される。 |
2000.12.3 |
【TV】 テレビ東京系で『MUSIX!』の放映が開始される。 |
2000.12.13 |
【CD】 11枚目のシングル『恋愛レボリューション21』が発売される。 |
2000.12.15 |
【受賞】 第33回日本有線大賞「有線音楽優秀賞」を受賞。 |
2000.12.31 |
【受賞】 第42回日本レコード大賞「優秀作品賞(恋のダンスサイト)」および「特別賞」を受賞。 |
2000.12.31 |
【TV】 NHKの『紅白歌合戦』に3年連続出場(『ハッピーサマーウェディングSPバージョン』) |
2001(平成13)年~
2001.1.13 |
【TV】 安倍が出演する日本テレビ系の連続ドラマ『愛犬ロシナンテの災難』の放映が開始。 |
2001.1.17 |
【CD】 「ミニモニ。」のデビューシングル『ミニモニ。じゃんけんぴょん!』が発売される。 |
2001.1.31 |
【CD】 初のベストアルバム『ベスト モーニング娘。1』が発売される。(ダブルミリオン突破) |
2001.3.9 |
【受賞】 第24回日本アカデミー賞の「新人俳優賞」「話題賞」を受賞(『ピンチランナー』) |
2001.3.14 |
【受賞】 第15回日本ゴールドディスク大賞にて を受賞。 |
2001.3.28 |
【CD】 「後藤真希」のソロデビューシングル『愛のバカヤロウ』が発売される。 |
2001.3.31 |
【イベント】 さいたまスーパーアリーナで「Hello!Project 大運動会」が行われる。 |
2001.4.2 |
【TV】 TBS系『エクスプレス』で「ザ★プチモビクス」の放映が開始される。 |
2001.4.12 |
【TV】 日本テレビ系で『モーたいへんでした』の放映が開始。初回スペシャルでは中澤の卒業式も行われる。 |
2001.4.15 |
【脱退】 オリジナルメンバーであり、結成以来のリーダーであった中澤裕子が脱退。 |
2001.4.16 |
【会見】 中澤が脱退記者会見の席上で、後任リーダーには飯田を、サブリーダーとして保田を指名。 |
2001.4.18 |
【CD】 コンピレーションアルバム『Together!-タンポポ・プッチ・ミニ・ゆうこ-』が発売。 |
2001.4.18 |
【CD】 石川がレンタル加入した「カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)」のメジャーデビューシングル『初めてのハッピーバースディ』が発売される。 |
2001.4.19 |
【ラジオ】 ニッポン放送で矢口がパーソナリティをつとめる『矢口真里の allnightnippon SundaySUPER』の放送が開始される。(現在も『あなたがいるから矢口真里』が放送中) |
2001.4.19 |
【TV】 NHK-BS2で『スーパーライブ中澤裕子卒業スペシャル』が放映される。 |
2001.5.3 |
【舞台】 日生劇場にて、初のミュージカル『LOVE センチュリー 夢は見なけりゃ始まらない』の公演が開始される。 |
2001.7.4 |
【CD】 シャッフルユニット企画、『チュッ!夏パーティー(三人祭)』、『サマーれげぇ!レインボー(7人祭)』、『ダンシング!夏祭り(10人祭)』が発売される。 |
2001.7.4 |
【TV】 後藤が出演するTBS系の連続ドラマ『マリア』の放映が開始される。 |
2001.7.4 |
【TV】 元メンバーの中澤が出演する日本テレビ系の連続ドラマ『ビューティー7』の放映が開始される。 |
2001.7.25 |
【CD】 中澤脱退後の初シングル、通算13枚目のシングル『ザ☆ピ~ス!』が発売。石川が初センターを務め話題になる。 |
2001.8.1 |
【写真集】 元メンバーの中澤の初ソロ写真集『feather』が発売される。 |
2001.8.2 |
【写真集】 石川の初ソロ写真集『Rika Isikawa』が発売される。 |
2001.8.18 |
【TV】 日本テレビ系24時間TV『愛は地球を救う』にメインパーソナリティーとして参加。 |
2001.8.26 |
【加入】 テレビ東京系『LOVE オーディション 2001』にて、第4回追加メンバーとして高橋愛、紺野あさ美、小川麻琴、新垣里沙の加入が決定。 |
2001.10.1 |
【ラジオ】 文化放送で安倍がパーソナリティをつとめる『エアモニ。』の放送が開始される。 |
2001.10.3 |
【TV】 元メンバーの中澤がフジテレビ系の『笑っていいとも!』のレギュラー(隔週水曜日)として参加。 |
2001.10.6 |
【写真集】 吉澤の初ソロ写真集『よっすぃー』が発売される。 |
2001.10.8 |
【TV】 飯田、加護が出演するTBS系の連続ドラマ『こちら第三社会部』の放映が開始される。 |
2001.10.14 |
【TV】 元メンバーの中澤が出演するテレビ朝日系の『Mの黙示録』の放映が開始される。 |
2001.10.17 |
【事故】 新メンバーの紺野が、TBS系『うたばん』の収録中に12針を縫う大ケガを負う。 |
2001.10.31 |
【CD】 第4回追加メンバー加入後初の、通算して13枚目のシングル『Mr.Moonlight~愛のビッグバンド~』が発売され、吉澤が初センターを務める。 |
2001.11.6 |
【写真集】 後藤の初ソロ写真集『後藤真希』が発売される。 |
2001.11.29 |
【CD】 「モーニング娘。」を中心としたハロープロジェクトメンバーによる童謡カバーアルバム『ザ・童謡ポップス1 クリスマスと冬のうた集』が発売される。 |
2001.11.29 |
【CD】 元メンバーの市井が、同じく元メンバーの中澤とともに、フォークソングのカバー集『FOLK SONGS』を発売。 |
2001.12.1 |
【写真集】 安倍の2作目のソロ写真集『なつみ』が発売される。 |
2001.12.5 |
【CD】 ミニモニ。が「ミニハムず」名で『とっとこハム太郎』劇場版アニメの主題歌『ミニハムずの愛の唄』を発売。 |
2001.12.19 |
【CD】 海外アーティストがモーニング娘。の曲を歌った『カバー・モーニング娘。!~Various Artist Covers "MORNING MUSUME。"!~』が発売。 |
2001.12.19 |
【CD】 コンピレーションアルバム『プッチベスト2 ~三・7・10~』が発売される。 |
2001.12.25 |
【書籍】 飯田の画文集『飯田圭織 心のスケッチブック』が発売される。 |
2001.12.31 |
【TV】 NHKの「紅白歌合戦」に4年連続で出場(『Mr.Moonlight~愛こそがザ☆ピース!』)、なお「日本レコード大賞」についてはスケジュールの都合により辞退。 |
2002(平成14)年~
2002.1.2 |
【TV】 安倍が出演するテレビ東京系新春ドラマ『壬生義士伝~新選組で一番強かった男』が放映される。 |
2002.1.4 |
【TV】 TBS系でモーニング娘。の新春スペシャルドラマ『モーニング娘。新春!LOVEストーリーズ』が放映される。 |
2002.1.4 |
【映画】 飯田、矢口、後藤、辻が出演する映画「ナマタマゴ」の上映が始まる。 |
2002.1.10 |
【イベント】 東京で飯田の絵画展「モーニング娘。~アート&カラー~2002」が始まる。 |
2002.1.17 |
【写真集】 元メンバー市井の初ソロ写真集『Self』が発売される。 |
2002.1.19 |
【TV】 安倍が出演する日本テレビ系の連続ドラマ『ナースマン-俺たちは白衣の天使じゃない-』の放映が開始される。 |
2002.1.19 |
【TV】 元メンバーの中澤が出演するTBS系の『中澤裕子の黄金郷タイ幸福漂流記』が放映される。中澤は同番組で初リポーターを務める。 |
2002.2.6 |
【写真集】 矢口の初のソロ写真集『ヤグチ』が発売される。 |
2002.2.13 |
【TV】 安倍がTBS系のソルトレークシティー五輪『ソルトレークから長野へ 2002年 W-DREAM TBS』のメインキャスターとして起用される。また、飯田が同イメージキャラクター「すのっぴぃ」のデザインを担当。 |
2002.2.20 |
【CD】 14枚目のシングル『そうだ! We're ALIVE』が発売される。 |
2002.3.1 |
【写真集】 保田の初のソロ写真集『kei』が発売される。 |
2002.3.18 |
【TV】 安倍がTBS系で放送の『世界フィギュアNAGANO』のメインキャスターに起用される。 |
2002.3.23 |
【映画】 石川、吉澤らが出演する映画『とっかえ娘。』の公開が始まる。 |
2002.3.27 |
【CD】 2年ぶりに、4枚目のオリジナルアルバム『いきまっしょい!』が発売される。 |
2002.4.24 |
【CD】 元メンバーの市井が、元シャ乱Qのたいせーとの新ユニット「市井紗耶香 in CUBIC-CROSS」を組み、デビューシングル『人生がもう始まってる』を発売。 |
2002.4.24 |
【CD】 志村ケンとのユニット「バカ殿様とミニモニ姫。」が、デビューシングル『アイ~ン体操/アイ~ン!ダンスの唄』を発売。 |
2002.5.1 |
【写真集】 飯田の初めてのソロ写真集『かおりKAORI圭織。』が発売される。 |
2002.5.8 |
【TV】 テレビ朝日系『Matthew's Best Hit TV』に安倍が出演する。 |
2002.5.22 |
【写真集】 辻と加護の写真集『辻加護』が発売される。 |
2002.5.24 |
【舞台】 青山劇場でミュージカル『モーニング・タウン』が公開される。(6/23まで) |
2002.6.22 |
【写真集】 石川の2冊目のソロ写真集『石川・梨華』が発売される。 |
2002.6.26 |
【CD】 「ミニモニ。」のファーストアルバム『ミニモニ。ソング大百科1巻』が発売される。 |
2002.6.26 |
【CD】 高木ブーとモーニング娘。、ココナッツ娘。、藤本美貴、石井リカによる『モーニング娘。シングルメドレー~ハワイアン~』が発売される。 |
2002.7.3 |
【CD】シャッフルユニット3組によるシングル『幸せきょうりゅう音頭(おどる11)』『幸せですか?(セクシー8)』『幸せビーム!好き好きビーム(ハッピー7)』が発売される。 |
2002.7.5 |
【TV】 安倍らが出演する日本テレビ系キッズバラエティ『ティンティンTOWN!』の放映が開始される。(現在も放送中) |
2002.7.18 |
【書籍】 漫画家さくらももことの共同作品となる『モーニング娘。スペシャルインタビュー さくら印モー娘。ハコイリ娘。1・2』が発売される。 |
2002.7.24 |
【CD】 15枚目のシングル『Do it!Now』が発売される。 |
2002.7.31 |
【公表】 後藤が9月23日をもって、保田が来春をもって脱退することが公表される。 |
2002.7.31 |
【人事】 9月をもって「タンポポ」から飯田、矢口、加護が脱退し、新たに紺野、新垣、柴田あゆみ(メロン記念日)が加入することが明らかになる。 |
2002.7.31 |
【人事】 この秋をもって「プッチモニ」から保田、後藤が脱退し、新たに小川、アヤカ(ココナッツ娘。)の加入が発表される。 |
2002.7.31 |
【公表】 「ミニモニ。」の身長150cm以下という制限が撤廃され、新たに高橋が加入することとが決定。また、来春をもって矢口が脱退、矢口の後任としてミカがリーダーを務めることが公表される。 |
2002.7.31 |
【公表】 来春以降、矢口をリーダーとする、ハロプロキッズのメンバー数人による新ユニットが結成されることが公表される。 |
2002.8.16 |
【写真集】 高橋・紺野・小川・新垣の5期メンバー4人の写真集が発売される。 |
2002.8.17 |
【TV】 2年連続で、日本テレビ系チャリティー番組『24時間テレビ 愛は地球を救う』のパーソナリティーを務める。 |
2002.8.21 |
【CD】 「プッチモニ」、初のベストアルバム『ぜんぶ!プッチモニ』が発売される。 |
2002.8.27 |
【TV】 NHK-BS2で『BSまるごと大全集 モーニング娘。』が放送される。 |
2002.8.29 |
【イベント】 ニッポン放送のオールナイトニッポン35周年記念イベント「そんなのアリーナ!?エピソード3」に中澤裕子、飯田圭織、矢口真里が出演。 |
2002.9.4 |
【CD】 「タンポポ」のベストアルバム『All of タンポポ』が発売される。 |
2002.9.17 |
【TV】 NHK-BS2で『BSスペシャル・スーパーライブ モーニング娘。と仲間たち』が放送。 |
2002.9.23 |
【脱退】 ツアー最終日の横浜アリーナの公演をもって、後藤真希が脱退。 |
2002.9.23 |
【TV】 TBS系で『関口宏の東京フレンドパーク2 モーニング娘。スペシャル』が放送される。 |
2002.9.26 |
【TV】 フジテレビ系の『とんねるずのみなさんのおかげでした』の「新・食わず嫌い王決定戦」に安倍なつみが出演する。 |
2002.9.26 |
【CD】 紺野、新垣、柴田あゆみ(メロン記念日)を加えた新メンバーによる「タンポポ」の8枚目のシングル『BE HAPPY 恋のやじろべえ 』が発売される。 |
2002.9.27 |
【書籍】 初めてのオフィシャル・アーティストBOOK『モーニング娘。×つんく♂』が発売。 |
2002.10.3 |
【TV】 テレビ朝日系『Best Hit TV祭りマシューの抱いたし抱かれたしSP』に安倍、保田らが出演する。 |
2002.10.30 |
【CD】 16枚目のシングル『ここにいるぜぇ!』が発売される。 |
2002.10.30 |
【CD】 「モーニング娘。」・「タンポポ」・「プッチモニ」・「ミニモニ。」・「後藤真希」のトランスミックス版のCD『CLUB Hello! TRANCE REMIX』が発売される。 |
2002.11.3 |
【イベント】 大阪ドームでハロー!プロジェクト運動会「HELLO! PROJECT SPORTS FESTIVAL IN OSAKA DOME」が行われる。 |
2002.11.20 |
【CD】 元メンバー後藤が参加するユニット「ごまっとう」(後藤真希・松浦亜弥・藤本美貴)のデビューシングル『SHALL WE LOVE?』が発売される。 |
2002.11.27 |
【CD & DVD & VHS】 「ミニモニ。」の4枚目のシングル『お菓子つくっておっかすぃ~!/元気しるし大盛りソング』が「ミニモニ。と高橋愛+4KIDS」のユニット名で発売される。なお、映画『ミニモニ。じゃムービー・お菓子な大冒険!』の主題歌となる。 |
2002.12.9 |
【写真集】 高橋のソロ写真集『高橋愛』が発売される。 |
2002.12.14 |
【映画】 東映系で、モーニング娘。らが出演する『仔犬ダンの物語』『ミニモニ。じゃムービー・ お菓子な大冒険!』が公開される。 |
2002.12.17 |
【TV】 日本テレビ系『伊東家の食卓』に辻、加護が出演する。 |
2002.12.28 |
【TV】 TBS系で『モーニング娘。サスペンスドラマスペシャル』が放送される。なお放送は、安倍主演の「三毛猫ホームズの犯罪学講座」、吉澤主演の「おれがあいつであいつがおれで」の二本立て。 |
2002.12.31 |
【TV】 NHKの『紅白歌合戦』に5年連続出場(『ここにいるぜぇ!そうだ!We're ALIVE 2002Ver』.)する。なお、松浦亜弥は2年連続、藤本美貴は初出場。 |
2003(平成15)年~
2003.1.1 |
【TV】 フジテレビ系「新春かくし芸大会2003」に出演。 |
2003.1.1 |
【TV】 日本テレビ系「ウンナンVSモ-娘。激突視聴率獲得サバイバル」に出演。 |
2003.1.6 |
【公表】 藤本美貴の加入が発表される。 |
2003.1.19 |
【加入】 テレビ東京系で『LOVEオーディション2002』が放送される。最終選考により、第6期メンバーとして亀井絵里、道重さゆみ、田中れいなの3名の加入が発表される。 |
2003.1.12 |
【CM】 元メンバー後藤真希のソロ初のテレビCM(ロート製薬)の放映が開始される。 |
2003.1.26 |
【TV】 TBS系の『さんまのスーパーからくりTV』に保田、石川、小川が出演。 |
2003.2.2 |
【舞台】 元メンバー中澤裕子が出演する舞台、東京明治座二月公演『江戸の花嫁』の公演が行われる。(2/25まで、はしのえみと入れ代わりで出演) |
2003.2.4 |
【TV】 テレビ朝日系『徹子の部屋』に元メンバー中澤裕子が出演。 |
2003.2.5 |
【舞台】 元メンバー後藤真希が出演するミュージカル『けん&メリーのメリケン粉オンステージ』が行われる。(2/23まで2会場17公演) |
2003.2.5 |
【CD】 元メンバー後藤真希の1stアルバム『マッキングGOLD・1』が発売される。 |
2003.2.19 |
【CD & DVD & VHS】 17枚目のシングル『モーニング娘。のひょっこりひょうたん島』が発売される。なお、シングルビデオも同時発売される。 |
2003.3.14 |
【イベント】 元メンバー中澤裕子が、五木ひろしのバースデーコンサート「五木ひろしバースデーコンサート~と・も・だ・ち~」に出演。 |
2003.3.26 |
【CD】 5枚目のアルバム『NO.5』が発売される。 |
2003.3.31 |
【TV】 日本テレビ系『欽ちゃん&香取慎吾の第69回全日本仮装大賞』に出演。 |
2003.4.2 |
【書籍】 ワニブックスから安倍なつみのエッセイ集『ALBUM 1998-2003』が発売される。 |
2003.4.2 |
【TV】 TBS系の情報番組『はなまるマーケット』に元メンバー後藤真希が出演。 |
2003.4.5 |
【TV】 フジテレビ系「めちゃ×2イケてるッ!SP」に出演。 |
2003.4.9 |
【CD】 矢口脱退後初、新生「ミニモニ。」の5枚目のシングル『ロックンロール県庁所在地~おぼえちゃいなシリーズ~』が発売される。 |
2003.4.19 |
【TV】 日本テレビ系『エンタの神様』で宝塚歌劇団と初共演する。 |
2003.4.23 |
【CD】 飯田圭織のソロファーストアルバム『オサヴリオ』が発売される。 |
2003.4.23 |
【CD & DVD & VHS】 18枚目のシングル『AS FOR ONE DAY』が発売される。 |
2003.5.1 |
【CD】 安倍なつみが参加するユニット「おけいさんと安倍なつみ(モーニング娘。)」のデビューシングル『母と娘のデュエットソング』が発売される。 |
2003.5.5 |
【脱退】 春のツアー最終日「埼玉スーパーアリーナ」の公演をもって、第2期メンバーの保田が脱退する。また、6期メンバーはこの日が初ステージとなる。 |
2003.5.31 |
【舞台】 明治座6月公演で、ミュージカル「江戸っ娘。忠臣蔵」が公開される(6/29まで39公演) |
2003.6.5 |
【人事】 「カントリー娘。」のレンタルメンバーとして紺野、藤本が加入し、石川が脱退することが公表される。なお、新ユニット名は「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」となる。 |
2003.6.11 |
【CM】 飯田がエフティ資生堂「水分ヘアパック」のイメージモデルに決定。 |
2003.6.28 |
【TV】 フジテレビ系の『FNS 27時間テレビ みんなのうた』のパーソナリティーを務める。 |
2003.7.9 |
【CD & DVD & VHS】 シャッフルユニット「SALT5・7AIR・11WATER」による3曲『GET UP!ラッパー・壊れない愛がほしいの・ BE ALL RIGHT!』を1枚に収録、写真集を同梱してリリース。 |
2003.7.12 |
【公表】 亀井、道重、田中が出演する映画『星砂の島 私の島~アイランド・ドリーミン~』の制作発表が行われる。 |
2003.7.27 |
【人事】 新年のハロプロツアーを以て、安倍が脱退することが公表される。 |
2003.7.29 |
【イベント】 東京・青海で開かれたフジテレビ主催のライブイベント「お台場冒険王 GIRLPOP FACTORY 03」に出演。 |
2003.7.30 |
【CD & DVD & VHS】 19枚目、6期合流後初となるシングル『シャボン玉』が発売される。 |
2003.8.6 |
【CD】 矢口とハロプロキッズのユニット「ZYX」のソロデビューシングル『行くZYX!FLY HIGH』が発売される。 |
2003.8.10 |
【TV】 フジテレビ系バラエティ『堂本兄弟』に安倍が出演する。 |
2003.8.13 |
【CD & DVD & VHS】 安倍なつみのソロデビューシングル『22歳の私』が発売される。 |
2003.8.18 |
【イベント】 東京よみうりランドで安倍なつみの初めてのソロイベントが行われる。 |
2003.8.20 |
【CD & DVD】 「ROMANS」のデビューシングル『SEXY NIGHT~忘れられない彼~』が発売。 |
2003.8.22 |
【TV】 フジテレビ系バラエティ『木梨ガイド・週末の達人』に安倍が出演する。 |
2003.8.30 |
【書籍】 元メンバー石黒彩の初エッセイ『娘。からママへ』が発売される。 |
2003.9.3 |
【CD】 元メンバー市井紗耶香のソロデビューシングル『4U~ひたすら~』が発売される。なお、同曲はゲームソフト「モンスターファーム4」のCMソング。 |
2003.9.13 |
【映画】 東映系で、元メンバーの後藤主演の映画『青春ばかちん料理塾』と石川・藤本主演の映画『17歳~旅立ちのふたり』が公開される。 |
2003.9.18 |
【CD】 「モーニング娘。おとめ組」のデビューシングル『愛の園~Touch My Heart!~』が発売される。 |
2003.9.18 |
【CD】 「モーニング娘。さくら組」のデビューシングル『晴れ 雨 のち スキ』が発売される。 |
2003.10.1 |
【CM】 石川が出演するCM「(財)日本食肉消費総合センター Jミート」の放映が開始される。なお、ハロプロキッズの熊井友理奈、菅谷梨沙子、萩原舞も出演。 |
2003.10.7 |
【TV】 道重がテレビ朝日系音楽情報番組『Mの黙示録』に新レギュラーとして出演を開始する。(松浦亜弥と交替) |
2003.10.10 |
【書籍】 矢口真里のファーストエッセイ『おいら』が発売される。 |
2003.10.14 |
【TV】 矢口がフジテレビ系バラエティ「笑う犬の太陽」のレギュラーとして出演を開始する。 |
2003.10.19 |
【受賞】 元メンバーの石黒が「第1回キッチンニスト大賞」に選ばれる。 |
2003.10.29 |
【CD】 ニッポン放送で放送されたラジオドラマがCD化され、『ハロー!プロジェクトラジオドラマ vol.1 / vol.2』として発売される。 |
2003.10.29 |
【CD】 「あぁ!」のデビューシングル『FIRST KISS』が発売される。 |
2003.11.6 |
【CD & DVD & VHS】 20枚目のシングル『Go Girl~恋のビクトリー~』が発売される。 |
2003.11.9 |
【引退】 元メンバーの市井紗耶香が芸能界引退を公表した。なお、所属ユニット「市井紗耶香 in CUBIC-CROSS」も同日をもって解散となった。 |
2003.11.14 |
【写真集】 ワニブックスから辻の写真集『のの』が発売される。 |
2003.11.16 |
【イベント】 ハロプロオールキャストの運動会「Hello! Project SPORTS FESTIVAL2003~ニッポンの女の子は音楽と体育です!!~」が行われる。(11/22とともに2日間) |
2003.11.17 |
【書籍】 ワニブックスから元メンバー中澤のエッセイ『ずっと後ろから見てきた~』が発売。 |
2003.11.19 |
【TV】 フジテレビ系バラエティ『水10!ワンナイR&R』に石川、加護、高橋、小川が出演。 |
2003.11.22 |
【TV】 NHK総合で元メンバー後藤主演のドラマ『"RPG"作られた家族の秘密・犯人はこの中にいる』が放送される。 |
2003.11.22 |
【TV】 松浦亜弥主演のフジテレビ系ドラマ『VICTORY!~フットガールズの青春』に石川、加護、高橋、小川が出演。 |
2003.11.25 |
【写真集】 ワニブックスから加護の写真集『KAGO ai』が発売される。 |
2003.12.24 |
【TV】 安倍、石川が出演するドラマ「ラストプレゼント」がNHK総合で放送される。 |
2003.12.29 |
【TV】 フジTV系バラエティ『SMAP×SMAP』のスペシャルライブでSMAPと共演する。 |
2003.12.31 |
【TV】 NHKの『紅白歌合戦』に「モーニング娘。」が6年連続で出演する。なお、元メンバー後藤真希もソロとして初出演を果たす。 |
2004.1.1 |
【TV】 日テレ系正月特番『世界あっぱれ最強祭!生ですべてが決着SP"ウンナンvsモー娘。の芸能界No1決定戦』に出演する。なお、番組内の企画で、辻・加護がフラフープギネス記録を更新。(12.8m) |
2004.1.2 |
【TV】 テレビ東京系で藤本美貴の出演する新春ドラマ『竜馬がゆく』が放送される。 |
2004.1.3 |
【公表】 夏のツアーをもって辻希美、加護亜依が脱退することが発表された。なお、脱退後は2人で新ユニットを組むとのこと。 |
2004.1.4 |
【舞台】 ニッセイ劇場で元メンバー保田が出演する舞台「羅生門」が上演される。(1/29まで) |
2004.1.10 |
【TV】 NHK教育で「ミニモニ。」が出演するドラマ『ミニモニ。でブレーメンの音楽隊』の放送が開始される。 |
2004.1.21 |
【CD & DVD】 「モーニング娘。」の21枚目のシングルCD&シングルビデオ『愛あらば IT'S ALL RIGHT』が発売される。なお、安倍なつみ在籍最後のシングルとなる。 |
2004.1.25 |
【脱退】 ツアー最終日をもって安倍なつみが脱退する。 |
2004.2.4 |
【CD】 安倍なつみの初のソロアルバム『一人ぼっち』が発売される予定。 |
2004.2.4 |
【舞台】 元メンバー安倍なつみの主演ミュージカル『~おかえり~』が上演される予定。(2/28まで3会場23公演) |
2004.2.25 |
【CD】 元メンバー中澤裕子、安倍なつみ、保田圭、後藤真希らによるフォークソング・カヴァー集第5弾『FOLK SONGS 5~卒業~』が発売される予定。 |
2004(平成16)年1月25日現在。
Hello! Projectメンバー
ここでは、モーニング娘。以外の「ハロープロジェクト」のメンバーについて簡単ではあるが、紹介する。
松浦 亜弥(まつうら あや) 愛称:あやや
1986(昭和61)年6月25日生まれの17歳
出身地:兵庫県 血液型:B型 趣味:歌うこと、ゲーム 活動経過:「第4回平家みちよ&モーニング娘。妹分オーディション」に合格。
2001(平成13)年4月11日『ドッキドキ!LOVEメール』でデビュー。
以来、高い表現力と独自のキャラクターでトップアイドルの座に君臨。
その活躍は、歌手以外にも、ドラマ、CM、映画と多岐にわたる。
NHK『紅白歌合戦』にも3年連続で出場を果たしている。
モーニング娘。の妹分としてデビューして以来、着実に成長を遂げ、CDランキングでもトップ10前後に入るようになった。固定されたメンバーによって培われたライブパフォーマンスは迫力満点であり、ファンから絶大な評価を受けている。
タレント田中義剛のプロデュースにより、北海道を拠点とする半芸半農のアイドルとして活動を開始。メンバーの交通事故死や脱退などを経て現在のメンバー編成に至る。モーニング娘。から石川梨華をレンタルしてメジャーデビュー。現在は東京に拠点を移し、芸能活動に専念。
グループ結成は、モーニング娘。に次ぐ早さであり、メンバーはハワイ出身者で構成されている。当初は5名いたメンバーも、脱退・加入を繰り返し、現在は2名であるが、アヤカはプッチモニ、ミカはミニモニ。のメンバーとしても活躍している。
中澤 裕子 詳細はモーニング娘。のプロフィールに掲載。
元太陽とシスコムーン(後に「T&Cボンバー」に改名)のメンバー。現在はハロプロ内で多様な活躍を見せている。なお、彼女のファンは、「稲中」と呼ばれている。これは、「稲葉中毒」の略称であり、若者のあいだで流行した漫画『行け!稲中卓球部』を文字ったと言われている。
後藤 真希 詳細はモーニング娘。のプロフィールに掲載。
保田 圭 詳細はモーニング娘。のプロフィールに掲載。
安倍 なつみ 詳細はモーニング娘。のプロフィールに掲載。
前田 有紀 演歌歌手として活躍している。
梅田えりか・矢島舞美・嗣永桃子・清水佐紀・徳永千奈美・村上愛・夏焼雅・須藤茉麻・石村舞波・中島早貴・熊井友理奈・鈴木愛理・菅谷梨沙子・岡井千聖・萩原舞
Berryz 工房
ハロプロキッズメンバーのうち、清水・石村・熊井・須藤・菅谷・夏焼・徳永・嗣永
この8人ををスターティングメンバーとし、2004年3月3日ひなまつりの日にデビューする予定。
ハロプロ内ユニット
ここでは、モーニング娘。および、ハロプロから生まれたユニットについて、その構成メンバーを中心に紹介する。
モーニング娘。派生ユニット
タンポポ 1998(平成10)年11月18日『ラストキッス』でデビュー。初期メンバーは、石黒・飯田・矢口の三人。石黒脱退後は、残った二人で活動を続けていたが、新たに石川・加護が加入し、『乙女パスタに感動』、『恋をしちゃいました!』を発売。『王子様と雪の夜』では念願のランキング1位を獲得。飯田・矢口・加護が卒業し、紺野・新垣、柴田(メロン記念日)が加わった。他には、『たんぽぽ』などの代表曲がある。
プッチモニ 1999(平成11)年11月25日『ちょこっとLOVE』でデビュー。同曲は、ユニットが歌う曲としては初の、また、唯一のミリオンヒットとなった。初期メンバーは、保田・市井・後藤の三人。市井脱退後は、吉澤が加入し、『青春時代1,2,3!』、『BABY! 恋にKNOCK OUT!』などを発売する。後藤・保田が卒業した後は、小川、アヤカ(ココナッツ娘。)が加入した。
ミニモニ。 2001(平成13)年1月17日『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』でデビュー。初期メンバーは、矢口・辻・加護、ミカ(ココナッツ娘。)の四人。デビュー曲に続き、『ミニモニ。テレフォン!リンリンリン』もヒットし、子供たちの人気者となる。リーダー矢口の卒業後は、途中から参加していた高橋が正式に加入し、ミカがリーダーを引き継いだ。テレビ、漫画、アニメ、映画、ドラマと、その活躍は多岐にわたる。
モーニング娘。さくら組
リーダー安倍(脱退後は矢口)・矢口・吉澤・加護・高橋・紺野・新垣・亀井による8人によるユニット。『晴れ のち 雨 スキ。』でデビュー。
モーニング娘。おとめ組
リーダー飯田・石川・辻・小川・藤本・道重・田中の7人によるユニット。
『愛の園~Touch My Heart!~』でデビュー。
ハロプロ内ユニット
カントリー娘。に石川梨華(モーニング娘。)
カントリー娘。に石川がレンタル移籍されて結成した。『初めてのハッピーバースディ!』でデビュー。
カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)
石川卒業後、紺野と藤本が加入。『先輩~LOVE AGAIN』を発売。
ZYX モーニング娘。の矢口をリーダーとし、ハロプロキッズから選ばれた梅田・矢島・嗣永・清水・村上の6人で構成されている。『行くZYX!FLY HIGH』でデビュー。
ROMANS 矢口・石川(モーニング娘。)、里田(カントリー娘。)斉藤(メロン記念日)、アヤカ(ココナッツ娘。)の5人で結成される。『SEXY NIGHT~忘れられない彼~』でデビュー。
おけいさんと安倍なつみ(モーニング娘。)
元「六文銭」の四角佳子と安倍によるユニット。『母と娘のデュエットソング』でデビュー。
あぁ! 田中(モーニング娘。)、鈴木・夏焼(ハロプロキッズ)の三人によるユニット。『FIRST KISS』でデビュー。
ごまっとう 後藤、松浦、藤本の三人によるユニット。『SHALL WE LOVE?』でデビュー。当時後藤はモーニング娘。卒業直後。藤本は、モーニング娘。加入前。
シャッフルユニット
2000(平成12)年春
黄色5 平家みちよ、保田・安倍(モーニング娘。)、RuRu(T&Cボンバー)、
アヤカ(ココナッツ娘。)の5人によるユニット。『黄色いお空でBOOM BOOM BOOM』を発売。
青色7 飯田・矢口・市井(モーニング娘。)、小湊・稲葉(T&Cボンバー)、
ミカ・レフア (ココナッツ娘。)の7人によるユニット。『青いスポーツカーの男』を発売。
あか組4 中澤・後藤(モーニング娘。)、信田(T&Cボンバー)、ダニエル(ココナッツ娘。)の4人によるユニット。『赤い日記帳』を発売。
2001(平成13)年夏
三人祭 石川・加護(モーニング娘。)、松浦の三人によるユニット。『チュッ!夏パ~ティ』を発売。
7人祭 平家みちよ、矢口・後藤(モーニング娘。)アヤカ・レフア(ココナッツ娘。)、あさみ(カントリー娘。)、柴田(メロン記念日)の7人によるユニット。『サマーれげぇ!レインボー』を発売。
10人祭 飯田・安倍・保田・吉澤・辻(モーニング娘。)、ミカ(ココナッツ娘。)、
りんね(カントリー娘。)、村田・斉藤・大谷(メロン記念日)の10人によるユニット。『ダンシング!夏祭り』を発売。
2002(平成14)年夏
おどる。11 飯田・安倍・保田・辻・紺野(モーニング娘。)、藤本、松浦、村田・
柴田(メロン記念日)、りんね(カントリー娘。)、石井リカの11人によるユニット。『幸せきょうりゅう音頭』を発売。
セクシー8 平家、矢口・後藤・石川・吉澤(モーニング娘。)アヤカ(ココナッツ娘。)、里田(カントリー娘。)、大谷(メロン記念日)の8人によるユニット。『幸せですか?』を発売。
ハッピー。7 加護・高橋・小川・新垣(モーニング娘。)、ミカ(ココナッツ娘。)、
あさみ(カントリー娘。)、斉藤(メロン記念日)の7人によるユニット。『幸せビーム!好き好きビーム!』を発売。
2003(平成15)年夏
7AIR 石川・高橋・新垣(モーニング娘。)、稲葉、ミカ(ココナッツ娘。)、
里田(カントリー娘。)、大谷(メロン記念日)の7人によるユニット。
『壊れない愛がほしいの』を発表。
SALT5 安倍・加護・小川(モーニング娘。)、松浦、前田の5人によるユニット。
『GET UP!ラッパー』を発表。
11WATER 飯田・矢口・吉澤・辻・紺野・藤本(モーニング娘。)、アヤカ(ココナッツ娘。)、あさみ(カントリー娘。)、柴田・村田・斉藤(メロン記念日)の11人によるユニット。『BE ALL RIGHT!』を発表。
なお、今回は三曲を一枚のCDに収録して発売した。
参考文献・参考URL
参考文献(文章中に掲載したものは割愛)
『大衆文化辞典』 石川義弘著 弘文社
『昭和文化』 南博著 一橋大学社会心理研究所
『テレビの社会学』 井上宏
『朝日ジャ-ナル 1985(昭和60)年4月26日号』 朝日新聞社
『朝日ジャーナル 1985(昭和60)年11月22日号』 朝日新聞社
『音楽誌が書かないJポップ批評12』 宝島社
『モーニング娘。のバイブル2』 宝島社
『モー娘。の経済学』 朝野光陽著 オーエス出版
参考URL
モーニング娘。オフィシャルHP http://morningmusume.dream.com/
オリコン http://www.oricon.co.jp/ranking/daily_single.html
以下のものは、個人運営のサイトです。
http://www.netjoy.ne.jp/~y_nishi/myidol00.html
http://www.gocchimoni.com/top/index.htm
http://www5b.biglobe.ne.jp/~seiju/
http://www.asahi-net.or.jp/~qk3m-knk/mo-his-main.htm
http://www.f6.dion.ne.jp/~meihan/profeel/profeel.html
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/entertainment/morning.html?d=22gendainet0715848&cat=30&typ=t