韓国の野望と対馬の現状
[目的]
昨今の日本と韓国の二国間情勢は日本国民として耳を疑いたくなる事が多く、特にこの10年程の日本外交は国土防衛すら放棄した感を受けます。
私のように海外在住者から世界に於ける日本の現状を見ますと、西側陣営の一員としての自覚の欠如、歴代日本政府の優柔不断な弱腰外交、等により西側諸国から見放され始めたように見えます。
この様な現状下で日本政府の竹島、対馬、尖閣諸島など領土問題に対する軟弱姿勢は将来における独立国日本の存続も危うくさせており、ここで何とか世界に向けて毅然とした独立国日本の姿勢を示さなければ日本の将来は無いと考えます。
この為、現在韓国による日本の主権侵害が着々と進められている対馬の現状を把握し、それに伴う各種問題点、現段階で私なりにまとめました解決策を日本政府首脳、各関係省庁、愛国の志士の方々に進言したく思います。
[手順]
平成20年7月15日(火)、16日(水)、17日(木)、18日(金)の4日間、下記内容で対馬調査を行いました。
7月15日:
対馬市商工会本所の方々から対馬に於ける韓国人の現状の聞き取り調査。
対馬の人口減少問題。現在の経済状況。厳原町に於ける韓国人経営の飲食店、ホテル、土産物屋の現状の聞き取り調査と視察。
韓国からの密航船。対馬島民の対韓国感情。韓国人と対馬島民とのトラブルの聞き取り調査と現地調査。
韓国人に買収された美津島町、竹敷、日本海上自衛隊レーダー基地隣に新築された韓国人経営の「リゾート対馬」ホテルの視察。
厳原町内を視察。対馬市交流センター。ビューホテル観月、他。
対馬在住の友人とその知人(自衛隊員)からの現在の対馬に於ける韓国人問題の聞き取り調査。
夜の厳原町の様子、韓国料理店の実態調査。
7月16日:
厳原町の朝の様子を視察。韓国人観光客の観光バス。
対馬商工会本所 において対馬青年部、婦人部の方々からの対馬の現状と問題点の聞き取り調査。
対馬市役所、観光商工課、職員との韓国人問題の聞き取り調査。
対馬ロータリークラブ会員への訪問、韓国人問題の聞き取り調査。
対馬市立大船越小学校、対馬市立大船越中学校校長を訪問、対馬の子供たちの様子、教育現場の実情、対韓国感情、生徒の家庭環境、などの聞き取り調査と学校見学。
厳原町のホテル「金石館」経営者からの韓国人旅行者問題を中心とした聞き取り調査。
対馬ロータリークラブ例会出席。例会で卓話。
7月17日:
厳原町の朝の様子を視察。
豊玉町公会堂を視察。
豊玉町、対馬市立小綱小学校校長を訪問、対馬の子供たちの様子、教育現場の実情、対韓国感情、生徒の家庭環境、などの聞き取り調査と学校見学。併合学級の実態調査。
豊玉町、漁村「銘」の視察と漁業関係者からの聞き取り調査。
志多留港の視察。
田の浜港の視察とその漁村住人からの密航船の聞き取り調査。
対馬商工会議所の女性職員への対馬の現状と韓国人旅行者に関する聞き取り調査。
対馬商工会議所の方との最後の懇談会。
7月18日:
厳原町の朝の様子を再度視察。
対馬を後にし福岡市へ向かう。
[対馬の予備知識]
日本を形成する6番目の面積、約700平方キロメートルを有する島で全長は約915Km。平成20年7月現在で島民35614人。(現在1100人程度毎年減少)
行政区は長崎県。韓国、釜山から対馬まで直線距離で49.5Km。九州まで直線距離132Km。
1274年、1281年、モンゴル帝国(中国)と高句麗(朝鮮)による元寇。
1587年、豊臣秀吉による朝鮮出兵。
1861年に対馬の浅茅湾にロシアの艦船が入り一時湾の一部を占拠された史事がある。
対馬の産業は第一次産業の林業と漁業が主ですが林業は杉の木が価格低迷、漁業は毎年漁獲量の減少で危機的状況。
対馬の山の最高峰は有明山558m、白獄515m。
対馬へ韓国釜山からの観光客は年間65000-70000人(島民の2倍)
[対馬調査結果]
1)対馬に渡来する韓国人の様子
私は現在海外、NewZealand在住ですが東京、大阪、横浜などの大都市で見られる韓国人よりも対馬に渡航する韓国人の態度の良さに驚かされました。
勿論これは一時的な観光渡航という事ですので東京、大阪などでの商業活動を主体とした居住韓国人とは立場は異なりますが、それにしても東京、大阪にいる韓国人を見慣れている私としましては意外な事実でして今回の調査旅行を通じての最も強く印象に残った事の一つでした。
別の言い方をしますと対馬に渡航する韓国人は予め何か言い含められているか、統制されている様にさえ感じました。
対馬で最近韓国人が起こした警察の介入事件は2007年に厳原町の飲食店で起こした女性問題の一件だけと聞いております。
2)対馬に渡航する韓国人の目的
公の韓国人の説明では対馬渡航の目的は主に3つあり、山登り、釣り、観光と言われています。
山登りと申しましても対馬の山は有明山558m、白獄515m程度の標高しかなく、韓国人の言うこの理由は真の理由とは思えません。
実際韓国人の声として「この様な対馬の山はすぐに登れてしまい物足りない」と言っております。
釣りという理由に関しましては3つ程韓国人の目的が考えられます。
1つ目は韓国側では対馬より海が荒れて魚が捕れない為に本当に釣り目的として、2つ目は反韓国感情を最も強く持つ対馬魚民の手なずけ、事実韓国人は漁船をチャーターして対馬漁民に金銭を落とし漁港に韓国人相手の民宿を新規新築させています。
3つ目は前記の続きとなりますが経済的に対馬漁民を黙らせ、時には密航船ほう助をしてもらう事ではないでしょうか。
週末になりますと対馬の各港、特に北の比田勝港では韓国からのチャーター便を含む連絡船が韓国人を満載し対馬を訪れます。
彼らは日帰り、また多くは1-3泊の対馬滞在を行います。
商業、土地の買収、対馬への移民、対馬での人口比の逆転、住民自治権の確立を基に最終的に対馬島民投票による韓国への併合を目指しているのではないでしょうか。
参照記事
3)対馬島民の韓国人に対する感情
対馬島民の対韓国感情は私の思い描いていたものよりも悪い事に驚かされました。
4日間の滞在期間中に男女合わせて20人前後の方から韓国人に対しての意識調査を行いましたところ90%以上の方が「本当は韓国人に対馬には来てほしくない」と何らかの形で表現されました。
年代分布的には高年齢者、若年齢者、女性のほとんどが対馬への韓国人渡航に難色を示しておりますが商業活動従事者を中心とした方は経済的理由を基に韓国人の渡航歓迎の意思を示されました。
島民の多くは1274、1281年の元寇の歴史をよく覚えており今でも子供を叱る時に「良い子にならないと高句麗が来るよ」と言うそうです。
対馬市で韓国との友好親善事業に携わる若者は「本当は対馬に韓国人に来て欲しくないのです」と語ってくれました。
戦前、戦後の時期に韓国から対馬に渡り住む査証なし韓国人がかなりいたそうですがその人たちは対馬島民の目に触れない山中に住み炭焼きなどをして生計を立てていたそうです。
この為に北対馬では戦後の一時期小学校の学生の半分近くが在日朝鮮人、在日韓国人だった事もあるそうです。
現在これらの在日朝鮮人、在日韓国人は日本内地に移り住んでいるそうです。
4)対馬の経済状況
上記しましたが対馬の産業は第一次産業の林業と漁業が主ですが林業は杉の木が価格低迷、漁業は毎年漁獲量の減少で危機的状況が続いております。
この為感情的には受け入れがたい韓国人でつても対馬に落とす彼らの外貨が対馬島民の大きな収入となっていて、主にお土産物屋、ホテル、バス会社、一部の漁民などは積極的に韓国人の対応、誘致を行っています。
しかし最近では韓国人経営の飲食店、ホテルなどが増加しており韓国人観光客が日本人の経営する店、ホテルなどを利用する割合が減少する傾向があります。
実際に厳原町の飲食店などは韓国人経営の韓国料理店に多くの韓国人観光客が訪れ日本人経営の飲食店などから苦情が出始めているそうです。
前対馬市長、松村良幸氏は「対馬は島を切り売りしなければもう食べていけない」と発言したと言われています。
この言葉は的確に現在の対馬を表現しています。今回私がお話を聞かせて頂きました方の中に「刑務所でもいいから対馬に誘致させて欲しい」「原子力発電所の核廃棄物処理施設でもいい」と訴えられた方がおりました。
この様に対馬の経済状況は危機的状況です。
5)対馬の島民減少
上記しましたが平成20年7月現在で島民35614人(現在1100人程度毎年減少)となっておりまして、対馬に対し何らかの国家的、行政的措置が行われない限り今後5-10年程度で対馬は韓国の野望通り韓国に飲み込まれる危険があります。
人口減少の理由は高齢化と若者の島離れが主なものです。
私が話を聞きました対馬の若者の多くは「対馬にいたくても仕事が無い」「友達の多くは対馬に仕事が無いので高校卒業後、大阪、福岡を中心とした内地の各都市に移り住む」と話しておりました。
6)対馬の学校
今回4日間に2つの小学校、市立大船越小学校(島南部)と私立小綱小学校(島北部、全校生徒23人)、1つの中学校、市立大船越中学校(島南部、全校生徒106人)、1つの廃校中学校、上県町伊奈中学校(島北部)を訪れました。
高校は時間の関係から訪れる事は出来ませんでしたが「対馬の小、中学生はとても素直で、年令の割には自分の将来を考えている」という強い印象を受けました。私が訪れました小、中学校をはじめとしまして町ですれ違う学生に、茶髪、マニュキア、化粧、だらしのない服装の生徒は皆無でした。
そして各学校の校長先生はじめ先生方は子供の将来を真剣に思い、案じ、父兄と一丸となり子供の教育、育成に取り組んでおりました。昭和30年代までの日本の普通の学校風景です。
生徒の親の職業は南対馬がサラリーマンを初めとしました第二次、第三次産業従事者が多いのに対し北対馬では大半が農業、漁業、林業の第一次産業従事者です。
対馬では大きな厳原町にあります学校以外は全校生徒が100人はおろか50人以下の学校が多く、併合学級(例えば1年生と2年生が一人の先生が受け持つ)が多く見られます。
対馬の北部では殆どの小、中学校がこの併合学級でして、ある学年は生徒無し、一学年で生徒一人、というのが現実です。
また生徒不足の為近年廃校になった所も少なくありません。
私が訪問しました各学校の校長先生、クラスの先生方は生徒をわが子の様に慈しみ子供の親と一体となり子供の育成に打ち込んでいる姿がみられました。
あるクラスでは先生一人と生徒一人の授業です。 生徒の学校生活一番の楽しみは全校生徒で行う秋の運動会と年に一度の日帰り旅行だそうで此の時は生徒の親も皆仕事を休み参加してくれるそうです。
私がある小学生に「大きくなったら何になりたいの?」と質問しましたら「僕は将来この島で働きたい」と答えていたのが印象的でした。
7)厳原町の韓国料理店
夕方になりますと厳原町の目抜き通りの周りにある飲食店に火が灯ります。
私は滞在中に厳原町の韓国人経営の大成韓定食、アジト対馬店に行きましたが客は自分達以外は全て韓国人でした。
夕方の早い時間から韓国人のグループが奥の座敷で宴会を始めており、私たちは此のそばの座敷に席を用意されましたが余りの騒々しさに途中で席を移しました。
メニューは東京周辺で見る内容とさほど違いはありませんが其の値段の高い事には驚かされました。
また店の韓国人オーナーは韓国人同胞に其の神経を注いでおり韓国人客目当ての韓国料理店であることは明白でした。
此の店は元薬局の場所を借り韓国料理屋を出店、経営しているそうです。
東京周辺の韓国料理店と異なりますのはアワビ料理が豊富なことです
この様な韓国人相手の料理屋が10件程立ち並ぶ厳原町の夜は1-2時頃まで店を開けています。
聞くところによりますと少々前までは厳原町の目抜き通りにも日本人経営の料理屋”一茶”などで「韓国人お断り」の看板を出していた店がありますが現在では其の看板を下ろしています。
8)対馬市厳原町のホテル
私が宿泊しましたのは厳原町でも知名度がある金石館というホテルで町の目抜き通りに面しています。
此のホテルは以前「韓国人お断り」だったそうですが最近韓国人の宿泊も認める様になったそうです。
経営者のお話では韓国人お断りの理由は「他の日本人客が嫌がる、ホテルの備品が無くなる、韓国人はリベートを要求する」だそうです。
私の印象といたしましては韓国人がルールを守る以上対馬への経済効果を考慮し、韓国人排斥をしづらいといつたものも大きな理由の一つと思われます。
厳原町近郊の韓国人経営ホテルは韓国人専門の大亜ホテル(ジェットホイル高速船の運航行社)、対馬山荘、民宿ちんぐ、などがあります。
9)ホテル・リゾート対馬
美津島町、竹敷、日本海上自衛隊レーダー基地隣に新築された韓国人経営のホテル「リゾート対馬」は厳原町から国道197号線を北に車で40分程走り南北対馬の中間地点、浅茅湾内に面し厳原町などの一般の観光客が簡単に寄り付けない場所に位置します。
この事から一搬商業活動目的のホテルとは明らかに異なる事は容易に分かります。
海上自衛隊のレーダー基地右手、水上機格納場所向かいに位置し広大な敷地の中に新築の多数の宿泊施設、大型バス駐車場、船着場などがあり一般道路からは其の中の全容を窺う事は出来ません。
そして施設職員は全て韓国人です。
私は此の施設を訪れある程度内部まで視察する事が出来ましたが、海に面する半島先端まで続く奥部の土地部分までは足を踏み入れる事は出来ませんでした。
私の見解では此処は宿泊施設を兼ねた韓国密航船の入出港基地であり、密航者、日本国内での韓国人犯罪者などの船の出航までの宿泊などを補佐する総合施設と想像できます。
有事の際には海上自衛隊のレーダー施設の破壊には数分を要するだけでしょう。
10)対馬市交流センター
厳原町内、市役所近くの国道24号線に面します対馬市交流センターは主に韓国人渡航者を見込んだお土産物屋などが多く店を並べ韓国歓迎ムード一色でセンター内部には韓国人の為の韓国語支援センターを設け韓国人の案内を常駐させています。
また各店舗の表示は日本語よりも韓国語の方が幅を利かせており韓国国旗の多さも此処の特色です。
早朝には韓国人観光客を待つ数台の観光バスが此の対馬市交流センター前に並び、韓国人観光客の多くは此処で買い物を行います。
11)対馬、白獄 515m
前記しました様に此の白獄は515mとそれ程高い山ではなく韓国人の対馬渡航目的の一つの山登りとは単なる詭弁としか聞こえません。
実際韓国人の声として「此の様な対馬の山はすぐに登れてしまい物足りない」と言っております。
しかしながら多くの韓国人は此の白獄に毎日の様に山登りに来るそうです。
私は今回白獄には登山しませんでしたが地元の方の話ですと此の白獄は地元島民、先祖代々の精神が宿る山として崇められ頂上までの山道脇には30-50もの祠が祭られているそうです。
地元の方は此の山道を登るときに小銭をこれら祠に賽銭するのですが数年前に韓国人と見られる人たちが此の祠に賽銭された金銭をすべて持ち去り代わりに韓国貨幣を此の祠に置きだしたそうです。
対馬島民としましては対馬の自然神を冒涜された気持ちだそうです。
12)田の浜港(密航船)
上対馬、上県にあります田の浜港は西水道(朝鮮海峡)に面し韓国からの直線最短地点です。
此の為2003年頃から韓国の密航船の渡来が後を絶たず現在もそれは続いています。
田の浜漁港裏手は対馬ヤマネコの生息地で田の浜港は高齢者が多い9軒程の小さな漁港です。
密航の手口は韓国側からの漁船と日本側からの漁船が洋上で密航者を乗せかえる瀬渡し(瀬取り)と言われる方法を用いその後港で待つワゴン車などで対馬内部に走り去るそうです。
田の浜港には「ストップ ザ 密航! 」の垂れ幕がかかり漁村には「密航・密漁・密貿 見たら聞いたら110番」(対馬北警察署 対馬北地区沿岸協力会)の看板が立ちますが地元漁村の方の話ですと警察に通報しても警察が来るまでに密航者を乗せた車は走り去ってしまうそうです。
過去には田の浜付近に潜伏した韓国人を山狩りなどして逮捕したこともあるそうですが何せ海岸線が広く防備不可能と言う感じでした。
今回私が地元漁村の方に確認しましたところ密航船は今でも時折渡来するそうです。
参照記事
13)銘 漁港(韓国人釣り客の為の民宿経営)
上対馬、豊玉町、小網、銘(漁港の名前)は西水道(朝鮮海峡)に面し、田の浜と同じく韓国からの直線最短距離地点の10軒足らずの小さな漁村です。
今回此の地を訪れましたきっかけは此の近くの小綱小学校(全校生徒23人)の生徒と話しをした時、生徒が銘にある自分の家を紹介してくれたのです。
此の子の両親はこの銘、漁村に住む漁業従事者で韓国人相手のチャーター船を出し韓国人向けの民宿を2軒新築しており、その子のお母様、お姉様から韓国人釣り客の話を聞くことが出来ました。
お姉様のお話ですと「自分は以前韓国人を嫌いだった。
でも今はルールを守ってくれれば容認したい。
韓国人の落としてくれる金銭は自分たちにとりとてもありがたい収入です」と話していました。
またこの村の近くの方からこの”銘”付近にも密航船が来た事があると聞きました。
14)国道脇街路樹(むくげ)
厳原町から国道197号線を北上しますと所々に2m位の樹木が白い花を付けているのが見られます。
これは韓国の国花の”むくげ”の花でして誰が此の地に植えたのかは不明です。
法律上は日本に持ち込むことが禁止の”むくげ”の樹木が対馬に持ち込まれ植えられている事は聞き及んでおりましたが国道沿いに平然と街路樹として植えられ、そのまま放置されています事に私に同行していただきました方も驚いておりました。
此の”むくげ”の樹木は最近東京近郊の韓国人が多く数居している住区でも見られます。
勿論日本への持込は禁止されているのですが一般の方は此の樹を”むくげ”と同定できないばかりでなく日本への持込が禁止されている韓国の国花とも知らない事でしょう。
持ち込みは韓国人と言う事になります。
15)対馬ロータリークラブ
対馬で唯一つのロータリークラブが厳原町にあり例会が水曜日に行われています。
私の対馬滞在の7月16日が此の例会日にあたりましたので例会に参加させて頂きました。
東京辺りのロータリーでは会員数が50-70名のクラブが多いのですが対馬ロータリークラブは会員総勢が14人と非常に少なくこれも対馬の現状の現れと思いました。
この日私が海外から来ている事もあり卓話をお願いされまして「日本の教育と海外から見た日本」と題しまして30分程ですがこれを受けさせて頂き、海外から見た日本の姿と共に対馬の現状を対比させながら対馬の危機も訴えさせていただきました。
最後の質問のところでは対馬ロータリークラブの方から「対馬には何か魅力がありますか?」と質問されたのに対し私は「対馬には綺麗な水、まだまだ豊富な魚介類、美しい自然、温泉、珍しい蛍、暖かい心を持つ島民、そして汚れの無い子供たちがいます」と答え「内地からの観光客誘致、海外ではなく日本国内のロータリークラブとの姉妹クラブ締結の提案、日本国内の学校との姉妹校提携などに是非力を入れてください」と結ばせて頂きました。
16)対馬の行政区
対馬は明治時代初期の廃藩置県後行政区が佐賀県になった事もありますが現在長崎県となっております。
過去には対馬が福岡県に編入希望を出した事もあるそうですが何故か立消えてしまったそうです。
対馬島民が一番交流の多い内地の都市は福岡県でして航空路、海路も福岡市と密接な関係にあります。
進学、就職などで対馬を出る若者の多くは福岡市を目ざします。
また対馬島民は長崎に向かうのは回り道と考えています。
長崎県よりも福岡県を頼るのは立地状況などからも自然と思います。
今回の私の対馬滞在間にお話させていただきました方々の殆どは対馬の福岡県編入を希望しておりました。私の対馬におります知人の親は福岡市まで歯医者に通っていたそうです。
現在の対馬を代弁します国会議員は民主党の西岡武夫さんですが対馬はそれまでの自民党支持から民主党支持に変更したそうです。
理由は「今迄対馬に対し代議士は何もしてくれなかった」と言うものです。
現在のところ西岡武雄さんは選挙前の約束通りに対馬にも時折島民の話を聞きに来るそうです。
対馬の方々の話を総合いたしますと選挙区が長崎となる為代議士は対馬の約3万の票田よりも大票田の長崎県五島列島を向いてしまう傾向が強いそうです。
過去に対馬出身の国政代議士はいません。
私の知識から申し上げれば、例え代議士に陳情しても飛行機が羽田に着く前に此の陳情は握りつぶされてしまうのではないでしょうか。
それが国議でも県議でも大方の代議士は自分の出世の妨げになるややこしい案件を中央に持って行こうとはしません。
三期勤めれば各商業団体からの献金もおのずと増えますし大臣の可能性も生まれ、その夢適わなくても退職金で悠々自適の生活が保障されます。
私が対馬の方々に「中央政府に対馬の現状を直訴したら如何ですか?」と問いますと「次回の選挙でその地区の代議士が落選する保障が無い限り此れは難しい。
直訴などしたらその代議士は顔を潰されたとして仕返しをしてくる」と話していました。
この様に対馬は政治の世界からも隅に追いやられています。
17)対馬駐留の自衛隊
現在、海上、陸上自衛隊の対馬の駐留は1400人程度と聞いております。
今回私がお会いした方々と「今対馬に何が必要か」と意見を交わしましたところ対馬島民の多くは自衛隊の増員を強く望みその数を5千-1万人程まで引き上げる案が話し合われました。
理由は国境の防衛強化、自衛隊員増強に伴いその家族などの対馬への流入により得られる経済効果を期待する考えからです。
此れは私の対馬滞在中に出されました一番即効性と現実味がある内容でした。
また対馬はその立地におきまして日本海航路の要所、極東のジブラルタルと位置づける事ができ其の歴史がこれを証明しております。
ロシア、朝鮮、韓国、中国はこの立地的重要性を当事国日本よりも深く認識しております。
特に韓国は長期的展望に立ち対馬の韓国編入を虎視眈々と狙っておりこの計画は半ば達成されております。
そしてこの事を日本で一番理解しているのは対馬島民でないかと思いました。
[対馬を取り巻く日本の各都市]
対馬の現状をより理解する為に内地近隣各都市の現状を知る事も大切です。
対馬から海路内地に入るには福岡市、博多と山口県、下関市があります。
私は今回の対馬調査の帰りに偶然にも福岡市と下関市の国際課を訪問する機会を得ました。
福岡市はたまたまNewZealandの都市Aucklandと姉妹都市になっており、以前「ホームステイとホストファミリーのアンケート調査」をした時福岡市役所、国際課にいろいろとお世話になりました。
福岡市は現在姉妹都市が以前の5都市、Oakland(U.S.A-1962年), 広州(China-1979年),Bordeaur(France-1982年), Auckland(NewZealand-1986年),Ipoh(Malaysia-1989年)に加え行政交流都市の釜山(韓国-1989年)が2007年に、パートナーシップ都市のAtranta(U.S.A-1993年)が2005年にそれぞれ姉妹都市に加わりました。
下関市は現在姉妹都市が5都市、Santos(Brazil-1971年),Istanbul(Turkey-1972年),釜山広域市(韓国-1976年),青島市(China-1979年),Pittsburg(U.S.A-1998年)となり湖北省刑州市が友好協力関係都市(China-1995)となっております。
この福岡市と下関市は「東アジア経済交流推進機構」という広域経済圏を目指す行政主導の10都市(韓国-3、中国-4、日本-3)で作られている機構の一員です。
「東アジア経済交流推進機構」意思決定機関には此の10都市の市長、経済人が当たり執行委員には各都市と商工会議所の部課長以上が名前を連ねます。
「東アジア経済交流推進機構」の10都市は次の通りです。
釜山広域市(韓国)、仁川広域市(韓国)、蔚山広域市(韓国)、煙台市(China),大連市(China)、青島市(China)、天津市(China)、北九州(日本)、福岡市(日本)、下関市(日本)、
一例としましてその中の一都市、下関市の姉妹、友好結縁団体を見てみますと上記姉妹都市の他に、
下関市立中央病院=青島市市立病院(China)
川中西小学校=青島市上清路小学校(China)
一の宮小学校=大連市周水子小学校(China)
日新中学校=青島市第17中学校(China)
山の田中学校=鴎亭中学校(韓国)
下関商業高校=青島交通職業中学校(China)=釜山商業高校(韓国)
早鞨学園=平谷中学校(China)
梅光女学院高校=南星女子高校(韓国)=伽梛高校(韓国)
下関市立大学=青島大学(China)=釜山東義大学(韓国)=他4校
梅光学院大学=天主教輔仁大学(China)=寛踐大学(China)=啓明大学(韓国)=大邸産業情報大学(韓国)=国立高尾第一科技大学(China)
下関水産大学=釜慶大学(韓国)
学校法人下関学院=アカデミー外国語学院(韓国)
下関観光コンベ
[目的]
昨今の日本と韓国の二国間情勢は日本国民として耳を疑いたくなる事が多く、特にこの10年程の日本外交は国土防衛すら放棄した感を受けます。
私のように海外在住者から世界に於ける日本の現状を見ますと、西側陣営の一員としての自覚の欠如、歴代日本政府の優柔不断な弱腰外交、等により西側諸国から見放され始めたように見えます。
この様な現状下で日本政府の竹島、対馬、尖閣諸島など領土問題に対する軟弱姿勢は将来における独立国日本の存続も危うくさせており、ここで何とか世界に向けて毅然とした独立国日本の姿勢を示さなければ日本の将来は無いと考えます。
この為、現在韓国による日本の主権侵害が着々と進められている対馬の現状を把握し、それに伴う各種問題点、現段階で私なりにまとめました解決策を日本政府首脳、各関係省庁、愛国の志士の方々に進言したく思います。
[手順]
平成20年7月15日(火)、16日(水)、17日(木)、18日(金)の4日間、下記内容で対馬調査を行いました。
7月15日:
対馬市商工会本所の方々から対馬に於ける韓国人の現状の聞き取り調査。
対馬の人口減少問題。現在の経済状況。厳原町に於ける韓国人経営の飲食店、ホテル、土産物屋の現状の聞き取り調査と視察。
韓国からの密航船。対馬島民の対韓国感情。韓国人と対馬島民とのトラブルの聞き取り調査と現地調査。
韓国人に買収された美津島町、竹敷、日本海上自衛隊レーダー基地隣に新築された韓国人経営の「リゾート対馬」ホテルの視察。
厳原町内を視察。対馬市交流センター。ビューホテル観月、他。
対馬在住の友人とその知人(自衛隊員)からの現在の対馬に於ける韓国人問題の聞き取り調査。
夜の厳原町の様子、韓国料理店の実態調査。
7月16日:
厳原町の朝の様子を視察。韓国人観光客の観光バス。
対馬商工会本所 において対馬青年部、婦人部の方々からの対馬の現状と問題点の聞き取り調査。
対馬市役所、観光商工課、職員との韓国人問題の聞き取り調査。
対馬ロータリークラブ会員への訪問、韓国人問題の聞き取り調査。
対馬市立大船越小学校、対馬市立大船越中学校校長を訪問、対馬の子供たちの様子、教育現場の実情、対韓国感情、生徒の家庭環境、などの聞き取り調査と学校見学。
厳原町のホテル「金石館」経営者からの韓国人旅行者問題を中心とした聞き取り調査。
対馬ロータリークラブ例会出席。例会で卓話。
7月17日:
厳原町の朝の様子を視察。
豊玉町公会堂を視察。
豊玉町、対馬市立小綱小学校校長を訪問、対馬の子供たちの様子、教育現場の実情、対韓国感情、生徒の家庭環境、などの聞き取り調査と学校見学。併合学級の実態調査。
豊玉町、漁村「銘」の視察と漁業関係者からの聞き取り調査。
志多留港の視察。
田の浜港の視察とその漁村住人からの密航船の聞き取り調査。
対馬商工会議所の女性職員への対馬の現状と韓国人旅行者に関する聞き取り調査。
対馬商工会議所の方との最後の懇談会。
7月18日:
厳原町の朝の様子を再度視察。
対馬を後にし福岡市へ向かう。
[対馬の予備知識]
日本を形成する6番目の面積、約700平方キロメートルを有する島で全長は約915Km。平成20年7月現在で島民35614人。(現在1100人程度毎年減少)
行政区は長崎県。韓国、釜山から対馬まで直線距離で49.5Km。九州まで直線距離132Km。
1274年、1281年、モンゴル帝国(中国)と高句麗(朝鮮)による元寇。
1587年、豊臣秀吉による朝鮮出兵。
1861年に対馬の浅茅湾にロシアの艦船が入り一時湾の一部を占拠された史事がある。
対馬の産業は第一次産業の林業と漁業が主ですが林業は杉の木が価格低迷、漁業は毎年漁獲量の減少で危機的状況。
対馬の山の最高峰は有明山558m、白獄515m。
対馬へ韓国釜山からの観光客は年間65000-70000人(島民の2倍)
[対馬調査結果]
1)対馬に渡来する韓国人の様子
私は現在海外、NewZealand在住ですが東京、大阪、横浜などの大都市で見られる韓国人よりも対馬に渡航する韓国人の態度の良さに驚かされました。
勿論これは一時的な観光渡航という事ですので東京、大阪などでの商業活動を主体とした居住韓国人とは立場は異なりますが、それにしても東京、大阪にいる韓国人を見慣れている私としましては意外な事実でして今回の調査旅行を通じての最も強く印象に残った事の一つでした。
別の言い方をしますと対馬に渡航する韓国人は予め何か言い含められているか、統制されている様にさえ感じました。
対馬で最近韓国人が起こした警察の介入事件は2007年に厳原町の飲食店で起こした女性問題の一件だけと聞いております。
2)対馬に渡航する韓国人の目的
公の韓国人の説明では対馬渡航の目的は主に3つあり、山登り、釣り、観光と言われています。
山登りと申しましても対馬の山は有明山558m、白獄515m程度の標高しかなく、韓国人の言うこの理由は真の理由とは思えません。
実際韓国人の声として「この様な対馬の山はすぐに登れてしまい物足りない」と言っております。
釣りという理由に関しましては3つ程韓国人の目的が考えられます。
1つ目は韓国側では対馬より海が荒れて魚が捕れない為に本当に釣り目的として、2つ目は反韓国感情を最も強く持つ対馬魚民の手なずけ、事実韓国人は漁船をチャーターして対馬漁民に金銭を落とし漁港に韓国人相手の民宿を新規新築させています。
3つ目は前記の続きとなりますが経済的に対馬漁民を黙らせ、時には密航船ほう助をしてもらう事ではないでしょうか。
週末になりますと対馬の各港、特に北の比田勝港では韓国からのチャーター便を含む連絡船が韓国人を満載し対馬を訪れます。
彼らは日帰り、また多くは1-3泊の対馬滞在を行います。
商業、土地の買収、対馬への移民、対馬での人口比の逆転、住民自治権の確立を基に最終的に対馬島民投票による韓国への併合を目指しているのではないでしょうか。
参照記事
3)対馬島民の韓国人に対する感情
対馬島民の対韓国感情は私の思い描いていたものよりも悪い事に驚かされました。
4日間の滞在期間中に男女合わせて20人前後の方から韓国人に対しての意識調査を行いましたところ90%以上の方が「本当は韓国人に対馬には来てほしくない」と何らかの形で表現されました。
年代分布的には高年齢者、若年齢者、女性のほとんどが対馬への韓国人渡航に難色を示しておりますが商業活動従事者を中心とした方は経済的理由を基に韓国人の渡航歓迎の意思を示されました。
島民の多くは1274、1281年の元寇の歴史をよく覚えており今でも子供を叱る時に「良い子にならないと高句麗が来るよ」と言うそうです。
対馬市で韓国との友好親善事業に携わる若者は「本当は対馬に韓国人に来て欲しくないのです」と語ってくれました。
戦前、戦後の時期に韓国から対馬に渡り住む査証なし韓国人がかなりいたそうですがその人たちは対馬島民の目に触れない山中に住み炭焼きなどをして生計を立てていたそうです。
この為に北対馬では戦後の一時期小学校の学生の半分近くが在日朝鮮人、在日韓国人だった事もあるそうです。
現在これらの在日朝鮮人、在日韓国人は日本内地に移り住んでいるそうです。
4)対馬の経済状況
上記しましたが対馬の産業は第一次産業の林業と漁業が主ですが林業は杉の木が価格低迷、漁業は毎年漁獲量の減少で危機的状況が続いております。
この為感情的には受け入れがたい韓国人でつても対馬に落とす彼らの外貨が対馬島民の大きな収入となっていて、主にお土産物屋、ホテル、バス会社、一部の漁民などは積極的に韓国人の対応、誘致を行っています。
しかし最近では韓国人経営の飲食店、ホテルなどが増加しており韓国人観光客が日本人の経営する店、ホテルなどを利用する割合が減少する傾向があります。
実際に厳原町の飲食店などは韓国人経営の韓国料理店に多くの韓国人観光客が訪れ日本人経営の飲食店などから苦情が出始めているそうです。
前対馬市長、松村良幸氏は「対馬は島を切り売りしなければもう食べていけない」と発言したと言われています。
この言葉は的確に現在の対馬を表現しています。今回私がお話を聞かせて頂きました方の中に「刑務所でもいいから対馬に誘致させて欲しい」「原子力発電所の核廃棄物処理施設でもいい」と訴えられた方がおりました。
この様に対馬の経済状況は危機的状況です。
5)対馬の島民減少
上記しましたが平成20年7月現在で島民35614人(現在1100人程度毎年減少)となっておりまして、対馬に対し何らかの国家的、行政的措置が行われない限り今後5-10年程度で対馬は韓国の野望通り韓国に飲み込まれる危険があります。
人口減少の理由は高齢化と若者の島離れが主なものです。
私が話を聞きました対馬の若者の多くは「対馬にいたくても仕事が無い」「友達の多くは対馬に仕事が無いので高校卒業後、大阪、福岡を中心とした内地の各都市に移り住む」と話しておりました。
6)対馬の学校
今回4日間に2つの小学校、市立大船越小学校(島南部)と私立小綱小学校(島北部、全校生徒23人)、1つの中学校、市立大船越中学校(島南部、全校生徒106人)、1つの廃校中学校、上県町伊奈中学校(島北部)を訪れました。
高校は時間の関係から訪れる事は出来ませんでしたが「対馬の小、中学生はとても素直で、年令の割には自分の将来を考えている」という強い印象を受けました。私が訪れました小、中学校をはじめとしまして町ですれ違う学生に、茶髪、マニュキア、化粧、だらしのない服装の生徒は皆無でした。
そして各学校の校長先生はじめ先生方は子供の将来を真剣に思い、案じ、父兄と一丸となり子供の教育、育成に取り組んでおりました。昭和30年代までの日本の普通の学校風景です。
生徒の親の職業は南対馬がサラリーマンを初めとしました第二次、第三次産業従事者が多いのに対し北対馬では大半が農業、漁業、林業の第一次産業従事者です。
対馬では大きな厳原町にあります学校以外は全校生徒が100人はおろか50人以下の学校が多く、併合学級(例えば1年生と2年生が一人の先生が受け持つ)が多く見られます。
対馬の北部では殆どの小、中学校がこの併合学級でして、ある学年は生徒無し、一学年で生徒一人、というのが現実です。
また生徒不足の為近年廃校になった所も少なくありません。
私が訪問しました各学校の校長先生、クラスの先生方は生徒をわが子の様に慈しみ子供の親と一体となり子供の育成に打ち込んでいる姿がみられました。
あるクラスでは先生一人と生徒一人の授業です。 生徒の学校生活一番の楽しみは全校生徒で行う秋の運動会と年に一度の日帰り旅行だそうで此の時は生徒の親も皆仕事を休み参加してくれるそうです。
私がある小学生に「大きくなったら何になりたいの?」と質問しましたら「僕は将来この島で働きたい」と答えていたのが印象的でした。
7)厳原町の韓国料理店
夕方になりますと厳原町の目抜き通りの周りにある飲食店に火が灯ります。
私は滞在中に厳原町の韓国人経営の大成韓定食、アジト対馬店に行きましたが客は自分達以外は全て韓国人でした。
夕方の早い時間から韓国人のグループが奥の座敷で宴会を始めており、私たちは此のそばの座敷に席を用意されましたが余りの騒々しさに途中で席を移しました。
メニューは東京周辺で見る内容とさほど違いはありませんが其の値段の高い事には驚かされました。
また店の韓国人オーナーは韓国人同胞に其の神経を注いでおり韓国人客目当ての韓国料理店であることは明白でした。
此の店は元薬局の場所を借り韓国料理屋を出店、経営しているそうです。
東京周辺の韓国料理店と異なりますのはアワビ料理が豊富なことです
この様な韓国人相手の料理屋が10件程立ち並ぶ厳原町の夜は1-2時頃まで店を開けています。
聞くところによりますと少々前までは厳原町の目抜き通りにも日本人経営の料理屋”一茶”などで「韓国人お断り」の看板を出していた店がありますが現在では其の看板を下ろしています。
8)対馬市厳原町のホテル
私が宿泊しましたのは厳原町でも知名度がある金石館というホテルで町の目抜き通りに面しています。
此のホテルは以前「韓国人お断り」だったそうですが最近韓国人の宿泊も認める様になったそうです。
経営者のお話では韓国人お断りの理由は「他の日本人客が嫌がる、ホテルの備品が無くなる、韓国人はリベートを要求する」だそうです。
私の印象といたしましては韓国人がルールを守る以上対馬への経済効果を考慮し、韓国人排斥をしづらいといつたものも大きな理由の一つと思われます。
厳原町近郊の韓国人経営ホテルは韓国人専門の大亜ホテル(ジェットホイル高速船の運航行社)、対馬山荘、民宿ちんぐ、などがあります。
9)ホテル・リゾート対馬
美津島町、竹敷、日本海上自衛隊レーダー基地隣に新築された韓国人経営のホテル「リゾート対馬」は厳原町から国道197号線を北に車で40分程走り南北対馬の中間地点、浅茅湾内に面し厳原町などの一般の観光客が簡単に寄り付けない場所に位置します。
この事から一搬商業活動目的のホテルとは明らかに異なる事は容易に分かります。
海上自衛隊のレーダー基地右手、水上機格納場所向かいに位置し広大な敷地の中に新築の多数の宿泊施設、大型バス駐車場、船着場などがあり一般道路からは其の中の全容を窺う事は出来ません。
そして施設職員は全て韓国人です。
私は此の施設を訪れある程度内部まで視察する事が出来ましたが、海に面する半島先端まで続く奥部の土地部分までは足を踏み入れる事は出来ませんでした。
私の見解では此処は宿泊施設を兼ねた韓国密航船の入出港基地であり、密航者、日本国内での韓国人犯罪者などの船の出航までの宿泊などを補佐する総合施設と想像できます。
有事の際には海上自衛隊のレーダー施設の破壊には数分を要するだけでしょう。
10)対馬市交流センター
厳原町内、市役所近くの国道24号線に面します対馬市交流センターは主に韓国人渡航者を見込んだお土産物屋などが多く店を並べ韓国歓迎ムード一色でセンター内部には韓国人の為の韓国語支援センターを設け韓国人の案内を常駐させています。
また各店舗の表示は日本語よりも韓国語の方が幅を利かせており韓国国旗の多さも此処の特色です。
早朝には韓国人観光客を待つ数台の観光バスが此の対馬市交流センター前に並び、韓国人観光客の多くは此処で買い物を行います。
11)対馬、白獄 515m
前記しました様に此の白獄は515mとそれ程高い山ではなく韓国人の対馬渡航目的の一つの山登りとは単なる詭弁としか聞こえません。
実際韓国人の声として「此の様な対馬の山はすぐに登れてしまい物足りない」と言っております。
しかしながら多くの韓国人は此の白獄に毎日の様に山登りに来るそうです。
私は今回白獄には登山しませんでしたが地元の方の話ですと此の白獄は地元島民、先祖代々の精神が宿る山として崇められ頂上までの山道脇には30-50もの祠が祭られているそうです。
地元の方は此の山道を登るときに小銭をこれら祠に賽銭するのですが数年前に韓国人と見られる人たちが此の祠に賽銭された金銭をすべて持ち去り代わりに韓国貨幣を此の祠に置きだしたそうです。
対馬島民としましては対馬の自然神を冒涜された気持ちだそうです。
12)田の浜港(密航船)
上対馬、上県にあります田の浜港は西水道(朝鮮海峡)に面し韓国からの直線最短地点です。
此の為2003年頃から韓国の密航船の渡来が後を絶たず現在もそれは続いています。
田の浜漁港裏手は対馬ヤマネコの生息地で田の浜港は高齢者が多い9軒程の小さな漁港です。
密航の手口は韓国側からの漁船と日本側からの漁船が洋上で密航者を乗せかえる瀬渡し(瀬取り)と言われる方法を用いその後港で待つワゴン車などで対馬内部に走り去るそうです。
田の浜港には「ストップ ザ 密航! 」の垂れ幕がかかり漁村には「密航・密漁・密貿 見たら聞いたら110番」(対馬北警察署 対馬北地区沿岸協力会)の看板が立ちますが地元漁村の方の話ですと警察に通報しても警察が来るまでに密航者を乗せた車は走り去ってしまうそうです。
過去には田の浜付近に潜伏した韓国人を山狩りなどして逮捕したこともあるそうですが何せ海岸線が広く防備不可能と言う感じでした。
今回私が地元漁村の方に確認しましたところ密航船は今でも時折渡来するそうです。
参照記事
13)銘 漁港(韓国人釣り客の為の民宿経営)
上対馬、豊玉町、小網、銘(漁港の名前)は西水道(朝鮮海峡)に面し、田の浜と同じく韓国からの直線最短距離地点の10軒足らずの小さな漁村です。
今回此の地を訪れましたきっかけは此の近くの小綱小学校(全校生徒23人)の生徒と話しをした時、生徒が銘にある自分の家を紹介してくれたのです。
此の子の両親はこの銘、漁村に住む漁業従事者で韓国人相手のチャーター船を出し韓国人向けの民宿を2軒新築しており、その子のお母様、お姉様から韓国人釣り客の話を聞くことが出来ました。
お姉様のお話ですと「自分は以前韓国人を嫌いだった。
でも今はルールを守ってくれれば容認したい。
韓国人の落としてくれる金銭は自分たちにとりとてもありがたい収入です」と話していました。
またこの村の近くの方からこの”銘”付近にも密航船が来た事があると聞きました。
14)国道脇街路樹(むくげ)
厳原町から国道197号線を北上しますと所々に2m位の樹木が白い花を付けているのが見られます。
これは韓国の国花の”むくげ”の花でして誰が此の地に植えたのかは不明です。
法律上は日本に持ち込むことが禁止の”むくげ”の樹木が対馬に持ち込まれ植えられている事は聞き及んでおりましたが国道沿いに平然と街路樹として植えられ、そのまま放置されています事に私に同行していただきました方も驚いておりました。
此の”むくげ”の樹木は最近東京近郊の韓国人が多く数居している住区でも見られます。
勿論日本への持込は禁止されているのですが一般の方は此の樹を”むくげ”と同定できないばかりでなく日本への持込が禁止されている韓国の国花とも知らない事でしょう。
持ち込みは韓国人と言う事になります。
15)対馬ロータリークラブ
対馬で唯一つのロータリークラブが厳原町にあり例会が水曜日に行われています。
私の対馬滞在の7月16日が此の例会日にあたりましたので例会に参加させて頂きました。
東京辺りのロータリーでは会員数が50-70名のクラブが多いのですが対馬ロータリークラブは会員総勢が14人と非常に少なくこれも対馬の現状の現れと思いました。
この日私が海外から来ている事もあり卓話をお願いされまして「日本の教育と海外から見た日本」と題しまして30分程ですがこれを受けさせて頂き、海外から見た日本の姿と共に対馬の現状を対比させながら対馬の危機も訴えさせていただきました。
最後の質問のところでは対馬ロータリークラブの方から「対馬には何か魅力がありますか?」と質問されたのに対し私は「対馬には綺麗な水、まだまだ豊富な魚介類、美しい自然、温泉、珍しい蛍、暖かい心を持つ島民、そして汚れの無い子供たちがいます」と答え「内地からの観光客誘致、海外ではなく日本国内のロータリークラブとの姉妹クラブ締結の提案、日本国内の学校との姉妹校提携などに是非力を入れてください」と結ばせて頂きました。
16)対馬の行政区
対馬は明治時代初期の廃藩置県後行政区が佐賀県になった事もありますが現在長崎県となっております。
過去には対馬が福岡県に編入希望を出した事もあるそうですが何故か立消えてしまったそうです。
対馬島民が一番交流の多い内地の都市は福岡県でして航空路、海路も福岡市と密接な関係にあります。
進学、就職などで対馬を出る若者の多くは福岡市を目ざします。
また対馬島民は長崎に向かうのは回り道と考えています。
長崎県よりも福岡県を頼るのは立地状況などからも自然と思います。
今回の私の対馬滞在間にお話させていただきました方々の殆どは対馬の福岡県編入を希望しておりました。私の対馬におります知人の親は福岡市まで歯医者に通っていたそうです。
現在の対馬を代弁します国会議員は民主党の西岡武夫さんですが対馬はそれまでの自民党支持から民主党支持に変更したそうです。
理由は「今迄対馬に対し代議士は何もしてくれなかった」と言うものです。
現在のところ西岡武雄さんは選挙前の約束通りに対馬にも時折島民の話を聞きに来るそうです。
対馬の方々の話を総合いたしますと選挙区が長崎となる為代議士は対馬の約3万の票田よりも大票田の長崎県五島列島を向いてしまう傾向が強いそうです。
過去に対馬出身の国政代議士はいません。
私の知識から申し上げれば、例え代議士に陳情しても飛行機が羽田に着く前に此の陳情は握りつぶされてしまうのではないでしょうか。
それが国議でも県議でも大方の代議士は自分の出世の妨げになるややこしい案件を中央に持って行こうとはしません。
三期勤めれば各商業団体からの献金もおのずと増えますし大臣の可能性も生まれ、その夢適わなくても退職金で悠々自適の生活が保障されます。
私が対馬の方々に「中央政府に対馬の現状を直訴したら如何ですか?」と問いますと「次回の選挙でその地区の代議士が落選する保障が無い限り此れは難しい。
直訴などしたらその代議士は顔を潰されたとして仕返しをしてくる」と話していました。
この様に対馬は政治の世界からも隅に追いやられています。
17)対馬駐留の自衛隊
現在、海上、陸上自衛隊の対馬の駐留は1400人程度と聞いております。
今回私がお会いした方々と「今対馬に何が必要か」と意見を交わしましたところ対馬島民の多くは自衛隊の増員を強く望みその数を5千-1万人程まで引き上げる案が話し合われました。
理由は国境の防衛強化、自衛隊員増強に伴いその家族などの対馬への流入により得られる経済効果を期待する考えからです。
此れは私の対馬滞在中に出されました一番即効性と現実味がある内容でした。
また対馬はその立地におきまして日本海航路の要所、極東のジブラルタルと位置づける事ができ其の歴史がこれを証明しております。
ロシア、朝鮮、韓国、中国はこの立地的重要性を当事国日本よりも深く認識しております。
特に韓国は長期的展望に立ち対馬の韓国編入を虎視眈々と狙っておりこの計画は半ば達成されております。
そしてこの事を日本で一番理解しているのは対馬島民でないかと思いました。
[対馬を取り巻く日本の各都市]
対馬の現状をより理解する為に内地近隣各都市の現状を知る事も大切です。
対馬から海路内地に入るには福岡市、博多と山口県、下関市があります。
私は今回の対馬調査の帰りに偶然にも福岡市と下関市の国際課を訪問する機会を得ました。
福岡市はたまたまNewZealandの都市Aucklandと姉妹都市になっており、以前「ホームステイとホストファミリーのアンケート調査」をした時福岡市役所、国際課にいろいろとお世話になりました。
福岡市は現在姉妹都市が以前の5都市、Oakland(U.S.A-1962年), 広州(China-1979年),Bordeaur(France-1982年), Auckland(NewZealand-1986年),Ipoh(Malaysia-1989年)に加え行政交流都市の釜山(韓国-1989年)が2007年に、パートナーシップ都市のAtranta(U.S.A-1993年)が2005年にそれぞれ姉妹都市に加わりました。
下関市は現在姉妹都市が5都市、Santos(Brazil-1971年),Istanbul(Turkey-1972年),釜山広域市(韓国-1976年),青島市(China-1979年),Pittsburg(U.S.A-1998年)となり湖北省刑州市が友好協力関係都市(China-1995)となっております。
この福岡市と下関市は「東アジア経済交流推進機構」という広域経済圏を目指す行政主導の10都市(韓国-3、中国-4、日本-3)で作られている機構の一員です。
「東アジア経済交流推進機構」意思決定機関には此の10都市の市長、経済人が当たり執行委員には各都市と商工会議所の部課長以上が名前を連ねます。
「東アジア経済交流推進機構」の10都市は次の通りです。
釜山広域市(韓国)、仁川広域市(韓国)、蔚山広域市(韓国)、煙台市(China),大連市(China)、青島市(China)、天津市(China)、北九州(日本)、福岡市(日本)、下関市(日本)、
一例としましてその中の一都市、下関市の姉妹、友好結縁団体を見てみますと上記姉妹都市の他に、
下関市立中央病院=青島市市立病院(China)
川中西小学校=青島市上清路小学校(China)
一の宮小学校=大連市周水子小学校(China)
日新中学校=青島市第17中学校(China)
山の田中学校=鴎亭中学校(韓国)
下関商業高校=青島交通職業中学校(China)=釜山商業高校(韓国)
早鞨学園=平谷中学校(China)
梅光女学院高校=南星女子高校(韓国)=伽梛高校(韓国)
下関市立大学=青島大学(China)=釜山東義大学(韓国)=他4校
梅光学院大学=天主教輔仁大学(China)=寛踐大学(China)=啓明大学(韓国)=大邸産業情報大学(韓国)=国立高尾第一科技大学(China)
下関水産大学=釜慶大学(韓国)
学校法人下関学院=アカデミー外国語学院(韓国)
下関観光コンベ