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【疑惑の濁流】核開発、偽札づくり…浮かび上がる特定失踪者と国家事業とのつながり (3/4ページ)
マシニングセンターは、超微細な精度で金属を加工する工作機械で、ミサイルや艦船のプロペラなど兵器関係の製造には必要不可欠。矢倉さんは、このマシニングセンターのプログラミングから、部品の製作・加工・組み立て、メンテナンスまでをこなす優秀な技術者だった。
同社が手がけていた精密機械には、旧ココム(対共産圏輸出調整委員会)の輸出規制に該当する製品もあったといい、付随する技術ノウハウも高度だったとみられる。
高性能な精密機械について、「日本で3本の指に入る」といわれた技術・知識を持っていた矢倉さんの存在は、核・ミサイル開発を推し進めてきた北朝鮮にとって、「のどから手が出るほどほしい人材」だったことは想像に難くない。
だが、調査会がこの失跡に注目するのは、それだけが理由ではない。
矢倉さんは昭和55年前後、その高い能力を買われ、欧米やアジア、中近東などにたびたび出張。当時共産圏だったチェコスロバキア、ポーランドのほか、オーストリアにも技術指導などに訪れていた。
当時、北朝鮮は友好関係にあった東欧諸国に、西欧へ向けての活動拠点を置いていた。東欧と接するオーストリアのウィーンは、日航機「よど号」乗っ取り犯グループらが反核活動の拠点としていたことで知られる。ウィーンを経由して北朝鮮に連れ去られた日本人拉致被害者もいる。
出張中の矢倉さんにも「対象者」としての目が向けられていたのか…。杉野常務理事は、この推論の可能性を次のように補強するのだ。
「日本国内の協力者にあらかじめ目を付けられ、日本人があまり行かない出張先で行動確認などをされていた可能性もある。東欧と取引ある会社自体が注目されていたことも考えられる」。
■北の発想は「人材が足らないから持ってくる」
原子力や核、ミサイル開発関係の失踪者は、矢倉さんをはじめ、1970年代から80年代にかけて集中している。