2008年12月13日
もはや怒りしか覚えない瀬戸弘幸の言動
ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏が「ブログマガジン エアフォース」で「右翼を煽動した矢野穂積の虚偽説明(第1回)」と題したエントリーを掲載している。是非ご覧いただきたい。
ここで大きな怒りを覚えたのが次の一節であった。
「11月16日以後に相次ぐ嫌がらせ」
「11月16日、矢野が煽動した翌週にはさっそく、『杉本』と名乗る者から洋品店の隣の不動産屋に『洋品店に電話したが出なかった』といって非通知の電話がかかってきた。通常、洋品店に用のある者が隣の不動産屋に電話をかける理由は考えられない。この電話にかぎっていえば、矢野の煽動を真に受けた者というよりも、平成7年当時矢野が洋品店に脅しの電話をかけた際、店主に助けを求められた不動産屋の社長が矢野に向かって『泥棒の仲間か』と怒鳴りつけたことを知っていた人物のうちの誰かであるとみるのが自然である。」
「翌週の25日夕方には『インターネットを見た』という者から洋品店に電話がかかった。発信元は公衆電話だった。その日はパート店員が留守番をしていたが、電話の相手は名前を聞いても名乗らず、『あんたが奥さんだろ』『パートは何人いる』『名前を教えろ』『何時に閉店だ』などと聞いてきたという。」
ブティック店主が矢野穂積東村山市議会議員、朝木直子市議会議員に対して名誉毀損を原因とした損害賠償請求を行い、勝訴した結果、心の平安を取り戻したにもかかわらずあえて行われたものである。それらは敗訴によっておとなしくしていた矢野市議、朝木直子市議が瀬戸弘幸氏の登場によって力を得たことと因果関係がないとは言えないであろう。にもかからず瀬戸氏は「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」の「公明党の後ろにはカルト集団」において、
「東村山元市議の朝木明代さんが、創価学会を同じように社会悪として糾弾していた最中に、万引き冤罪事件をデッチ上げられ、そしてビルの上から突き落とされて亡くなりました。」
と妄言を述べている。それを述べるならまず論拠を示すべきであり、それは私に限らず数々の論者に指摘されてきたことである。9月1日の暴徒襲撃からもすでに2ヶ月以上が経過しているが一向に論拠が示されることはなく、そればかりか「第3回政治と宗教を考えるシンポジウム」において矢野市議に
「これから先は具体的にはお話しはいたしませんが、一番弱い、そして一番効果的なところをお考えになって、事件の真相が解明するようなですね、たとえば東村山事件であればですね、そういう行動をお取りになっていただくと非常に効果的かなあというふうに思います。」
という扇動行為を行わせ、結果として矢野市議や朝木直子市議による嫌がらせを受けてきたブティック店主は、再び恐怖のどん底に落とされることとなった。
もはや瀬戸氏にまともな神経や人間の心などがあるとも思えないが、瀬戸氏がどのような対応をすべきであったかについては、「新・ゴーマニズム宣言」で示されている小林よしのり氏の宅八郎氏に対する対応が参考になろう。小林氏は、
「わしが『SPA!』をやめるにあたり最初に考えたのが『雑誌に圧力をかけた』と絶対どこかに書かれるかもしれないから、これだけは注意せねばという思いだった」
と考え、
「それから宅にも何万回わしの悪口書かせてもいいです。どーせ芸になってなきゃ読者に嫌われるだけです」
と扶桑社の社長をはじめとした「SPA!」関係者に述べたのである。ここにはっきりと答えが出ている。小林氏が連載打ち切りを要望した場合だけでなく、連載の存続についてはっきりと意思をしめさなかったとしても宅氏の連載は打ち切られていたのであるから、小林氏は連載を続けさせて欲しいという意思を雑誌側に示したのである。
同様に、瀬戸氏はブティックが万引きをでっち上げたと言う以上、ブティックに頭の弱い信者や瀬戸氏に力を得た矢野市議や朝木直子市議関連の信者が嫌がらせに行くのは当然である。瀬戸氏の立場としては、嫌がらせに行けと指示するのはもちろん、嫌がらせを行う者に対して何の意思表示もしないという選択肢も有り得ない。瀬戸氏が「ブティックに嫌がらせに行くのはやめろ」と言って初めてまともに話をする地ならしができるのである。しかるに、ブティック襲撃について何の反省の意も示さない、自らが企画したシンポジウムにおける矢野市議の「ブティック嫌がらせ扇動」に対し何のコメントも行わない、これでは瀬戸氏もまたこれらの嫌がらせの「共犯」であると言われても仕方ないであろう。瀬戸氏がまず行わなければならないのはブティックに対する嫌がらせを体を張って止めることである。最後に一言直言する。
逃げ回ってんじゃねえぞ瀬戸弘幸
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ここで大きな怒りを覚えたのが次の一節であった。
「11月16日以後に相次ぐ嫌がらせ」
「11月16日、矢野が煽動した翌週にはさっそく、『杉本』と名乗る者から洋品店の隣の不動産屋に『洋品店に電話したが出なかった』といって非通知の電話がかかってきた。通常、洋品店に用のある者が隣の不動産屋に電話をかける理由は考えられない。この電話にかぎっていえば、矢野の煽動を真に受けた者というよりも、平成7年当時矢野が洋品店に脅しの電話をかけた際、店主に助けを求められた不動産屋の社長が矢野に向かって『泥棒の仲間か』と怒鳴りつけたことを知っていた人物のうちの誰かであるとみるのが自然である。」
「翌週の25日夕方には『インターネットを見た』という者から洋品店に電話がかかった。発信元は公衆電話だった。その日はパート店員が留守番をしていたが、電話の相手は名前を聞いても名乗らず、『あんたが奥さんだろ』『パートは何人いる』『名前を教えろ』『何時に閉店だ』などと聞いてきたという。」
ブティック店主が矢野穂積東村山市議会議員、朝木直子市議会議員に対して名誉毀損を原因とした損害賠償請求を行い、勝訴した結果、心の平安を取り戻したにもかかわらずあえて行われたものである。それらは敗訴によっておとなしくしていた矢野市議、朝木直子市議が瀬戸弘幸氏の登場によって力を得たことと因果関係がないとは言えないであろう。にもかからず瀬戸氏は「せと弘幸Blog『日本よ何処へ』」の「公明党の後ろにはカルト集団」において、
「東村山元市議の朝木明代さんが、創価学会を同じように社会悪として糾弾していた最中に、万引き冤罪事件をデッチ上げられ、そしてビルの上から突き落とされて亡くなりました。」
と妄言を述べている。それを述べるならまず論拠を示すべきであり、それは私に限らず数々の論者に指摘されてきたことである。9月1日の暴徒襲撃からもすでに2ヶ月以上が経過しているが一向に論拠が示されることはなく、そればかりか「第3回政治と宗教を考えるシンポジウム」において矢野市議に
「これから先は具体的にはお話しはいたしませんが、一番弱い、そして一番効果的なところをお考えになって、事件の真相が解明するようなですね、たとえば東村山事件であればですね、そういう行動をお取りになっていただくと非常に効果的かなあというふうに思います。」
という扇動行為を行わせ、結果として矢野市議や朝木直子市議による嫌がらせを受けてきたブティック店主は、再び恐怖のどん底に落とされることとなった。
もはや瀬戸氏にまともな神経や人間の心などがあるとも思えないが、瀬戸氏がどのような対応をすべきであったかについては、「新・ゴーマニズム宣言」で示されている小林よしのり氏の宅八郎氏に対する対応が参考になろう。小林氏は、
「わしが『SPA!』をやめるにあたり最初に考えたのが『雑誌に圧力をかけた』と絶対どこかに書かれるかもしれないから、これだけは注意せねばという思いだった」
と考え、
「それから宅にも何万回わしの悪口書かせてもいいです。どーせ芸になってなきゃ読者に嫌われるだけです」
と扶桑社の社長をはじめとした「SPA!」関係者に述べたのである。ここにはっきりと答えが出ている。小林氏が連載打ち切りを要望した場合だけでなく、連載の存続についてはっきりと意思をしめさなかったとしても宅氏の連載は打ち切られていたのであるから、小林氏は連載を続けさせて欲しいという意思を雑誌側に示したのである。
同様に、瀬戸氏はブティックが万引きをでっち上げたと言う以上、ブティックに頭の弱い信者や瀬戸氏に力を得た矢野市議や朝木直子市議関連の信者が嫌がらせに行くのは当然である。瀬戸氏の立場としては、嫌がらせに行けと指示するのはもちろん、嫌がらせを行う者に対して何の意思表示もしないという選択肢も有り得ない。瀬戸氏が「ブティックに嫌がらせに行くのはやめろ」と言って初めてまともに話をする地ならしができるのである。しかるに、ブティック襲撃について何の反省の意も示さない、自らが企画したシンポジウムにおける矢野市議の「ブティック嫌がらせ扇動」に対し何のコメントも行わない、これでは瀬戸氏もまたこれらの嫌がらせの「共犯」であると言われても仕方ないであろう。瀬戸氏がまず行わなければならないのはブティックに対する嫌がらせを体を張って止めることである。最後に一言直言する。
逃げ回ってんじゃねえぞ瀬戸弘幸
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