2005年12月11日
日本の核武装阻止−「もんじゅ」を廃炉へ
12月10日、福井県敦賀市において高速増殖炉「もんじゅ」を廃炉へ!全国集会が開かれた。ナトリウム漏れ火災事故から10年、日帝の「もんじゅ」改造工事→再稼動の狙いを粉砕するために、労働者・市民・学生800名が集会に結集した。
現在、日帝は「もんじゅ」の改造工事から再稼動に向けて動き出している。米・英・仏・独などが高速増殖炉計画から撤退する中で、日帝はあくまでも高速増殖炉計画と核燃料サイクル計画を進めようとしている。日帝の狙いは独自の核武装に他ならない。
「もんじゅ」をめぐっては、2003年1月に名古屋高裁金沢支部で原告(住民)勝利の判決を下し、「もんじゅ」の設置許可を却下した。しかし、最高裁では国側勝利の反動判決が下され、再審請求がなされている。
日帝にとって、核武装は帝国主義的軍事力の決定的飛躍である。現在、米軍再編の中で、米帝の世界戦争戦略に密着しながら、独自のアジア勢力圏かを狙っている日帝にとって、戦後のタブーであったのは憲法9条と核武装であった。日帝はあくまでもプルトニウムを保有しようとしている。
ブルジョアマスコミを動員して、「原発はリサイクルエネルギーだ」などと騒ぎ立てているが、まったく許しがたいことだ。原発によって生み出されるプルトニウムは、半減するのに2万4000年かかるといわれている。大量のプルトニウム=原爆材料を保有している日帝こそ、核武装を狙う「危険な国家」なのだ。北朝鮮の核武装の問題の比ではない(当然、北朝鮮の核武装路線も反人民的であり許すことは出来ないが、日帝がどうこう言う資格はない)。
H2ロケットの開発はミサイル開発の問題であり、原発政策は核武装の問題だ。そして「原発テロ」をわざわざ設定して人民の行動の自由を奪い、自衛隊や警察が地域を支配する治安体制を構築し問うとしていることは、労働者階級にとって絶対に認めることは出来ない。
日帝の核武装を阻止しよう。戦争・改憲と民営化に突き進む小泉反動政権を、労働者の団結で打倒しよう。ヒロシマ・ナガサキを二度と繰り返さないように、反核・反原発闘争を労働者階級の闘争課題として闘おう。
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この記事へのコメント
また、朝鮮共和国の防衛的核開発が、どうして「反人民的であり許すことは出来ない」のですか。
真の革命は、プロレタリア世界革命しかありません。しかも、核兵器など用いない方法で。労働者階級の暴力によって帝国主義を打倒するのです。ヒロシマ、ナガサキの被爆者、在日朝鮮・中国人民の被爆をみても、核兵器の反革命性は明らかです。
労働者階級が国境を越えた単一の階級であることを考えたとき、核兵器の反革命性は明らかではありませんか。
>核兵器はいかなる理由があっても反労働者的存在でしかありません。
との断言の理由は、
>真の革命は、プロレタリア世界革命しかありません。しかも、核兵器など用いない方法で。労働者階級の暴力によって帝国主義を打倒するのです。
ですが、まったく意味不明です。
プロレタリア世界革命は一瞬で完了するものではない以上、少なくとも一定期間はブルジョア国家とプロレタリア国家の併存は不可避です。とするなら、プロレタリア国家の防衛のための軍事力は必要ではないですか。
あなたがたは、いつから非武装中立論者に転向したのですか。
>ヒロシマ、ナガサキの被爆者、在日朝鮮・中国人民の被爆をみても、核兵器の反革命性は明らかです。
は、まったく筋が通りません。
広島および長崎に投下された原爆と、「核兵器一般」の間には大きな隔たりがあります。
例えれば、「殺人に利用される包丁」と「包丁一般」の間に隔たりがあるのと同様です。
包丁が殺人に利用されるから、包丁一般は反革命だという結論は導き出せないはずです。
と言っていますが、「スターリン主義であり、一国社会主義の反革命」とはどういう意味なのか、きちんと説明すべきです。
あなたがたは「反革命」とかいった言葉を乱用するため、その意味が正確に理解できないのです。
たとえば、あなた方は日本共産党やJR総連を「反革命」と呼びながら、大衆運動の場で共同行動していますが、この場合の「反革命」とはどういう意味なのでしょうか?
合理的に解釈するなら、「大衆運動内部での反革命的存在」という意味であって、「ファシストや公安警察のような意味での反革命ではない」という意味でしょうか?
米日帝と同じような意味での「反革命」ではまさかありますまい。ではどういう「反革命」なのでしょうか?
なるほど、朝鮮の現体制の主張するイデオロギーは、民族主義や儒教的伝統の色が濃いものであって、プロレタリア国際主義や共産主義とは縁遠いものです。
しかし、朝鮮の現体制は、なお反帝国主義を主張し、打倒された旧支配階級の復活を許していません。スターリン主義というものは、単純な「反革命」ではなく、このような矛盾した存在なのです。
包丁は包丁ですよ。殺人に使われることがあっても、核兵器と包丁を比較するのはまったくの間違いです。核兵器にはどんな理由があっても正義はない。放射能で人体や自然環境を蝕むのが、核兵器です。「核の平和利用」などはありえないし、「革命の防衛のため」などというのは理由になりません。そもそも、朝鮮民主主義人民共和国は革命など目指していないからです。
当然その場合、日帝下にあるわれわれ日本の労働者階級人民も南北朝鮮人民の民族解放の闘いに連帯し、帝国主義打倒の闘いに立ち上がらなければなりません。そういう意味で、自国の核武装にも反対しなければならないのではないでしょうか。
相変わらず意味不明です。朝鮮が「本質的には帝国主義に屈服している」のに、どうして米日帝の朝鮮侵略戦争の危機を叫ぶのですか?
たとえば労働組合の改良主義指導部も、労働組合の暴力的破壊を目指すファシストやヤクザも、ともに「反プロレタリア性」を持っていますが、その「反プロレタリア性」の内容は大きく違います。
労働組合の改良主義指導部は、労働組合という組織に依拠しているため、労働組合そのものを破壊しようとするような弾圧には抵抗せざるを得ない一面を持っています。だから、労働組合そのものを破壊しようとする勢力とは対決せざるを得ません。
かつて、トロツキーがドイツのファシズムについて説明したことを読んで下さい。社会民主党とファシズムは、ともに「反プロレタリア的」です。しかし、社会民主党は労働者階級の組織に立脚しているのに対し、ファシズムはそれを破壊しようとしているのだから、社会民主党はファシズムと対立せざるを得ない。したがってスターリン主義の社会ファシズム論は誤っており、ファシズムと戦うための統一戦線が必要であることを説明しています。
「社会民主党とファシズムは、ともにブルジョアジーの手先である。よって、社会民主党とファシズムの間に違いはない。」といっているのとどう違うのでしょうか。
では、朝鮮の現体制の物質的基盤は何であり、「労働者階級を抑圧」とはどのような抑圧なのですか。それこそが問題です。
資本主義社会では、価値法則に基づいて労働者階級が搾取されています。しかし朝鮮共和国では、資本主義的搾取は基本的には行われていません。では、朝鮮共和国での「労働者階級を抑圧」とはどのように規定されるのですか、まさそれと資本主義諸国との関係は何なのですか。
労働者階級は政治的に権力がなく抑圧されている。労働者の自己解放性を圧殺しているのです。その物質的根拠は、スターリニスト官僚による支配です。一国社会主義における労働者への支配です。
帝国主義の朝鮮侵略戦争は、黒田寛一は一貫して否定しています。カクマル派の主張には朝鮮侵略戦争はありません。
ところで、あなたは金体制の擁護者なのでしょうか?あえて言えば、労働者が抑圧されていることは、説明しなくても分かると思いますが。多くの人々は。
核心はあくまでも労働者階級の自己解放性への依拠であり、党が労働者を支配するということではありません。ましては、党の指導者を崇拝させることでもありません。これが北朝鮮が、反プロレタリア的であるというゆえんです。
>その物質的根拠は、スターリニスト官僚による支配です。一国社会主義における労働者への支配です。
とどうやら、朝鮮共和国が資本主義でないことは理解されているようです。
では、「スターリニスト官僚による支配」とはどんなものなのかを規定することが必要になります。この点を回避して、無内容なスコラ的議論のみを行ってきたのが黒田寛一の弟子たち(中核派も含む)です。
では、その「反プロレタリア性」とは、資本主義社会とはどのような点で異なっているのですか、それを展開してください。それがなければ話になりません。
「北朝鮮」というのは、「東ドイツ」と同じく、帝国主義者の反共用語ではないですか。どうしてそんな反動的用語を堂々と使うのか、それが理解できません。
まったくおかしい話です。あなたは朝鮮共和国が「資本主義ではない」ことを認めている。だから米日帝はそれを転覆する必要がある。
朝鮮共和国の現体制は、「資本主義ではない」ものであり、究極的には帝国主義と相容れないものなのですから、どうして「帝国主義に屈服している」などということができるのでしょうか。
朝鮮労働党はプロレタリア世界革命の立場に立っていない。それは事実ですが、一面の事実でしかない。一方で、朝鮮の現体制は資本主義と根本的に相容れないものであり、ロシヤ革命の歪曲された拡大の上に立脚し続けているのです。
ちょうど、社会民主主義が労働者階級に立脚しているように、朝鮮の現体制も、ロシヤ革命の遺産に立脚しているため、資本主義と究極的には和解できないのです。
黒田寛一の先駆者であったMax Shachtmanは、朝鮮戦争において中立的態度をとり、後には露骨な親帝国主義に転落しました。
中核派も同様に、ウクライナ民族主義などの反動的潮流を賛美したり、ソ同盟のアフガーニスターン援助に反対してきました。
このような党派が、「プロレタリア世界革命」などとは痛い。
米独帝が、ユーゴスラヴィヤの大統領選挙に因縁を付け、マスコミと野党を操って合法的政権を転覆させたクーデタのことですが。
しかし、労働者階級の決起を「帝国主義の反革命クーデター」という論理は明らかな誤謬であり、スターリニストやファシストのそれと変わらないではないですか!
北朝鮮スターリン主義の反労働者性については否定するのに、ユーゴ労働者人民の決起を反革命クーデターといいなすのは、あなたをスターリニストといわざるを得ません。中核派の主張に対する反論だからではなく、あなたの感性に怒りを覚えます。
>しかし、労働者階級の決起を「帝国主義の反革命クーデター」という論理は明らかな誤謬であり、スターリニストやファシストのそれと変わらないではないですか!
「労働者階級の決起」というのなら、1921年の南アフリカ白人ゼネストや、1974年の「北アイルランド」のUlster Workers Councilによるゼネストも支持するのですか。明確にお答えください。
労働者階級が、あるがままの存在から、自らの歴史的任務に自覚的となって(即自的から対自的となって)はじめて革命的存在なのです。でなければ、なぜ革命的思想を宣伝することが必要なのでしょうか。
あるがままの労働者階級とは、しばしば支配階級よりも反動的な存在ですらあります。その実例が、関東大震災で朝鮮人を虐殺した「決起」であり、1921年の白人労働者階級の「決起」であり、1974年のUnionist労働者階級の「決起」であります。
なぜ「北朝鮮」という不愉快な用語を使うかの質問にはなぜ答えないのですか?
それに私がいつ朝鮮スターリン主義の反動姓を否定しましたか?社会民主主義とファシズムの関係に例えて、わかりやすく説明したつもりですが。
「ミロシェヴィッチ独裁体制」とは何ですか。どこら辺が「独裁体制」であったのでしょうか。
ミロシェヴィッチ大統領は民主的選挙で選出されたし、野党系のラヂオや雑誌も無数に存在し、おそらく世界のどこよりも民主的な国でしたが、どこら辺が独裁体制ですか。
やれやれ。「かもしれない」ではなく、CIA=NEDが巨額の資金を投入して野党陣営を動かしていたことは明白ですが何か?
あなた方は、CIA=NEDの資金による運動に何らかの進歩的性格があり得るとでも考えているのですか。では、「欠け恥」と一緒にRENKに加入することをお勧めします。
あとクーデターと革命の違いを、少しは考えなさい。
やれやれ。ものは言いようですね。
関東大震災で日本人労働者が朝鮮人を虐殺しているときに、「これは民衆の決起だ。日本人労働者はやがて排外主義を乗り越える。」といいながら虐殺行為に参加するのが革命派の任務なのですか。
これは驚いた!「プロレタリア世界革命」などと大言壮語しながら、そんなことすら知らないのか!
まずNEDについて
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/c19.html
NEDとは、レーガン政権が設立した反米政権転覆機関で、CIAのダミー財団です。
反米政権転覆のために全世界で大々的に活動しています。
おそらく中核派は、2000年頃まではこのことを知らなかったようですが、最近は知っているようです。
2004年のウクライナ大統領選挙は、2000年のユーゴスラヴィヤ大統領選挙と同様、CIAによる大々的な工作が行われ、「民衆の決起」が演出されました。
ところが中核派は、2000年の時はCIAによる「民衆の決起」を支持したにもかかわらず、2004年には支持しませんでした。このことから、中核派は2000年に比べて2004年には国際情勢に関する知識が少し増えたことがわかります。
中核派は、2000年の態度は全くの無知からくるものであったことを率直に表明し、謝罪すべきです。
ではなぜ、中核派はウクライナについて同じように「労働者階級の決起」を支持しないのか?ウクライナ労働者階級の決起を、CIA=NEDとともに断固支持してはどうか?
> ユシチェンコ、ティモシェンコら野党勢力指導者は、現政権の官僚支配と強権・腐敗・不正・汚職に対する労働者人民の怒り、その民主化の要求を自らの政権奪取のために利用しているにすぎない。
> 彼らが政権を握れば、彼らが進める米欧資本の導入と市場開放によって労働者階級は徹底的に搾取される。大量に流入する米欧の農産物は農業を破壊する。それは東欧諸国の15年にわたる資本主義化の現実を見れば明らかである。
ではなぜ、2000年にも同じことを言わなかったのだろうか?
2000年にユーゴスラヴィヤで起こったことは、まさしく「彼らが進める米欧資本の導入と市場開放によって労働者階級は徹底的に搾取され」る状況を造り出すためのクーデタではないか。
> 米の選挙介入
> アメリカ帝国主義は、ウクライナに親米政権を樹立するために、政府と共和、民主両党の機関、民間組織が総がかりで学生運動や選挙監視の大衆運動のために資金提供、技術指導を行っている。独立広場を制圧する大衆運動は、ウクライナ人民の独立した自主的な運動とは言いにくい。
不正選挙の追及で政権を転覆し、親米政権を作るやり方は、00年ユーゴスラビア、03年グルジアで成功した(ベラルーシ、ベネズエラでは失敗)。
00年のユーゴスラビア大統領選で有力な位置を占めた学生運動「オトポル(抵抗)」は、ユーゴスラビアの米大使館幹部リチャード・マイルズらがハンガリー国内で育成・訓練した組織だった。
(藤沢明彦署名記事)
しかし、中核派は2000年にCIAのクーデタを支持したことをきっぱり謝罪するべきだ。
そして、朝鮮民主主義人民共和国の労働者階級人民を革命の主体のすえようとせず、金正日スターリン主義体制を無条件に支持するスターリニストとは、論議の余地はありません。あなたには、これ以上、説明のしようがありません。それは、あなたがスターリニストだからでしょう。
少しニュアンスが違うかもしれませんが、あなたの主張はソ連を「腐敗しても労働者国家だ」と規定した、トロツキーの日和見主義と紙一重です。
朝鮮半島の革命的統一は、南北朝鮮の労働者階級人民によってしかなされないこと、これが理解できないのは、スターリニストか、ファシストでしかない。
>ユーゴの件はクーデターではない!労働者階級の決起である。
問題は「労働者階級の決起か否か」ではありません。仮に労働者階級の決起だとして、「進歩的な決起か否か」こそが問題なのですよ。だから私は、反動的な決起の例として、1921年南アフリカや、1974年「北アイルランド」を挙げたのです。
1921年の南アフリカのゼネストは、アフリカ人(黒人)労働者への差別を要求する白人労働者によって行われたものです。ブルジョアジーは、白人労働者階級の要求に応えてアパルトヘイト体制を創始したのです。
1974年の「北アイルランド」のゼネストは、Unionist(親英派)労働者階級が、極右政治家のIan Paisleyに率いられて、英帝の撤退とアイルランド統一を阻止するために行ったものです。
このように、「労働者階級の決起」は常に進歩的なものではありません。
であるから、「労働者階級の決起である」というのは、何も説明したことになりません。労働者階級の決起だとして、進歩的な決起なのか反動的な決起なのかを分析しなければならないのです。
これが根本問題です。さあ、この根本問題に向き合いなさい。
誰が「万能」といいました?私は、時には労働者階級は反動的に決起する(させられる)こともあると確かに考えます。しかしそれが不可避で宿命的であるなどとは少しも思いません。
私がいつ「金正日スターリン主義体制を無条件に支持」したのでしょう?
社会民主主義とファシズムの例は、あなたにはわかりませんか?
トロツキーはファシズムにたいして社会民主主義とも統一戦線を組むことを主張しましたが、トロツキーは社会民主主義を無条件に支持したのでしょうか?
そして、「労働者階級が支配階級よりも反動的であることもある」という論は、労働者階級の自己解放性への徹底的敵対であり反革命的論理である。労働者階級が反動的に見える行動に出たとしても、それもひっくるめて支配階級の問題であると捉えるのが真の階級性であるということ。
そして、チュチェ(主体)思想のあなたとはこれ以上論議の仕様がないことを最後に言い加えておきます。
組織の方針に反することを書けないということはあるでしょうが、それにしてももう少し自分の言葉で語らなければ説得力がありません。
なぜ「スターリニスト反革命」なのか、あなたは少しも説明できないではありませんか。
米日帝の核武力により包囲・脅迫されている朝鮮共和国が、自衛のために核兵器を持つことがどうして「反革命」なのか、わかりやすく説明していただけませんか?
意味がわかりません。わかるように書いてください。
労働者階級が資本主義を転覆する階級であるということは、資本主義社会における労働者階級の客観的位置から導かれることです。
しかし、このことは労働者階級が自動的に「自己解放」を目指す存在であるという意味ではありません。
資本主義以前の階級社会では、政治と経済が一致しており、階級支配の本質を見抜くのに哲学は必要ありません。
しかし資本主義社会はこれらの階級社会と根本的に違います。
資本主義社会の特徴は、政治と経済が分離し、政治は「自由・平等」の仮象の下で行われているということです。
資本主義社会では、封建制や奴隷制とは違って、搾取は市場を通じて目に見えない形で行われます。そのため、労働者階級が自己の客観的位置を認識するためには、「資本主義社会の自由・平等な一市民」から「革命的階級」へと意識的な飛躍を遂げなくてはなりません。
あなたの言う「労働者階級の自己解放性」なるものは、内容が何もないただの信仰告白ではありませんか。
意味がわかりません。「それもひっくるめて支配階級の問題」というのを、わかりやすく書いていただけませんか?
これまでの議論の中で、私はチュチェ思想に明確に批判的であることは明らかであると思いますが、それすら理解できなかったのですか?
二人とも労働者と被抑圧された民族の解放をめざすなら、もっと建設的に論争してはどうでしょうか。
私は朝鮮共和国の核武装には反対です。
包丁のみならず、一般に武器は使われ方でその階級性が変わるとは思います。しかし、いわば最終兵器の核兵器は、使用された広大な地域のの民衆をすべて殺します。また、被爆を考えれば、永遠に殺すともいえます。プロレタリア暴力革命の武器にはなりえないのではないかと思います。もちろん、核大国に脅迫された小さな革命権力がいかにして存続できるかという難問は残ると思いますが、答えは核保有であってはならないと考えます。
>朝鮮労働党はプロレタリア世界革命の立場に立っていない。それは事実ですが、一面の事実でしかない。一方で、朝鮮の現体制は資本主義と根本的に相容れないものであり、ロシヤ革命の歪曲された拡大の上に立脚し続けているのです。
ちょうど、社会民主主義が労働者階級に立脚しているように、朝鮮の現体制も、ロシヤ革命の遺産に立脚しているため、資本主義と究極的には和解できないのです
・・と言っています。それでいいのではないですか?
その「世界革命の立場にたっていない」ことを瀬奈さんは、「帝国主義に屈服している」と表現しているのではないですか? 瀬奈さんも朝鮮北部の体制が究極的には帝国主義と和解できないものだから(屈服的であったとしても)、侵略戦争の危機があると考えているのではないでしょうか?
『前進』が確かに一貫してない時はありますね。私は博学ではありませんが、例えばユーゴなら、ボスニアのアルバニア解放軍(アルカイダ系)は反動的だとしていましたが、9・11から、急にアルカイダを肯定するようになってしまいました。
もちろん米帝などブルジョアジーの支援と影響があったと思います。しかし、大衆自身のスターリン主義に対する自己解放的怒りの爆発という面もあったのではないでしょうか。それが真の労働者権力樹立にならなかったゆえに、資本主義的に、残念にも集約されているというように思えます。
革共同は、これとは違った立場をとってきたと思います。そこらへんを論争するともちょっと格調高くやれたのでは。
ちなみにシャハトマンは、アメリカのトロツキストで、「無条件擁護」に反対、本人はブル転したようです。しかし、シャハトマン派総体は、今もアメリカの左派労働運動を担っているらしい。もしかしたら、11月集会にもそういう流れの部分がきてたかもしれませんね。余り正確でない知識ですが。
ですから私は、「中核派は黒田寛一の弟子である」と挑発的に指摘したのですけど。
>もしかしたら、11月集会にもそういう流れの部分がきてたかもしれませんね。
見た限りでは来てないと思います。サンフランシスコ港湾労組の方はトロツキストです。
もちろんあったでしょう。しかし、「自己解放的怒りの爆発」というのは必ずしも進歩的ではない、という点が大切です。
部落解放反対一揆だって、関東大震災時の朝鮮人虐殺だって、ある意味「自己解放的怒りの爆発」でしょう。しかし反動的であったわけです。私が例に出した1921年や1974年もそうですし、ポーランドの「連帯」も労働者階級の反動的決起といえるでしょう。
労働者階級は、革命的意識によって武装されてはじめて革命的なのです。
朝鮮共和国の体制が帝国主義と究極的に和解できないということを認めるのなら、黒田寛一の「反帝反スタ」という反動的理論を捨てて、労働者国家防衛の立場に立つべきです。
もちろん核兵器は革命の武器ではありません。核爆発によって敵階級のみを殲滅するのは不可能です。
しかし、敵の核攻撃を防止するために、防衛的核兵器を所持することは世界革命の立場と相反するものではないと考えます。
だからこそ、反帝国主義・反スターリン主義という革命戦略が労働者階級にとって必要なのです。スターリン主義の乗り越えの問題が、帝国主義打倒と一体でなければならない。
そして、核兵器は反労働者的であるのみならず、地球環境などあらゆる意味において許されるものではない。核兵器には核兵器をという論理は、労働者階級による国家権力打倒という問題からの召還以外の何物でもない。しかも、支配階級の論理である。
>労働者階級が国家権力を握っているわけではない。
ことはわかりましたが、ではいかなる階級が権力を握っているのか規定してくださいよ。それこそが「反帝・反スタ」なる空論の破産を暴露するわけですが。
>スターリン主義の乗り越えの問題が、帝国主義打倒と一体でなければならない。
「乗り越え」とはどういう意味ですか?「帝国主義の乗り越え」とはいいませんよね。「スターリン主義の乗り越え」とは何を意味するのですか?
これも、「反帝・反スタ」の反動性を暴露する質問ですが。
>核兵器には核兵器をという論理は、労働者階級による国家権力打倒という問題からの召還以外の何物でもない。しかも、支配階級の論理である。
意味不明です。なぜ「労働者階級による国家権力打倒」と「武力自衛」が対立するのですか?あなたがたは非武装論者なのですか?
>部落解放反対一揆だって、関東大震災時の朝鮮人虐殺だって、ある意味「自己解放的怒りの爆発」でしょう
関東大震災の朝鮮人虐殺や部落解放反対一揆は、「自己解放的」とはいえないと思います。
朝鮮北半部の体制は、歴史的には反米反植民地的な民衆の意識があって成立しえたものだと思いますが、現在は階級的、人民的なものはほとんど見つけるのが困難に思えます。
フセイン体制がそうであるように、アメリカが眼の敵にしているからといって、労働者的なわけではないですよね。
このことは再確認しておきたいと思います。