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2008年12月28日

◎金沢城玉泉院丸整備 中心街からの「玄関口」に

 金沢城公園で新たに玉泉院丸跡の整備が動き出す。香林坊や広坂、片町などに通じる大 事な場所であり、整備に際しては広坂側の出入り口にとどまらず、中心市街地からの「玄関口」という明確な視点がいる。金沢の街と城の在り方を大きく変えるという点では、城内で進められている城郭建築物の復元以上に重要な意味を持つことを認識したい。

 金沢城の正門は、歴史的には尾張町側の大手門である。城下町の構造は大手門の位置で 決定づけられ、金沢でもかつては尾張町、橋場町が経済の中心だった。今は片町、香林坊へにぎわいの軸足が移ったが、中心市街地と城を結ぶメーンルートはなく、観光客の流れで言えば兼六園側の石川門が実質的な城の表門となっている。

 大手門の反対側に位置する玉泉院丸跡は通用口のような「いもり坂」があるだけで、城 の裏側のような印象である。中心市街地に接するこの一帯を新たな玄関口にすれば都心の回遊性は格段に高まる。市街地と一体化させることで、城は金沢の中心として、より明確に位置づけられることになろう。

 玉泉院丸跡は二代藩主前田利長の正室、玉泉院が暮らした場所であり、三代利常が二の 丸に御殿を建造した際、一段下のこの地に庭園を造成した。本来、城を防御する石垣を庭の借景にした巧みな構造で、加賀藩の庭園史の中でも異彩を放つ。玉泉院丸跡にあった県体育館が解体され、市街地に向かって屏風のように立つ多彩な石垣群が姿を現してきた。「石垣の博物館」と称される金沢城の中でも意匠に優れた見応えある空間である。庭園の復元は城の価値を高め、玄関口にふさわしいシンボルとなろう。

 玉泉院丸跡は来年度から埋蔵文化財調査が始まり、県は調査検討委員会を設置して整備 手法を探る。玉泉院丸の入り口だった鼠多門(ねずみたもん)の復元も視野に入れる。

 一帯の整備は将来構想の策定作業が始まった広坂緑地の在り方とも密接にかかわり、こ れらは一体的に考える必要がある。城の玄関口を際立たせるとともに、中心市街地から金沢城へ至る現代の「大手道」を創出するくらいの大胆な発想があっていい。

◎外国人台帳制度 地域での共存に欠かせぬ

 総務省の有識者懇談会が創設を提言した「外国人台帳制度」は、地域社会が外国人と共 存していくうえで必要な制度である。個人単位の現行外国人登録制度に代えて、日本人の住民基本台帳と同様、世帯単位で記録する制度に改めれば、在住外国人の家庭、生活状況がより正確に把握でき、行政サービスを向上させることもできる。外国人の管理強化につながりかねないといった懸念や批判は当を得ないだろう。

 有識者懇談会の提言を受けて総務省が制度化をめざす背景には、在住外国人の増加に伴 って社会的な問題が増え、さらに登録と実態がかけ離れてきた現実がある。

 日本国内に住む外国人は、日系人の就労が認められるなど在留資格が緩和されたことも あって、現在約二百十五万人に増加している。約百万人だった一九九〇年の二倍以上である。国内産業が外国人労働者を必要としてきたためでもあるが、その一方で健康保険や失業保険の不加入、日本の学校になじめず就学しない子どもの増加などが社会問題化してきた。

 外国人の入国・在留管理は法務省、登録は地方自治体が行う二元管理で、在住外国人の 多い自治体からは、登録と実態の食い違いも指摘される。例えば群馬県のある町では、外国人登録をしている約六百人の子どもの実情を調べようとしたところ、うち百六十人ほどは町にいなかったという。登録の形がい化の裏で、外国人の犯罪や不法滞在も増えている。

 在住外国人のこうした問題をなくし、暮らしの向上を図るには、福祉や教育サービスを 提供する行政が、制度改正によって、外国人の生活状況を正確に把握できるようにすることが欠かせない。

 有識者懇談会が提出した報告書では、外国人登録原票に代わって導入する外国人住民票 には氏名、住所などのほか国籍、在留資格、在留期間も記載し、転出・転入の届け出を義務付けることなどが提言されている。こうしたことは監視を強化するためではなく、在住外国人の権利を保障し、地域社会で生活しやすくするために必要な措置である。


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