「帝国の心臓部」で戦った朝鮮のアナーキストたち
【新刊】キム・ミョンソプ著『韓国のアナーキストの独立運動』(イハクサ)
関東大震災発生から2日後の1923年9月3日、無政府主義者の朝鮮人・朴烈(パク・ヨル)と彼の愛人の金子文子(20)が世田谷警察署に連行された。日本政府は、朝鮮人虐殺事件の責任から逃れるために、二人の秘密結社事件を大々的に発表した。朴烈らは爆弾を手に入れ、その年の秋に行われる予定だった裕仁皇太子(後の昭和天皇)の結婚式で投げ入れる計画を立てていた。
しかし捜査の過程で朴烈と金子文子は、日本の「天皇制」が日本の民衆や朝鮮民族、アジア民族すべてに及ぼす大変な弊害を暴露した。爆弾の入手経路も堂々と明らかにした。「われわれは、天皇や皇太子をはじめ政治的・経済的実権を握るすべての階級を爆弾投てきの対象としただけだ」「機会が得られなければ、メーデーや議会の開会式のときに爆弾を投げ入れるつもりだった」
日本と朝鮮を大いに揺さぶったこの事件は、著者によると、日本国内で起こったアナーキスト(無政府主義者)の独立運動の一事例に過ぎないという。本書は、江南大で教鞭を執っている著者、キム・ミョンソプ氏(韓国近代史専攻)の博士学位請求論文を修正・補完したもので、日帝強占期に韓半島(朝鮮半島)や満州・中国ではなく、「帝国の心臓部」で激しい闘争を繰り広げた韓国のアナーキストの活動に注目した。
本書は、日本に渡った韓国人留学生や労働者がアナーキズムを受け入れる過程から書き起こしている。当時の日本を席巻していた「大正デモクラシー」や反戦運動に影響を受けた留学生の羅景錫(ナ・ギョンソク)や鄭泰信(チョン・テシン)が、横田宗次郎、長谷川市松などの日本人アナーキストと直に接触した。1921年には元鍾麟(ウォン・ジョンリン)、金若水(キム・ヤクス)、朴烈らが黒濤会という思想団体を結成したが、これはアナーキストとコミュニストの連合団体だった。最初の韓国人アナーキスト団体は1922年の黒友会だと見なすべきだ、というのが著者の分析だ。
その後、「朴烈事件」で韓国人アナーキストらの抗日運動は一時委縮するが、1926年から本格的に再開された。とりわけ、3000人以上の組合員を確保していた「朝鮮東興労働同盟」は、1937年まで在日韓国人の無政府主義運動を主導した。そのほか東京の苦学生の寄宿舎だった鶏林荘や朝鮮新聞配達員組合、黒旗労働者連盟などで活動したアナーキストらも、機関紙の発行や労働運動などを先導し独自の抗日闘争を展開した。
アナーキストらは、よく知られているような「民衆直接行動論」「義烈闘争」だけでなく、「個人主義的アナーキズム(自我主義)」「自由連合主義」「アナルコ・サンディカリズム(無政府主義的労働組合運動)」といった多様な新社会建設理論を有していた。一部、上海臨時政府の統一路線に参加したこともあった。光復(日本の植民地支配からの解放)後、アナーキストらは独自の政治勢力を結成することに失敗したが、自律と自治、自由共同体を夢見た彼らの思想には、21世紀初めの状況で再評価される理由が十分にある、というわけだ。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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