日本最初の鉄道といえば誰もが一八七二(明治五)年の新橋―横浜間開通を思い浮かべるだろう。しかし、蒸気機関車はそれ以前、すでに日本国内を走っていた。
ペリー提督やロシア使節プチャーチンが幕末の日本に持ち込んでいた。ただし、模型だが。ペリーの航海記の邦訳・ペルリ提督日本遠征記に記されたその当時の様子を「乗り物はじまり物語」(ブリヂストン広報室編)が紹介している。
模型とはいえ人がまたがって乗れる大きさで、着物をなびかせた幕府の役人が「歯をむきだし笑ってはいるが、実は恐ろしさで震えていた」と書かれている。日本人の無知に対する軽べつがうかがえるという。
時は流れ、東京と大阪を結ぶリニア中央新幹線の建設費などを追加調査するよう、国土交通相がJR東海に指示した。建設に向けて一歩前進したといえるだろう。
どのルートを選ぶか。建設費の調達は本当に可能なのか。立ちはだかる課題の山は、建設時にトンネルをうがつ実際の山より高いかもしれない。必要性自体をいぶかる向きもあろう。
それでも、実現に挑める日本のリニア技術は誇らしい。ペリーの時代から百五十年余。日本人は努力してきた。もっとも遠征記によればペリーは日本を未来の競争相手とみていたというから、こちらもさすがだ。