2004/8/28  17:27

企業名は文化・・・  No.8/12  プロジェクトX

今井彰チーフプロデューサーの講演から・・・

それは、ずっと恐れていたことだった・・・
商品名と企業名は、受信料で成り立っている公共の電波、NHK50年の中ではタブーだった。しかし・・・ この番組は、企業名や商品名なしでは成立しない。

昭和20年8月15日から、日本を今に導いてきたのは民間企業の力。
世に売り出された商品を「単なるもの」としていいのか?!
文化として語れないのか?!

昭和21年、中小企業だった東京通信工業(後のソニー)。社員は20名。
東京が焼け野原だったというが、それはどれくらいのものだったか・・・
230万戸が焼失し、660万人が町に投げ出された。
昭和20年代に東京通信工業の社員はラジオを持ってアメリカ、ヨーロッパに渡った。
当時、外貨持ち出しが厳しく制限されていた。出張した営業マンも限られた旅費で泊まれるところを探した。有名な通りのショウウィンドウに新しく開発したラジオを置いてもらえたときにはサクラも使って、「ああ、これが日本のラジオかぁ」と言わせた。
そのころ、「メイド・イン・ジャパン」は粗悪品の代名詞。アメリカの喜劇役者のボブ・ホープが米国の保安官の役を演じて、「銃の弾が出ない?! これは日本製の銃かっ!!」と言う。 これがアメリカでウケけていた。
そこからソニーの企業の物語が始まる。

本田は昭和21年には13人の町工場でした。
ホンダのCVCCという低公害車。
マツダのロータリーエンジンは広島の原爆からの復興から生まれた。ワット以来出来なかったものを広島が作った。富士重工のスバル360は新たな市場を切り開いた。当時、家ほどもした自動車を庶民にも手の届くものにしたのだ。

自分の会社がやっていることを、胸を張って言えるか?
こういうご時世なので、つらい状況である。

しかし、サラリーマンとは、「○○会社の○○です」という紹介からしか成立しない。
会社に自分の人生を重ね合わせてみる。サラリーマンは不思議なものだ。
飲んだときには自分の会社の悪口を言うが、隣の席から自分の会社の悪口が聞こえればかっとなる。サラリーマンはそれだけ会社を大切にしてきた。

その世紀末に、番組が会社名の出すかどうかは、プロデューサーでもなく、NHK上層部でもなく、視聴者が決めるものだった。



2004/8/28  19:42

投稿者:ハナマリさん
http://diary.jp.aol.com/ejp9sz/

わたしの昔の上司は、プロジェクトXのある(確か火曜日?)は毎週早く帰ってました。
次の日は顔を真っ赤にさせながら一生懸命教えてくれました。私好きですあの番組。だからこうやって読めるのとってもありがたいです。ありがとう!

2004/8/28  18:17

投稿者:アンリさん
http://diary.jp.aol.com/my3esh7ng

すっ、すっごい力作にひたすら感動。8部まで読破しました。あと4部、楽しみにしています。

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