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spiklenci-slastiの日記

2008-12-27

[]2008年10月20日放送の『あいのり』での茂木健一郎さんの発言

以下は、2008年10月20日に放送されたフジテレビあいのり』のなかでの茂木健一郎さん(VTR出演)の発言について文字に起こしたものです。

その目的は、『日経サイエンス』2009年2月号掲載の「茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア」(サブタイトル:科学と疑似科学のあいだ)で話題に上がった、バラエティー番組での茂木さんの発言について、その内容を記し検討の対象とするということにあります*1

なにか問題等ありましたら、コメント欄に書いてくださるとありがたいです。

なお、基本的には聞こえたままを書きましたが、明らかに噛まれたところなどについてはちょっとした修正を加えました。

フォーマットに関しては、完全にテキトウです。


ひとつめのVTR


ナレーション

「男と女の永遠のナゾ。恋のすれ違いはなぜ起きるのか。そんな不毛(疑問?)を、科学で斬る!」

あいのり恋愛講座。なぜ男は理想を語り、女は現実を考えるのか。その答えに迫るのは、この人!脳科学者、茂木健一郎。」


茂木

「そのナゾを解き明かす答えは、私たちの中にあるのです。」

「特に、脳。」


ナレーション

「私たちの脳には、いったいどんな秘密が隠されているんでしょうか。」


茂木

「実は、男と女の脳の作りってのは、違うんです。」


ナレーション

(左脳右脳の機能差についての解説および、男女で脳梁の太さが違い(女性の方が太い)、女性は両半球をバランスよく使い、たくさんの情報を処理することができるのに対して、男性は片方、特に左脳を集中して使うことが多いという話の紹介)


茂木

「男のひとが女のひとを口説くときに使うのがこの、左の脳、この、言語野っていうですね、ここらへんにあるとこなんですけど。」

「男の場合はですね、どうしてもその、言葉が、現実から離れてひとり歩きしがちなんですね。」

「いっぽう女のひとっていうのは、この、右脳とバランスをとった形で言葉を使うんですね。」

「だから、男の言葉はときに、上滑りして、現実から離れる。」

「いっぽう女はですね、いつも、現実を忘れないでいる。」

「こういう違いがあるわけです。」


ナレーション

「そもそも、なぜ男の脳と女の脳は、違う作りになってしまったんでしょうか?」


茂木

「そのナゾを紐解くには、私たちがまだ、狩りをしていた時代にまで、遡らなければなりません。」


ナレーション

(狩猟時代、男たちは狩りに出て獲物を捕まえており、また仲間たちと道具を作りながら大物を捕まえる夢や理想を語り合っていたこと、そしてその一方で女たちは男の帰りを待つあいだ、食料の残りや在り処という現実をしっかり把握しながら生活していたこと、そしてこの、生きていく上での役割の違いによって、男は理想を語り、女は現実を考えるようになった、という風な話の紹介)

「さらに!からだの作りの違いも関係しているというんです。」


茂木

「まあ、男のほう、これは、まあ、動物界、オスはすべてそうなんですけれども、なるべく多くのメスを得ようとするわけです。」

「オスにとってはですね、言葉で相手を口説くときにもそれは、可能性で十分なんですね。」

「男はだから、言葉という飛び道具を使うわけです。」

「その飛び道具で、まあ百うって、一つでも二つでも当たればいいっていう、極端なことをいうと、そういう存在が、オスなんですね。」


ナレーション

「飛び道具としての男性の理想の言葉は、女性を心地よくさせてくれるもの。しかし、すぐに女性は現実に戻ってしまいます。それは一体なぜなんでしょうか?」


茂木

「でも、メスはでも、自分のからだで子どもをはぐくみ、育てなければいけないわけですから、非常に慎重に、ひとりの人を選ばなければいけない。」

「百うって一つ当たるじゃ困るんですよ。これは、必ず、そう、ひとつ、自分がつかんでるひとつを大切にはぐくまなくちゃいけないんですよ。」

「ですから、ある意味では、メスというのは、その、地面に足をちゃんとつけてるわけですね。」

「この、飛び道具と、地面に足をつけてるっていう、これの違いがですね、男女の脳の働きの違いにも、まあ現れて、くるわけなんですね。」


茂木

(過去の『あいのり』(たぶん)で、”こーすけ”が”よっこ”に「だからね、なんかあいのりで付き合えたらオレもうね、ずっと付き合いたいんだ、その娘と。もう、うまく行けば結婚までしたいんだ。」と語ったときの映像を観て)

「うーん……。これは、こーすけの、左脳が、暴走しているんですね。」


――「左脳の暴走」という文字が画面に大写しにされる――


茂木

「これね、男のひとはみんな覚えてないといけないです。」

「自分は左脳が暴走しやすい。」

「これ是非おぼえといてください。」

「だから!という言葉を使ってました、こーすけ。」

「これはま、典型的なロジック、AだからBっていうね、この……だから結婚したい、この、結婚したいっていう結論に、ロジックで結びついちゃうわけですけれども、これはね、やっぱり……脳が暴走してるとしか言いようがないんですね。」

「それが、まあ、学問を進めたり、文明を進めたりすることもあるんですけども、こと!男女の恋愛ってことになると、やっぱり、男のその、言葉とロジックの暴走?これは、とても受け容れられるものでは、ありません。」


ナレーション

「一方、よっこの場合は。」


茂木

「よっこの脳は、負のスパイラルに陥っています。」


――「負のスパイラル」という文字が画面に大写しにされる――


ナレーション

(”よっこ”は、過去のうまくいかなかった恋愛経験と照らし合わせることによって、またフられるかも、バカを見たくない、と勝手に不安を募らせてしまうという「負のスパイラル」に陥っているとかなんとか)


茂木

「不安という、この感情はたしかに大事なんですね、危険なことがあったら、たとえば、身をひそめてかくれているとか、そういう反応をすることが、生き延びる上で、大事だったんです。」

「しかしですね、その不安の感情が強すぎると、逆に、前に進めなくなっちゃうわけですね。」

「よっこの場合、ちょっとこの、感情の脳の作り出す、不安という、その思いが、強すぎるように思います。」


ふたつめのVTR (テーマ「男女のすれ違いをなくすには?」)


茂木

(心療内科医・医学博士の姫野友美さんが、理想を語る男性への対処法として「彼が語った理想を尊重しながらも具体的な話にもっていく」ということを挙げたあとで)

「遠い夢を語る男性に対しては、なるべく、近くを見させる。」

「それから空を飛ぼうとする男性に対しては、なるべく、地面の上のことを話すと。」

「これがやっぱり、そういう、男性の暴走脳に対して、女性が、えー対処する方法ではないかと思います。」


茂木

(姫野さんが、現実を考える女性への対処法として「女性に対して利益を目の前に置くこと」が重要であると説いたあとで)

「男のひと。特に、若いとき。」

「女性は、100の夢よりも1つの現実のほうが大事なんだということをよーく理解してください。」

「別に、女性が夢を見ないってわけじゃないんですよ。」

「夢を見ないってわけじゃないんだけど、つねに女性が見る夢っていうのは、自分の、現実というもの、自分のからだというものに、つながってるんだよ。」

「そこが、ある意味では女性のいちばん素晴らしいとこなんだよね。」

「やっぱり、男と女の恋愛ってのは、はたらきが違う相手の脳の仕組みを理解するってことでもあるんですよ。」

「だからね、男は女の脳のはたらきを理解して、女は男の脳のはたらきを理解するっていう、これがやっぱり、恋愛がね、うまくいくための、すごく大事な条件なんですね。」

「ある意味ではもう、男にとって、女は、あるいは女にとって男はエイリアンみたいなもんですよ。」

「もう全然じぶんと見方が違うわけですから。」

「それがわかると、えー、きっと、すばらしい恋が待ってんじゃないかと思います。」


2008/12/27午後追記

表記を一部ひっそりと修正しました。

*1:ここで行なわれた茂木さんと伊勢田哲治さんの対談については、ブログInterdisciplinary』の記事「対談」のコメント欄に一部引用されています。

TAKESANTAKESAN 2008/12/27 14:27 今日は。

お疲れ様です。

改めて見ると、ものすごい内容ですよね…。伊勢田さんが指摘する訳です。

伊勢田さんへの発言とも整合しませんよね。どこも「慎重」ではありませんし。

せとともこせとともこ 2008/12/27 14:46 こんにちは。
TAKESANさん経由できました。
記事を拝見しながら、あまりの無責任で噴飯ものの発言に腹立たしく思っています。
なんと言うか,こんな貧しい感覚で恋愛を語ってもらいたくない、と思います。
「おっと、、、と。これは暴走する左脳」「あらっ、これは負のスパイラル。ふふふ」なぁんて大まじめで信じる若者たちが出て来るかと思うと、茂木さんのその責任の負う所大ですね。
当該記事を引用して私もチョイト書いてみようと思いますが、引用宜しいでしょうか?

spiklenci-slastispiklenci-slasti 2008/12/27 16:17 TAKESANさん、こんにちは。

なんだか、茂木さんの考える「慎重」の意味が、少なくとも私の考えるそれとは異なっているのではないか、という風に思ってしまいます。

私の考えでは、科学を語る際の「慎重な態度」というのは、仮説のもっともらしさについて厳密に踏まえた上で発言するというもので、そのような態度をとれば、いわゆるグレーゾーンや疑似科学的とされているものについても誠実に語ることが可能であるはずだと思うのですが、件の対談での「いちばん慎重な態度を取ると, 脳については何もいえない。」という茂木さんの発言はこれとうまく噛み合わない感じで。

ただ、茂木さんが「慎重に話しているつもり」としたのは、メディア上での「科学」と「生命哲学」との区別についてであって、科学的所見の解釈にもっと慎重になる必要があるのでは、という意見については、「生命哲学」の問題だから、というかわしかたをしているわけですが。

まあなんにせよ、慎重になるべきところでまったく慎重になっていないように見える、ということについては間違いのないところだと思います。

spiklenci-slastispiklenci-slasti 2008/12/27 16:18 せとともこさん、はじめまして、こんにちは。

引用に関しましては、私に許される最大限の声量で「OKです。ご自由にお使いください。」と宣言させていただきたいと思います。
(ただし、私が、”たしかに「負のスパイラル」には気をつけなくちゃな”とか考えながら文字起こしをしていたことについてはナイショの方向でよろしくお願いします。)

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