今年の国民生活白書は、初めて「消費者」に本格的な焦点を当てた。政府が来年度に目指している消費者庁の発足を前に、振り込め詐欺などの消費者被害の実態や、現在の消費者行政の問題点の分析に踏み込んだ。消費者・生活者の視点で社会構造を組み替えて「消費者市民社会」を構築することの重要性を訴えた。主な論点を紹介する。【尾村洋介】
◆消費者の選択
消費者が支出する総額(家計最終消費支出)は、07年度は284兆円で、国内総生産(GDP)総額の約55%を占めている。それだけに消費者の選択は企業や商品に大きな影響を与える。だが、消費者はその力を市場や社会を望ましい方向に変革するために十分行使できているだろうか。
貿易の拡大と経済のグローバル化で輸入品が増加し、安全な商品や企業を見分けることは、以前より難しくなっている。特に食品の安全性について「他の分野に比較して不安感が大きい」と考えている人は04年の41・4%から、08年10月は75・5%に高まっている。
また、元本割れの可能性のある金融商品も広く出回っている。白書は9月以降の金融危機で「消費者・生活者は翻弄(ほんろう)される存在にしか過ぎなかった」と指摘した。
内閣府の社会意識調査では「社会に役立ちたい」と回答した人は70年代には「あまり考えていない」人とほぼ同率だったが、91年には6割を超え、08年は過去最高の69・2%に達した。環境美化、リサイクル活動などを通じて意識が変化し、大企業にも「環境保護への取り組み」を求める声が強まっている。
ただ、実際の行動では、途上国の農産物を一定の高値で購入したり長期契約して生産者を支援する「フェアトレード」や、環境配慮型の商品の普及は遅れている。国内の認定フェアトレード製品の売上高は07年で約10億円で、米国(1178億円)、英国(1136億円)の100分の1以下。
白書は「社会的行動をとらないと格好が悪い」という価値規範の転換が消費者市民社会に向けた起爆剤になりうると指摘し、消費者市民教育の大切さを訴えた。
◆消費者団体
消費者被害への対応に関し、日本の行政や消費者団体は十分に国民の期待に応えているだろうか。白書の答えは「ノー」だ。日本では「政府などの公的機関に消費者の権利が守られている」と感じている人は6・9%に過ぎず、オランダ(80%)、フィンランド(78%)、英国(71%)などと比べ著しく低い。
内閣府は、09年度に設立を目指す消費者庁で、従来の各省バラバラの縦割り行政を改め、基本戦略から被害救済する執行まで一元的に対応する体制をつくることの必要性を訴えている。
また、消費者団体の活動も、日本は欧米と比べると見劣りする。投資収益や政府補助金など豊富な収入源を持つ欧米の消費者団体は政策提言、商品テストなど幅広く活動しているが、日本の消費者団体は人員・財政面ともに不十分で、相談業務や商品テストなど消費者がメリットを感じられる取り組みも少ない。
欧州の多くの国では3分の2以上が「消費者団体によって消費者の権利が守られている」と感じているが、日本では、そのように感じている人は18・1%にとどまり、消費者団体の体制強化が、課題の一つとなっている。
◆消費者被害
白書は、国民生活センターと地方公共団体の消費生活センターに07年度に寄せられた消費生活相談(約104万件)の内容を詳細に分析した。支払った金額が判明しているのは約16万件で、このうち、被害額が5万円以下の少額被害が全体の42%を占める。
このような「少額多数被害」は、被害者自身が解決しようとしても裁判費用などの負担が重く、悪質事業者の規制が進まない。白書は、行政が消費者に代わって損害賠償を求める制度や、消費者団体の団体訴訟に損害賠償請求権を付与するなど効果的な紛争解決手段の整備に向け議論を加速するよう求めた。これらの新たな救済手段は近年、欧州各国で導入され、効果を上げている。
一方、社会問題となっている「振り込め詐欺」の件数は、04年(2万5667件)をピークに減少していたが、08年には1~10月の累計で1万8354件と、07年1年間の1万7930件を上回り、再び増加に転じている。白書は「08年には2万2025件まで増加し、最悪だった04年に次ぐ水準になる」と推計した。
また、消費者被害で、契約購入金額や既に支払ってしまった金額を年齢層別にみると、50代以上で被害金額が大きいことが分かる。
08年1~10月の被害状況では、「オレオレ詐欺」の被害者の72%が女性で、最も被害割合の高い60代の女性が全体の30%、70代の女性が29%を占め、高齢の女性が被害に遭っている。「還付金等詐欺」でも同じく高齢女性が狙われている。一方、「架空請求詐欺」は反対に、被害者の60%以上が30代以下の若者で、大半が携帯電話やインターネットの有料サイト利用料金の名目でだまし取られている。
今回の国民生活白書は、消費者庁を創設しようという流れに沿ったもので、おおむね評価できる。消費者被害の実態とそれに伴う経済的損失額の大きさや、行政・消費者団体の役割など、説得力のあるものが多い。ただし、表題でうたう「消費者市民社会」に向けて、どういう取り組みをしていけばいいのかという、肝心の具体案は乏しい。
今年は食品偽装問題など、食の安全にかかわる問題が相次いだ。問題を通じて私たち消費者は「食品の情報をいかに把握し、その情報でどの商品を買えばよいか」を問われた。投資信託などの金融商品も急激に高度化・複雑化し、消費者は情報についていけない。
これまで消費者は「守られるべき存在」だったが、今は消費者としての権利の行使と同時に義務も求められる。消費者保護のための制度は日本でも整ってきたが、消費者が自らの責任について学ぶ環境はまだ不十分だ。
以前だったら、訪問販売などで無用な商品を買わされてしまう人は地域が支え助けてきたが、その地域コミュニティーは崩壊しつつある。子供に食べることの大切さを伝えようにも、家族の会話も不足している。
日本の社会の前提が次々に崩れていく中で、行政、消費者はどう対応していくのか。白書はそこをもっと示してほしかった。【聞き手・永井大介】
毎日新聞 2008年12月27日 東京朝刊