日本ちゃちゃちゃクラブ 歴史ボードログ 3

18168 Re(11):「南京事件」 K−K 2003/05/23 23:18
18169 Re(11):「南京事件」 K−K 2003/05/23 23:23
18171 Re(12):「南京事件」 佐々木 寛 2003/05/24 10:12
18175 Re(13):「南京事件」 K−K 2003/05/24 22:12
18183 Re(14):「南京事件」 佐々木 寛 2003/05/25 01:15
18186 Re(15):「南京事件」 K−K 2003/05/25 02:06
18190 Re(16):「南京事件」 佐々木 寛 2003/05/25 10:55
18191 Re(16):「南京事件」 佐々木 寛 2003/05/25 14:19
18192 Re(17):「南京事件」 佐々木 寛 2003/05/25 14:33
18194 Re(12):「南京事件」 NOR 2003/05/25 21:10

 

Re(11):「南京事件」
投稿番号:18168 (2003/05/23 23:18)
投稿者:K−K(南京事件資料集)

>それとも、
>K−Kさんは中国代表の向検事の主張を
>事実であると、感じられますか。

 その発言が、法廷における検事側の立証とどのように関係あるか説明をお願いします。

 関係を説明できないのであれば、法廷に検事側の立証との関係がないという共通認識を得たものと理解します。


>お読みになっていただければ
>分かるように、
>なかった派、中間派の主張そのものである。

 被告側の反証が「事実である」という説明を行う必要があると思われます。
 それが出来なければ、その様な証言があった、ということだけです。

 ところで裁判とは関係ありませんが、私の方からも、重要な証言を一つ提示しましょう。
『続・重光葵手記』P294
---- 引用 ----
 然し俘虜及敵国人に対する日本人の考え方は日露戦争当時の考え方とは全然異なった方向にあった。軍及右翼を中心とする思想の動き方は戦争前、特に満州事件前後より急激に反動的となり、「日本精神」「皇軍思想」は未意味となる優越感となり、外国軽侮となり、敵性国家の排撃となって居った。底(低)劣なる唯我独尊、斬り捨て御免の思想となり態度となって、支那、南方に於ける我軍隊の行為は実に言語同断であって、進駐当初は南京でも香港でもシンガポールでもマニラでも虐殺、殺戮、強姦、掠奪、強姦、暴行、収賄、不正等、殆ど悪魔の軍隊であったのは事実である。

(昭和20年10月25日記す)
---- 終わり ----

 この資料の重要なところは、まだ、国際検事局さえも存在しなかった時点での日本高官の手記であることです(東京裁判で有罪、禁固七年)。

 日本人は、「東京裁判まで誰も知らなかった」「国際問題にもならなかった」などという主張が、如何に理に外れていることかよく解るでしょう。


Re(11):「南京事件」
投稿番号:18169 (2003/05/23 23:23)
投稿者:K−K(南京事件資料集)

>貴方とグースさんの議論を、ざっと拝見しました
>(http://www5e.biglobe.ne.jp/~guuse/)。
>この南京の問題は、決着づみで、もはや、グースさんに軍配が上がっています。

 論証を何もしないのでしたら、こう言うのでも同じだと思われませんか?
 【 神のお告げがあり、この南京の問題は決着済み、俺様※の言うことが正しかった 】
※ここでいう「俺様」とは佐々木さんを指しています。

 このことを認めるのでしたら、議論をするまでもないことでしょう。


 ちなみに、佐々木さんのHPにも、南京の問題を扱った論述があるようですね。そこにも人口論を打っているようですが、なぜ、その自分の説をもって議論をなさろうとしないのでしょう?
 お金を貰おうとまでしているくらいの自信があるのではありませんか?


Re(12):「南京事件」
投稿番号:18171 (2003/05/24 10:12)
投稿者:佐々木 寛(グースさんに軍配)

起訴理由により南京において26万人以上の無差別の虐殺があったとされる時期、すなわち日本軍が南京占領当時、実際に現地に居て20万人以上の市民に日々の食糧の世話をしていたのは、国際委員会のラーべの日記などによって明白(K−Kさんは当時、南京に居なかったでしょ)。要するに、日本軍占領中、南京では20万人以上の市民が生存し続けたのは明白。


Re(13):「南京事件」
投稿番号:18175 (2003/05/24 22:12)
投稿者:K−K(南京事件資料集)

>起訴理由により南京において26万人以上の無差別の虐殺があったとされる時期、すなわ
>ち日本軍が南京占領当時、実際に現地に居て20万人以上の市民に日々の食糧の世話をし
>ていたのは、国際委員会のラーべの日記などによって明白(K−Kさんは当時、南京に居
>なかったでしょ)。要するに、日本軍占領中、南京では20万人以上の市民が生存し続け
>たのは明白。

 つまり、南京陥落前後を通して「20万人以上」の市民が居たということですね?
 国際委員会や同メンバー達の推定は、陥落時、安全区20〜25万以上であり、虐殺数5〜6万(軍民10万以上)のようですので、この佐々木さんの主張は、彼等の見解と合致していると思われます。

 その事を私が否定した事実はありません。
 これでお互いに合意できたとうことで構いませんか?


Re(14):「南京事件」
投稿番号:18183 (2003/05/25 01:15)
投稿者:佐々木 寛(西蔵大虐殺に裁きを!)

『なぜ、「20〜25万以上」としたかというと、1月初旬の国際委員会文書に「25〜30万」という数値があるからです。しかし、これ以降「25万」に集約したようです。』
(K−Kさん投稿から)

起訴理由からして、12月13日からの6週間で、すなわち翌年の1月23日までで、26万人を、南京において無差別に殺戮していることが事実認定の条件だが、

『1月初旬の国際委員会文書に「25〜30万」という数値があるからです。しかし、これ以降「25万」に集約したようです。』
(K−Kさん投稿から)

ということは、1月初旬以降は(6週間後の1月23日以降も含め)、南京には25万人以上の市民が生存し続けたことを上記において証明しているわけです。
故に、ここから、南京市民の無差別虐殺が、数万人単位であったという主張も、信じようがなくなります。当時そこに居たラーべの日記で、無差別殺戮が数万人単位であったなどという記述は存在しません。後に、ヒトラーへの上申書では、兵士の死体を民間人のもののように捏造していますが…。

要するに、これで南京における万単位の死者は、ほとんどが中国兵の戦死者だと見るのが妥当となります。
それから、グースさんのサイトで詳しく論じられていますが、便衣兵の掃討は、戦闘行為ですから合法ですね。また便衣兵を民間人だと言いくるめるのは、やめるべきです。

それよりも、これからは中国共産党によるチベット(西蔵)大虐殺問題を、ともに糾弾しようではありませんか。さぁK−Kさん。極悪非道の共産主義者の蛮行に裁きを求めましょう。アムネスティも西蔵(チベット)大虐殺問題を国連人権委員会に提訴しました。

あっ、もしかしたら、K−Kさんは、中国共産党のエージェントの方ですか? すると、一人でも多くの罪の無いチベット人市民を虫けらのように虐殺したいと思ってる立場の人?


Re(15):「南京事件」
投稿番号:18186 (2003/05/25 02:06)
投稿者:K−K(南京事件資料集)

>ということは、1月初旬以降は(6週間後の1月23日以降も含め)、南京には25万人
>以上の市民が生存し続けたことを上記において証明しているわけです。
>故に、ここから、南京市民の無差別虐殺が、数万人単位であったという主張も、信じようが
>なくなります。

 陥落時の人口が解らないのに、なぜ、「信じようがなくな(る)」のでしょうか?
 ご説明をお願いします。

 ちなみに、佐々木さんのHPから引用します。
---- 引用 ----
日本軍入城当初、南京の安全区には南京市民が20万人いた訳ですが、中国の公式の言い分どおり、南京市民が30万人日本軍に虐殺されると、当然、南京市民の数はマイナス10万人になる筈なのに、どういう訳か、南京市民の数は、当初の20万人から25万人に増えています。
---- 終わり ----

 私の説明は十分飲み込めて頂けたかと思いますので、ラーベの日記に記された数値が、「当初の20万人から25万人に増え」たかを理解して頂けたのではないでしょうか?もちろん、それは人口が増加したのではなく、認識が変化したということです。

 よって、矛盾しているのではないことが解るでしょう。


>当時そこに居たラーべの日記で、無差別殺戮が数万人単位であったなどという記述は存在し
>ません。後に、ヒトラーへの上申書では、兵士の死体を民間人のもののように捏造していま
>すが…。
>要するに、これで南京における万単位の死者は、ほとんどが中国兵の戦死者だと見るのが妥
>当となります。

 同上申書では、明確に市民殺害数を5〜6万と記しています。この数値は、ウィルソン書簡において、裏付けられたと見ることができます。

 明示された認識を否定することは出来ないでしょう。

 佐々木さんのHPからの引用をします。
---- 引用 ----
日本軍による相当数の虐殺行為が語られながら、南京市民の数が、一向に減らず、逆に増えてゆくのは何故なのか。まったく矛盾しています。
要するに、この『南京の真実』という書の意味・内容は、日本軍による南京市民の大虐殺(市民の虐殺数、数万から30万人)という事件が虚言≠ナあると共に、中国人とドイツ人の一部に(日本人に対して)悪意ある大嘘吐き≠ェいる決定的な証拠となるものなのです(ちなみに著者は、悪質な嘘を吐く人間を信用できないものと考えるし、信用するべきでもないと考える)。
---- 終わり ----

 上記の通り、「南京市民の数が、一向に減らず、逆に増えてゆく」のではなく、認識が変化したことが理解できたと思われます。
 よって、市民殺害数に関してラーベがウソを付いているなどという主張は、根も葉もないことと考えるのが妥当でしょう。そのことは、ウィルソン証言によって裏付けられています。


>それから、グースさんのサイトで詳しく論じられていますが、便衣兵の掃討は、戦闘行為で
>すから合法ですね。また便衣兵を民間人だと言いくるめるのは、やめるべきです。

 便衣兵の問題は、まさしく「便衣兵」容疑者の無裁判による殺害問題となりますので、自ずとそれが民間人と言わざるを得ないわけです。容疑者は犯罪者ではありません。


>それよりも、これからは中国共産党によるチベット(西蔵)大虐殺問題を、ともに糾弾しよう
>ではありませんか。さぁK−Kさん。極悪非道の共産主義者の蛮行に裁きを求めましょう。ア
>ムネスティも西蔵(チベット)大虐殺問題を国連人権委員会に提訴しました。

 同様に、日本軍の極悪非道の蛮行の裁きや、その被害者の救済を求めましょう。


>あっ、もしかしたら、K−Kさんは、中国共産党のエージェントの方ですか? すると、一人で
>も多くの罪の無いチベット人市民を虫けらのように虐殺したいと思ってる立場の人?

 上記の通り、日本軍の蛮行の裁きや、被害者救済を求めるのと同様に、チベット問題も重要だと思っています。


Re(16):「南京事件」
投稿番号:18190 (2003/05/25 10:55)
投稿者:佐々木 寛(つかれる暇な学生かわれ)

ラーべ日記には、陥落以前、2週間前ぐらいに、南京の警察署長が、現在の南京の人口は20万人だとラーべら国際委員会のメンバーらに何度も話しているとあります。戦闘で混乱する前ですから、相当程度、正確だと思われます。

その後、日本軍占領直後(1937,12,13,以降)から、南京に居る市民たちに、“日々の食糧”を供給するわけです。それも、20万という人数が目安となり、実際に供給されたものです。

人口調査は、翌年の1月初旬以降時点で、25万人と出たと見るのが妥当です。

ですから、はじめから、25万人居たことを証明するものでは有りません。要するに、増加したことを否定する資料では有り得ませんし、5万人減少したことを証明する資料でもありません。
あくまでも、1月初旬以降の調査時点での人口調査結果が、25万人なのです。なお、1月17日のラーべ日記には、25万人に増えたという記述があります。

ただし、それ以前の20万人という人口は、警察署長の20万人という証言および、20万人分の“日々の食糧供給”という事実が、裏付けています。

健康な成人男子でも一ヵ月、飲まず喰わずだと餓死するそうですが、起訴理由では、一ヵ月半ということですから、体の弱い人なら、1〜2週間でも食糧が行き渡らないと危険だと考えます。ラーべの日記では餓死者が数百人単位、数千人単位で出ているという記述は存在しません。

起訴理由である、南京における26万人以上の無差別殺戮が事実なら、当初、46万人以上が南京に居たことを証明しなければなりません。

その為には、少なくとも、南京の警察署長の20万人という証言と、占領直後からの20万人分の“日々の食糧供給”が、虚偽であることを証明しなければなりません。

それから、ラーべのヒトラーへの上申書は、明らかに改竄であり、私のサイトでも理由は述べています。

例えば、同書の254〜255ページを読めば、

「……紅卍字会が埋葬していない死体があと三万もあるということだ。……そのほとんどは下関(注・シャーカン)にある。この数は下関に殺到したものの、船がなかったために揚子江を渡れなかった最後の中国軍部隊が全滅したということを物語っている。」(注および下線は引用者)とあるが、

同書317ページのヒトラーへのラーベの上申書では、これが民間人三万人の遺体としか読めないように改竄されているのである。

「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています。遺体の埋葬をした紅卍字会によりますと、一日二百体以上は無理だったそうですが、私が南京を去った二月二十二日には、三万の死体が埋葬できないまま、郊外の下関に放置されていたといいます。」

これが、同じ時期の、下関(シャーカン)についての記述です。下記の下関での三万の遺体は、中国兵です。


Re(16):「南京事件」
投稿番号:18191 (2003/05/25 14:19)
投稿者:佐々木 寛(つかれる)

起訴理由からして、1937年12月13日から翌年の1月23日までに26万人の市民を無差別に殺戮している事実を立証する必要がありますが、現に当時そこに居た安全区委員長であるラーべの日記には、そんなことは全く書かれていません。

ラーべは日記で、日本軍占領当初から、20万人分の食糧供給は大変だなどと述べ、翌1938年1月17日以降の日記では、25万人だと述べているだけです。

仮に当初、20万人で、5万人を無差別に殺戮したのであれば、殺戮した後は、15万人分の食糧が必要。
百歩譲って当初、25万人で、5万人を無差別殺戮したのであれば、20万人分の食糧が必要。
いずれにしろ、1月初旬以降(あるいは1月23日時点では)、25万人に成りません。
よって、5万人虐殺でも、当初南京に市民(あくまでも便衣兵ではなく市民)が30万人以上居たことを証明しなければなりません(便衣兵の処刑は合法だから)。

ただし、上記の場合、同時期、同地域において、5万人の市民を無差別に殺戮している地獄絵図の最中に、残りの人数分の食糧を整然と適切に供給する必要があります。
そんな非常識な光景は、普通の人間なら想像できませんが(虚構なら別)…。結局、結論として、5万人無差別殺戮も虚構でしかないと判ります。


Re(17):「南京事件」
投稿番号:18192 (2003/05/25 14:33)
投稿者:佐々木 寛(役得)

『率直な話、虐殺肯定派の方々は、チベット問題と南京問題と、どちらが緊急性を要するかと問われたらどうお答えになるのでしょうか?
私のような人間から見ると、圧倒的に現在の事態のほうが優先されるべきと思えます。
そして、肯定派も否定派もこれぐらいは一致していてほしいと願ってもいるのですが、現状では左翼と呼ばれる方でチベット問題に熱心な方は見当たらないのが不思議なのです。どなたかいるのでしょうか。』
(どんたくん投稿から)


いませんね(なにか中国共産党からの役得が有るのかも知れません)。

「チベット大虐殺」問題から、中国共産党が、国際世論の目を逸らせるために、虚構の南京問題を執拗に取り上げているだけだと見るのが妥当でしょう。


Re(12):「南京事件」
投稿番号:18194 (2003/05/25 21:10)
投稿者:NOR(K−Kさん支離滅裂ですぞ)

>>それとも、
>>K−Kさんは中国代表の向検事の主張を
>>事実であると、感じられますか。
>
> その発言が、法廷における検事側の立証とどのように関係あるか説明をお願いします。
>
> 関係を説明できないのであれば、法廷に検事側の立証との関係がないという共通認識を得たものと理解します。

-------------- 以上 K−Kさん(投稿番号:18168)より引用 --------------

これはまた、支離滅裂な意見ですなぁ。

中国代表の向検事の話は、
右翼や保守がトンデモな意見として挙げたのでは、
ありません。

朝日新聞社が、南京虐殺の代表的な発言として、
わざわざ挙げたものです。

従って、
朝日新聞社が、法廷における検事側の立証と
密接な関係にあると、
判断した事になりますね。

それとも、あなたは、
朝日新聞社は、
法廷における検事側の立証とまったく関係のないものを
わざわざ取り挙げた、と、仰るのか。

右翼や保守の主張ではなく、
朝日新聞の主張ですぞ。
いわば、
右翼の私としては、敵側の主張を
例にして、
勝負しているのですからね。

そもそも、
質問1
あなたは向検事の主張をどのように
評価しているのですか。

質問2
読んでから反論いたしますので、
「続・重光葵手記」
の出版社名や著者を
教えて下さい。

そして、次が一番大切な質問です。
質問3
私がご説明したように、

検察側は南京虐殺は、
市民を標的とした計画的な虐殺であると
主張しました。

被告側は、
安全区内に潜伏した便意兵の処刑が
誤って伝えられたものであると
主張しました。

あなたは、
検察側と
被告側、
どちらを支持しますか。

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