「考えることが大事だ」と先に述べた。
ただ、それとは逆に、「考えない方がいい」という教育がある。それは「マークシート」を使う教育だ。現代の人々は、そういう教育の影響をこうむっている。
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「考えることが大事だ」と先に述べた。
→ ケペル先生の教え
→ 間違える勇気
これに対して、見当違いな批判が多く来た。(どういうふうに見当違いであるかは、後日、別項で述べる予定。)
では、なぜ、こういう見当違いな批判が来るのか? そもそも、「考えることが大切だ」という当り前のことが、なぜ批判されるのか?
私は首をひねっていたが、その理由がわかった。「考えることが大切だ」という当り前のことが、多くの人々にとって、もともと身についていないのだ。特に、中年以前の人々には。
なぜか? それは「マークシート」だ。これのせいで、マークシート世代には、「考える」という訓練がもともとなされていないのだ。
( ※ 「マークシート世代」と言えるのは、だいたい、1958年 〜 1960年生まれ以降であろう。現時点でおおよそ 50歳以前。「本を読まない世代」「本を買わない世代」とおおむね一致する。これ以前とこれ以後では、年間の読書量や書籍購入量が大幅に異なる。)
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マークシートの弊害については、朝日の投稿コラムに記事があった。( 朝日・朝刊 2008-12-24 声・主張面 )
次の趣旨。
・ 採点時間やこ素面などでは優れているが、教育面で難点がある。
・ 論述力を育まない試験である。
・ プロセスは間違っていても正解を見つけられることがある。
( たとえば数学では、回答欄は整数になることが多いので、正解が「2より大で4より小」ということさえわかれば、正解は「3」であると推定がつく。厳密な思考過程は必要なく、おおざっぱに見当を付けるための別の方法があれば十分。)
・ つまり、正しく推論しなくても、正解だけを知ることができる。
・ そのせいで、「答えさえ正しく当てればOK」という風潮がひろまる。
・ こんなことでは、まともな思考力は付かない。
・ 数学の証明では、「証明を全部書かせず、穴埋めだけ」ということもある。
・ そのせいで、論述力は大幅に低下している。
・ OECD の「学習到達度調査でも、日本は論述問題で白紙答案が目立って多い。
・ その影響は、大人社会にも現れている。
たとえば、説明能力の欠如。(理由を説明せずに部下に指示する。そのせいで部下が困惑する。)
また、社員の勤務過程を無視して、結果だけで評価する経営も。
( ※ 注釈。最後の1行は、いわゆる「能力主義」というやつだ。富士通で大失敗した方式である。結果は会社を荒廃させただけ。)
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以上の指摘は、妥当であろう。マークシート方式には、確かに弊害がある。
ただ、似た弊害は、いわゆる「選択式」という問題にもある。マークシート方式は、それを極端にしたものだ。単に「数字で解答を書かせる」ということすらもやめさせてしまうほどに。
私なりに感想を言えば、子供のころを思い出した。それは、「通信添削」というのをやって、「自分がまともに論述式の解答を書けない」と知ったときだ。
中学生までは、国語の選択式の問題で、ほぼ満点を取っていた。「正しいものを見つける」のではなくて、「正しくないものを否定する」という方針で、「間違い探し」をやる。すると、問題文をおおまかに理解しているだけでも、「間違い探し」はできるから、ほぼ満点が取れる。「自分は国語がけっこう得意だな」と思っていた。「あんまり理解しているつもりはないんだけど、いつもテストで満点を取るのだから、得意なのだな」と。
ところが、通信添削を受けて、愕然とした。論述式の問題で、何も答えを書けないのだ。間違いを見つけることは得意だったのに、正解を自ら生み出す力が皆無だったのだ。
それでも、何とか努力したが、最初は四苦八苦でしたねえ。「自分で正解を生み出す」「自分で無から作り出す」ということを、試験問題においてやったのは、このときが初めてだった。
しかし、このときの訓練が、私の学習態度を根本的に変えさせた、と言えるだろう。「正しいものをおおまかに探り当てる」というのでは駄目であり、「厳密に正しいものを自らの思考によって生み出す」ということが大切なのだ、と。
以上は、現代文の科目。
一方、英文解釈でも、同様だった。この出題者&採点者は、「すごい人だな」と私は当時思っていたのだが、のちに知ったところでは、伝説の人物だったらしい。その人の著作は、「幻の名著」のようになっていた。私も当時お世話になったが、現在では正式に発売されている。
→ 思考訓練の場としての英文解釈
これは Google の検索結果だが、Amazon その他に感想や書評が掲載されている。「レベルの高さ」「思考力の養成」という点で、他の書籍とはまったく異なったレベルにある。どういうものであるかは、多くの人々の感想や書評を読むといいだろう。
( ※ 余談だが、このときの通信添削の採点者は、生徒が自分で指名できるという「指名制」があった。問題文を作成する人を直接指名することができたのだ。私はそれをうまく活用できた。その結果、採点結果は、惨憺たるありさまになる。この先生に採点されると、やたらと減点されるので、他の採点者のときに比べて、大幅に点数は悪化する。間違いの指摘の言葉は、メチャクチャに厳しい。優等生が大バカ扱いだ。その分、鍛えられたと言える。「大リーグ・ボール養成ギプス」の通信添削版だ。)
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以上は、私の教育経験だ。「論述方式」の教育を受けていたこと(通信添削によって)という経験があった。そして、それが、私の思考力や思考方式に大幅に影響した。
一方、今日の大方の人々は違う。「論述方式」でなく、「マークシート方式」だ。そのせいで、前述の投稿で示されたように、いくつもの難点が生じている。
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このことは、大切なことなので、はっきりと指摘しておこう。
前述の投稿で示されたことに対して、私が特に新たに述べるようなことはない。ただ、それと同じ方向で、趣旨を強調する形で示しておく。
・ マークシート方式には、明らかに難点がある。非教育的だ。
・ そして、それへの対抗策はある。論述式だ。そのためには、通信添削を利用すればいい。
この二点である。
なお、「通信添削ならば何でもいい」ということにはならないので、注意。私が高校生のときには、Z会というのもあったが、これは大規模な業者なので、選択問題も多かった。「論述式が基本」ということはなかった。
私が選んだのは、「論述式が基本」という業者だったが、それが今もあるかどうかは、わからない。高校生に聞いて調べるしかあるまい。
ま、どっちみち、大人になってからでは、手遅れだ。高校生の時点で、ちゃんとした教育を受けるしかない。
【 補説 】
高校生の時点で、ちゃんとした教育を受けることが大切だ。
では、そうしないと、どうなるか? 大人になってから、ひどいことになる。次のように。
「自分で考えることをしない」
「自分で考えよ、と言われると、猛反発する」
こういう連中がとても多い。たとえば、私が次のように言う。
「ケペル先生の教えに従って、自分の頭で考えよう」
これに対して、次のように批判する人々が現れる。
「自分の頭で考えたって駄目だ。トンデモはみんな自分の頭で考えるぞ」
これでは全然、反論になっていないのだが、言っている本人は反論しているつもりらしい。(この件は、後日、改めて指摘する。)
こういう人々は、「自分の頭で考える」という訓練ができていないようだ。「トンデモだ!」と大騒ぎする人々は、「自分の頭で正解を生み出す」ということができず、「既存の選択肢のなかから正解を選び出す」ということしかできない。すると、次の二者択一になる。
・ 学界の主流派の見解
・ トンデモの見解
この二通りのなかで選択することばかりを考えているから、やたらとあちこちで「トンデモだ」と騒ぎ出す。
しかし、普通の研究者ならば、次のことを知っている。
「研究分野では、正解は見出されていない。正解が見出されていないからこそ、正解を探り出すために、研究をする。そこでは、自らの頭で考えることが必要だ」
こういうことを理解している人ならば、次のことがわかる。
「間違える勇気が大切だ」
ところが、トンデモ騒ぎをする人々には、このことが決して理解できない。彼らは、「自ら真実を探り出す」「自ら正解を作り出す」という能力が、根本的に欠如しているのだ。単に「他人の与えた選択肢から、一つを選び出す」という能力しかない。
マークシート世代の弊害は、「トンデモだ」と騒ぐ人々にも現れている。実を言うと、「トンデモだ」と騒ぐ人々は、マークシート世代ばかりなのだ。
マークシート以前の世代ならば、「トンデモだ」と騒ぐことはあるまい。バカを見たら、「あいつはバカだ」といちいち批判するまでもない。バカを見たら、単に無視すればいいだけのことだ。バカに関わり合うのは、時間の無駄にすぎない。
マークシート以前の世代ならば、「トンデモだ」と騒ぐかわりに、真実を知るための本を読む。
マークシート世代は、真実を知るための本を読まずに、ネットで「トンデモだ」と騒いで、自己満足する。だから今では、ネットに「トンデモだ」と騒ぐ連中が、あふれているのだ。……マークシートの影響は、こんなところにも現れているのだ。
( ※ 以上のように書くと、「マークシートがそういう影響をもつということを、科学的に論証せよ。そうしなければ、トンデモだ!」という非難が降りかかってきそうだ。……呆れる話だ。以上の話は、もちろん、学術的な論証ではなくて、ただの皮肉である。しかし、マークシート世代は、文学的な皮肉を聞いて、「その文学的な皮肉が 学術的な論文であることを、論証せよ」と文句を言いがちだ。頭が根本的にイカレているのである。……その基本は、読解力不足。誤読・誤解のオンパレード。)
( ※ そう言えば、政府もひどいものだ。「英語の授業は英語で」という政府の方針に、さっそく朝日の投書欄に、皮肉が来た。「古文の授業は古語で?」と。 (^^); たいしたものだ。こういう皮肉を言える人は、ずっと頭がいいですね。笑いながら、拍手しよう。その人は、「自分の頭で考える」ということが、ちゃんとできているからだ。)
2008年12月25日
◆ 考えない教育(マークシート世代)
posted by 管理人 at 19:15
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| 科学
ネット上の関連情報を紹介する。2件。
(1)
ノーベル物理学賞に選ばれた高エネルギー加速器研究機構の名誉教授の小林誠氏(64)と京都大名誉教授で京都産業大学教授の益川敏英氏(68)が10月10日、塩谷立文部科学相と野田聖子科学技術担当相を訪問、「マークシート式の試験を改めた方がいい」と提言した。
この話題について、2ちゃんねるなどでも「世界でも上位の京大で教えてても学力の低下が目立つのかね」「マークシートは、足きりには便利だ。マークで合否を決めようとするから良くない」などの多くのコメントが寄せられ
http://news.ameba.jp/weblog/2008/10/18891.html
(2)
2ちゃんねる(のコピー)からの引用。
「センター数学のマークシートはマジでヤバい。答えの当たりがつきまくるからな。
定規で長さ測ったりして。
筆記だと常に赤点だった俺が9割ゲットとかふざけてる。」
http://nikkannews.blogspot.com/2008/10/blog-post_3310.html