昨日関連。
個人的な体験から勉強が楽しいというだけではなかったし都合よく使う必要もあるということを僕は知っている。都合よく使うための道具であってもよいと思っている。それで生きていくことができるのならば,道具は賢く使えばよい。もしそれでも勉強が嫌いだ,やりたくない,楽しいとは全く思えないという子供がいたら,そうか嫌いになっちゃったか残念だなぁ,まぁ成績悪いよりは良いほうが気分的にましだしちょっとがんばってみたら?終わったら全部忘れていいからということを言ったかどうだったか。だいぶ前からずっと言ってるけど,あれは生きていくための訓練であり道具の使い方を学んでいるだけなので,全くできないと後々大変になると思ってる。だからやらなくていいよ,とは言わないのだ。今成績悪いと困るでしょ,今一瞬できてればそれで役に立ってるからいいじゃん。そう言って少しでも身につけばと思う。
あまり記憶にも残ってない小4の時の話。
小3から小4に上がる時は,クラス替えなしで担任だけ変わった。担任はその前年に姉のクラスを受け持っていた男だった。子供同士の間では嫌な先生だという認識が共有されていて,その理由は単純に嫌な奴らしいということ,ヒステリーを起こすということ,それからエロいということだった。はずれだなーという空気がクラス全体を漂っていた。簡単に朝の会が終わって新学期の連絡や配布物や,作業やらがいつも通り進められている中で,色を塗る作業があった。何色をぬろうか考えている私の名前を男が急に呼んだ。何事かと顔をあげた私に男は一言だけ行った。今でも覚えている。
「正座」
何を言われたのかよくわからなかったし,何のためにそれをするのか正直全く分からなかった。学校では正座はだいたい罰としてさせられるものだったのだが,何か変なことをした覚えも悪いことをたくらんだ覚えもなかった。私はきょとんとしたが,しかしその当時すでに人を罰しようとする人間には逆らわない方が何事もうまくいくと学んでいたので特に逆らわず言われたとおりに床に正座した。その日から第一ターゲットになった。
その前年,姉はよく朝ごはんを吐いたり,円形脱毛症になったりなどしていたので,姉は姉で何人目かはよくわからないがターゲットだったのだろうと思う。体が小さく,運動はできず,本だけはたくさん読んでいるし要領はそれなりに良いが余計なことはいうし,勉強はできず自己主張も表立ってはしない,いじめのターゲットにされやすい人だったから仕方ないことではあると思う。ぎりぎりのところでいかにも外見が弱すぎるのでいじめるというのが大義名分にはならず,ただの弱い者いじめにしか見えなくなるので実際にいじめられたことはないようだが。
その前年私は成績が良かったし,運動もそれなりにはできたし,図工以外はできる方,要するにクラスの中で「あいつはできる」という認識をされていた。優等生ではなかったが――変なところで抜けていることがあるし悪いことは結構率先してする――教師間の引き継ぎでもそういう認識であっただろうと予測する。
男の描いていたシナリオらしきものは予想するに,ターゲットを数人定めて,その中で一番目のターゲットを徹底的に服従させることでクラス全体を統制しようというものだったのではないかと思う。気の弱い男だった。職員同士でいるときはいつも小さくなっていた。偉い先生にへこへこしてるというのを子どもはちゃんと知っていて馬鹿にされていた。好き嫌いもアレルギーも多く給食は半分も食べなかった。その代りその点を突かれるのて反論できないのが嫌だったのか,給食に関してだけは口を出さなかった。
統制するに当たって,ターゲットは目立つ方が良かった。目立つが,自分には仕返しできない方が良かった。前年の姉のクラスは6年生だったこともあるのか,児童自身が校長に抗議に行ったり,親を通して教育委員会まで抗議が行っていたようだ。そういうことがあった分おそらく男は狡猾に,自分に抗議をしないように人を選んでいた。我が家の状況というのは,その前年うちの親が何も言わなかったことや,うちの隣近所にはどういう状況かというのがおそらくわかっていたと思うので,優位に立てると判断したのだろう。しかも私は成績が良かった。その上大人に逆らわなかった。男にとっては都合のいい道具だった。
子供同士の関係では売られたケンカは買う勢いの私が特に抵抗せず,その後も続く理不尽な理由による罰を受けていることでクラスは統制された。あの頃のことはよく覚えていないし,授業は半分も聞いた覚えがない。開始5分で正坐してることもあったし30分たてば黒板の前に立ってることもしばしばあったが,特に苦でもなかった。たかだか45分過ぎれば休み時間になるのだ。もしそれがなくなったとしても給食の時間には開放されるし,放課後が来れば遅かれ早かれ解放される。殴られるわけでもなくただ放置されるだけなら頭の中で本の続きを考えたりしていればよかった。黒板の隅に溜まっているチョークの粉がどうやって落ちていくか観察していればよかった。床の木目をなぞって規則性を考えていればよかった。
子供同士でいじめられた記憶は特にない。ただそうやって淡々と1日が過ぎていき,私は友達と外で遊ぶこともあったが多くの時間を隠れて本を読みながら過ごした――休み時間に本を読んでいるのが見つかると罰せられた――。
小学校では単元が終わるごとにテストがあった。授業を聞いていない社会だけはからっきしだったが,それ以外は聞いていなくてもわかるような簡単なものだった。少なくとも私にとっては。算数のテストの時だ。一通りといてきっかり3回全部検算してそれから,またいつものように物語の世界に没入していた。男がやってきて寝るなといった。私は終わりましたと答えた。男はそれ以上何も言わなかった。授業を受けさせていないのだからできるわけがないと思っていたのかもしれない。返ってきたテストは満点だった。
男は異様なまめさというか融通の利かなさでテストで満点をとった場合はテストを返す時に名前の後に満点と大声でクラス中に知らしめるところがあった。そのクラスの中で満点をとることは善であり男に気に入られ,生き延びやすくなるという意味であった。ターゲットにされている子らはたいてい成績が良くなかった。当たり前だ。授業をほとんど受けていないのだから,ふつうはできなくなる。それでなくてもターゲットにされたことによって必要ない所にリソースを割かなければいけないので勉強どころではなくなる。
あの時の男の顔は今でも覚えている。その顔を見た時に自分が満点を取っていることは確信した。私は笑ったのだろうか。笑ったかもしれない。男の手は震えており,絞り出すように声を吐きだした。私は顔をあげて男を見た。負けるものかと思った。お前になど屈してやらない,そう思った。
テストで満点をとるたびに男のやり方はどんどん苛烈になっていった。男はむきになってどうにか私を男の思うようにコントロールしようとした。表向き私は逆らわなかった。しかし男が最も望んでいる勉強のできない子供にはならなかった。特に算数だけは男にはどうしようもなかった。記述式ではないからだ。答えがあっていれば丸をしなければならないからだ。ひとつでも間違えれば私は絶望した。男は勝ち誇ったような顔をした。しかし,そうでなければ男はまた取り乱したように規則を細かくし厳しくした。滑稽だと思った。
あの頃の私には何もなかった。友達らしい友達はいないことはなかったが,あくまでも学校の付き合いでしかなくしばしば彼女らとは離れて本を読んでいた。帰りたい場所もなかった。自尊心を支えてくれる人もいなかった。弱音を吐く相手もいなかった。どこかへ行くための元手になる金もなく,理解もなかった。私が見ているのは悪意を向け何らかの理由をつけて罰してつぶしにかかろうとしている大人か,それを見て見ぬふりをして手を差し伸べない大人か,その大人たちを怖がって遠巻きにしている同級生しかなかった。何もなかった。
なぜあの時ぽっきりと折れてしまわなかったのか,今でもわからない。あの状況を今体験したら間違いなく体に変調をきたすであろうのに,当時は何もなかった。成績が良いこと,勉強ができることは私にとって生きる術であったし,心を支える手段だった。もし勉強ができていなかったら,授業聞かないことでわからなくなっていたら,たぶん私はあの男には歯が立たないと思っていただろうし,おそらく心が折れるかひねくれるかして,その代り苛烈な状況に身を置くことはなかっただろうがその後の人生はまた違ったものであっただろうと思う。高校に行くことすらなかったかもしれない。10歳の私はあの男を完全に馬鹿にして,見切れていると思っていた。そう信じていた。そう信じるしかなかった。勉強ができるということはそれだけの意味を持っていた。私にとっては救いだった。
純粋な勉強の楽しさ以外で「私は勉強ができる」ということが大人にどういう効果を与えるかを私は子供時代に学んだ。年齢が二桁になる前から,薄薄とそれは知っていたが,四年生の時の体験ははっきりと理解した。勉強ができる限り,大人は負けを認めるのだ。負けを認めても認めないと言い張ることはあるし,そのための言い訳を大人は弁が立つから適当に作ることができる。だが勉強ができれば従わなくてもよいことを知った。心を受け渡さなくてもよいことを知った。表面で抵抗しなくても結果を出し続けることで彼らの支配下はおろか,彼らを見下すことすらできるのだと知った。その勉強の仕方はおかしいだろう。不純だろう。だけれども,当時の私にはそうするほかなかった。他に手段がなかった。そして同世代の子供同士でいじめられることはなかった。
私が勉強だけはしておけ,最低限でいいから道具だけは持っておけというのは,理不尽に相手を貶めようとする大人に出会った時に対抗する手段を,武器を持て,そして自分を守れと思うからである。勉強という意味の語源は知らない。辞書的な意味も調べたことはないからわからない。しかし勉強という文字は分解すれば勉めて強いである。勉めることで強くなるのである。そういう道具を,武器を,自信を得られるのである。
楽しい勉強ができるなら,それが一番良い。だが,そうでなくても構わない。心ない人に,理不尽な状況に負けないために,勉強をしたってよいのだ。勉強ができるということは侮蔑になるかもしれないが,しかしそれは勉強ができるということの価値をひっくり返せない人の詭弁でありいいわけなだけである。どんな目的であっても,どういう理由があっても,知識を得て,道具を得て,それが使えるようになることはいつか役に立つのだ。
追記:
なんかもにょるといったので一応TBしときますが,基本的にあんま関係ない話な気はする。