邪念草 このページをアンテナに追加

2008-12-22 学校で学ぶべきこと このエントリーを含むブックマーク

http://anond.hatelabo.jp/20081221200806

「学校での勉強なんて…」みたいな負け犬の遠吠えみたいなコメントを言うからこういう増田が出てくるんでしょ。50mを6秒で走れましたって人には「すげー!」ってなるくせに。

とまぁ頭がいいか悪いかは置いておいて。

本当に学校の勉強が役にたたないって思っている人がいるならそれは悲しいし、本当の意味で学校で勉強してこなかったんだろうなぁと思う。

学校での勉強は次のような段階を踏むことを想定されていると思う。

1.知識を蓄えること(記憶力)

2.1で得た知識を理論的に運用すること(論理力)

3.2で得られた論理を元に新しい知識を生み出すこと(創造力)

そして、学校の勉強を役立たないと言う人は、1で得られる知識が役に立たないと言っているにすぎない。

違うんだって。1,2,3という知識の総体的な運用方法を学ばせたくて、あくまでもその題材として学問を扱っているに過ぎないんだから。

そのくせに、最近思うことは、学問について記憶力「のみ」を問われることが多すぎるということ。それは学校の試験問題でもそうだし、テレビのクイズバラエティでもそうだ。

「○○の現象をなんと言いますか、答えなさい」とか、「いついつにこれこれを行ったのは誰でしょう」とか、その典型。

記憶力っていうのは人間の思考の根幹をなすから重要だと思うけど、それに固執しすぎている。学校の入試でもこういうのが多かったりするから(作問するのが簡単だからね)生徒も「学校の勉強=記憶力」みたいなイメージを植えつけられてしまう。

難しいと言われる学校の問題ほど、記憶力よりも論理力を問われているような気がする。例えば東大の入試なんてのもそうだ。こんなの知らないよ、という無駄な記憶力よりは、論理力を問う問題を多く出している。

つまり、「学校の勉強なんて…」と思っている人は記憶力の部分しか見ておらず、しかもその記憶する対象が自分の興味のない学問についてだからじゃないのか、という私なりの推測。違う?

記憶していてもそれを使えなければ意味がないのは当たり前。

だからさ、本当に学校の勉強の総体的枠組みを学んだ人、すなわち、記憶力→論理力→創造力っていう流れを把握している人は学校の勉強が役に立たないなんて思ってないんじゃないかと。

もっといえば、そういう人たちは学問が如何に現代社会に役立っているかを知っているだろうから「学問を学ぶことが無駄」だなんて思わない。

数学を学んできたから、お金のやり取りが出来る。

理科を学んできたから、電気がどういうものか分かる。

国語を学んできたから、互いに文章でやり取りが出来る。

ほら、役に立っているでしょう?

美大志望だった人美大志望だった人 2008/12/23 12:59 はじめまして。
記事内容には基本的に同意しますが、高校で習うような内容(特に理系科目)は大学でその知識を主として使う学科へ進まない限りは必要ないし、役にも立たないんじゃないかなーなんて思いました。

rinsanrinsan 2008/12/23 13:43 こんにちは。Skylabの学科の友人です。僕は高校理科程度までなら役に立つと思ってる人なのですが,いくつか例をあげると
・IHヒーターでは普通の陶器製の鍋は使えませんが,高校物理の電磁誘導の知識があればIHヒーターの仕組みが分かり「当たり前」に気づけます。
・電子レンジは水分を含んでいないものは熱することができませんが,これも化学の知識があれば説明できます。
・TVの視聴率とか俗に言う「偏差値」,これってどういう仕組みで出しているか知らないと数字に振り回されるだけで終わってしまいますよね?統計の知識があると情報を上手く取捨選択できます。
・料理で使う「脹らまし粉」,その仕組みが分かっていれば調理のアレンジもし易いのでは?
・酸性洗剤と塩基洗剤を混ぜたら危険ですが,なぜ危険か分かりますか?

もちろん,知らなくても死にはしないと思いますが(最後のは死ぬか。笑),売られている商品や与えられた情報を最大限活要するのにやっぱり高校レベルの理科や数学の知識ってあると便利だと思います。学校のテストや何かで直接こんなことを聴かれることはあまりないでしょうけどね。

また,
>大学でその知識を主として使う学科へ進まない限りは必要ないし
とのことですが,逆に言うとその知識を使う学科へ進むには必要ですよね。日本という国レベルで考えると,大雑把ですが,様々な学科に満遍なく学生が入るのが望ましいと思います。特に日本は資源のない国ですから,貿易などでプレゼンスを発揮しようとしたら技術力で勝負するしかありません。つまり理工系技術者ですよね。もし,高校理科を「興味ある人だけやれば?」だとその裾野が広がらず理工系人材が不足し,日本の技術力が衰える可能性があります。そのため,裾野拡大を考えて「入門程度の知識」は全員が学ぶべきだと思います。

rinsanrinsan 2008/12/23 14:20 長文ごめん。笑>すかいらぶ

そして,自分のところで改めて書いたものがあるのでお暇でしたらどうぞ。

skylab13skylab13 2008/12/23 23:33 おおう、気づいたらコメント欄でのやりとりがw
rinsanの考えに同意ですね。
興味がないと思っていてもいざ勉強したら面白かったなんてことも多いにあると思う。あるいは興味がなかったとしても知識があるだけで騙されなくなることもあるでしょう(あの怪しい「マイナスイオン」とかにね)。

まなめから来ましたまなめから来ました 2008/12/24 01:33 コメ欄意外でした。
私は文系の大学に進みましたが、理系の学問は必要性が分かりやすくていいなぁ、といつも感じていましたので。
なので高校の文系学問の必要性を列挙。

英語・・・これを必要ないと思う人はいないですよね。
国語・・・管理人さんが書かれた以外に、英語等外国語を学ぶために必要です。母国語をなんとなくとしか捉えてない人は、外国語もなんとなくまでしか捉えれません。(海外居住期間が日本以上に長い人は除く)
地理・現代社会・・・これも必要性がわかりやすい。
歴史学・・・?文化=歴史。歴史を理解せず文化を理解できません。?「愚者は経験に学ぶが、我輩は歴史に学ぶ。」byビスマルク

のように、私も管理人さんの意見に同意権なのですが、
ただ、まあ、『学校で学ぶべきこと』として、
『2.1で得た知識を理論的に運用すること(論理力)』
にあまり重きを置かれてない学校教育に対して、
「役に立たない」という意見が出るのはしかたないことなのかもしれません。

skylab13skylab13 2008/12/24 13:00 >まなめから来ましたさん
その通りだと思います。本来論理力を問うはずの数学ですら、一種の"暗記科目"に成り下がっていて、全く見たことのない問題(=論理力を試される問題)には手をつけようとしない生徒もいたりします。学校教育でももっと論理力に主眼に置いた問題を考えてもらいたいですね。

あと、個人的な考えなのですが、必要だからやる、不必要だからやらないというのは一見合理的ですが、それはロボットのやることであって人間としてはつまらないんじゃないかなと考えていたりもします。

rinsanrinsan 2008/12/24 14:31 >まなめから来ましたさん
誤解があるとあれなので。自分も俗に言う文系科目は必要だと思ってますよ。海外の人や文化に触れるのに,世界史や日本史などお互いのバックグラウンド抜きに語るのは無理ですから。

個人的には倫理が一番役立っています。知識は抜けつつあるのですが,様々な思想家の思考を辿ることによって「批判的なものの見方」を身につけることができたと思ってます。メディアリテラシーはもちろん,学問をやる上でもこれが一番大事だなと思ってます。

通りすがり通りすがり 2008/12/24 19:36 現役高校生です。私はどっぷり文系です。

管理人さんの書かれた1〜3のプロセスももちろんなのですが、私はまず「こういう考え方があるんだ」というところに気付くために進学に必要な科目だけではない色々な授業が必要だと思っています。rinsanさんがおっしゃっている「裾野拡大」もそうですね。
ただ学校がそういう風にやってくれないところにとてももどかしさを感じます。これはムダ、あれはムダ、と思わせているのは学校ではないでしょうか。ほとんどの授業が受験のための指導になっていく中で、興味を持って挑むのはとても難しいです。
数学なんかは数学的な考え方を身につけさせるためというのが言われますが、じゃあどうやって、というとやっぱり難しいみたいですね。
ただ、学校のせいにするだけではなく、生徒のほうがどうやってこの授業を身に着けてやろうか考えるべきだと思いますね。

美大志望だった人さんの「大学でその知識を主として使う学科へ進まない限りは必要ないし」という言葉、そういわれると、進んだ先の大学での知識はいったい何に必要なんだろう、と考えてしまいます。私は文学部のそれも国文学を志しています。いったい何の役に立つんでしょう(笑)

なんだか自分語りみたいになってしまいました、すみません。

skylab13skylab13 2008/12/24 21:19 >通りすがりさん

>私はまず「こういう考え方があるんだ」というところに気付くために進学に必要な科目だけではない色々な授業が必要だと思っています。

その通りでしょう。しかし、私はそこまで重要視していない。なぜなら、そういう経験は自分で学校の授業外でも学べると思っているからです。例えば学校の友人と議論を戦わせたり、あるいは年上の知人に今の職業について聞いてみる。こういう経験をわざわざ授業にまで取り込まなければいけないというのは、必要なことなのかもしれないけど、できればない方がいいのだと考えています。

>数学なんかは数学的な考え方を身につけさせるためというのが言われますが、じゃあどうやって、というとやっぱり難しいみたいですね。

簡単なことです。自分で公式や定理を証明してみることでしょう。証明の根拠となる事実を掻き集め、それを論理立てて説明するだけです。数学的思考と言うものはそういうものだと理解しています。
それが学べていないというのであれば、それは証明の仕方に"曖昧さ"が残っているからではないでしょうか。「よく分からないからあやふやにしておこう」とか「多分そうなるよね」といった中途半端な証明ではまずい。もちろんこの手の問題の採点は非常に時間を食うので採点する側としてはめんどくさいんですが。

続きは次回のエントリーで私の意見を表明したいと思います。