『いじめ』と言う問題に対して、たくさんの思いが書き込まれていた。
今、最初から拝見させて頂きました。
私は、幼少期から非常に虚弱体質で、おとなしい女の子だったらしい。マジで!!!!
多分、小学校低学年だったと思う。
『痛っ』
生まれて初めての激痛が走った。白い体操着を着ていたので、体育の時間だろう。
馬跳びをしていた際、上手に飛び超えきれず、片腕から地面に叩き落とされた。
誰もがただのケガだと思う転げかたで、私は脱臼をした。
馬跳びだよ!!!
でも、とにかく痛かった。
起き上がろうとするが、右の手が全く動かない。
肘から下が肩に向けて折り畳まれ、手の甲は右頬に触れそうな位置にあったまま、動かない。
とにかく、指一本づつをゆっくり動かす、そんな動作でさえも困難であった。
ハッキリ覚えている。
かぶりの体操着を脱ぐ事が出来なくて、私服に着替える事が出来なくて、めそめそ泣いた。
その後、給食の時間には牛乳のふたをあける事が不可能だった。
それを我慢し、通常通り下校する。
.... 何も、覚えていない。
次の記憶は、もう夜だ。近所の骨接ぎの先生は私を診療すると、
何となく難しそうな顔で父親と話していた。
母も父も深刻な顔になっていく。そのまま大学病院の救急受付へ急いだ。
怖くなってきた。
これも、強く記憶しているワンシーンで診察室。
X線写真を見ながら医師の話を聞く両親と、看護婦さんに包帯をぐるぐる巻きにされている私。
自分の骨を見るのは怖かったし、医師とは多少離れていたが、声は普通に聞き取れる。
『明日手術を行います』
『最悪の場合ですが、薬指と小指は自由に動かなくなる事も』
確かに、そう言っていた。
『手術しても、障害が残る』
帰宅後、また、聞いた。かわいい孫を思う、私を思う、おじいちゃんが怒っていた。
母が、
『なんで、こんな時間まで黙っていたの、なんで先生に言わなかったの』
いつどこで、何時何分、誰と誰が、どうした。と、問われた。
『お母さん、痛いょ』
10歳にも満たない女の子は、うつむいてずーっと泣いていたんだ。
右手は病院に行く前と同じ形のままで、頬の涙を包帯が拭き取っていた。
指が動かなくなる、手術をうける、それでも指が動かない、動かない、動かない、
そんなの嫌だ。怖い、怖い、怖い。
それから、半年間学校を休み、ギイブスをつけたままの不自由な生活を送ることになる。
いつの頃か、私の生活に学校という文字が消えていた。
思い出すと、もの凄い寒気がする。みんなも私を忘れている。友達もいない。
お勉強も何をしているのかわからないし、休み時間は何をして遊んでいるんだろう?!
ケガをした当初、担任の先生が家に来て親と話しをしていたが...
母親も、先生も、怒っていた感じを受けた。 誰が悪いとか悪くないとか。
『ごめんなさい、私が悪いの』 やめてくれ... 心臓がしぼられる感じだった。
お見舞いとは親にするものなんだろうか。
私の様子を見に来た訳ではないのかも...だったら、
と、布団に潜り込んで寝たフリの用意をしていたんだ。
先生と親は、ケガをした経緯や他のクラスメートは誰かこの件を知っていたか!?
など、細かく聞いてきた。答え方を間違えると、悪く伝わるような気がして、何も答えたくない。
転んだのは私だ。黙っていたのも私だ。他が、気づかなかったかは知らない。
でも、少なくとも先生は気がつかなかった。私も言わなかった。それだけだ。
聞きたい言葉は、そんなのじゃない。親も、先生も、嫌いだ。
その後も、学校の誰かがお見舞いにきたか?! 覚えていない。
忘れているだけかも知れないけどね。
ケガを理由に登校拒否だったんだ。一日でも、学校生活の復帰をずらそうとしていた。
当時の色んな記憶が消えているのには、きっと辛い事だからだ。
こうして思い出す機会も無かったのは、忘れようと自己防衛本能がフルに働いていたんだ。
人は、忘れてる才能を持っている。
忘れないと、生きていけない。
『はい、おじいちゃん』と、水戸黄門を見ているおじいちゃんの顔の前にあやとりを差し出した。
こうして、右手の指が自由に動くのは、おじいちゃんのお陰なんだ。
朝、おきると、おじいちゃんが電話口で頭を下げながら名医を捜してくれていた。
『はい、はい、おじぃーちゃん』 あやとりが楽しかった。
水戸黄門がみたいらしく、じーちゃんは嫌がっていた。 でも、おじいちゃんは怒らないんだ。
このケガの1年の思いでの中に、友達が出てこないんだよね。
私は、学校に、友達と呼べる子がいたんだろうか.....
とっても、ひとりぼっちだった気がする。
結局、クラス替えとかがあって担任も変わった頃、通学しだす。
でも、ケガの性にすればいつでも休めた。
通院している間、優しくしてくれたお姉さんとの出会いが大きかった。
時間を合わせて、病院であった。当時、はやっていた交換日記をしてくれたおねえさん。
右手や左手で一生懸命日記を書いたんだ。私にとっては、大好きなお友達だ。
聞いてくれる人かがいる ...。それだけでいいんだ。
幼い頃、いつも、何かに怯えていた。
なぜ、ケガをした事まで黙っていたのか...
黙っていたわけじゃない。言えなかったんだ。
痛いのに、言えなかったんだ。 誰にも。
私のこの実話に関しては、昔話。今は違う。私はちゃんと言える。話し合える。
環境も変わった。だから、母や先生へのコメメントは遠慮して下さいな。
『いじめ』 この一言には、色んな人間関係が縺れ合い絡み合いながら、関わっている。
みんなの沢山の意見に、そしてまたその意見に、考えさせられました。
でもね、いつのまにか、議題は、当事者達を置いてきぼりにしてしまう事が多いと思うの。
私は、今、『いじめ』にあっていて、辛い。
私は、こんな『いじめ』をしてしまった。でも、私も辛かった。
言い訳でもいい、昔話でもいい、自分自身の体験や、そのときの感情、今思う事、
それが、大事なのかもしれません。
大人に成ってから、理屈で話す事が増えてしまう。
ねぇ、わたしはいい。しかし、他の人への指摘をする際、レベルを下げよう。
言葉を選ばないと書き込めないような、威圧を感じるケド...。
気のせい?!
うんこ