上海南駅爆撃の写真判定をめぐって(1)

妄想的解釈が支える「やらせ写真」判定

2008.2.4 first upload

    破壊された、上海南駅でひとり取り残された赤ん坊が泣き喚いている。この写真は1937年の9月15日に公開されたニュース映画の一場面で、『ライフ』誌10の10月4日号を飾った。このニュースは全世界で13600万人が見たと伝えられ、この赤ん坊に対する同情は同時に日本軍の非道をアピールし、アメリカはじめ世界の対日感情を一気に険しいものにした。

   この報道写真は1938年の読者が選ぶその年の写真のベストテンに選ばれた。しかし、この写真の出来があまりにいいことから、どうしてこういう写真を撮ることができたか、疑問に思う向きもあった。子どもと動物を写真に登場させれば、訴求力が高まる、まして、子どもがひどい目に遭っているところは同情心をかき立てることができる。

  したがって、爆撃現場にひとり取り残されたこどもを撮った写真になんらかの作為がしてあったのではないか、という憶測も当時からあった。 その疑惑を取り上げて、この写真の否定論と引いては南京事件の写真の否定論につなげているのが、松尾一郎と東中野修道である。 松尾は「プロパガンダ戦『南京事件』」(以下、松尾本と略す)2004年1月でこの写真を取り上げた。東中野は1999年の「『ザ・レイプ・オブ・ナンキン』の研究」 (以下「研究本」と略す)と2005年の「「南京事件『証拠写真』を検証する」(以下、「検証本」と略す) で取り上げた。しかも、「検証本」の表紙絵の代表的「ニセ写真」4枚のうちのひとつという大きな取り扱いである。

   一方、私の方では東中野の、この「写真検証」をこのサイトで取り上げることにはいささかためらいがあった。このサイトは「南京事件」の検証をするためのもので、上海爆撃として過去に有名になり、いまもそういう扱いをされているこの写真を取り扱う意味を見出せなかった。しかし、最近この写真の否定論が有名な論点になり、否定論者のサイト、ブログで軒並み取り上げられるという情勢を見て、 考え方を変えた。

  この写真の否定論を解析すると、南京事件の写真の否定論と同様であるばかりか、南京事件自体の否定論とも論法が共通していることがわかった。また、この写真の否定論の歴史それ自体が、否定論の成長・発展の過程をよく示しているのである。よって、そのような視点からこの写真の否定論を分析し、批判を加えることにした。


「検証本」のpp78の写真Aが有名な『ライフ』誌の写真である。

松尾、東中野が、 この写真を「やらせ写真」とか、「演出された写真」という主張は
1.写真2からの解釈
2.写真B,Cからの解釈
から成り立っている。

1.写真2からの解釈




 
   それから(筆者注 8月28日の爆撃の日から一日以上も経ったあとであるにもかかわらず、いかにも爆撃があったばかり被害を受けた格好に扮装させた赤ん坊を、上海南駅ホームへ連れて来た。
(「プロパガンダ戦『南京事件』」2004年1月)
  しかし、これは明白な「やらせ写真」(注 写真Aのこと)である。それを以下に証明しよう。
  まず、この写真が撮影された状況を具体的に想像してみると、これは極めて不自然なケースであることがすぐにわかる。赤ん坊の親、または保護者の立場にある中国人は、この赤ん坊を置き去りにしてこの場を立ち去ったか、あるいは爆撃で死んでしまったことになるが、なぜ、駅構内の線路の上なのか、考えてみると不思議である。ウォンは最初にこの赤ん坊を見つけてカメラを構えたばかりでなく、同時に記録映画まで撮影していた。被写体がそんな長時間、このままの姿勢でお座りをしていたとは考えられない。
  この場面には別のカットがある(上掲 (注 写真2に相当))。
  ここでは、何と子どものすぐ横に一人の大人がいる。それにもう一人の子どももいる(J・キャンベル編『20世紀の歴史15/第二次世界大戦(上)』一九九〇年、平凡社)。
「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」1999年
・・・よく見るとこの写真は、写真Aと場所も幼児も同じである。それにしても不自然な点が目につく。まず帽子をかぶった「父」ともいうべき男性が、泣き叫ぶわが子を抱き上げようともしない。幼児のほうも父を見ようともしない。
・・・
このときには、幼児以外に顔に怪我したらしい子供一人と、少なくとも撮影者を含む大人三人がいたことがわかるが、それを写真Aでは幼児だけが撮影されている。
ちなみに記録映画ビデオ『激動・日中戦史秘録』には幼児のすぐ脇で発煙筒のようなものから煙が出ており、幼児が煙のほうを振り向く瞬間が見てとれる。爆撃直後を示す煙の演出だったのであろうか。
こうみてくると、写真2も推して知るべしであり、宣伝のために演出された写真である
(「『南京事件『証拠写真』を検証する」2005年)

  松尾は1995年頃から「写真検証」をはじめており、実際には松尾本の内容は「研究本」より早くから発表されているので、引用はこの順にしてある。松尾本では「被害を受けた格好に扮装させた赤ん坊」とはっきり指摘しているが、これは写真から判断されることではなく、その根拠はまったく示されていない。
  「研究本」では「なぜ、線路の上なのか」と「長時間お座りしていた」ことを不審点としてあげているが、赤ん坊は線路上にはいないし、長時間いたかどうかは写真画像から読みとれない。別のカット(写真2)に大人ともう一人のこどもがいることは写真Aが「やらせ写真」という証拠にはならない。

  三つの本はいずれも、写真2は写真Aの撮影のための準備である、という想像に基づいているようであるが、写真2が写真Aより先に撮られたものである、という証拠はこの二枚の写真にはないのである。また、写真2がどのような準備をしていたかについても画像上には証拠がないのである。

この二枚の写真から私が読みとるのは以下のことである。

写真A 上海南駅のプラットホームに2歳くらいの赤ん坊がおそらくは両親を失って、取り残され、泣きわめいている。向いのホームは無惨に破壊され、危険な状態である。同情を誘う状況であり、構図もよく、見事な報道写真だ。

写真2 白いシャツ、白い帽子の男がなにかしげしげと観察し、考えている。二人の後方には額にガーゼを張った幼児が呆然と立っている。

「上海南駅」についてはすべてのひとが争わない事実なのでこれを前提として書いたが、これ以上の情報がなにか、写真から読みとれるだろうか。

2.写真B,Cからの解釈


 

  さらに、左の写真(『ルック』一九三七年十二月二十一日号)(写真Eに相当)では中国人の男があの赤ん坊を運んでいる。男はウォンの助手であろう。これだけでも「やらせ」の証拠として充分である が、さらにもう一つダメを押しておく。
  ウォンが指揮するチームがスチール写真だけではなく、映画も撮影していたことは前に述べた。その映画の一部が、アメリカの宣伝映画「バトル・オブ・チャイナ」に出てくる。 (写真B、Cに相当)その中で、右の男は件の赤ん坊を抱えて液の構内を移動している。問題はその方向なのだが、ホームからわざわざ線路の方へ向かって赤ん坊を運んでいる。発見した赤ん坊を助け出したところではなく、これから赤ん坊を線路の上に置いて、撮影を始める直 前の移動だとわかる。
「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」1999年
写真Bと写真Cでは、「父親」とは別の男性が右方向から幼児を抱えて、わざわざ線路のほうに移動している。写真Bの帽子の男性は、写真2の男性と同一人物と思われる。しかし彼は「父」でありながら、幼いわが子が他の男性に抱えられて行くのに、まったく無関心に見える。
写真Bの別の男性は、写真C、写真Eの男性と同一人物である。誰だろうか。抱きかかえかたも不自然だ。
(「『南京事件『証拠写真』を検証する」2005年)

  写真B、C、Eはこの順序で赤ん坊を右側のホームから左のホームへと運んでいることは間違いない。東中野はこの黒い服の男が「ウォンの助手であろう」と推測するのであるが、その根拠は示していない。もちろん写真画像からはそのようなことはけっして読みとれない。
  赤ん坊を運ぶ理由について、東中野は「撮影を始める直前の移動」としている。これは撮影をするために左側のホームに運んだという説明のようだが、これは男がウォンの助手であるという前提なしには成り立たない推測である。

写真B、C、Eから私が読みとるのは以下のことである。

写真B、C、E 黒い服の男が赤ん坊を両腕を突き出すような形で抱えているのが目を引く。向いのプラットホームからこちらのホームへ運んでいるところらしい。白いシャツの男は黒い服の男の上に立つ人間のよう で状況を冷静に見ている。

  また、写真Dについては掲載しているにもかかわらず、この写真については出所の他はなんの解釈もされていない。写真Dについて私が読みとるのは以下のことである。

写真D 写真2で見た黒い服の子供がプラットホーム上に立っている。写真中央に黒い柱のようなものが見え、線路上にはいままでの写真の枠内では映っていなかったが少年がひとり倒れており、どうやら死んでいるらしい。

  東中野が掲示する5枚の写真から得られる結論は次のようなものである。

上海南駅の崩壊したプラットホームから、中国人のペア(あるいはグループかも知れない)が怪我をした2歳くらいの子供と、5−6歳の子供を救出した。運びだした子供はいったん、 向かい側のより安全なホームに置かれ、また、いずこかへ運び出されたらしい。
※写真2と写真D、写真Aはほぼ同じところから撮られているが、撮影の順序はわからない。

  5枚の写真をいくら眺めても、写真Aが「やらせ写真」であるとか、「演出された写真」であるという結論は出てこない。東中野や松尾がそのように決めつけ る根拠は「黒い服の男がウォンの助手」だとか、「被害を受けた格好に扮装させた赤ん坊」という「想像」だけである。

ここで東中野、松尾の「写真判定」、「写真検証」の重大な欠陥について二点、指摘する。

1.写真画像の情報をあるがままに正確に読みとっていない。

  写真判定の基本は画像情報を虚心に見て取り、それを整理することにある。私が読みとったものは上記のようにあえて書き出してみたのだが、この過程は必ずしも書き出さなくてもよい。ただし、それから先の仮定や想像、類推のためにはこの過程がしっかりなされていなくてはならない。ところが、東中野、松尾の「写真判定」にあってはただちに・・・が不審だ、とか・・・は・・・ではなかろうか、という疑念や類推のみが先行しており、それは画像情報の読みとり、整理がなされてはいないようだ。「研究本」で赤ん坊が「線路上」にいる、と見間違いをしていたことも正確な読みとりが出来ていないのをしめしている。
 

2.写真画像から、読みとれないことを強引に読みとってしまうという悪い癖がある。

  一般に写真画像は、画像に現れるすべての事象を明瞭に説明しているわけではない。むしろ、1枚や数枚の画像では だれが、何をどうしているのかといったことに不明な点というのは残る。この不明点を簡単に「謎」と呼ぶことにすれば、写真には多くの「謎」が含まれている。写真画像 の判定には画像から容易に、あるいは確実に読みとれることだけを読みとり、「謎」は「謎」のまま保持 しなければならない。その「謎」は「謎」のまま残ることもあるし、他の映像資料、文書資料によって「謎」が判明する場合もある。しかし、わからないことがあるからといって、 作為のある写真であるということは言えないし、「謎」の部分 を勝手な解釈に走ってはならないのである。 東中野、松尾は写真画像からは読みとれないことを強引に読みとろうとしている。
   東中野の写真のサマリーで、白い帽子の男を「父」とみなしたり、黒い服の男をウォンの助手と言ってみたり、発煙筒があると言ってみたりすることはすべて、強引な解釈である。 これらの妄想的解釈をなくすと、「やらせ」だとか「演出」だという断定はまったく成立しなくなる。だからといって、この劇的な写真がどうして成立したのか、演出はまったくなかったのかについては私はここで結論を出したわけではない。単に、「やらせ」だとか「演出」だという根拠は東中野らは提示していない、ということを指摘しただけである。
  その「謎解き」のためにはもう少し資料が必要である。

次のページでは別の資料を交えて、検証し、東中野、松尾らの検証の欠陥についてもさらに指摘する。


つづく