平成14(2002)年8月15日放送(テレビ朝日「ニュース・ステーション」より)
元兵士が語る「南京戦」の真実
久米宏(司会者) | えー、戦争とは何だったかを問い掛ける本が今日、出版されました。 「南京戦元兵士102人の証言」1937年12月の、南京攻防戦に参加した兵士達の証言をまとめたものです。 兵士達は自らが行った虐殺や強姦の様子を生々しく語っています。 で・・・この証言は、実はこの本の中に収められている証言なんですが、(証言者の映像が)ビデオカメラにも収められていて、今日はその生の声をお伝えしたいと思います。 本人のプライバシーを守るため、全員顔は隠した上で仮名にしてあります。 |
女性音声ナレーション | 1937年7月に盧溝橋事件から始まった日中戦争は、主戦場を中国北部から中部へと移って行った。 激戦の末、上海を占領した日本軍は11月、突如、中華民国の首都、南京への進撃を始めた。 参謀本部の意向を無視した、現地司令官らの独断だった・・・。 城壁に囲まれた南京に対して、日本軍主力部隊は、東と南から攻撃を仕掛けた。 中国側の防衛線は固かったが、大部隊の日本軍を前に12月13日、南京は陥落した。 敗走する中国兵の多くは、北西部のげかん(HP作者・注1)を目指していた。 そして、そこへ日本軍の2つの連隊が突入して行った。 掃討が始まった。 |
男性音声ナレーション | 12月13日昼頃、げかん(HP作者・注1)にいる敵に向かって掃討を開始しました。 揚子江のすぐそばに駅があって、そこかしこに残っている、一塊ごとの敗残兵を小銃で撃ち殺して行きました。 |
第16師団歩兵第33連隊第3大隊 町田義成さん(89歳・仮名) | 「邪魔やし、これ軽機関銃で撃ったれ」言って軽機関銃で腰の位置からバラバラバラっと10人並べて撃った。 んでな、逃げ掛けたらな、すぐに小銃で突いて殺さんとあかんと・・・。 クリーク(小運河)の前に立たせてバーっと撃ったら7人死んだんや。 3人逃げ掛かって、それは分隊の者が(銃剣で)突いて殺したんだな。 殺した奴は皆、クリーク(小運河)に放り込んで、クリークの前に立たせたので逃げるに逃げられない。 |
女性音声ナレーション | 捕虜の扱いについて、南京の日本軍にはキチンとした方針が無かった。 この為、現場の部隊では、大量の捕虜をもてあましていた。 |
第16師団歩兵第33連隊第3大隊 町田義成さん(89歳・仮名) | 「向こうは何も武器は持っていないし、果たして兵隊だったのか、そうで無かったのか分からない。 いい加減に・・・ちょっと顔つきの悪い、怖い顔した奴には、指図して、向こうは指示に従って言われるままに行く訳やな。 |
第16師団歩兵第33連隊第3大隊 大田俊夫さん(89歳・仮名) | 南京城内に入ると、男も女も皆連行して来て、大きな倉庫の中に、みんな放り込んでしまう。 皆、かわいそうに焼いてしまった。 火をつけて蒸し焼き。 (揚子江に)飛び込んで泳いでいる人を皆、撃ち殺しむごい事をした。 かわいそうに、子供に罪は無いのに、後の為にならないって。 |
第16師団歩兵第33連隊第2大隊 三木本一平さん(88歳・仮名) | 捕虜収容所から20〜30人づつ連れて来て、ダッダッダーッと機関銃でなぞる、なぞると揚子江へコロンコロンと(人が)落ちて行く。 ボラという魚・・・、その魚の様に、ずーっと30センチ位、人間で埋め立てしたようになっている。 |
第16師団歩兵第38連隊第1大隊 田所耕太さん(86歳・仮名) | (地図を見ながら)揚子江どこ?・・・これかい?これあんたもう累々としてたよ死骸が・・・。 |
男性音声ナレーション | 部隊の重機関銃は、その時まだ南京に着いていなかった。 33連隊が撃った死体が流れて来た。 昼頃から、2、3時間撃っていた・・・。 |
第16師団歩兵第38連隊第1大隊 田所耕太さん(86歳・仮名) | 機関銃でな、生きている人を堤防からザーッと撃つんや、生きている人も流れて来るのや死骸もおったけど、生きている人も、逃げ込んだ人も、クリーク(小運河)の中に何百人と(死体が)あった。 |
質問者 | 揚子江には? |
第16師団歩兵第38連隊第1大隊 田所耕太さん(86歳・仮名) | 揚子江なんてもんは、なんぼ見とったって、もう死骸がな、ずーっと20〜30センチまでな、川岸から死骸が累々と流れとったもんな |
質問者 | 命令はあったんですか? |
第16師団歩兵第38連隊第1大隊 田所耕太さん(86歳・仮名) | そんな命令は出ていない。 (命令)は出なくても撃ちたくなるんや。 誰でも殺すか殺されるかの勝負をしている訳だから、戦争は「正しい」とか「正しくない」とかそんな考え方は無い、とにかくもう殺すのが仕事やからな。 |
支那方面艦隊第3艦隊第11戦隊第24駆逐艦隊 三上 翔さん(83歳・仮名) | バンって撃たれたらね、向こうで砂煙がバンっと上がるんですよ、そしたらバンと倒れて、それからもう、こうね。 そりゃ、本人は意識は無いんだろうけどね、身体の手足だけが、ガクガク動いているところ。 |
男性音声ナレーション | 入城式の翌日あたりから、船で見張りについていると、毎日朝から晩までトラックで捕虜とも中国人とも区別のつかない人々を運んで来ては、中山埠頭から河へ追い落とす。 それを機関銃で射殺するのを目撃しました。 |
支那方面艦隊第3艦隊第11戦隊第24駆逐艦隊 三上 翔さん(83歳・仮名) | 中国人の虐殺が始まって、河の中でドッドッドッドッドやっているのを目撃したから、改めて望遠鏡で見た訳ですね。 水しぶきがバッバッバッバっと上がるのも人間がゴトゴトゴトゴトっと崩れて行く様がね、ハイスピード・カメラで撮ったようなスローモーションに見えるわね。 中には潜って逃げようとする人もあるけども、やはり息が続かない。 浮いてくれば殺られるしね、そういった状態。 何日続いたかという事は、もう今となっては記憶には無いけどね。 3〜4日経つと(揚子江の)水が減ってきた、そうしたら何日か前に撃たれた人々の身体が出て来る。 それが泥をかぶって、人間の形に泥がかぶって行く様子も見た。 人間が崩れて倒れて行くというのは、何かね嫌な感じだね。 でも、びっくりしたな、あんな事があると言うことは・・・。 |
女性音声ナレーション | 関西の市民グループは、5年以上に渡り、200人以上の証言を集めた。 証言を記録したカセットやビデオテープは、数百本に登っている。 そして、南京戦について102人の証言を本にまとめた。 |
松岡 環 | 南京の部分だけは忘れた・・・という、それが多かったですね。 反対に南京に近づいて行ったら、「もう帰ってくれ・・・って」 あ、何でですか・・・どうして?もう少し話を・・・。 「帰れ!」と言って怒られた時もありました。 |
女性音声ナレーション | もともと司令官の独断で始まった南京戦では、補給が充分では無かった。 日本軍兵士は"徴発(ちょうはつ)"と称して、住民から強奪を行わざるを得なかった。 "徴発"は時として、強姦や虐殺を招いた。 |
第16師団歩兵第33連隊第1大隊 鬼頭久二さん(76歳・仮名)(HP作者・注2) | 我々はね、戦争中に言ったら悪いけども、城壁の中に入るということは、中で徴発が出来る訳。 徴発と言ったら砂糖とか食料とか、また女もいるし、そういうものを徴発することが兵隊の楽しみだった訳だから、男はみんな一カ所に集めますのや。 |
質問者 | 集めた後は・・・? |
第16師団歩兵第33連隊第1大隊 鬼頭久二さん(76歳・仮名)(HP作者・注2) | 殺してしまうんや、機関銃でバリバリって・・・ |
第16師団歩兵第38連隊第1大隊 田所耕太さん(86歳・仮名) | ニワトリや卵取りに行ったら(娘を)2階に隠していた、見て良かったら(隊に)連れて帰って・・・親を見たら、何歳位の子供がいるかわかる。 |
第16師団歩兵第33連隊第2大隊 三木本一平さん(88歳・仮名) | 強姦されている娘の親は、表の前で「助けてくれ」って言わんばかりのそぶりで、頭を地面に打ち付けて頼んでいた。 |
第16師団歩兵第33連隊第1大隊 鬼頭久二さん(76歳・仮名)(HP作者・注2) | ばあさんと若い娘が逃げる時でも、ワシらが追っかけますやろ。 捕まるとバアさんが、「この娘は、小孩(ショウハイ)だから私をやってくれ」という訳や。 「アホか」って言ってな。 だけど、ぶっちゃけた話、兵隊が掃討に行くという事はね、結局、そういう捕虜とか、そんなものが目的ではなく、女を目当てに(徴発に)行って、強姦するのが目的やから。 ・・・ほんまの話が、そんなんでね、とにかく本当の話はできしまへんで。 |
女性音声ナレーション | 忘れてしまいたい記憶・・・忘れる事の出来ない記憶。 南京戦から65年目を迎えた今、あの出来事を体験した元兵士らは何を想っているのか・・・ |
第16師団歩兵第33連隊第3大隊 町田義成さん(89歳・仮名) | 俺の目の前でも、これだけ多くの人が死んで行く訳だから、南京全体では相当な人だろうな、と・・・ |
第16師団歩兵第38連隊第1大隊 田所耕太さん(86歳・仮名) | 悪い事をした。 それは、もう私らは割り切って、もう「死ぬか、生きるか」のところを渡っているのだから、悪い事もしたけど、今になってみたら謝るより他に道は無い・・・。 |
支那方面艦隊第3艦隊第11戦隊第24駆逐艦隊 三上 翔さん(83歳・仮名) | 今考えてみりゃ、軍隊なんて人殺しですわね。 戦争の為の道具だから、自分も殺されるかも知れんが、相手も殺さなきゃ、どうにもならんような組織だからね。 平和な仕事に専念出来るっていうのは幸せやな。 私なんて、人殺しの、人殺しの稽古(けいこ)とか、人殺しの為の仕事ばっかりしてきて・・・戦争まで駆り出されて・・・駆り出されるというよりも、志願して行ったもんな・・・。 |
久米 宏 | ・・・この兵士102人の証言ですが。 ま、ほとんどの方が1910年代生まれ、あるいはそれ以前の生まれの方で・・・ |
清水建宇(朝日新聞解説員) | ええ・・・ |
久米 宏 | まぁ、自分が、そのとにかく、強姦につぐ強姦、・・・人殺しにつぐ人殺し・・・。 そういう事をやって来たというのは、人に話すのはたまらないと思うんですが・・・。 ただまぁ、80歳代を過ぎた方の様な方も多いんで、やっぱり話しておきたいって言う気持ちで話されているというのは非常に貴重な証言だと思います。 |
清水建宇(朝日新聞解説員) | 家族にもずっと話して来なかったという事が書いてありましたね。 南京事件からもう65年でしょう。 65年間しまい込んで来た記憶ですよね。 だからすごく重い証言だなと思って聞きましたけど、私もっとね、多くの方にね、語ってもらいたいと思いますね。 それを若い人に伝えたいですね。 これ、7年前の大掛かりな調査があったんですけど、今、終戦記念日が今日、8月15日だって事を知らない大学生が4割だったんですね。 おそらく今は半分位になってるかも知れない。 で・・・これはとっても大変な事で、あの戦争の事を、若い人に伝えるって事に、どうも日本は失敗している、その責任は私達、上の世代にあると思うんですよね。 だから、あの戦争に参加された方は、どうか喋ってもらいたい。 そして私達は、それを伝えて行きたいと思いますね。 |
久米 宏(司会者) | えー、VTRに出て無かった所を、ちょっと紹介しますと・・・、第33連隊の・・・歩兵第33連隊の第3大隊の井戸直次郎さん。 えー、「民家のあるところに、米や食べ物を徴発したんじゃ、そんな時には女も徴発するんじゃ。 家のながもちのフタを開けると、中に若い嫁さんが隠れとったんじゃ。 纏足(てんそく)で、速く逃げられんで、そいつを捕まえて、その場で服を脱がして強姦したんじゃ。 ズボン1つで、パンツみたいなものは履いておらんで、すぐ出来た。 やった後、「やめたれ」と言ったんやけどな、銃で胸を撃って殺した。 暗黙の了解やな。 後で憲兵が来て、ばれると罪になるから殺したんじゃ。 それを知っとるさかい、やった後殺すんじゃ。」 もう1つ紹介しましょうか、これも歩兵第33連隊第1機関銃中隊の吉井光之助さん。 「多数の死体が漂うクリークの中で、ご飯を炊いた。 その水は死体の血などで、腐った水でね。 炊いたご飯が、その為に変色していましたが、それでもやもなく食べるしかなかった・・・。」 |
久米 宏(司会者) | ・・・ニュースを続けます。 |
HP作者・注1・・・ 南京の「下関」という地名を番組中「げかん」と呼んでいますが、正確には「シャーカン」という呼び名が正しく、これは南京事件を研究している者にとって最も初歩的な呼び名であり、ニュースステーションのスタッフがいかにいい加減か分かります。
HP作者・注2・・・ 76歳の鬼頭さんは、南京戦当時11歳となります。それを指摘されたニュースステーションは翌日、記載ミスがあったと訂正しました。
テレビ朝日「ニュース ステーション」
平成14年8月15日放送、放映時間15分3秒
Youtubeにて公開中の映像(その1) | Youtubeにて公開中の映像(その2) |
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